2話 夢の始まり
暗い。暗い場所だった。いるだけで気分は落ち込み、泥の中にいるような苦しさがある。
全く希望も光もないその場所で、しかし訪れたその人は非常に落ち着いていた。
「疲れたなぁぁ……」
なんとも言えない表情で漂う彼、天野快斗は、過去の自分を振り返りながら、開放されたことに安堵していた。
生まれた時から不幸なことが多い人生ではあったが、最後に一矢報いることが出来たような気がして、気分は爽快だった。
ただ一つ、後悔があるとすれば、
「せっかく母さんが育ててくれたのに、自殺だなんてな……」
女手一つで男児を育ててくれた母親への申し訳なさで心はいっぱいだった。過労で倒れてそのままいなくなった母親にはもう恩返しもできない。今からできることは、心の中で感謝を伝え続けるのみ。
「それも、墓に向かってやってたら届くと思ってたけど……」
髪をいじりながら、癖になった独り言を繰り返す。こうして命を投げ擲った今、母親の頑張りも無駄であったと思うとつくづく心が痛む。
とはいえ、死んでしまったものは仕方がない。
「死んだら地獄だと思ってたけどな……まさか、これが地獄なんてことないよな?」
体を動かすと水の中にいるみたいに回転する。でも上下の概念は無いし、腕や足を動かしても前に進んでいるのかも分からない。
動くのを諦め、無限にも思える時間をこのまま過ごし続けるのかと快斗が悩んでいた、その時──
『あぁすまない。もう起きていたんだね』
「んあ?」
突然女性の声が響き渡り、快斗は素っ頓狂な声を上げた。
それと同時に暗い世界に光が生まれ、その光に吸い込まれるように世界が歪んでいく。
『とりあえず話そう。顔を合わせて、ね』
いつしか光が世界を支配していた。
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「……んん」
瞼の奥に光を感じて、快斗はゆっくりと目を開けた。真っ白な視界がだんだんと晴れて、目の前に広がる景色が鮮明に見えた時、快斗は顔を顰めた。
「趣味悪ぃ……」
金ピカの装飾品の数々で彩られた部屋の中、快斗には眩しすぎる光に目を細めながら彼は起き上がった。
「ここはどこだ、って棺の中!?」
快斗は起き上がった場所は、部屋のど真ん中に置かれた白い棺だった。棺の中には白薔薇が敷き詰められており、しかしその花の香りは全くしなかった。
「バスごと落ちて死んだと思ったら白い棺の中……火葬の前に生き返ったとかじゃないよな?」
だとしたら相当趣味の悪い葬儀屋を引き当ててしまったことになるが、そんなことはなく、快斗にはしっかりと死んだ記憶がある。少なくとも頭は原型を保っていなかったと思う。
生き返るなんて絶対に無理な状態だった。
「なら、なんで俺は息をして、周りを見れるかって話だ」
立ち上がって部屋の中を散策する。数々の装飾品の価値は分からないが、どれも高価そうなものばかり。ダイヤモンドのような宝石を二つくすねてから、快斗は部屋の扉へと向かった。
その扉を開けようとした時、ふと横にあった鏡を見て快斗は仰天した。
「は……!?」
鏡に映っていた人物が、自分だとは到底思えない容貌だったからだ。
白い髪はオールバックで、爪と歯は長く伸び、身長も少しだけ伸びていた。なによりも特徴的なのは、赤と青のオッドアイで、宝石のように光り輝いているように見える。
「なんて格好だよ……趣味悪ぃ……」
「そうでしょうか、前と比べたらだいぶ良くなった方では?」
「うおっ!?急に話に入ってくるな!」
鏡に映る自分の姿をまじまじと見つめていると、音もなく扉を開けた先から誰かが声をかけてきた。驚いて飛び跳ねた快斗が振り返ると、その声の主は大きなため息をついた。
「その見た目で気弱なんですか?」
「この見た目のどこに気が強い要素があるんだよ……というか、誰?」
馴れ馴れしく快斗に話しかけてきたのは、メイド服を着ている髪の長い女性だった。真っ赤な瞳に快斗を映す彼女はカーテシーをして、
「私は魔神アラディア様に疲れるメイド、ベリアルと申します」
「……仕える、じゃなくて?」
「失礼、アラディア様に仕える、でしたね」
「それ絶対わざとだったろ」
確固たる意思を感じさせる言葉遣いだ。メイドという立場に似合わぬ振る舞いであるが、彼女、ベリアルはそんなこと知らないとばかりに扉を更に開けて快斗を外へ出るよう促した。
「ご案内します。アラディア様のお話をお聞きなさってあげてください」
「ち、ちょっと待ってくれ、魔神とかメイドとか、よく分からねぇよ……」
「説明も道中で。ではこちらに」
「クッソ、釈然としねぇ」
済ました顔で呆れを見せるベリアルに悔しがりながらも、快斗は言われた通りに彼女について行く。
長い長い廊下を歩かされ、その壁に付けられた豪華な装飾品達をキョロキョロと見回す快斗。
それだけではもったいないので、歩きながら今思いつく質問をしてみた。
まず、自分は死んだのかどうか。するとベリアルはわざわざ顰めっ面で振り返り、
「『ばす』と落下して生き残ってる自信があるんですか?あんな貧弱な体で?」
と煽られてしまったので歯を食いしばる結果となった。
次に、何故今ここに快斗が生きているのか、これは魔神アラディアとやらが快斗の魂を拾ってくれたかららしい。
他の人間はどうしたのかと聞いてみると、それはベリアルの知るところではないと言われた。
では何故自分だけ生き返らせたのかと訊くと、それはこれから教えられると言われその後の質問は許されなかった。
しばらく歩いて、ベリアルが指し示す扉が見えた。どの部屋へ続く扉よりも豪華で大きく、とてつもなく重たそうな扉。
「えい」
「えぇ……その腕で?」
可愛らしい掛け声を上げながら、ベリアルが快斗よりも細い腕でその扉を開けてみせる。音が重金属のそれだったので、見掛け倒しの扉ではないはずなのに。
「アラディア様、お連れしました」
ベリアルがそう言いながら快斗の足をつま先でつついた。入れと促すメイドに従って中へ入ると、そこはだだっ広いドーム状の部屋だった。
扉から続く赤絨毯の先には大きな黄金の椅子があり、その上には黒いドレスを着た細身の美女が、その隣には椅子に寄りかかるようにして金髪の筋骨隆々な男がいた。
金髪の男の額に思わず視線が吸い寄せられる。黄金の見間違うほどに輝かしい金色の角が生えていたからだ。
その角を不思議がって見つめる快斗を他所に、ベリアルの言葉に微笑みながら首を傾けた美女は、亜麻色の髪の毛を弄りながら快斗へ視線を送った。
「おォ……」
そんな美女よりも早く、金髪の男が唸り声を上げた。それは怒りなどのような感情が混じったものではなく、単純に気圧された時に出る感嘆であった。
「天野快斗君、まずは目覚めてくれたことに感謝を」
美女は快斗への感謝を述べたが、それは通過儀礼のように一瞬のことであった。快斗は困惑しつつも、美女が指し示す、部屋の真ん中に置かれた木の椅子に座った。
「さて、君は何故生き返ったのか、そしてその体は誰のものなのか、混乱していると思うんだ」
「まぁ……そうだな」
「うむ。ではそれについて説明しよう!説明フェーズだからスキップしないでね」
美女はまず平らな自分の胸に手を当て、いばるように体を反らせて名乗った。
「私はアラディア。君を転生させた魔女……今は、魔神だったね」
美女、アラディアの簡潔な自己紹介が終わると、今度は隣の上裸の男がニカッと笑って、
「俺ァ、ディオレス!見ての通り、鬼神だ!よろしくなァガキンチョ!」
この屋敷中に響き渡るような大声で名乗りながら、自分の額に生えた金色の角を指で弾いた。
二柱の神の自己紹介を聞き終え、「はぁ……」と困惑したままの快斗だが、それにお構いなくアラディアは口を開く。
「では次に、君が転生させられた理由だが……」
彼女は膝の上で広げていた本を音をたてて閉じてから、薄気味悪い笑みを浮かべて言った。
「天野快斗君。君には、私の駒になってもらうよ」