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「あっ…………」
そんな風馬の心情をよそにぴょんと抱いていた兎が跳ねて逃げ出す。
『みんなのところにあんないしてあげる!』
ついてきてと言い、また草むらに入ってひょこりと顔を出してこちらを見てくる。
「……………なんだか誘われているみたいだな」
紀陽は呟くように言ってくる。
そうか、この兎の声も自分自身しか聞こえていないのか。
二人は兎の後を追うように森の中を歩く。
森の中は人が歩けるような道が出来ており、歩きやすいように石や落ちた枝などは端に置いてある。
「……………ここも私の神域なの?」
「ああ、そうだ。神域は本人の意思で自由自在にできる。今は力の使い方が出来ていないから広いままだな」
そのうち、慣れる練習をしないといけないなと頭を撫でられた。
『風馬だ!元気になったのかな?』
『本当だ。風馬だ』
『おかえり!!風馬!!』
『わわっ、風馬だ!風馬がいる!!』
『小さな女の子だぁ』
『可愛い女の子!!』
『お帰りなさい、風馬』
樹木にとまる小鳥たちの声が聞こえてくる。
小鳥たちだけじゃない、他の動物たちも集まってきて茂みの中からこちらの様子を窺っている。
兎はそのままぴょんぴょんと跳ねて進んでいく。
「やはり多いな」
「……………うん」
きゅっと紀陽の手を握って進んでいくと広い場所に出た。
「……………わぁ」
そこには大樹があった。
「これは立派だな」
「すごい」
感嘆の声が上がる。
近付いていくとその大きさを目の当たりにする。
鮮やかな緑の葉、生命を感じる太い幹。
「……………これも私の力?」
不意に紀陽を見上げると、彼はふっと微笑しながら頷く。
「ああ、でもここまで大きいのは”鋼狼”の神域にあるモノぐらいだな」
そんな彼も感嘆そうに大樹を見つめていた。
『風馬、おかえりなさい』
「!」
何処からか声が聞こえてくる。
声がする方を見ると案内していた兎が止まった。
『おささま!!風馬と炎龍をあんないしてきました!』
『ありがとう。白兎』
そこには一匹の白いモノが立っていた。
鹿のような姿形をしているのに、真っ白な毛に覆われて、角は長く枝のように伸びていて蔓が伝っている。
「……………ここにいる生き物たちの長か?」
「ええ、そうです。炎龍よ」
女性のような男性のような中世的な声が響き渡る。
のそりのそりとこちらに歩みを進めてくる。
「ああ、風馬。初めまして、そしておかえりなさい」
とても優しい温かい声とともに首を垂れるモノにどうしたらわからないか困惑してしまった。
炎龍を見上げると、未影を落ち着かせるように頭を撫でる。
「ごく稀に十二神獣の補佐をするモノが生まれると聞いたことがある。それを“長”と呼ぶんだ。長は神域の維持を担ったりする。お前を害することは無い」
そう説明をされたが、やはり分からない。
「風馬が誕生してやっと出会えましたね」
『ああ、良かった。私のことも怖がってしまったらどうしようかと思いました』
ひどく安心したような声音が聞こえてくる。
「ここにいるモノたちにも直ぐに会わないようにしていたのはお前か?」
「はい。風馬が他の十二神獣から怯えて逃げたと報告があったので落ち着いてからお会いしようと思っていました」
あの時のことを見ていたのか。
「炎龍と共にであれば大丈夫だと判断をし、今に至りました」
「成程。だが、なぜ今なんだ?」
不安定な状態の未影に会うことを普通は避けるはずだ。
急いで会わないといけない理由があったのか?
「…………私の口ではお話はできません。ただ、風馬に今、会わないといけないと判断しました」
『ああ、魂の“傷”が深いようだ。どうして、私はいつも無力なのでしょう』
……………“傷”?どういうことだろう。何の痛みもないのに。
首を傾げていると長はじっと未影の方を見つめてから炎龍の方に視線を向けて、こう言った。
「もうすぐでわかるでしょう。だから炎龍よ。どうか、どうか、呼び続けてください」
風馬のことをよろしく頼みますと頭を下げてきた。
それはまるで母親のようだ。
子を守りたいのにどうしようも出来なくて、他者に助けを乞う。
理由も話せないもどかしさも入り混じっているのだろう、声が少し震えていた。
隣にいた白兎も首を垂れている。
どうやら、神域にいるモノは長が言っている意味を理解しているのだろう。
「――――ああ、分かった」
問い関しての最善の返答をした。
「ありがとうございます。それを聞けて安心しました」
二人の会話をじっと見ていた未影だったが、ぐらりと視界が突然歪んだ。
意識もぼんやりとし、眠気が襲ってきた。
「未影?」
無意識であろう未影は隣にいる紀陽の手をぎゅっと握り、目をこすっていた。
「眠いのか?」
彼女の様子を窺うように聞くとこくりと頷かれる。
「…………ふふっ、どうやら疲れたようですね」
「そのようだ。すまないが、これで失礼する」
ひょいと手慣れたように未影を抱き上げた紀陽は長に一礼をし、元居た場所へ戻っていく。
そんな様子もじっと見つめていた長であったが、ひょこりと未影が顔を出してひらひらと手を振ってくるのを見て、目を丸くした。
そして、目尻に涙をにじませて頭を下げる。
「……………どうか、どうか」
まるで祈るように呟く。
「愛しいあの子をお守りください」