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魔王ヴェニタスと女兵士シーナ part2

「フロール、先に帰っててもいいんだよ」


 カウンターのイスにやや俯いて座っていたフロールが、言われてハッと顔を上げる。


「いえ、大丈夫です」

「でも、流石にもうそろそろ店を閉めるし」


 先程から経つこと数時間、長い夜の底もとうに越え、外の暗さにもじわじわと藍色が混じり始めている。


 そんな窓の外へ目をやってから、フロールはどこか残念そうに言う。

「そうですか……。なんとなく、今日はあの子が来るような気がしていたのですが――あ」

「ん?」


 フロールからワンテンポ遅れて扉へ目をやると――つくづく噂をすると現れる子だ。シーナが扉のガラス越しにこちらを見ていて、目が合うとハッとしたような表情をしてから店内へと入ってきた。


 そして、ビシッと背を伸ばし胸に手を当てて敬礼。


「今日もお勤めご苦労様であります! お帰りの際は戸締まり注意であります!」

先程は暗い場所だったのでよく見えなかったが、明るい店内ではその顔も装いもよく見える。

 

 髪はざっくばらんに切ったような黒い短髪で、俺の知っているふうに言えば『無造作ヘア』と言った感じ。太めの眉とキリッとした目つきには、その意志の強さがハッキリと表れている。


 背は女性にしてはやや高めで、そしてやはり兵士であるだけに身体は引き締まり、ちょっとした動きからもその身体の芯の強さが見て取れる。服装は亜麻色の襟つきシャツにベージュのズボン、しっかりとした作りの黒革のロングブーツで、先ほど暗がりの中でも見えたように、その胸には兵士らしく鉄のチェストプレートを身につけている。

 

 そして何より、腰から下げた一本の無骨なロングソード。その威圧的な存在感を前にすると、いまだに一瞬ギクリとたじろいでしまうのだが、シーナがそれを持っていると認識し直せば、その恐怖感は頼りがいがあるというある種の安心感にもなる。

 

 おっと、お客さんをそうじろじろと観察するものじゃないな。


「ああ、帰る時はちゃんとカギに気をつけるよ。そっちも、今日も夜警をお疲れさま」

「いえ、ジブンは兵士としての務めを果たしているだけであります!」

 

 フロールが椅子から立ってシーナを迎え入れる。


「今日もよく頑張ったわね。さあ、座って。コーヒーを飲んでいくのでしょう?」

「はい、ご馳走になるであります!」

「うふっ、今日も元気ね。――はい、お手」

「はいであります!」

 

 と、シーナはフロールが差し出した手に、まさしく犬のように『お手』をする。


「いやいやフロール、お客さんになんてことさせてるんだ。っていうか、シーナも付き合わなくていいのに」

「も、申し訳ありませんであります! しかしフロールさんに言われると、つい考える前に身体が動いてしまうであります!」

「そう、いい子ね」

 

 フロールはいつになく楽しげである。どうやら彼女の中でシーナは完全に犬らしい。まあ、ほんの少しだけ気持ちは解らなくもないが。


 なんてことを思いつつ、俺はシーナに出すコーヒーの準備を始めていた。

 

 淹れるのは、ホットのカフェオレだ。シーナはティピカと違ってもう少し苦みのあるものも飲めるのだろうが、これから眠りにつく人には、やはりこれが一番だろう。


 仕事で溜まったストレスをコーヒーの香りで癒し、ミルクに含まれるトリプトファンという物質で睡眠を促進する。カフェインをなるべく少なくして、あくまで香りを楽しむため、そして身体を温めるためのカフェオレ、というのがコンセプトの一杯だ。

 

 ドリッパーに重ねたペーパーフィルター、そこに入れたコーヒー粉へポットからゆっくりお湯を注いで、その豊かな香りに癒されながら、俺はしみじみと思う。

 

 人のためにコーヒーを淹れるのって、どうしてこんなに楽しいんだろう。もちろん自分のために淹れるのも楽しくはあるのだが、人のためにコーヒーを淹れているこの瞬間には、それとは違う、心が奥底から満たされるような楽しさがある。この楽しさがあるから、俺はやはりいつまでも誰かのためにコーヒーを淹れていきたいと思う。


「はい、どうぞ」


 と、ふんわりと湯気の立つカップをシーナの前に置く。


「ありがとうございますであります! ――はぁ……やはりこのよい香りを嗅ぐと、心がふんわりと温かくなるあります」


 シーナの表情も声も自然とやわらかくなる。カップを手に取り、まずはその香りを楽しむように鼻の方へ近づけてから、カップにそっと口をつける。


 わずかにカフェオレを口に含み、ゆっくりと味わう様子で飲んでから、ほっと息をつく。そして、残った風味と香りを楽しむようにしばし黙ってから、そうだ、と明るい笑みを顔に広げた。


「お二人に聞いてほしいであります。ジブンは今日、盗っ人を捕らえまして、それで班長から大いに褒められたであります!」

「へぇ、それはお手柄だったわね」


 シーナの隣に腰掛けていたフロールが微笑む。シーナは嬉しそうに頷き、


「相手は男でしたが、ジブンの敵ではなかったであります。ジブン、戦いの腕前もメキメキ成長しているであります。なので、もうあのような失態はしないであります!」


 失態――とは、以前、荒くれ者たちを捕まえようとしたら返り討ちに遭って、俺に助けられた時のことを言っているのだろう。


「それは心強い。シーナもすっかり一人前になってきたみたいだね」

「は、そうであると嬉しいであります。しかし、それもみなお二人のおかげであります。こうして話し相手になってくださることにも、いつも感謝しているであります」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。でも、やっぱり結局は、シーナ自身が頑張ってるからこその今なんじゃないかな」

「そうよ。わたくしたちがしているのは、あくまで補助のようなもの。あなた自身が努力をしていることが、何よりも素晴らしいことなのよ」

「そ、そんなことを言われると照れてしまうであります……」


 そう顔を朱くするシーナに、俺はふと思い出して尋ねる。


「そういえば、シーナ、あの話はどうなったんだい」

「あの話、とは?」

「あの、部隊の上官が資金を横領してることに気づいて、シーナが告発をしたっていう話だよ」

「あ、ああ、あの話でありますか……?」


 シーナは視線を逸らし、急に慌て始めたように目を泳がす。が、すぐに顔を上げて、ぎこちない笑みを俺に向ける。


「は、はい、そうだったであります! 実は、その問題の人物は既にクビになったであります! ジブンはその功績が認められ、近々昇進をするかもしれないであります!」

「へぇ……そうなんだ。ああ、それはよかったね」

「はいであります! それで、その……実は今日、お二人に大切なお話があるのであります!」

「大切な話?」


 フロールが水を向けると、シーナはぎこちない笑みを浮かべたまま頷く。


「実はジブン、昇進に伴い、遠くの街へ転属をすることになったであります」

「転属だって?」


 驚いて、俺は思わず言葉を繰り返す。


「それは大変だ。一体どこに行くの?」

「ミズク地区の、ジブンの故郷に戻ることになるであります! 島のほぼ反対側でありますので、この店に来られるのも今日が最後であります!」


 それで、とシーナはベルトの辺りをもぞもぞし始め、そこに提げていた剣を外し、両手で差し出すようにしてそれを俺へ手渡した。


「え、ええと、これは……?」

「これまでのお礼であります! ジブンがここへ通った証として、それをこの店に飾っていただきたいのであります!」


 フロールが慌てたように言う。


「島の反対側とは言っても、そんなに離れた距離ではないでしょう? またこの街へ戻った時にでも立ち寄ってくれればいいじゃない。何も、そんな今生の別れのような……」

「いえ、任される任務は今以上にずっと重くなりますので、戻ってくることは難しいであります! では、オサラバであります! お二人とも、何卒お元気で!」


 そう一方的に別れを告げると、カップに残っていたカフェオレをぐいっと一気に飲み干してから、まるで逃げるようにシーナは店から出て行ってしまった。


 俺もフロールも呆気に取られながら彼女を見送って、それから俺は残されたシーナの剣を見下ろす。


 補強を兼ねた銀の装飾が先端に施されている、木と革で作られた立派な鞘である。横から見ると十字型である(つば)の中央には雄々しい犬の顔の装飾があり、持ち手にはピカピカと光るような真っ赤な革がきつく巻かれている。


 その刀身をわずかに抜いて、俺は驚いた。使われたような形跡が全くない、新品同然――いや、新品そのものの剣である。そして、その鏡のような刀身の鍔にごく近い場所には、ある文章が彫られていた。


「『我が誇りの娘、シーナへ』……」


 これはただの剣じゃない。どうやら親から譲り受けたもの――他人への贈り物とするにはおかしな一品だ。


 何かがおかしい。そう思っていると、


「ちなみに、先程は黙って彼女の話を聞いていましたが」


 シーナを愛でていた時とは打って変わって毅然とした面持ちでフロールが言う。


「軍内部において、彼女が言ったような処罰や人事が行われたという報告は全く聞いていません。それほどの大きな情報を掴めないはずもなく……あれはおそらく嘘かと」

「なんとなく俺もそうだと思ったよ。でも、どうして――いや、今はそれよりもシーナの様子を見に行くのが先だね」

「はい、彼女の様子……何かがおかしい気がします。急ぎましょう」


 言って、フロールはいてもたってもいられない様子ですぐにイスから立ち上がる。


「フロールはよっぽどシーナが好きなんだね。シーナのことになった時の君は別人みたいで、ちょっと意外だよ」

「どうしても彼女のことは放っておけないのです。やはり、その……犬のようで」

「やっぱり……今でも忘れられないんだね」


 はい、とフロールは表情を曇らせて俯く。


「……そうか。いや、今はそんな話をしてる場合じゃなかったね。急ごう」


 言って、俺はシーナから送られた剣を片手に、フロールと共に店を駆け出たのだった。

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