8話 兎のキュー
森に入ってから一週間ほど。
戦い方など知らない快斗は、魔獣の命を狩るために泥臭く食いついていた。
魔法を放つ魔獣をいるが、致命傷にならない程度に受けきって殺した。
幸い体は案外丈夫で回復力も高く、多少無理な戦いも許された。
それにしても、快斗の戦い方は野生の獣から見ても異常であった。
「ルルァアアッッ!!!」
巻舌になるほど本気で地面を蹴る。武器になるものを探した結果、前世よりも鋭くなった爪と牙がその候補に上がる。
大抵の魔獣は腹が弱く、爪を揃えて本気で突けば心の臓を鷲掴みにできた。
哺乳類の見た目をした魔獣は狩るのに躊躇することもあったが、生きるためにそんなこと言ってられなかった。
魔法を放たれても、牙で噛まれても、爪で引っかかれても、寝れば大抵回復する。自分の回復力を信じているからこそ、無謀な闘い方をすることが出来る。
「死、ねぇえ!!」
今は空を飛ぶ魔獣と対戦中だ。水の波動を放つ鳥型の魔獣は、木々の隙間を素早く飛んで快斗の攻撃を躱す。既のところで届かない快斗の爪は、鳥型魔獣の腹の羽を裂くに留まっている。
快斗の脚力を活かしても攻撃範囲外。それをわかっているからか、鳥型魔獣も快斗から逃げる気は全くなかった。
「ッッ───!!!」
威嚇の声を上げながら、魔獣は空から急降下。水の波動を口から飛ばし、快斗の頭上から攻撃した。
見上げた快斗と目が合う。普通の獲物ならそこで死を覚悟するか、逃げようとして体勢を崩すはず。大体の敵ならそれでチェックメイトだ。
しかし、快斗はそうではなかった。
攻撃しながら突っ込んでくる魔獣に対し、快斗は避けずに真正面から突っ込んできた。
予想外の動きに魔獣は戸惑った。その隙が命取りだ。
水の波動は快斗の鎖骨に直撃し、強い水圧によって皮膚が裂け骨が露出する。だが快斗は止まらず、急降下してくる魔獣の首を引っ掴んだ。
「一度地面を、味わってみろ!」
掴まれた首は地面に叩きつけられ、嘴が派手な音を立てて砕けた。翼をはためかせ、必死に抵抗するももう逃れられない。
魔獣は命が消えてなくなるまで、今までで一番遠かったものへキスし続けた。
~~~
「まっっず」
小さな焚き火の傍で焼かれていた肉にかぶりつき、快斗は率直な味の感想をぼやいた。その肉はいまさっき殺した鳥型魔獣の肉だ。
「というかそもそも、魔獣は美味しくないものなのか?」
魔獣ではない普通の動物も見かけたことがある。一匹だけ兎を食したが、その肉はちゃんと美味しかった。
魔獣と普通の獣は何が違うのか。攻撃性と体格、それから魔法を使うかどうか、かもしれない。
この一週間、魔獣を殺して回って気づいたのは、魔獣は明らかに自然を超越した何かを扱っている。
口から炎を吐いたり、地面を隆起させたり、水を凍らせたり、多種多様な術を駆使する彼らには、多分普通の獣よりも多くの魔力が宿っているのだろう。それが肉が不味くなる理由かもしれない。
「飢えはしのげるにしても不味すぎるな……」
人間の文明がある程度発展している割には、快斗の生活はとっても野性味が溢れるサバイバルだ。
とはいえ、
「魂は格別に美味いけどな……ん?」
そうして再び不味肉へかぶりつこうとしたところで、快斗は視界の右端に見えた何かに振り返った。
それは、地面から快斗の足首くらいまでの大きさしかない、小さな兎だった。
白いもふもふの毛で覆われ、赤くてくりくりした目を輝かせながら快斗を見つめている。
いや、細かく言うとその視線は、快斗の持っている肉へ向いていた。
「……不味いにしてもあげないぞ。これは俺の食べ物だ」
そう言って快斗は肉を兎から離すように持ち上げた。兎は赤い瞳を肉へ向け続けて動かない。
快斗は絶対に渡すものかと肉を掲げたままだったが、腕が段々と疲れてきた。
流石に食べられやしないかと、快斗が再び肉にかぶりつこうとした瞬間、
「あ、お前!?」
目にも止まらぬ速度で跳び跳ねた兎が、快斗の手にある骨付き不味肉を奪って走り出した。
見事に油断した隙をつかれた快斗。自分の失態に無性に苛立った快斗は、森へと逃げ込もうとする兎を追いかける。
「待てお前!」
轟く怒号を吐き散らし、快斗が地面を蹴る。森の中での生活で鍛えられた脚力が爆裂し、この世界でも常人の域を脱した速度に達する。
しかしながら兎の足もなかなか速く、快斗が本気を出して距離が縮み始める程度だ。
それに加えて体が小さく小回りの効く兎を捕らえるのは難しい。
「だとて肉は取り返す!」
食の恨みは強く、快斗が今までで最高速を叩き出した。視界の端へ逃げる兎を捉え、地面ではなく木を蹴り強引に方向を変える。
兎には無い、自由に動かせる腕は兎の慮外。先回りした快斗から逃げるために方向を反転した兎の先へ手を伸ばした。
キュイと声を上げ、兎は咥えていた肉を快斗に奪い返されて転がった。
何度かバウンドして止まった白いもふもふ。それはゆっくりと立ち上がり、鼻をヒクつかせながら快斗を見上げてきた。
その真っ直ぐな瞳に向けて、快斗は不味い肉へ思い切りかぶりつく姿を見せてやった。
「見た目が愛らしいから許してやるが、次やったらお前もこうだからな」
快斗は快斗なりに思いっきり威嚇したつもりだったのだが、その兎が怯えた様子は一切なく、肉を食べる快斗をじっと見上げている。その不思議な兎の反応に、快斗はこれまでの魔獣にはない違和感を抱いた。
後ろに反り返った長い耳には金色のピアスがあけられていて、野生の兎ではないことは分かるが、持ち主が誰かまでは分からない。
「お前、なんなんだ?」
耳を触っていじってみても、その兎は逃げずに快斗の触診を黙って受け入れていた。
その様子に可愛げを感じ、快斗はその兎を持ち上げて膝の上に乗せてみる。
すると兎はまたキュイと鳴くと、己の長い耳をピンと立てた。
まさか魔法でも放つのかと快斗は身を固くしたが、その直後に起こった出来事には対応できなかった。
「んがっ!?」
快斗の頭を強く打つ何か。それが地面に落ちてから気づいた。それは真っ赤な林檎だった。それだけじゃない。蜜柑や葡萄のような果物が、快斗を埋め尽くすほど上から降ってきた。
空からの恵みかと快斗が夜空を見上げると、果物は快斗のすぐ上でその場で生み出されているようだった。
驚いて地面に倒れた快斗の胸の上に乗り、兎は林檎を頭に乗せた状態で鼻を鳴らした。
それが、今しがたした自分の術を自慢しているかのように見えた。
「お前、こんなに果物出せるならそれ食えばよかったじゃねぇか」
その言葉に兎は首を傾げた。言葉の詳細な意味までは理解できないらしい。分からないフリしてるだけかもしれないが。
「とはいえ、これはありがたいよ……ゴムみたいな肉しか食べてなかったからな」
久々にちゃんとした味のある物を食べた。瑞々しい果物を豪快に食べながら、快斗は兎の頭を撫でていた。
「名前がわからないから、適当に付けるしかないか……」
快斗は膝の上で大人しく撫でられている兎を見下ろしながら考える。白い兎から連想できるもの、それを由来に名前を考えようと画策しているが、なかなか思いつかない。
悩んでいるのが伝わったのか、兎は快斗を見上げキュイと鳴く。
その声を聞いて、快斗は大きくため息をついた。
「何を真面目に考えてるんだか……じゃあ、お前の名前は、キュイキュイ鳴くなら『キュー』な。『イ』まで名前に入れると呼びづらいから」
兎、快斗の名付けにより、今日からキューという名前になった兎は、その時は首を傾げたままだった。
しかし不思議なことに、この日以来キューと呼ぶと反応するようになったのだった。