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精霊の使徒たちと放浪のラナ  作者: 霰
第一章 最初と最後の約束
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5話


 連れ込まれたのは、工場の地下深く、異人たちの暮らす寮だった。

 寮と言っても、部屋は三面の石の壁に、もう一面は鉄格子、中は所々にうち捨てられた骸骨が転がり、澱んだ空気には微かな腐臭が漂うその実態は、牢獄そのものだ。

 現場にいた異人は百名は下らなかっただろうが、部屋は四つだけ。それも、大人十人が横になれば埋まるくらい狭い。仮に仕事を終えても、一部屋三十人近くで押し込まれれば満足に休むこともできないだろう。

 この大陸で異人は全てが『有神人種』の管理下であり、その庇護及び許可なくして単独で行動することは許されていない。

 逃亡奴隷は即座に各国の兵士に捕まり、基本は持ち主に、さもなくばこの工場のような施設に送られてこうした劣悪な環境で労働の日々を送ることになる。

 彼らを管理する役人もいるが、実質的には看守のようなものだ。それほど高級職ではない。

 普通、位の高い人の部屋は施設の上階に用意するものだ。なので、下に下にと移動していくにつれ、ルーニィの表情が見るからに曇っていった。


「あの、本当にお父様は、この先にいるの?」


 流石に、疑い始めたらしい。

 足を急がせて先導の役人に追い縋り、その顔を見上げて懸念を現したが、


「はい、大丈夫です。すぐにお会いになれますよ」


 何度訊ねても、機械のように同じ答えが返ってくるだけだ。

 両脇を固める諜報員は、何を聞いても一切反応がない。ルーニィは一度裾を掴んだが、凄まじい形相で睨まれていた。ただでさえ体格のいい男が二人、到底、子供相手の対応ではない。

 結局、文官の態度以外は有無を言わせぬ空気のまま、ラナたち三人は寮でも最も奥まった部屋へと通された。

 燭台が付いた石の壁面の中央に、ランプの乗った四角い小卓、その前後に丸椅子があるだけの、質素な部屋だ。

 他の部屋に比べ狭く、代わりに小綺麗だが、人の気配はない。

 どう見ても、不穏だった。


「……誰もいないけど」


 部屋の隅まで見たルーニィが、入口を振り返った瞬間、


「!?」


 諜報員の男の片方が突進し、大きな手でルーニィの首を鷲掴みにした。

 もう一人は懐から短い木の棍棒を抜き、ラナとボルグに先端を向けて威嚇しながら、二人を部屋の中に追い詰めた。


「……さて、これはどういう事かな?」


 ラナはボルグを抱き寄せると、既に抜いていた杖で軽く地面を叩き、男たちに向けて低い声で凄んだ。

 文官の男は諜報員の後ろで、相変わらず口元を歪めているが、先までの柔和な微笑みではなく、狡猾で含むところのある笑顔だ。

 ラナの警戒をお供に任せ、文官はちらりとルーニィに視線を向けると、


「別に、お望み通りお父様に会わせて差し上げようとしているだけですよ。そちらのお嬢さんが言い出したことではありませんか」


 薄ら笑いと共に、言った。

 事情はわからないが、意味するところはわかりやすい。

 だがルーニィは、こうした会話を理解するには幼すぎた。


「なに? 何を言ってるの? お父様はどこ? 助けて、お父様ぁっ」


「………」


 ルーニィは突然見知らぬ男に捕まえられ、恐怖で完全に錯乱している。

 首を締め上げられながら、助けを求めて必死に父を呼び続ける。

 恐らくはもうこの世にいない、父親を。

 何があったのかは想像もつかないが、ルーニィはそれと知らぬ間に唯一の肉親を喪っていたのだ。

 ラナは勿論だが、ボルグも察したのか顔を蒼褪めさせ、直後に怒りで頬を紅潮させた。

 そして、ラナにとっては不覚なことに、


「あっ、ボルグ!」


 衝撃から立ち直るのが早かったのは、あろうことかボルグの方だった。

 ボルグは自分を庇うラナの手を振り解くと、主人を救い出すべく捕えた諜報員に猛然と突進したのだ。

 だが、勿論。


「……っ!」


 十歳そこらの子供が、屈強な大人の男にかかっていっても勝負にはならない。

 ボルグは男の空いた片手にあっさりと叩き返され、床を転がった。

 そのまま、壁に叩きつけられそうになったが、


「……?」


 その寸前で、ボルグの体はやんわりと停止した。

 硬い石の壁の前には、いつの間にか柔らかい砂の山が出現している。ボルグはそちらにぶつかり、砂にめり込む格好で事なきを得たのだ。

 どう見ても元々あったものではないそれは、地の魔法によって発生したもの。

 立ち直り、怒りに燃えるラナが、助けとして放った魔法だった。


「……いい加減にしなよ、あんたたち。寄ってたかって子供相手に」


 杖の先に地属性の黄金の光を纏ったラナは、それをルーニィを捕えた男の方に向けた。

 直後、ボルグを包んでいた砂が舞い上がり、空中で無数の矢尻のような形に結集、凝固して、その切っ先を諜報員に向け浮遊し、


「とりあえず、その子放しなさいっ!」


 ラナが杖を振るうと共に、一斉に標的へと殺到した。

 地の魔法『石礫』の術。ボルグを助けた『砂塁』の術と共に、その道では初等に位置する魔法だ。

 この大陸で戦いと言えば『有神人種』同士の魔法の打ち合いである。逆に言うと、魔法が使えなければ戦いにもならないのだ。

 だからこそ魔法が使えない『神なし』は、理不尽な支配も黙って受け容れるしかなく、この大陸の歴史においては長い冷遇の日々を過ごしてきた。

 顔を隠しているが、あの諜報員は異人だ。ならば魔法に抗う術はない。

 礫の先は尖っているが、狙いは手足だ。当たれば殺すことなく、容易に無力化できるだろう。

 相手が普通の異人であれば、だが。


「……うそ」


 ルーニィは、愕然とした表情で、自分を捕える男を見上げた。

 ここまで接近すれば、彼女にも相手が異人であることは理解できた。

 それが諜報員をやっていることは、帝国民なら子供にもわかる確かな違和感だったが、そんなことは些細な問題だった。

 ルーニィが驚いたのは、ラナの魔法が男の目の前で止められたこと。

 それも、無風の筈の地下室内で風が生じ、不自然に強烈なそれに礫が削り切られて消滅したことだ。

 地水火風、いずれかに属する自然現象の操作。つまりこれは風の魔法だ。

 そして魔法を使う者は、属性に対応した色の光を生じる。

 右手でルーニィを捕えた男の左手には今、確かに風魔法の翠の光が宿っていた。


「なんで、異人が、魔法を」


 『有神人種』にとって、魔法は自分たちを優等種たらしめる最大の能力であり、一種の誇りでもある。

 それを劣等種、人間扱いさえしていない『神なし』が使うというのは、それだけ『有神人種』に大きな衝撃をもたらすことなのだ。

 だが、諜報員の二人の男は相変わらず表情が読めず、文官の男も老獪な笑みを崩さない。

 微塵も動揺していない、当然のこと、という顔だ。

 その反応もまた、一般人であるルーニィとボルグを動揺させるに十分だったが、


「やっぱりね」


 これに加えてラナまでが表情を変えず、挙句この台詞である。

 冷静だった文官も、無表情だった諜報員たちも、この反応にはぴくりと眉を動かし、三人揃ってラナに険しい視線を向けた。


「……なにが、やっぱりなのですかな? お嬢さん」


「だから、何となく読めたんだよ。いきなり消される文官に、その子供まで殺しに来る魔法使い……それも、神の祝福がない筈の異人。ルーニィのお父さんは、知っちゃいけない事を知ったんだね……」


 ラナの返答に、とうとう文官の男の笑顔も消えた。

 軽く首を捻って合図すると、諜報員の一人はルーニィを手放して文官の傍に戻り、もう一人が棍棒に赤い光を宿す。

 その色は火属性ということで、生じたのは火の球。先に見た『火球』の術に似ているが、大きさは人一人飲み込むほどだ。明らかに一般の『有神人種』のそれより威力が高い。

 燃え盛る巨大な劫火は、中級魔法『炎弾』の術。

 中等以上の魔法は国軍でも扱える者は数が少なく、一戦略を任される将官以上の物にちらほらと使い手がいるくらいだ。

 一般人の三人程度、それも全員が女子供と、葬るにしても過ぎた魔法と言える。

 日常生活で使われる火の魔法など、暖を取ったり料理をしたりが精々だ。殺人用の強力な魔法など、一般人に見る機会がある筈もない。

 死の恐怖を前に、ルーニィとボルグが震え上がる中、ラナは一人、炎の前に進み出、


「ねぇ、二人とも」


「え……?」


「これから先、ここで見たこと、全部内緒にできるかな?」


 そう言って、微笑んだ。

 直後、放たれる火炎。

 迫る灼熱に揺らぐ、ラナの輪郭。

 中等以上の魔法は、本来は軍用。つまり、戦うにしても対集団用の魔法だ。

 人一人など簡単に焼き尽くし、後ろにいる子供二人など、ひとたまりもなく焼かれ、焼失する。

 撃つ方は当然、必殺のつもりだったのだろう。

 だから、


「……馬鹿な」


 蒸気と共に炎が一瞬でかき消え、その向こうに見えた文官の顔は、一瞬だけ勝ち誇ったように笑っていた。

 次の瞬間、その顔は驚愕で歪んで真っ蒼に染まり、屈強な諜報員たちも見るからにたじろいだ様子だった。

 後ろから見ていた子供たちの反応は、さらに大きい。

 見えていたのだ。

 あれだけの火を消すのにラナが用いた動作は、ただ杖を一度振っただけ。

 しかもその杖の先端には、先の地属性とは違う蒼い光が灯り、巨大な火球はその光と接触した瞬間に水蒸気を残して消え去った。

 水蒸気、つまりは水の魔法だ。

 この世界の魔法使いは通常、一つの属性の魔法しか扱うことができない。

 だがごく稀に、複数属性を扱う強力な魔法使いが現れることがある。

 魔法が神の奇跡として崇められるこの大陸では、その知恵を極めた者として、彼らを特別な名で呼び、聖人として尊重する風習があった。


「ラナ……賢者様、だったの……!?」


「け、賢者!? そんな馬鹿な、では、計画が教会に漏れていたのか……っ!?」


 『有神人種』たちは、魔法を操るための教科書として『魔導教会』の教典『起源書』を修める。

 大陸で出世する魔法使いたちはこれをよく読み込み、記されている地水火風、天地万象の理を知って、対応する魔法の力を高める。

 つまりは知識こそが力となるという教えの中で、複数の属性の魔法を扱う者は賢者の名で呼ばれ、聖人として教会の重役に招かれるのが『有神人種』たちの常識であり、一種の憧れでもあった。

 逆に言うと、賢者とは即ち教会の回し者だ。それも、聖騎士とは格が違い、特務的な役割を単独で担う精鋭中の精鋭である。

 教会に叛意を抱く者にとってはこの世で最も恐ろしい存在であり、その動向には細心の警戒をはらう必要があったが、


「んー……まぁ、確かにわたしは色んな魔法使えるけど、教会とは関係ないよ。むしろ、敵かな」


 当の本人は、片手で頬をかきながら気楽に言ってのけた。

 最早最初の余裕は微塵もなく、文官も諜報員たちも目を真ん丸に見開き愕然としている。それは子供たち二人も同じことだ。

 特に反応が大きかったのは、教会の敵という言葉だった。

 この大陸の国々は例外なく『有神人種』の国であり、彼らに魔法を授けた神、ひいてはそれを主とする『魔導教会』に臣従している。

 つまり教会は、名実ともにこの大陸の支配者だ。それを敵と呼ばわることは、この大陸全てを敵に回すのと同じことである。

 そんなことを堂々と宣言する小娘など、まともな精神の者が見れば卒倒するくらいだ。

 実際に文官の男は震えあがり、へたり込みながら、


「き、貴様っ、何者だぁっ……!?」


 半ば焦点の合わない瞳でラナを睨みつけ、今にも死にそうな声で喚いた。


「はは、変なこと聞くなぁ。もう知ってるでしょ、わたしはそこの諜報員さんたちの同類だよ」


 対するラナは、やはり態度を一切変えることはない。

 飄々と微笑みながら悠然と杖を持ち上げ、その先端に今度は赤い光を灯した。


「ずっと格上だけど、ね」

 

 やはり、生じたのは火球。

 それも、先に諜報員が出したものと同じ大きさ。挙句杖の先端の周囲にそれが三つ生じ、ごうごうと音を立て、天井と床を抉りながら回転し、燃え盛る。

 一目でわかる圧倒的な実力差に、諜報員たちは完全に戦意を失い、音を立てて得物を取り落とした。

 そして、完全に傍観者となり果てた子供たちの間にも、純粋な恐怖が満ちる。

 ほんの偶然、知り合っただけの仲だった。

 それがこうも圧倒的な力を持ち、それも教会の、社会の敵であるなどと臆面もなく自称する。

 こんな底知れない人物を、あろうことか脅してここまで連れてきたとあって、ルーニィはすっかり怯え切っていた。


「ラナ、あなた、一体」


「……そうだね。ルーニィとボルグには忠告ついでに、おじさんたちには冥途のお土産に、教えてあげる」


 回転していた三つの火球が、ぴたりと停滞した。

 それは、発射の準備が整った証。

 ラナの意志に応え、自然界の理に干渉し、火炎を生じた存在。『有神人種』たちが言うところの神が、魔法使いの願いを叶えた、その印だ。

 見えざる天主が『有神人種』にのみ与えたはずの、見えざる手の助け。

 しかしラナの背後には、魔法の光と同質のぼやけた光が、蜥蜴のような生物じみた不思議な姿を現していた。

 明らかに魔法に反応し、ラナの肩に寄り添うように纏わりつくそれは、どう見ても神ではない。

 むしろ、人ならざる者を従え、劫火を自在に操るラナの姿こそが、余人の目には余程神々しく、畏れるべきものに見える。

 ラナは、そのことも重々承知していた。

 だからこそ、はっきりと名乗ったのだ。

 子供たちに「秘密だよ」と注意した上で、己に、自分たちに魔法を授けた、神ならざる存在の名を。


「わたしはラナ。『精霊の使徒』。叛逆者ヨナの、唯一にして最後の弟子」


 高らかな、しかし秘密の名乗りの残響は、文官たちの断末魔と、放たれた火球の爆発音で、地下の外へと漏れることはなかった。


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