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永遠の命

作者: magnet


「彼はどうやら白血病のようです」


 この事件の発端はある少年の身に起こった大きな不幸が原因だった。


「な、なんですって?」


「落ち着いて聞いて下さい。非常に申し上げにくいのですが、◯◯君は白血病に罹ってしまったようです」


「……っ! 白血病……そ、それで◯◯は、◯◯は治るんですか!?」


「お母様、お気持ちは分かりますが、落ち着いて下さい。彼の病気は白血病の中でも急性骨髄白血病と呼ばれるものだと思われます。この病気は未だ完全治療ができておらず、今までの事例を見ても成功例は六、七割程度なのです」


「六、七割、ですか? じゃ、じゃあ、その確率で〇〇は死んじゃうって事ですか!?」


「お母様、一旦、一旦落ち着いて下さい。あくまで可能性の話です。絶対に死ぬわけではありません。むしろ成功確率の方が高いのです。そして、その為にはお母様を含む保護者の方々の協力が必要不可欠なのです。我々、病院も全力で治療する体制を整えますので、どうか一緒に一丸となって〇〇君をサポートしましょう」


「わ、分かりました。〇〇は助かるかもしれないんですね。〇〇は助かるんですよね? 息子の命をどうか、どうかよろしく頼みます……」


「はい、必ずや息子さんの命を救いましょう。そこで具体的な治療方法の説明に入るのですが、この白血病というのは簡単にいうと血液の癌です。その為、抗癌剤を投与しつつ、失われた血液の機能は輸血によって、補っていく、というものです」


「輸血……ですか?」


「はい、アレルギーや感染症の可能性もありますが、我々は非常に高水準の検査を行なっています。それに、輸血の回数も最小限に抑える為、それらのリスクは限りなく低いのです。安心して下さい」


「そ、そうですか。わ、分かりました。一度主人に話してきます」


「息子さんの命に関わります。なるべく早期のご決断をお願いします」


 治療法を聞いた患者の母親はどこか虚な表情になり、輸血の説明もまるで耳に入っていないようで、足早に病院を後にした。


❇︎


「あなた、〇〇、白血病ですって。しかも、治療には輸血が必要って……」


 母親は家に帰ると、仕事のため同席する事のできなかった夫に対し、涙ぐみながら息子の状況について説明した。


 しかし、夫の反応は予想外のものであった。


「白血病? 輸血? 何を言っているのか分かっているのか? そんなことをしていいわけがないだろう。そんなことをしなくても必ず治療することはできるはずだ!」


「あなたっ! そんなこと言わないで! でなければ〇〇は死ぬのよ!? 死んじゃうのよ?」


「ふっ、何を言っている。それはそれで神の思し召しだろう。私たちよりも先に永遠の命を手に入れるだけのことだ。永遠の命と、この限りある生どちらが大事だというのだ? いつかどうせ人は皆死ぬのだ。だからこそ尊く生き、尊く死に、神から永遠の命を授かることこそが最も素晴らしいことなのだ」


「あなた……」


 彼らの家庭の中心には、永遠の命と神が存在し、その神は他人の穢れた血を入れることを許さなかった。


❇︎


「はっ、はい? 治療を認めない!? お言葉ですがお母様、その言葉の意味を理解しているのですか? 彼の、〇〇君の、貴方の息子さんの命を見殺しにするということですよ? 確かに絶対とは言い切れませんが、治療をしなければ救えるものも救えないんですよ!?」


 治療を受けないことを選択した、患者の母親に対して、医者は語気を強めてそう言った。彼の常識の中では治療を拒む、ということは万が一にもあり得なかったのだ。


「はい、もちろん分かっております。しかし、私たちの教えの中では輸血は禁じられているのです。この世の限られた生に執着するのではなく、〇〇は永遠の命を手にするのです」


「永遠の命……な、何を言っているんですか! 別に私は貴方たちの宗教観念についてとやかくいう気はありませんよ! ただ、ただ、その永遠の命とやらもこの世の生があってのものでしょう! そんな、そんな、子供を見殺しにした人が永遠の命を手に入れられるものですか!」


 医者は激昂した。彼は人一倍正義感が強く、どんな患者の命ですら等しく救う為に全力で立ち向かうような人だ。そんな彼の前に立ちはだかった壁はまさかの両親からの治療拒否だった。


❇︎


「クソッ! なんだよ永遠の命って! 今の生をちゃんと全うしないで何が永遠の命だっ!」


 結局、話は平行線のまま一向に進展がなくその日が終わってしまった医者は部屋で一人、臍を噛んでいた。


「こうなったら、直接、彼の意見を聞こう。誰だって死にたくはないはずだ。彼の口から直接言ってくれればもしかしたら変わってくれるかも、いや変わってくれるはずだ。必ず、変えてみせる」


 彼は一人決意を胸に病室へと歩みを進めた。


❇︎


 ガラガラガラッ


「やあ、〇〇君。調子はどうだい?」


「あ、先生。んふふっ、そんな深刻そうな顔をして何かあったの?」


 医者が向かった先は患者の病室だった。患者の彼は十五歳のスポーツが大好きなどこにでもいる、ごく普通の少年だった。ただある一つの点を除いて。


「そんな、僕の調子が良くないことなんて先生が一番分かってるでしょ。なんでそんなことを聞くの? それより、僕は一体あとどれくらいもつんだい?」


 彼はどこか寂しそうな影を表情に浮かべながらも、努めて明るく、そんな言葉を医者に投げかけた。


「……っ!?」


 彼に対する治療は輸血が行うことができないため、それ以外の抗癌剤等の薬物による治療が進められていた。しかし、それではもう限界が見えてきていることは誰が見ても明らかだった。


「ふふっ、君は本当に賢い子だね。ここで取り繕うのもやめにしよう。正直な話、君はもう長くない。恐らく一週間ももつかは怪しいだろう」


「一週間も持たないのか。やっぱり、もうそろそろなんだね……」


 その時、差し込んだ日光によって医者は、彼の表情を見ることができなかった。その、今にも泣き出しそうな、死に直面している少年の顔を。


「でもね、まだ諦めるのは早いよ。助かる可能性はまだある。君が望めばいつでも治療をできる用意は整っているんだ。輸血を今すぐ始めないと……」


「ふふっ、人間はどうせいつかは死ぬんだよ? 僕も先生も、いつかは死ぬ。それが早いか遅いかの差でしかないんだよ? そんな命なんて僕はいらないんだ。尊くて、綺麗で、美しい、永遠の命が僕は欲しいんだ」


「なっ……!?」


 永遠の命。少年を説得すれば、という医者の甘い考えはまたしてもそれによって阻まれたのであった。


「〇〇君、落ち着いて聞くんだよ? 君は輸血をすれば確実にもっと長く生きられるし、完治する可能性もある。確かに永遠の命も素晴らしいかもしれない。でも、もっとこの世の中を生きてからでも遅くはないんじゃないか?」


「ダメだよ先生。それじゃあ意味がない。尊く生きることに価値があるんだよ。ただ生きることになんて価値はない。僕が生きる為に僕を殺さないといけないのなら、僕は喜んで死を受け入れるよ」


 少年の意思は固かった。


❇︎


「なんでだ、なんでだよ。十五の彼があんな考えをするはずがない! 絶対に両親に洗脳されているし、親に怒られるのが怖いだけだ、そうじゃなくても気を遣っているのかもしれない。いずれにせよ、彼の本心を引き出さないと!」


 医者は何度も何度も足繁く病室に通い、信頼を得ようとした。そして、遂にこの質問をした。


「君はご両親に気兼ねしているだけじゃないのかい?」


 その言葉で病室は静まり返った。彼は返事をするまでに長いような短いような幾ばくかの間を開けてから、こう答えた。


「僕は僕自身の考えと信念に基づいて選択しているだけだよ」


 それを聞いた医者は何も言葉を発することができなかった。


❇︎


「くっ……彼の本心は一体なんなんだ? 本当に彼が、十五の少年が死を望んでいるというのか?」


 今まで多くの患者の命を救ってきた医者の中に、治療をしないという選択肢はなかった。しかし、医者にはただただ無力感が押し寄せてくるだけだった。


「こうなったら、こうなったらもう最終手段に出るしかない」


 医者の目はまだ死んでいなかった。


❇︎


「あなた、もう〇〇は長くはないのよ?」


「それがどうしたというだ。まさか変な気を起こしてはないだろうな。それは〇〇にとっても良いことはない。ここは気持ちを抑えるんだ」


「えぇ、分かっているわ、分かっているの。ただどうしても気持ちの整理がつかないの。ごめんなさい、ごめんなさい、私がこんなのではダメよね」


 母親は夫の前でひさしく見せたことがない、大粒の涙を煌めかせていた。それを夫は叱るような非難するような、それでいて慈愛で溢れるような目で見つめていた。


❇︎


「もう、こうなったら裁判をするしかない。訴えれば必ず裁判所は分かってくれるはずだ」


 一人でも多くの患者を救いたいという気持ちを持つ医者は裁判所に訴えようとしていた。彼は諦めるということを知らなかった。


❇︎


 裁判所の判決が下された。それは治療拒否を認めないというものだった。例え、裁判官と言えども子供には死んで欲しくはないのだろうか。


 裁判所の判決理由は「少年はこれからの人生における苦痛と苦悩、恐怖について理解しておらず、それと同様に家族が苦しむ姿を見ることによる感情の変化について理解していない」「自分の死に様やその後の周囲の人々への影響まで考えが至っていない」というものだった。


 これは、十五の少年だけに限らず、大人ができることなのであろうか。そんな疑問は無視され、平然と強制的に少年への治療は進められていった。


 そして、死際にいた少年の命を救い出すことができたのだ。


❇︎


 これでこの話は終わりではない。三年後、少年の彼が十八になり、自己決定権を持ったことにより、事態が再び動き始めた。


 そう、彼は治療の拒否権を行使したのだ。


 そして間もなく彼は永遠の命を手にして天国へと旅立ったのだ。


❇︎


 彼は永遠の命を手に入れたかったのか、それとも両親を蔑ろにしたくなかったのかその真実はもう分からない。


 ただ、彼を三年間生き永らえさせてしまった医者は当分の間仕事ができなかったという。


 医者の判断は、裁判所の判断は正しかったのだろうか。


 そして、彼の本心は一体どこにあったのだろうか。


 死んでいるはずの三年間、彼は何を思っていたのだろうか。

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