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3.英雄の帰還

最終話だけ長くなってしまいました。

「王弟殿下。この度、殿下と共に戦地を駆ける栄誉を賜りましたフィリップ・シャテルローと申します」


 そう言って膝を折れば、王弟殿下は朗らかに頷いた。この戦いが終わり次第臣籍降下する予定の殿下は、気さくな様子で握手の手を伸ばしてくれる。


「よく来てくれたフィリップ。気を楽にしてくれ、現状は君もその目で見ただろう?」

「ええ、驚きました。本当に戦が終わるのですね」


 最前線とは言わずとも前線に近いというのに、殿下のテントは穏やかな空気が流れている。剣戟の音一つ聞こえず、のどかな鳥の囀りが耳に心地良い。

 俺が配属される予定だった後方防衛線よりもこちらの方がよほど復興が進んでるようにさえ見える。いや、実際前線に向かうほど村人の顔色は良くなっていた。


「この戦は一部の者達の思惑によって開かれ無駄に長引いていたのだ。あちらも非を認めているので、終わり次第当事者を処分すると確約を受けている」


 停戦の準備はもう整っているのだと使者が告げたのは、俺が防衛線を出立した直後の事。まだ妨害の恐れがあるため秘密裏に事を運んでいるが、俺自身が剣を握る必要は無いから気を楽にしてくれという便りだった。


「後は細かい調整のみだが少し手間取っていてね。君が手を貸してくれると心強い。確かシャテルロー侯爵にも配属の異動については話していないのだったな? 後方には替え玉となる者を送っておくから、君はここで存分に腕を振るってほしい」

「お任せ下さい」


 普段書類と戦っている身としては、この申し出は大変ありがたかった。そして王弟殿下から功績をかすめ取るような事をせずとも、実際に戦功を立てられるのだという安心感もある。政治上の駆け引きとはいえ全く何もしていないのに戦果だけを与えられても本音は心苦しいだけだ。


「では頼りにしているぞ、シャテルロー小侯爵。最終的な目標は彼の国と同盟を組む事だ。出来得る限りこちらに有利な条件で頷かせてみせろ」

「はい!」




 戦場での暮らしは思っていた程悪い物ではなかった。

 戦場、とは言っても身体ではなく頭を使う戦だ。お互い秘密裏に事を運ぼうとしているために、国同士が全面的に向かい合い交渉をする訳にもいかず、どうしても動きは遅くなる。

 時には国の真反対まで馬を走らせ、時には隣接する別の国からの介入を往なし、気付けばあと数日もすればこちらへ来て一年という月日が経っていた。


「殿下! あちらの宰相から正式な承認を得られました!」

「でかしたぞフィリップ!」


 挨拶もそこそこに飛び込んだテントの中で王弟殿下は相好を崩す。

 すでに俺は、王弟殿下とはこの程度の無作法が許される仲になっていた。

 

 王弟殿下の下に就いてすぐ、愛人のために戦功が欲しいのかと聞かれた。あまりにも余計な言葉を削ぎ落とした単刀直入な問いに狼狽えたものの、全て知っているのであれば隠し立てをする方が悪手と考え肯定した。奥方も承知の上かと聞かれたので、その奥方からの入れ知恵だと告げれば、しばしの無言の後に「なんとも豪胆な令嬢だ」と大笑いされたものだ。


『ダルザス伯爵は娘を溺愛している。その娘が望んだ事であれば、私も協力すべきだろうな』


 そう言って企みに乗ってくださった時は安堵に胸を撫で下ろした。さすがに一年以上もこんな間近で王弟殿下を騙し続けるのは心臓に悪い。

 戦場に届くマチルダからの手紙や、エレオノールからの手紙についても話題にした。最初こそ不満を書き連ねていたマチルダだったが、次第にエレオノールに好意的な話題が増えすっかり打ち解けたようだ。マチルダからの手紙にはエレオノールの事が、エレオノールからの手紙にはマチルダの事が書かれ、まるで自分だけがのけ者にされたようだと零せば、殿下はまた大笑いしていた。


「あとは私があちらに出向いて協定を締結するのみだな」


 だがそんな生活もこれで終わる。

 あれだけ長引いた戦いも、最後は呆気ないほどにさっぱりとしたものだった。

 こちらは王弟殿下とその護衛、隣国は王太子とその護衛の、たった四人だけで結ばれた盟約。数枚の紙切れと二人の握手。それが終戦の合図だった。

 王弟殿下より指示された 部下達への通達。

 王都に向けた凱旋への準備。


 そして。


 凱旋パーティーの準備が進む中、現王派の誰もが知らぬ間に、ひっそりと譲位は行われていた。


「このほどは長らく続いた戦の終わりを祝うと共に、剣ではなく対話による外交を行うため自らその座を譲られた兄上の決断を称えてほしい」


 凱旋パーティーの始まりを告げる挨拶は、顔色を無くした国王陛下……いや、()国王陛下ではなく、頭上に王冠を戴いた王弟殿下によって成された。

 会場内には戸惑いの声よりも拍手の方が大きく響く。

 何故、どうして、いつの間に。


「ではまず、戦の功労者を労わねばな」


 そう言って王弟殿下、いや、陛下は俺を見る。

 パーティーの最初に行われる称揚の時を、俺はずっと待っていた。だが頭を垂れる相手が違う。

 だというのに。


「フィリップ・シャテルロー小侯爵」


 名前を呼ばれれば逃げ出す事もできない。この一年毎日のように顔を合わせた相手が、にこやかに俺を見つめる。


「此度の戦、無事停戦を迎えられたのは貴殿の手腕に寄る物が大きい。それに見合うだけの報償を与えたいが……案ずるな。貴殿の望みはもう知っている。“王命”で宛てがわれた妻と別れ、真に愛し合うマチルダ・アンジュー子爵令嬢との婚姻を新たに“王命”で結びたいのだったな。そう照れるなフィリップ、あの戦場で何度も話してくれていた事ではないか」


 鷹揚に笑い、あえて俺を名前で呼び、悪戯そうな目を向ける殿下、いや、陛下に返せる言葉などない。

 そうだ。その通りだ。“王命”で結ばれた婚姻を覆すため、新たな“王命”が欲しい。何度も何度も酒を酌み交わす最中に語った。

 だが今の言いようでは、まるで俺が()()()()()()()()殿()()へ“王命”を願ったかのようではないか。

 違うそうではない。殿下による反逆など俺は知らなかった。


「それからもう一つ。エレオノール嬢、こちらへ」


 陛下の声に会場がざわつく。たった今、まさに離縁を言い渡されたエレオノールの登場だ。


「彼女は以前より私との婚約話が進められていた。だが此度の戦により、私はいつ命を落とすかも分からぬ身となってしまった。そんな私の代わりに彼女の身を守ってくれたのが、フィリップだったのだ」


 突然の発言に思考が止まる。

 エレオノールとの婚約? 俺が身を守った? 一体なんの話をしているんだ?


「フィリップは私達の事情を知り、婚姻後も私達のためにエレオノールの名誉を守ってくれた。『シャテルローの純潔』の話は私の耳にも届いている。シャテルロー侯爵夫人が率先して広めてくれていたからな。フィリップ、貴殿はまさしく英雄の名に相応しい」


 シャテルローの純潔。つまりは、俺達がまだ閨を共にしていない事が周知の事実として広まっているという事か。ああそうだ、エレオノールが言っていた。「美談があった方が」と。母上はそれを実行したのだろう。健気に夫の帰りを祈るために、純潔を通した嫁の話を。


「この功労についても報奨を与えねばならぬが……そうだな、子爵令嬢では侯爵家に嫁ぐのに少し身分が足りぬ。そのためエレオノール嬢の生家に養子縁組を命ずる。マチルダ・アンジューはマチルダ・ダルザスとしてシャテルローに嫁ぐと良い。これならばダルザス家とシャテルロー家を結ぶという兄上の王命を軽んじる事にもならない」


 大らかに、そして鷹揚に微笑む陛下の隣には、いつの間にかエレオノールが花がほころぶような笑みを浮かべて立っていた


「なに、心配するな。マチルダ嬢とエレオノール嬢はすでに姉妹かのように仲睦まじいと聞く。今後も本当の姉妹としてこれから良き関係を築けるだろう。この一年エレオノール嬢がマチルダ嬢の教育係となったのならば、次期侯爵夫人としての素養も充分に備わったはずだ」


 陛下の話が頭の中で響く。マチルダがエレオノールを親友のように思っているのは確かだ。だがその事を何故陛下は……当たり前だ、俺だ。俺が話した。エレオノールがマチルダの教育をしている事も、侯爵夫人としてやっていけるか心配だという事も、全て俺が陛下に話した。

 臣籍降下し公爵となった殿下に嫁ぐ予定だったのならば、エレオノールが身に収めた学びは侯爵家でも充分に通用するに違いない。そんな彼女から教育を受けたのならば、マチルダも……。


「では皆の者、今宵のパーティーを存分に楽しんでくれ」


 何をどう返事したのか記憶が定かではない。だが身に染みついた作法が自身を助けたのだろう。気付けば称揚の時間は終わり、緩やかな音楽が流れ始めていた。

 ぼんやりと立ち尽くす俺に声を掛けてくるのは王弟派の者ばかり。

 ご活躍は兼々……エレオノール様とはどのような話を……今後も陛下の右腕として……。音楽と交じり誰のものかも分からぬ声がぐるぐると回る。

 いや、それほどでも……それは個人的な話なので……自分には勿体ない……。なんとか無難に思える返事を脳内で組み立てつつ逃げ場を探していると、バルコニーへ続く扉を開けるエレオノールの姿が見えた。


「皆様申し訳ありません、少し話をしたい者がおりまして」


 謝罪の言葉と共にその場を後にする。

 何故だ。

 俺は王弟殿下の戦功を横取りし勲功を受け、マチルダと結婚するはずだった。ただそれだけのはずだったのに!


「エレオノール!」


 一人で風に当たるエレオノールの背に声をかける。


「どういう事だ! お前と王弟殿下の婚約の話など俺は知らん!」

「シャテルロー小侯爵様。殿()()、ではなく、()()、ですよ」


 にっこりとエレオノールが笑う。屈託無く、あの初夜に見せたような何も知らぬ愚かな女と同じ顔で。


「だって少し足りなかったんですもの。伯爵家の私で、陛下の隣に立つには」

「一体何を……」


 陛下からの命を果たさず後方防衛線を離れ、王弟殿下の片腕として戦場を駆けた。

 王弟殿下の想い人を、王命に従い婚姻という契約を結んだもののその身を挺して純潔を守った。

 そして新しく妻にと望んだ相手は王弟殿下を支持するダルザスの娘となった。

 これではまるで……まるで……。


「現王派筆頭侯爵家を、王弟派に寝返らせるくらいの手土産が無ければ、ね?」


 政治の事など何も知らぬ、小娘が無邪気に笑う。


「まあ私は公爵家に嫁ぐものだと思っていたんですけれど。あの方がようやく腰を上げてくださったので、王妃になってしまいましたわ」


 全てこの女が仕組んだ事だというのか。離縁したいがために、支持している王弟から戦功を奪わせるような、甘い考えのこの女が。


「ッエレオノール!!」


 花畑に居るのがお似合いの女に向けて手を伸ばす。

 こいつが。この女が。

 父上と母上にどのような顔をすればいいのか。マチルダという覆しようのない存在を妻にしたまま、離反という誤解は解けるのか。

 何もかもが綯い交ぜになりぶつけようとした怒りの手は、そのまま空を切った。


「元夫とはいえ君達はすでに離縁した間柄だ。彼女の事はダルザス伯爵令嬢と呼んでもらえないか? 今は、私の婚約者なのだから」


 エレオノールを背後に庇うようにして王弟殿下が、いや、陛下が立っている。


「君達が二人で話す時間は必要だと思ったけど、あまり長いと悪い噂が立つからね」


 陛下はエレオノールに向けて優しく微笑みそっと肩を抱いた。嬉しそうに微笑み返すエレオノールの目に偽りは無く、本当に二人が想い合っていたのだと現実を突きつけてくる。


「俺を……謀ったのですか……」


 震える拳を握りしめ、共に笑い合った日々を思い返す。一年だ。一年も俺は、この男と一緒に居たというのに。


「どうしても兄上は私を殺したかったようでね」


 突然の話題に目を瞬かせる。国王兄弟の軋轢はこの国の貴族であれば誰でも知っている事だ。何を今さら。


「私は別に王座など望んでいなかったんだ。兄上が私を直接呼びつけて、目の前で死ねと言われれば首を差し出してもいいとすら思っていた」

「ダメですよ。貴方が死を選ぶのでしたら私も後を追います」

「と、まあエレオノールがこう言うものだから、結局ずるずると生き延びてしまった。今回の戦だって私を殺すために隣国に戦を依頼する始末だ」


 ああ、それが「一部の者達の思惑」という訳か。


「まさかそんなタイミングでエレオノールを王命で嫁がせるとは思わなかったよ。それでもまあ、彼女が幸せな結婚をしているのなら私が戦で命を落としても後を追う事は無いと考えていたんだが」


 エレオノールに向けられていた柔らかな視線が、そのまま温度を無くして俺に突き刺さる。


「君を愛する事はない、だったか? エレオノールが幸せになるためには、私が王にならねばいけないと思い知らされたよ」

「で、では……俺が……俺のせいで……」


 俺がエレオノールを突き放したのが原因だとでもいうのか?


「そう悲観するなフィリップ。君はこの国を戦から救った英雄となり、国王である私の覚えも目出度く、王妃となるエレオノールの義姉を妻として娶った。これほど盤石な立場もそう無いだろう」

「で、すが……我が家は……」


 ふらつく体を支えきれずに膝が床へと付く。


「シャテルロー家が後ろ盾となっても兄上はもう駄目だ。私の勢力を削ぐためだけに愚策を講じ、ここ数年では民が噂する程の失政が度重なっていた。なあフィリップ。近年の兄上は、何の益も生まぬ王命ばかりが増えたと思わないか?」


 沈む船から一足先に降りたと思え、そう頭の上から陛下の声が降ってくるが上手く呑み込めない。例え陛下の覚えが目出度くとも我が家は先王を裏切った家門だ。どちらの派閥からも距離を置かれる事は必至。

 取引先は。親族との付き合いは。封臣家門は。領内に敷いた関税も今のままでは通用しない。

 俺を見ているであろう二人に対する感情よりも、脳内で回る散漫な懸念に押し潰されそうになる。


「それ、でも……貴方は簒奪者だ……」


 かろうじて絞り出した声に、エレオノールの強い声が返ってきた。よく聞こえないが、恐らく不敬だと責めているのだろう。


「その発言は聞かなかった事にしよう。今さら英雄を処罰する訳にはいかないからな」


 エレオノールを宥めるように陛下は彼女の背を撫でている。唇をとがらせるエレオノールを陛下は愛おしそうに見つめ、そしてその手を取った。


「残念だが、兄上は私欲に溺れ愚王になった。ならば私は愛に溺れた愚王になろう」


 爪の先に触れるだけのキスを落とす陛下は、そう言ってエレオノールに微笑みを向ける。


「いけません陛下。私の愛する人がそんな愚かなはずがありません。そうでしょう?」

「そうか。ならば私は歴史に残る賢王にならねばな」

「ええ、是非そうしてください」


 手を取り合った二人がバルコニーから離れていく。

 後に残ったのは、楽しげに笑うエレオノールの声だけだった。


今後数十年、シャテルロー家は針のむしろです。

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― 新着の感想 ―
王と仲が悪い事で有名な王弟と謀でズブズブの関係になった時点で王派としてダメダメでは? と言うか派閥筆頭なのに戦争が王弟始末する為って知らない時点でおかしくない? 頑張ったら王の不利益になるんだよ? ひ…
逆にここで「王弟派に寝返った」を事実として受け止めて立ち回れるなら、最初から間違えなかったんだろうなぁ
本来なら王弟が国王になった時点で旧国王派は冷遇されて力を無くすはず。上手に寝返らせて貰った上に愛する令嬢を妻に出来たんだから感謝して欲しいよね〜。 腹括って旧国王派や親族の説得頑張って〜w 国王は弟…
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