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魔王ヴェニタスと少女ティピカ part1

「バドウェスター家に目立った動きなし」


 石造りの質素な家屋がひしめくように建ち並ぶ住宅街。


 その細い裏路地の中、壁に背を預けて立ちながら、目と鼻の先にあるような隣家の壁を見つめていると、低くひそめた男の声が秋の寒風に混じって耳に届く。


「全くもっていつも通りと言った感じだ、不気味なくらいにな……クフフ」

「そうなんだね。で、実際のところは?」

「……なあ、何の報告もなしにアルゴ鉱石を取引するのは、それだけで重大な反逆行為に当たるんだったよな」

「ああ、そうなってるね。……その疑いが?」

「まだ深く潜る必要がある。正直、あの屋敷はあらゆる意味で底が知れない。人間とも魔族とも見分けのつかないチンピラから高位魔族、おまけに第七教会(セプテム)まで入り込んで、まさしくカオスだ」

「あまり無理しすぎないようにね。ちゃんと用心はできてる?」

「『毒』は既に仕込んである。そこら中にな」


 クフフ、と最後に低く笑って――そして、後にはただ静寂が残る。聞こえるのは、枯れ葉が秋の風に吹かれ、石畳の路地をカサカサと這う音だけ。


「はぁ……」


 全く面倒くさい。白い溜め息を朝の空気へ吐いてから、すぐ傍にある勝手口の扉を開いて喫茶店の中へ戻る。


 と、俺をふんわりと柔らかい空気が出迎えてくれる。

 

 空間そのものに染み込んだような柔らかいコーヒーの香りと、暖炉の優しい暖かさだ。

 

 毛布のようなその空気に包まれて、今さっき外でついたのとは違う、安堵の溜め息が小さく漏れる。そして、


 ――うむ、やっぱり何度見ても悪くない。


 まだまだ手を入れる必要はあるとは言え、何度見てもこの我が店――『喫茶・レヌーヴォ』の内装には惚れ惚れとする。

 

 天井から吊した二つのランプの明かりに照らされる、手狭ではあるが、だからこそ可愛らしいレトロ風の内装。座席は四人まで座れるカウンター席と、その後ろには二人が向かい合って座れるテーブル席が二つ。

 

 今は誰も客がいないが(というかほとんど客が来ることはないのだが)、いつ誰が来てもいいように、裏手からカウンター内に入ってすぐ右手にある小さな暖炉では早めに火をおこして、そこにポットを吊るして湯を作ってあるし、カウンター内側には魔道具職人に作らせた諸々のコーヒーの抽出器具を準備万端に並べてある。

 

 ポット、ドリップケトル、ドリッパー、コーヒーミル、サイフォン、フラスコ、計量スプーンなどなど……。

 

 そのどれもが、まるで光を放つようにピカピカに輝いている。

 

 カウンターの後ろにある棚には寸分のミスもなくカップや皿が整然と並べられ、壁一枚隔てて勝手口側にある厨房室の清掃も怠りない。


『狭くて、なんだか薄暗くて、客もいない』。


『でもよくよく見ると隅々まで手が行き届いていて、「客をもてなす」ということへのこだわりが感じられる』。


『そのこだわりとは、客として店を訪れる人々への愛情にほかならない。この空間全てが、「ここはあなたが安らぐためにある場所だ」というメッセージになっているのだ』。


 俺がかつて喫茶店で感じたその感動を――人の優しさを、俺は充分にここで実現できているだろうか……。


 なんてことを考えつつ、感慨深いような気分で改めて店内を見回していると、


「ヴェニタス様、今日もお暇なようですね」


 通りに面した窓、その窓枠をホコリ落としでパタパタと叩いていたウェイターの女性が言う。


 そうだ。天井から吊した心もとないランプ以外にも、この店にはもう一つ明かりがあるのだった。


 その明かりとは、彼女――フロールだ。

 

 見目麗しき若い女性というのは、そこにいてくれるだけで周囲を華やかに照らしてくれる。フロールをこの場所で見ると、俺はつくづくそう実感する。

 

 その深紅とも呼べるほどの真っ赤な髪も、城で見るとまるで血のような恐怖の色に見えるが、ここで見ると温かなランプの光、あるいは鮮やかな花のように見えるから不思議なものだ。

 

 いや、不思議でもないか。白い襟つきのシャツに、濃紺のロングスカート、茶革のパンプス、そして腰から巻いたベージュのエプロンという、どこにでもいる町娘的ファッションをすれば、誰だって威厳も何もないだろう。まるで日本人形のような切れ長の目に薄い唇という、冷たさを感じるほど異常に整った美貌だけは誤魔化しようもないのだが。

 

 ――と、いけないいけない。

 

 男の本能なのか、つい気を抜くと彼女のことをじろじろと見てしまう。こんな目で従業員を見る店長(マスター)店長(マスター)失格だ。この空間にふさわしくない。もっとしっかりせねば。

 

 身も心も姿勢を正しつつ、カウンターという店長(マスター)のホームポジションに戻る。フロールが何か言ってたっけ、ああそうだ。


「うん、今日もいつも通り暇だね。でも、それでいいんだよ。そのためにここを作ったようなものなんだから」

「……そうですか。あなたは本当に変わったお方です。こんな……」


 その平淡な緑色の瞳で店内をぐるりと見て、それから俺に小さく頭を下げる。


「いえ、失言でした。あなた様はわたくしのような者には想像もできぬほど深い考えをお持ちのお方。この場所にも、国家存亡に関わる重大な意味が隠されているのでしょう。『コーヒーが好き』という割には大してコーヒーに詳しくなく、わたくしが必死に調査だの研究だのするハメになったことにも、わたくしなどには推し量れぬ深い思慮がおありになってのことなのでしょう」

「そ、それは本当に申し訳ないと思ってるよ」

 

 自分のワガママに付き合ってもらっているフロールには、本当に頭が上がらない。

 

 『コーヒー』という飲み物の概念がそもそも存在しないこの世界で、一から選定・調達しなければならなかったコーヒー豆、そしてこれも一から作らねばならなかった種々のコーヒー器具、それらを用意するために先頭になって方々駆け回ってくれた……いや、今でもなお駆け回ってくれているのはフロールだ。もちろん言い出しっぺの自分も尽力はしているが、知識量と要領のよさで俺の遥か上を行くフロールの前では、ただのオマケでしかないのが悲しい現実だった。

 

 とは言え、


「でもとりあえず、フロール、この場所でそのかしこまった口調はやめてほしいっていう話だっただろう? 今ここにいる俺はヴェニタス王じゃなくて、人畜無害なただの人間、ランス・テオドールなんだから」

「失礼いたしました」

 

 元からピンと伸びている背筋をさらにぴんと伸ばし、フロールは小さく頭を下げる。


「しかし、こうやって気をつけていなければ、あなた様が王であることをつい忘れてしまうのです。そのお姿が、城にいる時とあまりにも違うもので」

「まあ、それはそうだね」

 

 黒いスーツのズボンと真っ白なシャツ、そしてその上に黒のベストという、喫茶店店長(マスター)らしい服装に身を包んだ、取り立てて何も褒めるところもない顔立ちのアラサー男。

 

 俺にしてみればこっちが本来の姿なのだが、『あの姿』の俺とずっと過ごしてきていたフロールにしてみれば、こっちがのほうがおかしな姿なわけ――

 

 ガタッバタンッ! 

 

 騒々しくドアを開け閉めする音と、誰かが駆け込んできたような足音が店内に響いた。

 

 ギョッとそのほうを見ると、そこにいたのは白いワンピースに赤いベスト、茶革のロングブーツという装いの小柄な少女。

 

 その服装はどこでも見るようなものだが、その輝くような銀色の髪と透き通るような白い肌、そして宝石のように青い瞳は、彼女がただの人間ではないことを如実に物語っている。


「――――」


 少女は、なぜか驚いたように目を(みは)ってその場に立ち尽くしていた。

 

 が、それはほんの数秒のことで、すぐにハッとしたようにその目を伏せる。そして、やや上がっていた息をふぅと整えると、腰ほどもある長い髪をふわりと揺らしながらカウンターのほうへと入ってきて、一番奥のカウンター席にどっかと乱雑に腰掛けた。

 

 長い前髪の下から、そのややつり上がり気味の大きな目で睨むように俺を見る。


「どう? 来てやったわよ」 

「あ、ああ、いらっしゃい。それとも、今日はお客さんじゃなくて働きに来たのかな」

「どっちも違う」

「どっちも?」

「ただ暇だったから見に来てやっただけよ。どうせまた今日も客が来なくて、明日にはもう潰れちゃってるかもしれないじゃない?」

 

 少女――ティピカはそう言ってニヤリと露悪的に微笑する。その白い八重歯がなんとも十代の少女らしくて可愛らしい。


「それはお気遣いどうも」

 

 苦笑しつつ、俺は今ティピカが入ってきたドアの左右、通りが見える窓にチラリと目をやる。

 

 店の前を、茶色いぼろ切れのようなコートを着た男が左から右のほうへと通り過ぎていく。妙にキョロキョロと周囲を気にするような視線をしながら。

 

 その窓にほとんど背を向けるようにして立っていたフロールは、スッと目を少し鋭くして俺を見る。俺はその視線に微かに頷き、


「あ」

 

 と声を上げる。


「ごめん、ティピカ。きょう来るとは思ってなかったから砂糖を切らしてたよ。急いで買ってくるから、ちょっとだけ待っててくれないかな」

「アンタ、アタシの話ちゃんと聞いてた? アタシは別に客として来たわけでもないって言ったでしょ?」

「じゃあフロール、少しの間、ここはお願いするよ」

「ヴェ――いえ、ランス。そのような些事、わたくしが行きましょうか」

「いや、大丈夫だよ。本当にちょっと行ってくるだけだから」

「……そうですか」

 

 フロールはどこか不満げだが、彼女が店番をしてくれていれば何の心配もない。俺は服装もそのまま、急ぎ足に勝手口から外へと出たのだった。

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