3話
帝国の密偵は、諜報員程位は高くなく、それに比例して数も多いが、国の重要職であることに変わりはない。
その変死は大問題、検死の内容など当然極秘の筈だが、レン爺は口外しないようにと一応の警告だけして、人気がない路地に移動するなりあっさりと話してくれた。
実は、路地の入り口には兵士が一人立っているのだが、ラナはそれについて指摘すると、レン爺はにやりと笑い、
「彼のことは気にしなくてよろしい。信用のおける者ですからな」
その兵士が自分たちの部下であることを仄めかし、安心するようにと念押した。
どうやら、町の警備には城の貴人直属の者が紛れているらしく、密談は口の堅い彼らが固める閉所で行うという。
信用できるのであれば、彼らは目立たない護衛兼、余計な来訪者を避ける番人として有用だ。
聞かれていいのであればと納得したラナは、レン爺に与えられた情報を復唱して見せた。
「……死因は打撃による挫傷と、刺し傷ねぇ。別によくある死に方だし、それだけじゃ、大した手掛かりにはならないと思うけど」
「ですな。実際、検死官たちも報告を受ける高官も、ここから何かを掴むことはできないでしょう。しかし、ラナ殿とワシなら気付ける異変があったのです」
「皇女様は?」
「無理ですな。というより、風の魔法を扱える者しか気づけません。ラナ殿は、四属性全てを扱えますからな。わかる筈です」
言われるとラナは、目を丸くして瞬いた。
「まさか、その挫傷って、風魔法の痕だったの? それで死んだ? 本当に」
レン爺は神妙な顔で頷いたが、実際アーニアだけは話が見えていないようで、話す二人の顔を交互に見比べた。
レン爺としては主人を話に混ぜないわけにもいかない。話の進行が遅くなるのでラナは少し渋ったが、それでも二人がかりの目線で請われて仕方なくアーニアのための説明を始めた。
「……風の初等魔法は『風弾』って言うんだけど、それは知ってるよね」
「えぇ、空気の塊を飛ばす魔法ですよね。四属性の中でも最も殺傷力が低いので、戦いではあまり使われないと聞きますが」
「そ……威力は水の『水弾』とどっこいどっこいだけど、水魔法は溺れさせたり火の魔法を消したりできるからね。その点風の魔法は純粋に打撃を飛ばすだけだし、術者の膂力に威力が依存するから、普通はそのまま使ったりしないの。地魔法の障壁をすり抜けることはできるけど、当たっても弱いんじゃ意味無いしね。レンおじいちゃんがいい例でしょ」
風の魔法は、その名の通り風を操る魔法だが、自然風を自在に操るには相当高度な技能が要る。
そのため手足や武器を振り回した風圧を飛ばすのが有効的な使い方だが、それでは人間一人分の力しか出ない。故に風魔法は、四系統の魔法の中でも最も使い出が悪いとされていた。
無論、それで人を殺すのは至難の業である。
風魔法を用いた、的確な殺人。それを実行できるのは即ち、相当の手練れだ。
そして、刃物によって死んだという一人にも、白兵戦に精通していなければわかりようのない異常が見られたという。
ここまで話した時点で、ラナの顔色は大分蒼くなっていたが、それを見たレン爺は思案顔になり、
「……これについて話す前に、ラナ殿に一つ聞いておきたいことがござる」
僅かに剣呑な声で、訊ねてきた。
「ラナ殿には、探し人がおられたな? その方の名を、教えていただきたい」
「嫌だね」
「では、何故にその人を探しておられるのか? それだけでも」
「それさ、風魔法のくだりを話す前に聞いた方が良かったんじゃない。わたしには何を答える筋合いもないんだよ」
「………」
レン爺は黙り、だが怯むでもなく、ただ真っ直ぐにラナを見つめた。
風魔法を扱う、剣を持った戦士。
ラナがその行方について聞き回っていることは、関係者なら誰でも知っていることだ。
皆まで言われなくても、風魔法に刃物の殺傷痕ということは、あからさまに探し人の特徴に符合する。
ラナにとってはようやく見つけた、念願の手がかりだ。
それをわざわざ先に提示しておきながら、後になって条件を付けるとは、交渉としては下手もいいところである。
ラナに秘密が多いことも、探し人の名前を決して出さないのも、その情報が多方面に危険だからだ。それをわからないレン爺ではないだろう。
その上で、先に自ら情報を明かし、その後で答えの期待できない質問をするのは、一体どういうわけなのか、ラナにはわからなかった。
まして、それがわからないことが、隣で聞いていた皇女を苛立たせているなど、気付きようもなかった。
「……あなたは、まず人を疑ってかからないと気が済まないのですか」
「は?」
突然、アーニアが低い声で詰め寄ってきたので、ラナは訝しそうな顔をした。
何故にお前が怒るのか。
頭の中にも視線にも、ラナにはそんな疑問が満ちていたのだが、それを見たアーニアはますます表情を険しくし、耐えかねた様子で声を荒げた。
「今のは、爺やの誠意です! あなたの目的は知りませんが、あなたの探し人は明らかに帝国に仇を為しました。それなのにあなたに検死の内容を教えたのは、あなたが国で悪さをしないと信じてのことです! それがわからないのですか」
「……わからないけど、だから何?」
冷たく返したが、ラナは内心動揺していた。
誠意と言われても、本当によくわからない。
ラナは、大人は誰しも損得で動くものだと思っていた。
生まれは貧しく、育ちは堅気から離れた場所。
拾えるものは何でも拾い、奪えるものは何でも奪う。そうでなければ生きていけなかった。
無償で愛を与えてくれたのは、師だけだ。他の人の言葉は一切信じてこなかった。
義理人情が全くわからないというわけではない。目の前の相手にはそぐわないと思っていただけだ。
国の公人など、真っ先に情など切って捨てるものだと思っていた。だから無辜の子供たちにあんな仕打ちをして、その上で何食わぬ顔で暮らしていける。
ルーニィの一件もあったし、これまでの人生の習いもあって、ラナは完全に国や、組織や、そこに生きる人たちを見損なっていた。
だから、本人たちや手の者が立ちはだかれば、何の抵抗もなく相対し、最悪殺しても罪悪感もなかった。
それが誠意などという言葉を使い、無碍に扱えば真っ当に怒るとは、心の底から意外だったのだ。
当然、この上なく無礼なことだ。
人を人とも思わぬ恐ろしい侮辱だ。
ラナの態度を見たアーニアは一瞬絶句し、これまでで一番の怒り顔になって、堰を切ったように捲し立て始めた。
「あなたねっ、人が死んでいるのよ!? この帝国に仇なす者が、こんな城の膝下で宮仕えを三人も殺したのです! あなたの探し人がその犯人だとしたら、私たちは絶対に放っておけないの、わからないのですか?」
ラナはなおも無感動な表情で黙っていたが、今度はアーニアも揺れなかった。
表情の険しさは微かに緩んだが、代わりに静かな、それこそ誠実な強い眼差しでラナを見つめ、自ら膝を折って目線を低め、なおも食い下がった。
「ちょっと、皇女様」
「……お願いです。死んだ者には、爺やの部下だった者も、私の知り合いもいるのです。彼らの家族も知っているわ。他の者たちにも、皆家族がいるのです。私たちは、犠牲者の家族に、夫が、息子が、父親が何故死んだのか、出来るだけのことを話さなければいけません」
「………」
「私たちは、国民全員の命をあずかっているの。国の敵が現れたら黙ってはいられない。その上で、私たちはあなたのことをひとまず信じます。爺やもそのつもりで言ったのです。だから、お願い」
確かに、アーニアの言は道理である。
国の要人である彼らは、殺人犯を絶対に無視できない。だからどんなに譲歩してでも、心当たりがありそうなラナから情報を引き出したかった。
それでも、秘密事項を自分から晒したのは、レン爺がラナを見込んだからこそだ。
国にとっていいか悪いかはさておき、ラナが口の堅い人間であるのはアーニアとレン爺にも既にわかっている事である。
あなたは秘密を守る人だ。だから自分たちも秘密を明かせるし、あなたが語った秘密も我々は守る、と。レン爺の意図はこういうことだった。
アーニアは、ラナがそれを無碍に一蹴した事に対して怒っていたのだ。
その上で、しっかりと自分から頭を下げることも忘れなかった。
ここまではっきりものを言われれば、ラナも多少は相手の気持ちを汲む気になる。
アーニアとレン爺が、ラナの思う人並みの誠実さを持っていることは、ひとまず疑うべきではないのだろう。
だが、それでも。
「……言いたいことはわかった。悪かったよ、謝る。でも、何も言えない」
「あなたっ!」
「だから、言ったでしょ。わたしの秘密は、バレたらマズい。この国がひっくり返るだけで済むならいいくらい。最悪、大陸中の国が皆滅びるくらい危険なの。だから、犯人が私の探す人なら、情報を渡すことはできない……」
きっと、どんな国も例外はない。
円状大陸の国々は、どこも教会の影響を受けた『有神人種』が牛耳っている。
ラナたちの持つ知識は、漏れれば彼らの支配の正当性を壊滅させるものだ。
抑圧された異人たちは、自分たちの扱いの謂れなきを知り、これまでの冷遇の分だけ大陸中に破壊と殺戮を齎すことだろう。
『精霊の使徒』の秘密が明らかになれば、同様の力を持つ者が大陸中に溢れ、既存の魔法使いたちを遥かに上回る力で彼らを蹂躙するのだ。
そうして、世界中の人間たちの間で、支配者と被支配者が入れ替わる。
それは当然、一国の興亡など問題にならないような大惨事だ。
国や社会に無頓着なラナでさえ、それが起こればこの大陸が地獄に染まるのは理解できる。
だから極力、自分の知る情報を外に出すことはしたくなかったのだが、
「……でも、誠意には誠意で返さなきゃいけない。これは、先生が教えてくれたこと……」
ラナにはそれ以上に、大切なことがあった。
師との約束、その教え。
今のラナの行動基準は、それが全てだ。
対する人が嘘のない言葉で自分に近づき、切実な願いをしてきたのなら、できうる限り応えなければならない。
誰のためでもなく、お前が人の群れの中で生きるために、必ず守るようにと、ラナはそう言われて育ってきた。
人の群れに馴染む事に魅力は然程感じなかったが、まだ若いラナは師の言葉以上の道標を持たない。背いてまで向かう先など知らない。
なので二人の願いに出来るだけ応えられる言葉を、頭を捻って考えることになった。
「おじいちゃんが聞きたいのは、その人が帝国にとって危険か、だよね」
「はっ……最低限、それが聞ければ贅沢は言いませぬ」
「じゃあ、大丈夫。わたしと同じで、その人も一国の行く末なんて気にしないと思う。だからこっちから手出ししなければ、反撃してくることもないよ、多分ね」
「多分って……それに」
関心が無い事は、必ずしも危険でないことにはならないのではないか。
アーニアの目はそう問うていたが、今聞いているのはレン爺だ。
恐れながら、と主を黙らせると、レン爺は改めてラナと向き合った。
「では、殺された三人は、そもそも彼を襲ったために返り討ちにされたと?」
「本人とは限らないけどね。その人はわたしと違って仲間がいる筈だから、仲間が狙われたら守るよ……でもその仲間たちも、帝国をどうこうしようとは考えてないと思う。それでも帝国で何かをやろうとするなら多分、目的は二人と同じだよ」
アーニアとレン爺は瞬いて、二人で顔を見合わせた。
目的が同じということは、ラナの探し人は、アーニアとレン爺と同じ黒幕を狙っている。
皇帝の傍で異人の魔法使いたちを率いている者を、排除するために動いている。
国の密偵に追われた理由は別として、だ。
「……では、ラナ殿の探し人は、我々の味方であると?」
「敵じゃないだけ。わたしと同じで、たまたま目的が同じ第三勢力って感じだから、とにかく邪魔だけしないようにした方が良いよ。襲ったりしたらまた返り討ちだからね」
利害は一致しているが、協力関係にあるわけではない。
何も知らずに行動に干渉すれば、今回のように要らない犠牲が出ることもあるだろう。
何にせよ、ラナの探し人はアーニアの主従と同様、この国の陰で蠢く闇を晴らそうと動いているようだ。
下手な横槍を入れない限り、正面から敵対することはないので安心するようにと、ラナはレン爺の懸念を拭って見せた。
だが、アーニアはそれだけでは納得できなかったようで、未だに首を捻っていた。
「でも、何故」
問題は、動機である。
話によればラナの探し人は、表向き一介の傭兵だ。
それが国も感知しないような問題を感じ取り、原因の排除に乗り出す理由など、アーニアたちには想像もつかない。
一方のラナはその動機にも見当がついていた。
異人が魔法を掲げて反乱を画策するとは、訳知る者にとっては字面以上の危険な事態だ。
それこそ、一国が転覆するだけでは済まない程の。
きっと、だからこそ、彼らは動いた。
顔も名前も知らない同胞たち。
その内輪の争いは、まだ続いていた。
探している彼はきっと、その只中にいるのだろう。
ならばなおのこと、自分はこの主従を無視するわけにはいかないらしい。
それを悟ったラナは、ふぅ、と溜息を吐き、
「あーあ……面倒ごとと面倒ごとが線で繋がっちゃったよ」
目を逸らしたかった問題の渦中に、結局自分も巻き込まれていることを、さめざめと嘆いた。




