2話
アーニアの導きでラナが連れてこられたのは、数多い酒場ではなく小粋な喫茶店だった。
最も、帝都はどこでも酒を出すので、品書きに肴が多ければ酒場、茶菓子が多ければ喫茶店、という緩い区切りである。
とはいえ、客層の多くが女性である喫茶店は、店構えもそれらしく変わるものだ。
明るい色の壁紙に、曲線に富んだ木製のテーブル椅子が並ぶ店内で、年頃の娘たちの集いがいくつか、談笑と共に卓を囲んでいる。
ラナとアーニアもその中に紛れ、場に溶け込みながらレン爺を待っていたのだが、
「………」
「………」
この二人は、茶菓子を囲んで世間話をするような間柄ではない。
娘たちの高い声に満ちた店内で、そこだけぽっかりと穴の開いたような沈黙を作る二人の少女は、片や退屈そうに頬杖をつき、片や肩肘を張った様子で行儀よく座っていた。
「あ、あのう……ご注文は」
こういう店で、客の多くは楽しそうにしているものだ。
だが、若い娘二人が重々しい雰囲気で座っているのを見て、給仕係の青年も、掛ける声が躊躇いがちになる。
このまま何も頼まずに席を占拠しているのも、店員に迷惑をかけるのも忍びないので、ラナは渋々といった風に沈黙を破った。
「……わたし、メニュー知らないけど」
「でしょうね。じゃあ、ヴェチェル二杯と焼き菓子を二つ」
「ヴェチェル? なにそれ」
注文を受けた青年は、席から離れると安心したように溜息を吐いていた。
ひとまず席料は払ったので、これで少しは心置きなく座っていられる。
ただ、アーニアが頼んだ飲み物らしき名前は、ラナにとっては耳馴染みがない。
咄嗟に聞き返すと、アーニアは少し驚いたように目を丸くした。
「知らないのですか?」
「わたし旅暮らしだよ。都の流行りものなんて知らないよ」
「一応、帝国中で飲まれている筈ですけど」
「……お茶菓子嗜む機会なんてなかったんだよ」
ラナは、少し赤くなって呟いた。
生まれが貧しく、ヨナに付き添って生きてきたラナは、小粋な喫茶店より無骨な酒場や食堂の方が馴染み深かった。
単に師の好みというのもあったし、収入が限られる都合、値の張る喫茶店には入りようがなかったのだ。
大した事情ではないのだが、何だか思わぬところでちょっとした弱みを握られた気がして、ラナは少しだけいたたまれない気分になった。
一方、つっけんどんな同行者の隙を見たアーニアは、一瞬不思議そうな顔でラナを見つめ、
「お待たせしました」
「へぇー…… ふぅん」
出てきた品物に新鮮な反応を見せると、今度はほんの少し微笑んだ。
ヴェチェルとは、帝国の喫茶店では定番のカクテルらしく、紅茶に麦酒を少し混ぜ、焼いた飴を蓋のように浮かべたものだ。
名前は夕方の意味らしく、見た目は確かに凍った湖面に映える夕日のようにも見える。
遅れて出てきた素朴なクッキーをカップの横に添えると、三角四角一つずつのそれは、泉の隣に木の小屋が建っている情景を形作るようで、何とも風雅な取り合わせだ。
匙で表面の飴を割ってから飲むものだと聞いたが、ラナは何となく崩すのが勿体なくて、しばらく湯気の立つカップを眺めていた。
本当に、物珍しさに夢中になっていたようで、
「……気に入りました?」
「へっ? あぁ、うん」
「よかった」
急に声を掛けられたラナは、咄嗟に素直な返事をしてしまい、また赤くなった。
そして、直後にこれ以上ないほど渋い顔になった。
調子が狂うのだ。
気を許すにはまだまだ付き合いが浅すぎるが、このアーニアという少女は純朴で、皇女という肩書の割に毒気が薄い。
世間知らずなのは間違いないが、王位継承者なる者は普通、一般人よりも多くを学び、多くの人と会話する中で心が擦れていくものだろうと、ラナは思っていた。
しかし、実際にアーニアと会話してみると何故か、そこまで視点の高さに距離を感じない。
人並みに怒ったり、機嫌を悪くするのはわかるが、笑顔にまで含みや嘘が見えないのは予想外だった。
勧めた品が相手の好みに合うのは嬉しいことだろうが、それにしても、思っていた雰囲気と違う。
変な皇女。それが、数日を共にしたラナが、アーニアに対して抱いた感想だった。
「男の人と、旅をしていたの?」
「……だったらなに」
「いえ、お茶に詳しくないみたいでしたから。いくら旅暮らしだって、何も楽しみがなくちゃやっていけないでしょう? そんな時、都周りの娘はこうしてお茶をしますけど、殿方は酒場に行きますから。まさか子供の時から一人旅ではないでしょうし、一緒なら男の人かなと」
「………」
それでも、アーニアの鋭さは油断がならなかった。
質問はほんの純粋な興味からだろうが、それでも時折見透かしたようにラナの事情を読み、こうして問いかけてくる。
言動に邪気は感じないが、やはり疑問が的確過ぎ、そして半端に配慮が足りない。
ラナに限らず、秘密の多い人間が付き合いの短い者に事情を探られれば、当然何のつもりかと警戒する。
実際、少し気が緩んでいたラナは、質問を聞くなり表情を固くし、
「答える義理、ないから」
「……そう」
返す言葉で、アーニアもまた不機嫌に戻った。
こんな具合で、二人の距離は中々縮まらず、下手に会話をすれば自然と不穏になってしまうのだ。
またしても険悪になる二人は、賑やかな店内では不自然に浮いて、目立つ。
アーニアは、この国では要人の一人だ。人目を集めれば、いずれは騒ぎになりかねない。
「ねぇ、あれ皇女様じゃない?」
「まさか、こんな所に……」
実際、客たちの中にはこんな会話を始める者もちらほらと現れ始め、しかし本人たちは気付いていない。互いが嫌に気になって、心ここにあらずだ。
後ろの席で、少し前から二人の会話をこっそりと聞いていた人物も、このままでは進展がないと悟ったらしい。
毎度、損な役回りのこの人物は、今日も今日とて溜息と共に現れ、世話の焼ける若い主たちに助け舟を出した。
「やぁ、孫たちよ。そんな暗い顔をしてどうしたんじゃね。折角のお茶なんだから、もっとにこにこ楽しんだらどうじゃ、うん?」
「じ、爺や……」
「げ、おじいちゃん、いつからいたの?」
レン爺は、ただの紅茶と思しきカップを片手にふらりと現れ、祖父を装って気楽にアーニアの隣に座って、その肩を抱いた。
女の皇族に男が馴れ馴れしく触れるのはかなり不敬なはずだが、アーニアは特に怒ることもない。
ラナはやはり、主従の距離になにか不自然なものを感じたが、いつの間にか周りが騒がしくなっていることにようやく気付いて、慌てて話を合わせた。
「やぁ……ちょっと話が拗れただけだよ。それよりおじいちゃん、早かったね。ねぇ、お姉ちゃん?」
「そ、そうね。それで、探し物は見つかったの? おじいちゃん」
皇女は一人っ子。根無し草のラナでも知っているほど有名な話だ。無論妹はいない。
そして祖父と言えば先代皇帝だ。これも故人なのでこの場にいる筈がない。
ラナとアーニアはわざと声を高めて互いの間柄を捏造し、聞いていた客たちは素直にそれを信じてくれたようだ。
客たちの関心が離れるのを確認すると、ラナとアーニアは一つ息を吐き、二人でレン爺に視線を向けた。
「にしても早かったね。すんなり調べ終わったの?」
「えぇ、たまたま知り合いがおりましてな。運よく簡単に調査の現場に入れてもらえたのです。一緒に検死にも参加できましてな。長居はできませんでしたが、まぁ、十分でしょう」
言うと、レン爺はぐい、とまだ湯気立つ紅茶を飲み干した。
場所を変えようということらしい。
曰く、ここはただの集合場所であり、密談の類は別の定位置があるようだ。
確かに、これだけ人が多い中で、殺人事件の委細を語るのは場違いだろう。
納得したラナとアーニアは、慌ててヴェチェルを飲み干そうとしたのだが、
「熱っ」
「いっ」
酒が入っているのは身体を温めるため、そして蓋の飴はただの飾りでなく、飲料の保温材も兼ねている。当然、そうそう冷めはしないので、慌てて飲めば火傷だ。
一口で見事に口の中を焼いた二人は揃って舌を出し、それを見たレン爺は面白がって高く笑った。
「慌てなさるな。暇ではないが、時間はあります。折角の茶会なのですから、ゆっくり楽しまれよ。今回はワシが奢りますでな……ラナ殿には借りもありますし、茶菓子のもう一つや二つくらいは、頼んでみても構いません。注文は、お姉ちゃんに聞きなされ、な?」
「え? えぇ、私はいいですけど……」
乗せられたアーニアは、ぎこちなく笑ってラナを見た。
どうやら、観察ついでに資金も持ってきたらしい。レン爺は少し懐を開けると、膨らんだ麻袋を少し見せつけてきた。
借りについては本気で気にしているのだろうが、この老人は自分と皇女の仲をどうにか取り持ちたいらしい。
ラナはその事に朧気ながら気付いていたが、真意についてはわからなかった。
ただ、主人同様に含みの無い柔和な笑顔が、妙に引っ掛かるだけだ。
実力の程を鑑みても、この老人は主人の姫君よりはやり手の筈である。
それがこうも親切に接してきて、高貴な身分の皇女と見知らぬ旅人を結びつけようとするのは、どう考えても不自然だ。
虐げられる立場の師と旅を続けてきたラナは、他者の親切を純粋な好意と受け取るには、それこそ世間擦れしすぎていた。
一応、笑顔は返したが、
「……いいよ。借りは後で倍返ししてくれるんでしょ? それより、さっさと話を進めちゃおう」
ささやかな茶会の延長についてはこうして断った。
左様か、と囁く老人の声も、それを見て俯く皇女の顔も、素直に残念そうなのは少し胸が痛んだが、きっと何かの演技だろうと勝手に見切りを付け、ラナはさっさと席を立った。




