47 見られたくなかったのです
ヴィーチは男性の中でもかなりの大柄です。私は女性の平均よりも小柄ですから、リーチの差がかなりあります。
騎士団長から、こういう場合は卑怯と言われても良いから、狙えと言われている場所がありました。ですので、私は躊躇うことなく、狙えと言われている部分である男性の股間に前蹴りを入れました。
「うぐっ!」
まさか、私がこんなことをすると予想していなかったのか、ヴィーチは防御もできずに、股間を押さえて座り込みます。そんな彼に尋ねてみます。
「痛いですか?」
「……っ! い、痛いに……、決まっているだろう!」
「それは失礼しました。でも、私に乱暴しようとしましたよね。そのための防衛ですから、お許しくださいね」
「ま、まだ……、してない」
「攻撃される前に自分を守らせていただきました」
「ううう、くそっ……!」
私にはどんな痛みか想像がつきませんが、よっぽど痛いみたいです。ヴィーチは顔を上げることもできません。
こんなことを言ってはいけないことはわかっていますが、ちょっといい気味ですね。
「あ、あなた、なんてことをしてるのよ!」
嘘泣きをやめたミルーナさんが近づいてきたので、拳を作って前に突き出します。
「それ以上近づいたら殴ります」
「な、なんて野蛮な女なの⁉」
「ミルーナさんに言われたくありません」
「わ、わたしは野蛮なんかじゃないわ!」
「昼休み、ミドルレイ子爵令嬢と暴れていたじゃないですか。そんな人と一緒にされたくありません」
「ぐぐっ」
ミルーナさんは悔しそうな顔をしたあと、どうせ私が殴れるはずがないとでも思ったのか、一歩前に近づいてきました。
攻撃されても良いのだと判断した私は、ミルーナさんの鼻に拳を一発だけ、手加減してお見舞いしてあげたのでした。
「いい、痛い、痛いぃっ! なんてことをするのよっ!」
情けない声を上げて、今度は本当に泣き出したミルーナ様に、微笑んで言います。
「あなたは知らないかもしれませんが、私はもっと痛い目に遭っているのです」
「何をわけのわからないことを言っているのよ⁉」
腰を折り曲げたままの状態で、手を離したミルーナ様の鼻から血が出たので、慌てて謝ります。
「ご、ごめんなさい! そこまで強く殴ったつもりはないのですが!」
「わたしの鼻は繊細なのよ!」
「鼻を強く殴られたりしたら、普通の人は鼻血が出るものですよ」
諭すように言うと、ミルーナさんは自分のハンカチで鼻を押さえて叫びます。
「しょうゆう問題じゃにゃいのよ!」
「ミルーナさんは、こんな私と仲直りしたいですか?」
「したいわけにゃいでしょう! 何にゃのよ! 今までのアンナとはまるで別人じゃないの!」
「ミルーナ嬢、大丈夫ですか⁉」
痛みがマシになったのか、ヴィーチがミルーナさんに駆け寄ると、慌ててミルーナさんはか弱いふりを始めます。
「うう。痛い、痛いわ。それに何なの! あの子、本当に怖い」
「可哀想に」
ミルーナさんの背中を撫でながら、ヴィーチが睨んでくるので尋ねます。
「マイクス侯爵令息、あなたは、ミルーナさんの婚約者ではありませんわね?」
「そ、それが何だって言うんだ」
「あなたが何かすれば、婚約者がいるのに他の男性と仲が良いということで、ミルーナさんの評判はもっと悪くなりますよ」
わざとらしく頬に手を当てて言うと、ヴィーチは焦った顔をして、ミルーナさんから離れました。
「ミルーナさん、私は姓は変われども、伯爵令嬢です。ですが、あなたはもう伯爵令嬢ではないのです。これ以上、無礼な真似をするのなら、あなたを保護してくれているロウト伯爵家への処分を人にお願いしますよ」
「処分って、わたしに何をするつもりよ⁉」
「あなたに直接、何かするわけではなく、ロウト伯爵家への処分です」
その言葉の意味がわかったのか、ミルーナさんはびくりと体を震わせました。
「ロウト伯爵家が貴族ではなくなるというところまではいかないでしょうけれど、子爵に降格される恐れがあります。そうなった時、その原因を作ったあなたを、ロウト伯爵夫妻はどう思うでしょうか」
「……わたしを脅すの?」
「脅していません。忠告しているんです」
言葉を区切って、ミルーナさんからヴィーチに視線を移します。
「マイクス侯爵令息、あなたもです。あなたが迷惑行為をしていることを、あなたのお父様に知られた場合、あなたはどうなるのでしょうね」
「……ぼ、僕はその……」
焦った顔になったヴィーチがミルーナさんを見て、何か言おうとした時でした。
「アンナ!」
アデル様の声が聞こえたので、慌てて振り返ると、こちらに向かって走ってくる姿が見えました。アデル様は私の隣に立つと顔を覗き込んできます。
「大丈夫か? ニーニャたち全員を俺の所に向かわせるなんておかしいだろ! どうして、一人になろうとするんだよ⁉」
「いえ、あの、見られたくなかったのです」
「……何をだよ」
「その……、男性の股間を蹴ったり、あの……、ミルーナさんの鼻を」
「男性の股間? ミルーナ嬢の鼻?」
アデル様が眉間に皺を寄せて聞き返し、ミルーナさんたちのほうに目を向けました。鼻血を出しているミルーナさんは、そんな姿を見られるのが恥ずかしいと思ったのか、くるりと背を向けます。
「わ、わたしはこれで失礼します!」
そう叫ぶと、私たちがいる方向とは反対側に向かって歩いていったのでした。




