2話
女の子の名はルーニィといい、曰く、帝都に父親がいるという。
その父は帝国の財務に関わる文官であり、母親が物心つく前に亡くなったことから、ルーニィは執事と、奴隷たちに世話をされながら暮らしていた。
父親は離れて暮らす愛娘にひっきりなしに手紙を送り、ルーニィもそれにつぶさに返事を送っていたとの事だが、一月前に突然、連絡が途絶えたという。
それからはどれだけ手紙を送っても返事がなく、大人たちに父の行方を訊ねてみても誰も知らない。
不審に思ったルーニィは自力での捜索を思い立ち、今日ようやく執事の目を盗んで屋敷を抜け出した。
その後、帝都への移動手段を求めて町をさまよっていたが、子供だけでは馬は貸してもらえず、御者を雇おうにも怪しまれて引き受けてもらえなかった。
そこにたまたま、帝都に向かう算段をしているラナを見かけ、声を掛けたのだという。
金を握らされ、言われるまま乗せられた馬車の中、自分の事情を一方的に話すルーニィに、ラナはげっそり辟易しながらも、なんとか話の間隙を見つけて自分の質問を投げかけた。
「……まぁ、お父さんに会いたいのはわかったけど、お家の人に相談したの?」
「言ったわ、お父様に会いに行くって。そしたらお部屋に閉じ込められたの」
「だから抜け出したんだ?」
「えぇ、そうよ。悪い?」
ラナはまたがくりと肩を落とした。
悪い? と悪びれなく聞くということは、本人に全く罪悪感がないということだ。
お嬢様が消えた彼女の屋敷は今頃大騒ぎだろうが、当の本人は全く意にも介していないのだろう。
本人は騒ぐ周囲が鬱陶しかっただけなのだろうが、周りは大切な令嬢を想って軟禁まがいの事までやってのけたのだろう。無碍にするには大きな気遣いではある。
ただ、
「……だって、お父様が心配なんだもの」
だからと言って、浅慮と一蹴する気にもなれない。
まともな両親のいなかったラナは、しかしヨナが父親代わりとなってくれたことで救われた。師への思い入れの深さの分、ルーニィへの共感もまた、自然と強くなったのだ。
通ずる気持ちを見出してしまえば、今更送り返す気にもなれない。ラナはさっさと送還を諦めて話題を変えた。
「で、その子は? ルーニィのお付き?」
ルーニィの隣には、一緒に乗り込んできた異人の子が座っている。
相変わらず無言で、幼さと見た目の割に表情は真顔だが、ルーニィの傍にぴたりと寄り添って離れようとしない。
『有神人種』が連れている異人と言えば間違いなく奴隷だろうが、二人の距離は随分近いように見える。
というより、完全に密着している。
幼い子供が身を寄せ合う姿は見るからに睦まじそうに見えるが、小さいとはいえ仮にも男女、それも主従がこうも馴れ馴れしく接触しているの図は違和感がある。
どういう事かとラナが訊ねると、ルーニィはそっけなく、
「あぁ、これは犬みたいなものよ」
とだけ答えた。
こんな小さな子供が同じ人間を犬呼ばわりだ。ラナは思わず真顔になったが、何も言わなかった。
これは、普通のことなのだ。
この大陸で『神なし』の奴隷に人権は与えられない。つまりは人間扱いされない。大抵はただ同然の労働力、及び小間使いとして使い捨てられる。愛玩用として可愛がられているならまだ幸運な方だ。
話を聞いてしまうと、仲の良い姉弟のように見えた少年少女の姿が一転、飼い主とそれにすり寄る子犬のような図に見えて、ラナは得も言われぬ気分になった。
「去年あたり、痩せて屋敷の前に倒れてたのよ。玄関先で死なれるのも嫌だし、ちょっとご飯をあげたの。そしたら居付いちゃって、こうしてどこにでもついてくるし、仕方ないから犬代わりにしたのよ。本当は本物を飼いたいけど、子犬飼ってると狼が食べに来るから」
「……そうなんだ」
ルーニィは、優しい子なのだろう。
腹を空かせた男の子のことも、本気で憐れんで食事を与え、その身を慮って家に入れた。 追い出そうともしなかった。よく懐いた様子を見るに、大切に扱ってきたに違いない。
だが犬並みに、だ。
異人の師を持つラナは、その同類の扱いに想うところがあったが、暗い気分を引きずる性格でもない。
気を取り直すと、男の子の前に顔を近づけた。
「ねぇ、君。お名前、なんていうの?」
「………」
「あぁ、言えないわよ。この子、文字も言葉も使えないから。だから犬って呼んでるわ」
「……ふぅん、そっか。じゃ、これから付けないとね。ペットにだって名前くらいいるでしょ。犬じゃわたしが付き合いにくいしね」
そうして、帝都に向かう道すがら、ラナはルーニィと相談しながら奴隷の子に名前を付けることになった。
適当な案がまとまった後は雑談だ。
最初の印象こそ悪かったが、多少年が離れても同年代の女同士である。荒れた林道を往く馬車は快適とは言えなかったが、自然と会話は弾んだ。
会話のあやで、ルーニィはラナ自身についても聞いてきたが、
「そういえば、ラナは旅人なのよね? じゃあ、魔法で野盗くらいは追い払えるの?」
「一人旅は初めてだけどね。戦いは、まぁ……」
「何よ?」
「……内緒かな」
今はこうして、はぐらかして微笑むだけだった。
ルーニィは気にしてしつこく聞いてきたが、ラナが実際に腕を振るう機会は結局、帝都に着くまでついぞ訪れなかった。