2.新郎の思惑
「なるほどな。確かに一度離縁した女ともなれば、縁を結ぶ相手も限られてもくるか。いいだろう、お前の話に乗ってやろう」
なんと哀れな。
賢しい女のような口ぶりではあったが、所詮は小娘、政治というのを全く理解していない。
エレオノールの生家ダルザス伯爵家の力を使えば王弟殿下の庇護を受けられるだろう。それは王弟殿下の身の内に私を忍び込ませるようなもの。殿下から戦功を譲られるとはすなわち、殿下の偉業を減らすと同義だ。
我がシャテルロー家が現王派だと理解しながら、このように王弟殿下の力を削ぐような提案をするとは。
「それでは契約は成立ですね」
笑顔を翳らすことのないエレオノールはそう言うと、極自然な動きで呼び鈴を鳴らした。
「すぐに侯爵夫妻とメイド長を呼んでちょうだい。それから私の上着もお願いね」
呼ばれたメイドに慣れた様子で指示を出すものだから、制止の声が一歩遅かった。
「エレオノール! 君は一体何を考えているんだ!?」
提案は偽りだったのか? マチルダとの事を引き合いに出し、父上や母上の同情を買うのが目的か?
「お静かに旦那様。そのように声を荒げては侯爵夫妻に不審に思われてしまいますわ」
「そもそも何故両親を呼ぶ必要があるんだ! この契約は君と俺との間で結ばれた……」
言い募る私の声を遮るようにしてノックが鳴る。駄目だ、何か言い訳を……。
「一体どうしたんですエレオノールさん」
「申し訳ありませんお義母様。お義父様もこのような見苦しい姿で失礼いたします」
慌てて駆けつけてくれたのだろう。両親は少し息を弾ませ、乱れた気配の一切無いベッドに座るエレオノールの顔と私の顔とを交互に見る。
「お義母様とお義父様に聞いていただきたいと思い、不躾ではありますがお呼びさせていただきました。旦那様は……旦那様は、此度の戦から必ず生還すると私に約束してくださいました!」
感極まって涙を零すのではないかという程の笑顔に、両親も呆気にとられている。
生還する約束もなにも、本来俺が行くのはシャテルロー家が出征したという事実を作るのが目的だ。万が一にも戦地で命を落とすような事はない。
「そしてこうも仰ってくださったんです。身重になった私を置いていくのは心配だと。これからお役目のため戦地へと向かう身でありながら、嫁いで来たばかりで交わした言葉もまだ少ない妻のためにここまで心を砕いてくださる旦那様に、私……私っ……!」
今度は私の手を取り、潤んだ瞳で見つめてくる。
「ですのでお義父様、お義母様。私達決めました。お世継ぎを作るのは、旦那様が戦地より戻られてからと致します!」
「っ!?」
なんだその「二人で話し合って決めました」とでも言うかのようなセリフは! 俺はちゃんと侯爵家嫡男としてわざわざ夫婦の寝室まで来たというのに!
「エレオノール、君は何か勘違いをしているようだけれど……」
「いいえ旦那様! お戻りがいつになるかはまだ分からないと仰っていたではありませんか! 私は我が子の誕生という喜びの日を、旦那様から取り上げるような事はしたくありません!」
「まあ……エレオノールさん」
何を無茶な事を、と宥めようとすれば、まさかの母上がこちらも感極まったような声を出した。
「もちろん、いえ、決してそんな事はありはしません。そう信じてはおりますが、もし、万が一にも旦那様がお戻りにならないような事があれば、私の事は不出来な嫁として放逐していただいて構いません。もちろん離縁にも応じましょう。ですのでどうか、どうかっ! 無事旦那様がお戻りになられる日を祈らせてはいただけないでしょうか!」
「分かりましたエレオノールさん。ええ、ええ、それが良いですわ。貴女が屋敷で息子の戻りを祈っていてくれれば、必ずこの子は帰ってきますとも!」
呆然とする私と父上の目の前で、新しく母娘となったエレオノールと母上がぎゅっと手を握り合っている。
しかしこの様子は……違うな。
ちらりと父上の顔を覗き見れば、同じ事を考えていたのか小さく頷いた。
母上は乗っているのだ。エレオノールの愚かにも幼い思考に。エレオノールの祈りなど不要な戦に、俺は短くても一年は出征しなければいけない。愛する息子と入れ替わるように目障りな家門の娘を押しつけられたとなれば、次期侯爵夫人としての教育は手厳しくなるだろう。そんな時にエレオノールが孕めば手心を加えなくてはならない。
跡継ぎを産むための大切な胎としての扱いは、俺が帰ってきてからすればいい。
「そうね、なら今晩からしばらくは客間でお休みなさい。安心してちょうだいエレオノールさん。貴女が美しくてうちの子に気の迷いが生じたとしても、このメイド長がしっかりと貴女の寝室を守りますからね」
「まあ、お義母様ったら」
冗談めかして母上が言えば、エレオノールも表情を和らげて微笑みを零す。
出発までの数日間ベッドを共にしなければ、月足らずの子どもが生まれる事もない。
そんな母上の意図も知らずに、エレオノールは客間の準備をするからと言い残し両親を見送った。
「どういう事だエレオノール」
「旦那様が戻り次第離縁するんですもの。私達の間に子どもは必要ないではありませんか」
きょとんとした顔で答えるが、このタイミングで無理矢理王命が下された理由が分かっていない訳がない。子作りも込みでこの婚姻は課せられたのだ。
「こうした美談があった方が、婚約期間も設けられなかったという非常識な結婚の噂を霞ませるのではないかと思いまして。あまり好奇な目で見られるのはよろしくないでしょう?」
「……なるほど」
「私だって再婚の際に純潔であるのが望ましいですし、それにマチルダさんのためでもありますわ。愛する人が、形だけとはいえ自分以外の女性とベッドを共にするなんて。今だってきっとお辛いに違いありません」
そうだ。マチルダは涙をこぼしながらも、自分の立場をわきまえて送り出してくれた。俺とエレオノールとの間に何も無いと屋敷内に広まれば彼女も喜んでくれるだろう。
「ああ、それから旦那様。私がマチルダさん次期侯爵夫人としての教育をする事について、許可書を書いていただけませんか?」
今夜はこのままマチルダを呼ぶのもありだなと心の中でにやけていたら、また思いがけない提案が飛んできた。
「お前が、マチルダに?」
「ええ、お義母様にお願いする訳にはいきませんし。丁度私の侍女になったのだから時間はとれるはずですわ。王命で妻のすげ替えは可能ですが、せっかくなら他の要因でも後押しできると良いと思いません? 例えば、マチルダさんには次期侯爵夫人としての素養がすでに備わっている、とか」
「確かにそうだな。だが何故証明書を?」
マチルダとの結婚を反対された理由の半分はそこだ。爵位に問題ももちろんだが、子爵令嬢としての教育しか受けずそのまま我が家で侍女見習いをしている彼女に、侯爵夫人は務まらないだろうと。
「私が勝手に教育をすれば、シャテルロー家の機密を部外者に漏らしたと言われても反論ができません。その際に、きちんと旦那様から許可を得ていると証明できれば……もちろんそのような証明書の出番が無いように気を付けますわ」
胸に手を当て軽く膝を折るエレオノールは、少し悪戯そうに笑う。
ここまでのお膳立てを請け負うとは、そこまで離縁したいのかと少し微妙な気持ちにはなるが。
エレオノールの兄嫁は元男爵家の娘だったはず。もちろん結婚前に適当な伯爵家の養女にはなっているが、ダルザス伯爵家は元々男爵令嬢でしかない娘を跡取りの嫁に据える家だ。そんな家で身分差を理由に結婚を反対されるとなると……エレオノールの相手は平民かせいぜいが騎士爵か。確かに一度離縁でもしなければ嫁ぐのは難しいだろうな。
エレオノールは高位貴族令嬢にも引けを取らぬ淑女と評判だ。そんな娘を平民落ちから救ったのだから、ダルザスの家からはさぞ感謝されている事だろう。
「分かった。出発までには揃えておこう。くれぐれも母上達には気付かれぬようにな」
「はい、旦那様」
そう言ってエレオノールは、客間の準備が出来たという声と共に部屋を後にした。




