3話
この帝国で、都市と言えば工業都市である。
魔法の使い手にあふれる大陸だが、それでも人間は天地万象の前に無力な生き物だ。地水火風を操ると言っても、ほとんどは自由自在と言うには程遠い。
魔法には、操る自然現象への知識は勿論だが、何よりも素養が肝心とされていた。『有神人種』であっても多くは鉢植え一つほどの土を、コップ一杯の水を、拳大の火を、一陣の突風を操作するのが精々だ。一人で大掛かりな装置を動かしたり、ましてや災害の類に抗うことはできない。
地面が揺れれば、水害が起これば、建物が燃えれば、嵐が吹けば、容易く人の街は崩れ去る。だから、それを防ぐために治水や、設備の強化を行う。
いずれも、資材が必要だ。
だから、国の中心たる都には、皇帝や重役が管理しやすいよう、国の重要産業の無数の工場が並び立ち、排煙の作る薄闇の下、石と鉄の町の朧な明りの上に、皇帝の住まいと共にいくつもの城が立ち並ぶように見えた。
これが、アステルフォス帝国が誇る都、アルタビスタの威容だ。
警察力の強い軍事国家ということで、城下町の通りには軍服に、棍と呼ばれる木の長棒を持った兵士が多数混じっていたが、それ以上に人の数が多く、噂通り人相の悪い荒くれ者も我が物顔で歩いていた。
ルーニィの父親は、帝城を囲むとりわけ大きな四つの工場の一つ、鉄工場で働いているのだという。
町の兵士たちは問題がない限りは微動だにしなかったが、王の住まいの真隣ということで、工場の前には城とは別の城壁と共に、門はしっかりと兵士が固めており、一般の者は立ち入れないようになっていた。
当然、女子供に『神なし』の奴隷など相手にされよう筈もなかったが、
「……ふむ、確かに。通ってよろしい。ただし、外棟以外には入らぬように。受付の者に用を言ったら、待合室に行きなさい」
ルーニィが懐から何やら取り出し、それを検めた兵士はあっさりと門を開けてくれた。『有神人種』の貴人は、世話役を連れているのも一般的ということで、他の二人も素通りだ。
ラナが後で見せてもらうと、それは銅板に鷲が象られたブローチだった。
帝国では、宮仕えの者には専用の身分証が与えられ、その家族にもそれに準ずる証が授けられるという。
身内とはいえ部外者をこうも簡単に重要施設へ入れてしまうのは不用心な気もしたが、それも警備に自信があるからだろうと、ラナは一人で納得した。
実際、入るなと言われても、工場の中は自由に歩き回れる風ではなかった。
大掛かりな城壁を潜ると、中にはもう一つ小規模な城壁が工場を囲んでおり、入口と思しき場所には警備に加えて重々しい鉄格子が下りている。
その周囲には二枚の城壁に囲まれた広い回廊があり、木や石の小屋がいくつか並び、それらは客間や、出入りする者の管理をする役人の詰所となっているようだ。
門番の案内通り、ラナたちは受付の男に話をつけ、そのまま待合所となっている小屋に通され、ルーニィの父が来るのを待つ運びとなった。
「……なんか、人を呼ぶ割には随分かかるね。時間がいるにしても、連絡があっても良いはずだけど」
「仕方ないわよ、お父様は主城と工場を行ったり来たりしてるんだもの。連絡には時間がかかるわ」
「ふぅん……でも暇だね。ボルグは? 退屈じゃない? 大丈夫?」
「………」
ルーニィのお付きの男の子は、ここまでの道中でボルグの名を与えられていた。
意味するところは狼。少年なのだし、犬呼ばわりにしても強そうな名前をということでラナが提案し、ルーニィが了承した。
相変わらず声も表情の変化もないが、主人にくっついて離れないのは相変わらずだ。気持ち、名付けの前よりも距離が近いような気もするが。
ひとまず暇は気にしていないようなので、ラナは「大丈夫ならいいけど」とルーニィに視線を戻した。
「お父さん、文官って言ってたよね。お仕事は帳簿とか?」
「それを見るのが仕事なの。監査官なのよ、すごいでしょ」
ルーニィが得意気に話したところによると、彼女の父は国内の金の流れに不正がないか、確かめるのが役目らしい。
同職の中では高官の類らしく、家にもほとんど帰らないところを見るに忙しい人のようだ。
ならば会いたいと言っても呼び出しに時間がかかるのは道理だったし、待たされるのにも納得がいく。対面が今日の話にならないことも考えられるだろう。
言われるままついてきてしまったので想定していなかったが、今夜は宿を取る事も考えた方がよさそうだ。
ラナがそんなことを考え始めたころ、客間の戸が叩かれた。
戸を開けてみると、番人たち同様濃緑の制服を着た男に、黒い装備の兵士が二人。
濃緑の服は、兵士、文官共に、一般の役人の纏う色だが、
――帝国の諜報員……?
その後ろの黒い装束を見て、ラナは一瞬殺気立った。
彼らはこの帝国の警察組織の筆頭、皇帝直下の諜報員だ。
普段は市井に溶けこみ、国の不穏分子を密かに見張り、取り除く役を持つのだが、公の権力を行使するときに限り、黒の制服を纏って現れる。
この国に住む人々なら、聖騎士に次いで誰もが恐れ戦く組織だが、滅多なことで人前に出てくることはない。無論、子供の出迎えなど有り得ないことだ。
その際は面が割れないように、専用の帽子を目深に被って顔を誤魔化すのだが、ラナはその下の眼光を見逃さなかった。
――異人? どうして。
帽子の下から覗く瞳は、赤と黒。二人とも異人だ。
帝国に限らず、この大陸の国々において要職は『有神人種』のものの筈である。
にも拘らず異人が、国の治安を預かる組織の一員を勤めているというのは不自然極まりないことだ。
気付きさえすれば、それは誰にでもわかる事だったが、
「ルーニィ様、お待たせいたしました。お父様の準備が済みまして、お迎えに上がりました」
「本当!? じゃあ、案内して頂戴」
外出に供がつくのが当たり前の人間は、わざわざその顔など気にもしないらしい。
ルーニィは文官に招かれるまま、一人でさっさと出て行ってしまった。
初老で細身の男は柔和な笑顔だったが、どう見てもきな臭い。
だからといって逃げることもできないだろうし、ラナはひとまずルーニィに従い、ボルグと共に小屋を出て、迎えの者たちの案内に従った。