6話
刺客を返り討ちにしたラナたち三人は、騒ぎになる前にと帝都から離れる運びとなった。
工場は侵入者への警戒は厳重だったが、出ていく者への詮議が甘かったことが幸いし、番兵は格子戸を簡単に開けてくれた。
そうして工場を出た三人は急ぎ足で城下町を出て、首尾よくつかまえた馬車に乗り、翌日には隣町への退避に成功していた。
「……ラナ、これでお別れなの?」
「うん、わたしはまだ帝国でやることができちゃったけど……二人はもう、この国を離れた方がいい。辛いかもしれないけど、行く当てなら用意してあげられるから」
言うと、ラナは荷物から一通の封筒を取り出し、ルーニィに差し出した。
昨夜、野宿の際に用意しておいた手紙だ。
寝つけなかったためにラナが書き物をしていることを知っていたルーニィは、得心いったようにそれを受け取った。
「ゆうべは手紙を書いてたのね。誰に宛てたの?」
「んーと……先生の、また先生。わたしは会ったことないけど、こういうことになったら頼るようにって言われてたの」
こういうこととは、つまり知るべきでない事を知った者に出会った時。
ルーニィの父のように、禁忌たる秘密に触れ、国や教会から追われることになった人を保護した時のことだ。
その保護対象となってしまったルーニィは、得も言われぬ表情で手紙を見つめ、余人に聞こえないよう気を付けながら、呟いた。
「……『精霊の使徒』って、言ってたわね。それは」
「ごめんだけど、わたしからは言えないんだ。本当は同じ仲間以外には、その名前も知られちゃダメなの。知られたら最悪、わたしたちもその人を消さないといけなくなる。ルーニィのお父さんみたいに」
それだけ危険な秘密であると、ラナは道中、散々子供たちに言い聞かせていた。万一人に知られたなら、本来はその人を抹殺しなければならない程に。
ルーニィの父は財務を預かる国の役人だったが、恐らく書類に何らかの不自然でも見つけて、それがたまたま秘密に触れてしまったのだろう。
大陸の最大勢力である教会でさえ畏れる秘密だ。どれだけ高官であろうと、一国の役人如きが知って無事で済むはずもない。
そうしてルーニィの父は秘密裏に殺され、故に一月前、手紙のやり取りが止まった。
それが、その死についてのラナの推測だった。
なのでラナは自分たちの名前以外詳しい事を伏せ、ただその名を決して人前で口にしないようにと子供たちに厳重に約束させた。
それから町の大きな建物を指さして、
「この手紙は、あそこのガルズ商会って場所に持って行って。あの商会は『精霊の使徒』の窓口なの……やっぱりわたしは使ったことないけど、その手紙見せたら取り次いでくれるはずだから。あ、あと異人の従業員さんに渡してね。絶対他の人に見られちゃダメだよ」
まくしたてるように注意を並べると、自分はさっさと歩き出した。
『精霊の使徒』は、存在自体が秘密なのだ。
ここは静かな町だったがそれでも人目はある。あまり長話をして目立てば、或いは二人に危険が及ぶかもしれない。
そう思って、ラナは一刻も早く別れようとしたのだが、
「あっ、ラナ! 待って、そんな、急に……!」
急に置いていかれて、ルーニィは叫んだ。
別れが寂しいのもあるだろうが、不安なのだ。
幼い身で突然父を失い、家に帰ることもできない。帝都から逃れる際も、冷静さを取り戻させるのは一苦労だった。
何不自由なく育っただろうルーニィには測り知れない苦痛だろうが、それでも、ラナは彼女をこれ以上助けようとはしなかった。
それが自分の役ではないことが、わかっていたからだ。
叫び声に振り返りはしたが、返事はルーニィではなく、その隣に立つ少年に向けたものだった。
「ボルグ、あと頼んだよ!」
「……!?」
呼びかけられたボルグは、驚いて背筋を伸ばした。
言葉の意味はわかっているようだが、信じられない、といった面持ちだ。
当然のことだ。飼い犬に真剣な頼みごとをする人間はいない。
今まで犬として扱われていたボルグは、他人に当てにされることなど無かったのだろう。
か弱く、立場もない子供、それも奴隷の身の上では、無理もない事だったが、
――わかるよ、その気持ち。
それを踏まえた上での言葉だ。
ラナは親に見放され、身寄りもない『神なしくずれ』だった。
自分に何ができるとも、思っていなかった。
その思い込みが覆ったきっかけは、たった一度の出会い。孤独な日々が終わった、あの日だ。
そして、ルーニィとボルグは既に、孤独ではない。
自分は師を愛し、彼のためにと動きだせた。ならばボルグも、大切なルーニィのために動けるはずだ。
たとえ、今は至らなくとも、と。
「これからの出逢いが、ボルグを強くしてくれる。人間にしてくれる。今は無理でも、これからのボルグなら、きっとルーニィを守れる。だから、約束だよ!」
「……!」
ボルグはしばらく迷い、だがやがて、頷いた。
怯んだ顔が、遠目にも少し精悍になっている。
正に、子犬が狼に成ったように。
主に縋っていた手が、彼女を守るように持ち上がるのを見て、ラナは「いい子!」と、満足げに笑い、
「わたしも、約束を果たしてくる! だからさよなら。二人とも、元気でね!」
それからは振り返ることなく、また一人だけの旅路に戻っていった。
新たに果たすべき約束を得て。
喚くルーニィの声が、やがて聞こえなくなった時、
「……最後にするつもりだったんだけどなぁ」
ラナは少し空を眺めながら、呟いた。
師と交わした最後の約束を、思い出しながら。