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精霊の使徒たちと放浪のラナ  作者: 霰
第三章 すれ違い
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序章


 アステルフォス帝国は、大陸の列強の中でも最も酒場の数が多いことで知られていた。

 この大陸の北国は基本、造酒が盛んなものだ。

 理由は簡単、酒で身体を温めないと、冬の間は仕事にならない。眠る時も体温を上げておかないと、寒くて夜も眠れない。

 必然、どこでも需要があるので、どこでも作られ、それを売る店もある。植物が希少な帝国では兎角、使えると見れば何でも醸して酒にするのだ。

 当然の如くそれを専門に扱う商人や小料理屋も無数にあり、人気の多少はあれどそうした場所から客が絶えることはない。

 帝都にも町の至る所に酒場があり、仕事終わりの町人や役人が、一日の疲れを酒で癒しに訪れ、店内を賑わせていた。

 身体を温めるのが目的ということで、若者たちにはダンスに興じる者も少なくなかったし、その店でも店の中央にはちょっとした広間が設けられて、明るい店内には陽気な歌と靴の音が響いていたが、そんな中、店の隅で静かに酒を嗜む青年が一人いた。

 軍人かそれに連なる者らしく、杖が入っていると思しき長太い布包みを背負っている。

 歳は二十代前半くらい、若いが上背は高く、無駄なく鍛えられた四肢は、厚手の服の上でも筋肉の隆起が見える。

 顔立ちも端正で、目つきは鋭いが不思議と威圧感の無い、それなりの美青年だ。

 それが宴の場に混じらず、一人で黙々と酒を飲んでいるので、踊っていた娘たちの一部が目をつけ、三人がかりで声を掛けに行ったところだった。


「ねぇ、お兄さん、踊らないの?」


「相手がいないなら私たちと踊らない? ねぇ」


 この国の人間は皆、酒に強い。そのためそれほど泥酔している風でもなかったが、それでも酒を入れて踊っていた娘たちは暑がって薄着になり、赤らんだ肌をわざとらしく晒して、どこか思わせぶりな態度で青年を誘う。

 この店はそんな娘たちの姿を目当てとする男も多く、男女の出会いの場でもあった。

 他の若い男たちは、艶やかな娘の姿に鼻の下を伸ばしたり、彼女らの誘いを受ける青年にほんのりと嫉妬の視線を向けたりしていたが、甘い誘いを受ける本人はしかし、グラスから微かに顔を上げ、そっけなく答えただけだった。


「人を待っているだけなんだ。そんなに長居はしないから、気にしないでくれ」


「えー、じゃあ踊って待てばいいじゃない。お相手するわよ」


 青年は控えめに断ったが、この程度で娘たちは折れない。

 一人が動く気配のない青年の腕を胸元に抱え込み、もう一人が反対側から身体で肩を押して、強引に広間に連れ込もうとする。

 年頃の男ならそのまま押し切られてしまいそうな勧誘だったが、青年はびくともせず、肩を竦めて溜息を吐き、


「……妻がいるんだ。すまないけど、勘弁してほしい」


そう言って、左手を見せた。

薬指には、確かに指輪が嵌まっており、飾り気なく堅実そうな青年にささやかな華を添えている。

気の強い娘たちも流石に既婚者を相手にする気にはなれなかったのか、


「えー、残念……」


「しょうがないわよ、見た感じ軍人さんみたいだし」


「いいなぁ、行き遅れとは無縁そうでさぁ。私も付き合うならさぁ……」


 と、青年からあっさりと関心を失い、世間話をしながら広間に戻っていった。

 既婚者と聞いた周りの男たちは羨望の眼差しを青年に向けたが、本人は辟易した顔で、透明な酒に再び口を付けるだけだ。

 周りからは恵まれた境遇に見えるにもかかわらず、気取った様子もない彼は人によっては忌々しく見えるようで、


「なんだ、あいつ。すかしやがって」


「気にするんじゃない。物言わんやつは見た目だけは大物に見えるのさ」


 少しの陰口を最後に、客たちは青年を気味悪がり、やがては本当に気にしなくなった。

 そうなるのを伺っていたのだろう。

 人々の目が青年から離れ、代わりにダンスに集中し始めると、青年に男が一人近づき、自分のグラスを彼と同じ小卓に乗せた。


「人気だな。一曲くらいなら待ったんだぞ?」


「冗談言わないで下さいよ。どうしてもこの店じゃなきゃ駄目だったんですか」


「はは、じゃあ他の店にもウチのヤシ酒を宣伝してくれよ。ガルズさんも喜ぶぞ、秘密基地も増えるしな」


 現れた男はシャプカを目深に被り、顔が伺いにくい陰気な雰囲気だが、見た目に似合わず気さくな軽口を叩く。

 よく見ると、帽子からはみ出た肌は浅黒い。

 『有神人種』でも日焼けした者はいるので、ここまでなら何のことはないのだが、男は青年を前に少しだけ帽子を上げ、その下の金の瞳を微かに見せてくれた。

 つまりは、異人だ。

 この大陸で、異人は即ち奴隷であり、収入はない。必然、金がないので店で飲食などできよう筈もないのだが、その上でこうして酒を片手に現れるのは、つまり特別な身分の証だ。

 『有神人種』の領域で、彼らが隠していた異人の形質を晒すのは、仲間を前にしたときだけである。

 青年は目の前の男が顔見知りだと改めて確認すると、懐から手紙と思しき紙包みを取り出し、男のグラスの前に置いた。


「これ、先生に。細かい所は書いておいたけど、帝城はおよそ想定通りの状況だと、伝えてください」


「すると、あれか。やっぱりアレの残党が悪さをしてるわけだな。裏に奴は」


「わかりません。残党が暴走したのか、それともあの人が直接手引きしたのか……ただ、あの人は俺と同じで教会に追われてますから、あまり国の目立つ立場にいられるとは」


 男はうーんと唸ると、ひとまず手紙を懐に入れた。

 お互いに、あれ、奴など、曖昧な言葉を繰り返すのは、これが秘密の話だからだ。

 彼らが知る固有名詞は、ほとんど他人に聞かれたくないものばかりだった。

 彼ら自身の組織の名前などは勿論である。

 そのため、客に混じって聞き耳を立てている者たちも、二人が何の話をしているのかは掴むことができない。

 青年も男も、いくつか不穏な視線が自分たちに注がれている事には気付いている。

 だからこそそうしてしばらく、二人は互いにしか通じない言葉で情報を交換していた。

 だが勿論、そんなわかりにくい会話は、やがては聞き咎めた無関係の者まで怪しむものだ。

 なので青年は、最初の言の通り手短に話を纏めると、男に帰るように促した。

 その背に一言、言い残して。


「道順は手筈通りに。後ろは預かります」


「あぁ、俺もしっかり働くさ。お前さんも、気を付けなよ。話した通り、お前目当てのくせ者もいるみたいだからな」


「……はい」


 密談の中で、二人の会話には一人の少女の話題が上がっていた。

 町では語られることはないが、帝城の中では有名な話である。

 賢者と思しき何者かが、しきりと誰かの行方を探して国中を彷徨っている、と。

 青年は何となく背中の布包みに手を掛け、周りの人間に見えないように、少しだけ中を検めた。

 手に馴染んだ、木材のものではない、硬い手触り。

 傭兵となる前から長年付き合い続け、戦いを重ねるうちに青年自身の代名詞となった得物。

 これを人前に晒すことは、つまり自分の身元を明かすことでもある。

 そして、それが不本意な形であったなら、そのまま相手を闇に消し去らねばならない。


「………」


 自分を探しているという、謎の少女。

 それが誰なのか、青年には全く見当もつかない。

 だが、提示された条件は、あまりに的確に青年個人を指していた。ならば相手が青年を知っていることはわかる。

 きっと、彼女もまた自分たちの同胞なのだろう。

 『精霊の使徒』。

 その名を持つ者は、全員が仲間というわけではない。

 かつて、青年は使徒の間の内輪揉め、否内戦に巻き込まれ、長である師と共に相手方の頭目と戦った。

 今帝都に渦巻く陰謀が、その時の遺恨の続きであるというなら、その少女もまた無関係ではないのだろう。

 まだ名も知らない彼女が、敵として立ちはだかるなら、自分は手ずから打ち倒し、過去の清算をしなければならない。

 その時はきっと、そう遠くないのだろう、と。

 青年はやがて重い溜息を吐くと、武器を布包みにしまい直し、黙って見つめていた男と再び視線を交わした。


「……その得物、扱いは気を付けろよ。目立つからな」


「わかっています……そろそろ」


「あぁ、行くよ。頼んだぞ」


 男は低く返事をして、言われた通り店を出た。

 すると少し遅れて、数名の客が店を出る。

 青年はそれを見届けると、布包みを左手に持って、自分も続いた。

 その背に、誰も気づきようもないほど微かな、練達の殺気を滾らせて。


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