Chapter12
第十二章
薄暗い部屋で秘密の会談のように行われたトミーの話はだいたい以下のようなものだった。トンネルを発見した当局はすぐさまお屋敷を接収してしまった。当局が伝えたその理由は「以前パリィ博士が住んでいたお屋敷を少々調査する必要があるから」だった。本条家全員が当局の命令によって角の空き家に移された時、トミーはついにトンネルが見つかってしまったなと思った。
トミーはすぐに友梨が月の台に残ったままだということに気付いたが、お屋敷は当局によって厳重に警備されていて一歩も入れなかった。トミーはどうやってトンネルの場所を知られたか見当もつかないと言ったので、はやと、さやか、船戸くんが友梨や涼子の一件を説明した。トミーは原因が友梨にあったと知ってひどく驚いていたが、とにかく話を進めることを急いだ。
トンネルが奪われて数日後、当局はついに例の盗まれた文書❘街を解放する方法を示した文書❘を取り戻したと発表し、そこに書かれていたのは過去と空間接続する方法だったと告げ知らせた。そして、確かにそれに成功したことを証明するために過去から略奪を繰り返し、最も当局を強大化させる使い方をした。奪ったもので街の人々の心を動かし始めたのだった。多くの優秀なディメンションセンターの研究員が宝石やら珍味やら(それは隔離されたパリティ・シティの資源循環では決して得られないものだった)を提供されて当局に接近した。またある人々はいよいよ過去へ「乗り込んでいく」時には領土や側近としての待遇を与えると約束されてなびいてしまった。エネルギー研究所の所長をしているトミーの父さんも最近そういう誘惑を受けているようで、一度は断ったものの、当局から「断ればどんなことになるか」を仄めかされ、難しい立場になっているということだった。こうしたことによって思いのままになる味方を増やした当局の次の任務は、唯一の敵であるクランとその味方による「革命」を阻止することだった。当局は街の人々にクランの味方を見つけて引き渡した場合は多額の報奨金を与えると通告した。また、クランの味方であっても当局の側へ身をひるがえせばその罪を問わないどころか、場合によっては側近としての地位を与えるとした。クランたちの活動は水面下で行われ、これまで一切表には出ていなかったのでどのくらいの味方がおり、どのくらいが裏切って当局についてしまったのかはトミーにも分からなかった。「おそらく相当数が離反したことだろう」パリィ博士が言った。「・・クランの味方のうち、クランほど高い理想を持っていたものは多くはないだろう。それにクランは独り身だが、味方には家族のある人たちも多いはず。これ以上当局に反旗を翻していると身内に危険が及びかねないと思ってやむなく離れたものがあったとしても不思議はない」「きっとクランの味方はあまり残らなかったと思うんです。ここからは曖昧な点も多いのですが・・・」トミーはいよいよ、いかにして「闇のパリティ・シティ」がやって来たかを説明し始めた。五日前のことだった。ディメンションセンターに出勤していたトミーの父さんが昼ごろ帰ってきて、センターが大変なことになっている、仕事どころではないと言う。どうやらディメンションセンターで激しい戦いが始まったらしい。話によると、これまで一度も姿を現していなかったクランがついにディメンションセンターに現れたらしかった。クランと数少ない味方たちが、改造した大型の熱電子放出器で武装し、当局を追って最後の戦いを挑んだと言う。
「クランがそんな無謀なことを?相当追いつめられていたな」博士が驚いて口を挟んだ。
「センターで指揮を執っているKたちは厳重に守られていましたし反撃も凄まじいものでした。劣勢に陥ったクランたちはその後センターに立てこもってしまったようなんです」トミーの父さんの話によると、それから三日間センターの内部で激しい戦いがあった。当局はたくさんの武器を備えており、対してクランも味方こそ少ないものの、ディメンションセンターを知り尽くしており、武器となるあらゆるものをかき集めたり、いくつかの部屋を崩壊させてゆく手を阻んだり閉じ込めたりして応戦した。「それで略奪が停止していたんだ。当局はその戦いに手いっぱいで」はやとが言った。
「戦いはどちらが優勢かも分からず、センターは閉鎖されたまま、五日前のことでした・・・」トミーはその日、久し振りに学校へ行ったが校内へ入った途端、急に視界が陰り、みるみる間にあたりがうす暗くなり始めた。何か異変が起こったと思い、トミーは大急ぎで家まで引き返した。その間にもどんどんあたりは暗くなり、家に着く頃には真っ暗になってしまった。いつもの夜なら白色の星が輝くところだが空は文字通り真っ黒だった。混乱した人々があちこちで「世界が滅びるぞ」と叫んでいた。「ディメンションセンター地下のエネルギー系統が破壊されたんだね」パリィ博士が言った。「当局はその日のうちにそう発表しました。クランの一団は壊滅したが戦いの途中少しエネルギー系統が軽い故障を起こしたって」「クランはやられてしまったの?」さやかが壊滅という言葉を聞くなり叫んだ。「本当のところは分からない・・でも、少なくとも当局の側はそう言ったんだ。とにかく当局はすぐにエネルギー系統の故障を直すと言ったけどもう街中大混乱だよ。クランが街の寿命を発表してからというもの街の人たちはみんな心のうちで街が滅びることを恐れてたんだ。突然世界が真っ暗になり、気温はどんどん下がるし、僕だって今こうしているけど・・・」トミーの顔にありありと恐怖が浮かんだ。「大丈夫、エネルギー系統は何とかなるよ。私とクランで作ったんだ。直さないわけにはいかないだろ?街を滅びさせはしない」パリィ博士が優しく言った。「トンネルが開いたことなんだけどあれは一体なんだったの?」トミーが聞き、はやとは例の飛行物体について話したがそれが何かは分からないと言った。トミーはみんなと再会する直前、急にお屋敷の方で大音響がしたので見に行ったところ、お屋敷を警備していた人たちが一斉に逃げて行くところだったと言う。トンネルに何かあったのかもしれないと思って庭に入ってみたら東屋は壊れていたものの、トンネルが開いていることを知ってすぐ月の台に行ったのだった。
「五日ぶりに日の光を見た時は夢かと思ったよ・・」トミーが言った。「私、思ってたんだけどあの飛行物体はクランが送ったものじゃないかしら。きっと私たちの助けが必要なんだわ」さやかが言った。はやとはクランが救援を求めているのかは分からなかったが、あれがクランの手によるものだという確信はあった。
不意にパリィ博士が立ち上がった。「私はディメンションセンターに行ってくる」パリィ博士がきっぱりと言った。すぐにみんな立ち上がった。その時、玄関からトミーの両親が入ってきた。大量の荷物を持っている。二人は友梨が帰っているのを見ると荷物を放り出して駆け寄った。缶詰や水のボトルがばらばらと散らばった。非常時に備えて食料を調達してきたのだろう。パリィ博士がはやと、さやか、船戸くんの三人を部屋の隅に呼んだ。「きみたちもよかったら一緒に来てほしい。今の街は危険だけどきみたちの力が必要になるかもしれない」博士が真剣な眼差しで言った。はやとはその言葉が意外だったが、それほど信頼されているのだということをひしひしと感じた。「僕も行かせて下さい」トミーがこちらの会話を聞きつけて言ったが、その途端、両親が揃ってあそこは危ないからと猛反対し始めた。「ありがとう、でもご両親の言葉を聞いてくれ。そして久しぶりの解放団の任務が上手く行くようにと祈ってくれ」トミーは解放団の任務と聞いて目を輝かせた。そしてどうしても行くと言い張ったが両親に両手を掴まれて一歩も動けなかった。博士はトミーの父さんにヘリを貸してくれるように頼んだ。はやと、さやか、船戸くん、そしてパリィ博士は残っている人たちに軽くあいさつすると、狭い駐車場に停められたヘリにいそいそと乗り込み、昼なのに真っ暗な空へ飛び立った。
五号区の駅からワームホールを使うと一瞬でディメンションセンターまで到達できるのにヘリで行くと一五分もかかった。その間、どうやってトンネルを破ったんだろうという話になった。
「生体認証を物理的に破壊したんだ」博士が言った。
「そんなことができるの?」とさやかが冷え切ったヘリの中で震えながら言った。トミーたちが上着を貸してくれたものの、厚手のコートのようなものはなかったのではやとも寒気がした。
「東屋が壊れているのを見ただろう。高エネルギーを使って生体認証ごと破壊したんだ。クランなら出来ることだ。きっとディメンションセンターでの戦いの後、地下のエネルギー貯蔵庫からありったけのエネルギーを凝集させて持ち出したんだよ。きみたちが見たという物体のノズルから出ていたガスがそれだ」
「あの物体なんですが空高く飛び去ってしまいました・・・。あれはトンネルを破るためだけの機械だったんでしょうか?」はやとはあの飛行物体は何か他の目的があるように思った。するとさやかが答えた。
「さっきも言ったようにクランが助けを求めているんだわ。私たちが気付いてここに来るようにしたんだわ」
「でもそれにしては大掛かりだったな。僕にはむしろロケットかミサイルのように見えたけど」はやとが言った。
「まさにそこなんだよ。私もずっと考えていたんだ」そして博士が驚くことを言った。
「クランは救援を求めたのではない。あれにはきっとクラン自身が乗っていたんだ」博士は三人によりもむしろ自分に向かって、納得させるかのように言った。
「・・もう彼に会うこともないだろう」はやとは博士の声に初めて諦めの響きを感じて胸が締め付けられた。博士はそれきり口をつぐんでしまった。ディメンションセンターの上空に到達した。地上には何百もの人たちが集まっている。人々の持った松明の火が無数にゆらゆらと動いており、何やら叫んでいるのがヘリの中まで響いてきた。
センターの中心あたりに接近すると、小さなクレーターのように地面がえぐられたところが見え、その中に倒壊したビルや墜落したヘリが折り重なっていた。そこには人はあまりおらず、松明もまばらだった。
「あそこが戦いのあった場所だな」船戸くんが言った。
博士はクレーターからは離れ、群集の中で島のように点在している建物の一つを選んで屋上にヘリを着陸させた。
外へ出た途端、猛烈な怒号が聞こえてきた。
一同は屋上からあたりを見渡した。無数の人々が松明を掲げ、あらゆる建物の扉や窓から中に侵入している。はやとは怒号に混じって「過去へ行かせろ」という言葉を聞き取った。
「下へ降りてみよう、気を付けて」博士が短く言って建物のなかへ入る扉を開けた。
階段に向かって廊下を進むと、どの部屋も扉が開け放され、椅子や机がひっくり返され、本や書類が燃えている部屋もあった。
「みんなKの一味を探しているんだ。過去へ行く扉を求めてね」博士が言った。みんなは窓から入ってくる微かな松明の明かりを頼りに、大理石の螺旋階段に散乱したガラスをよけながら一階まで降り、外の広場に出た。
そこにはありとあらゆる人々が押し寄せていた。地面にうずくまっているもの、天に向けて祈りを唱えているもの、絶望して壁に手をついたまま身動きしないもの、ひたすら暴れているものなど、まさに混沌たる広場だった。
「本当に今すぐ世界が滅びるってことはないよね」さやかは一人の老人が「我々は見殺しにされるのか」と絶望的な叫び声をあげながら通りかかるのを目で追いながら心配そうに尋ねた。
「人工照明が停止すると街はゆっくりと冷えていく。すでに五日間で気温は二〇度から五度くらいまで下がった。一〇日後にはマイナス二五度だ。人工照明が点かない限り、他に熱を供給するところがないから行き着くところは絶対零度だ」博士が言った。
「約九三日後ですね」船戸くんが一切の感情を含まずに言った。
「そんなに大切な機能が停止するなんて・・・」さやかが声を詰まらせた。
「街の存続に重要なシステムは全部地下数キロの深さに埋められてるんだ。さっきのクレーターから推定できるような戦い程度で傷つくはずはない。余程地下を知り尽くしたものが意図的に破壊しない限りは」博士が言った。
「じゃあエネルギー系統は・・・」
「そう、エネルギー系統は故意に破壊されたんだ。おそらくクランが地下深くに潜ってね」
「でもなぜ・・・」さやかが信じられないというように尋ねた。
「クランにはきっともうこの街がどうでもよくなったんだよ。でも今はあまり話している暇はない。我々も先へ急ごう」はやととさやかは困惑して顔を見合わせた。
その時、一人の学生がこちらに走ってきた。服は砂だらけで手にした松明は燃え尽きていた。
「おい、船戸じゃないか。クランの弟子として何か知らないのか?過去への扉のありそうな場所とか、当局の隠れているところとか・・何でもいい」その学生は切羽づまったように早口で言った。「船戸」という言葉を聞いて、大勢の学生たちがはやとたちに駆け寄ってきて囲んでしまった。
「それは分からないけど確かなことがある。寒ささえ防げれば最低でも一〇日は大丈夫だ。冷静に防寒対策をしよう」船戸くんは天気予報でも読み上げるかのように話した。すると学生の一人が船戸くんの襟首をつかんで言った。
「防寒対策だって?今すぐにも世界が滅びるとは思わないのか?クランと当局との戦いを見なかったのか?まさか五日間ぬくぬくと家にいたんじゃないだろうな。もうこの世界の中枢がやられてしまったんだ。一万の人の生きるか死ぬかの問題だぞ、すぐに来て手伝うんだ」
その言葉で号令がかかったかのように数人が船戸くんの細い腕に掴み掛り、広場の奥へと連れ去ってしまった。はやとがそちらへ走ろうとするのをパリィ博士が止めた。
「船戸くんは大丈夫だ。賢明なやり方で学生たちを導いてくれるだろう。彼らは五日間も何とか助かろうと必死だったんだ。わずかな希望でも無駄にするわけにはいかない」
三人は博士を先頭に、混雑した広場を通り抜け、クレーターの周囲をぐるりと回ってディメンションセンターのはずれまで来た。そこでも一つの円柱形の建物を人々が取り巻いていていた。屈強な男たちが壊れた建物からとってきた鉄骨や机の脚、ちぎれたパイプなどで武装している。建物の扉ががんがんと叩かれているのが聞こえてきた。
「まだあの中に当局の一味がいるんじゃないかな」はやとが言った。
「人々の圧力に折れてトンネルを解放しないかしら?」さやかが尋ねた。すると博士がかぶりを振って言った。
「それだけはしないだろう。奴らの最大の目的は街の人々を味方につけて過去を支配する事なんだ。人々が大挙して過去に押し寄せたら当局は行き場がなくなる。過去で姿を現せば真っ先に略奪を弾劾されるし、ここに残ればじきにエネルギーが尽きてしまう。賭けてもいいが彼らにエネルギー系統を復活させることはとてもできまい。いざという時にはきっと人々を見捨てて側近だけで過去へ逃亡するだろう」
「何とかして当局を一気に倒せないかしら。トンネルを開けさせることさえ出来ればみんなが逃げられる・・今ならここで当局に対抗している人たちの協力も得られそうだし」さやかが考えながら言った。「当局はあらゆる力をトンネルの防御にそそぐだろうよ。確かにここにいる人たちみんなが一致すれば倒せるかもしれない。でもいったいどれだけの被害が出るだろうか。それにこのまま全員を過去へ逃がしても今まで通り当局側との憎み合いが続くだろう。既に街全体が二分されてしまったんだ。いいかい、必要なのは当局に味方しているものたちを倒すことではない、その心を変えさせることだ。特に当局に唆されて味方についた人たちの心を」「でもこんな緊急時にそんな事が出来るでしょうか?」はやとが聞いた。「出来ないかもしれない。だがやってみる価値はある。危険を伴うがきみたちの協力で可能かもしれない」博士の声は熱を帯びてきた。
「でもどうやって?」さやかが言った。
「今街に必要なのは光だよ。クランの消してしまった光をもう一度つけよう」博士がきっぱりと言った。そうだ、必要なのは光。それを置いて何がいるだろう。はやとはにわかに希望が湧いてきた。体中が力がみなぎってくるのを感じた。
「パリティ解放団最大の挑戦が始まるわね。事前準備も何もないけど絶対に上手くやって見せるわ」さやかが強気で言った。
博士は二人に合図すると円柱形の建物の周りに集まっている群集のところまで進み、押したり引っ張ったりして建物に触れるところまで導いた。
「扉が開いたら真っ先に駆け込むんだ」博士が言った。はやとは建物には窓ひとつなく、ただ一つの鋼鉄の扉が嵌っているのを見た。男たちがかわるがわるそれを鉄棒で叩いたり、熱電子放出器から発射される真っ赤な光線をあてたりしている。既に扉は穴だらけになっていた。はやとは突入に備えて壁のギリギリまで近づいた。
突然どかんという大きな音と共に扉の真ん中に大きな穴が開いた。はやとは突入しようとしていた人々を振り払って誰よりも早く中に侵入した。すぐ後からさやかとパリィ博士が続いた。
「こっちだ」博士が叫び、知り尽くした建物の中を右へ左へと走った。パリィ博士はいつの間にか街の人たちと同じ松明を持っていた。建物に入る前に誰かにもらったのだろう。
博士を先頭に一同は地階へ降りた。まだ上の階に入ったばかりの人々の足音が天井から伝わってきた。部屋の端に真鍮の扉があるのが松明の揺らめく光で見えた。扉の横に大きな発電機が置いてあり、コードが何本も地面に開けられた穴から地下へ入っていた。博士が扉を押すと難なく開いた。
「間違いなく当局は地下に潜伏したね」博士はそう言って中へ入った。
小さな部屋だった。どこにも出口がない。博士は壁についたパネルに手を当てた。赤いランプが点き、壁にいくつものボタンと、いつか見たことのある生体認証機が取り付けられているのが見えた。博士がそれに触れるとがたんと音を立てて真鍮の扉が閉じると部屋全体が地下にもぐり始めた。
「私が研究していたころこのエレベーターをよく使ったよ。まだ私を覚えていてくれてよかった」博士は微笑みながら生体認証機を愛しそうに撫でた。
五分ほどしてからエレベーターは減速し、体がぐっと重くなったかと思うと不意に扉が開いた。新鮮な酸素が供給されて松明の火が大きく燃え上がった。
「エネルギー系統はすぐ先だ」博士が言った。
地下の通路は広く、天井も高くて地下鉄の駅のように見えた。壁のあちこちに細い通路があって複座な迷路のようだ。博士は何回か細い通路へ入り、別の大きな部屋に出るとその中程に「第五エネルギー貯蔵室」と書かれた扉が半分ほど開いているのを見て足を踏み入れた。
「エントロピー増大の過程で失われるエネルギーは貯蔵室から供給されるんだ。これを見てごらん」博士はパイプやタンクで複雑な機械室の中の一つの計器を指し示した。針が赤い〇の文字で止まっている。
「この貯蔵室にはもうエネルギーがない、クランがトンネルを突破してさらに宇宙へ飛び出すのに使ってしまったんだろう」はやとが質問する間も無く、博士は時間を無駄にしてしまったとつぶやいて急ぎ足で部屋を出たので二人はそれに続いた。
地下をさらに奥へと進むと、突然松明の光が大量の土砂を照らし出した。右側の壁が大きく崩壊してしまっている。ぐにゃりと曲がった扉が床に伸びていた。
「これは・・・思った以上にやられてしまったな」博士は壁の向こうの部屋が天井から崩れ落ち、ほとんど部屋の空間がなくなっているのを見て言った。
「これが、まさかエネルギー系統の部屋・・?」さやかが震えながら言った。
「そうだ。物理的に破壊されてしまっている」博士が沈んだ声で言った。はやとはふと何か光るものが、わずかに残った部屋の空間に落ちているのを眼にした。はやとはかがんで部屋にもぐりこむと小さな金色の鍵を拾った。「これはいったい?」はやとは鍵を博士に渡した。
「これはクランの鍵だよ。これで重要な装置に立ち入ることができるんだ。しかし今となっては役には立つまい。崩れ落ちてしまった部屋を元に戻すことはできない」
「何とか方法はないの?」さやかがわらにもすがるような声で言った。博士は腕を組んでじっと考えた。はやとは土砂に埋まった部屋を見ながら果たして何か方法があるのだろうかと訝った。しばらくしてから博士はゆっくりと口を開いた。
「たった一つ、試せることがある。それでうまく行かなかったらトンネルを解放することを考えよう」博士が言った。はやととさやかは驚いて顔を見合わせた。
「・・パリティ・シティの最深部に私の作った非常用のシステムがある。侵入する通路ひとつなく、厚い土壌で保護されているシステムだ。それは他のシステムとは独立したまったく別個の経路で街を再起動することを試みるんだ。それを使う日が来ようとは思いもしなかったし上手くいくかも分からないが、場合によっては・・照明が復活するかもしれない」
「そのシステムはどうやったら起動できるの?」さやかが熱心に聞いた。
「それを起動するスイッチは街で最も安全なところに隠されている。文字通り手の届かないところに・・・」
その時、トンネルの奥で低い話し声が聞こえ、明るい懐中電灯の光が近づいてきた。
「気を付けて。当局かもしれない」博士が言った。みんなはほとんど崩れた部屋にもぐりこんで隠れようとしたがどんなにつめても二人分のスペースしかなかった。何とか隠れようとしている間に声はすぐ近くまで近づいてきた。くぐもった声に混じって「放せ、放すんだ」というのが聞こえた。船戸くんの声だ。パリィ博士はさっと立ち上がるとはやとを二人を奥まで押し入れ、姿を現した。驚きの叫び声とKの冷たい声が聞こえた。
「これはこれは、パリィ博士ではないか。前会った時はひどいパンチを食らわせたな。おかげで鼻が少し歪んでしまった。まあいい、とにかく・・貴方を探していたんですよ」Kの低い声は妙に高揚している。はやとたちの隠れている部屋から博士の後ろ姿とKの右半身、その奥に三人の男に両腕をつかまれている船戸くんが見えた。はやとは少しでもKが移動したらすぐ気付かれてしまうと気が気でなかった。
「私と話がしたければ船戸くんを放しなさい」博士が言った。
「ああ、もちろんだ。広場で学生たちにトンネルのありかを教えようとしていたから捕えないわけにはいかなかったんだ。しかし今話したいのは彼ではない」Kが指先で合図すると側近らしき男たちが船戸くんを放した。
「知っていることとは思うが、クランは我々と戦って敗北した後、エネルギー系統を破壊して消えてしまった。我々はどうしても街を元に戻さないといけない。パリィ博士、貴方は偉大な構築者だからきっと直せるだろう。それをお願いしたいんだ」Kは言葉だけ丁重に依頼したがその響きは命令に近かった。するとパリィ博士が静かに言った。
「・・・そしてそれを自分たちの手柄にするのだろう。人々はきみを救世主と讃え、きみは街のほとんど全員を味方につけることができる。そして略奪を再開するのだろう」その言葉でKはぎくりとした。
「何もかもお見通しってわけか。そうだ、その通りだ。だがそれがどうしたのだ。貴方に断わることはできない。我々はもうあれほど抵抗したクランを倒すほどにも強くなったんだ。我々に歯向かうとクランと同じ運命をたどることになるぞ。過去にいる貴方の家族も同様にな」はやとは手持無沙汰になった三人の側近たちが周りをきょろきょろと見始めたので心臓が早鐘を打った。
「そんなに強いのならなぜ自分たちで装置を直さないんだね?」博士は少しもひるまずに言った。
「我々は機械屋ではない。世界を統治するものだ。わからないのか?」Kはいらいらした調子で言った。その時、ついに側近の一人とはやとの目が合った。男はにやりとした。
「師匠、お話し中失礼します。あちらにかくれんぼしている子どもたちがおりますが」するとKは大股で歩み寄って側近の指し示す方を覗いたがあきれたように首を振った。
「前にクラン宅で戦った時にも子どもたちがいたが・・。まともな味方を付ける気はないのか。パリティ・シティの構築者も落ちぶれたものよ」はやととさやかは怒りに燃えて部屋から出た。博士は二人に向かって少し微笑んだ。
「ひとつ言っておく。きみがどんなに頼もうとエネルギー系統は直せないよ。見ての通りゼロから作り直すレベルだ。一週間あればできるが今日中にはとてもできない」博士がわずかに、はやとたちだけに分かるくらいに声色を変えたのにはやとは気付いた。
「今日?」Kが信じられないように言った。
「そうだよ、エネルギー系統が切れると五日で次元維持装置が停止してこの人工空間は収縮してしまう。今日がその日だ。私がここに来たのもきみたちに会ってトンネルを開けるように説得するためだよ。もうあまり時間はない。すぐにトンネルを開けて人々を逃がすんだ」Kが一瞬思考をめぐらすのをはやとは感じた。
「それは本当なのか?」Kが疑うように言ったが同時にちらりと出口を見た。
「議論している暇はない。すぐトンネルを開けるんだ」博士が言った。
「どうやら本当なようだな。やはり我々にできないことを貴方ができるなんてことはないわけだ。ではこれから私は過去へ行く。パリィ博士、貴方はいっしょに来るんだ。万一今の話が逃げるための口実だったら困る」たちまち側近たちが一斉に博士に躍り掛かった。はやとはすぐさま応戦に出たが一〇〇キロほどありそうな側近の一人に投げられて数メートル吹っ飛び、背中から地面に激突した。その光景を見ていたさやかと船戸くんがその場で固まってしまった。はやとが起き上がろうとしたとき、何かきらりと光るものが飛んできて、はやとのすぐそばに落ちた。クランの鍵だった。急いで拾い上げる。
「それからクランの弟子も来るんだ。クランの意思を継いで今すぐ世界を崩壊させないようにな。後の子供は・・・放っておけ」Kがせせら笑った。側近たちは誰が船戸くんを捕えるか一瞬迷い、その隙に羽交い絞めにされた博士が謎めいたことを早口に言った。
「Gを切りに行ってくれ。急いで」船戸くんが理解するのに一秒だけかかった。それから「分かった」と言うと、襲ってきた巨人の側近を振り払って駆け出した。
「鍵を!」船戸くんが叫び、はやとは小さな金色の鍵を船戸くんに向かって投げた。船戸くんは走りながら空中でキャッチすると地下道の角を曲がって見えなくなった。その後を巨人の側近がどたどたと追って行った。Kは状況を満足げに眺め、側近に向かって手早く命令した。
「私は緊急用ヘリで先に行く。お前たちは博士と貨物ヘリで来るんだ。集めた宝石と過去で使う現金は全部搭載するんだ。この街の金はいらん。博士は絶対に逃がすな、全部荷物を積まずに脱出したら承知しないからな」側近が博士を捕えているせいでKは無防備になっていた。はやとは今なら行けると思って突進したがKはさっとポケットから熱電子放出器を取り出した。
「やめたまえ、未来の技術に勝てるのかね」Kが言った。
「私たちの跡は追うな」博士も叫んだ。それから船戸くんの時と同じくらい謎めいたことを言った。
「二人ともすぐにクレーターの中心に向かうんだ。Gが消えたらその場でジャンプせよ」隣でさやかがはっとした。そしてはやとの手を引っ張った。はやとは訳がわからないままに地下道を走り出した。
「まっすぐ飛ぶようにね」後ろから博士の声が響いた。Kが「ショックで頭がおかしくなったかな」と笑っているのが聞こえた。
二人は全速力で元来た道を戻ると(道に迷わなかったのは奇跡的だった)、エレベーターに飛び乗った。「地上」と書かれたボタンを押すと扉が閉まってエレベーターが上昇し始めた。
「いったい全体どういうこと?」はやとがさやかに尋ねた。
「船戸くんは重力発生装置を切りに行ったんだわ。それで私たちは天頂へ行くの。博士が言ったでしょう。再起動する装置のスイッチは手の届かないところにあるって」はやとは瞬時に合点した。突飛もない発想だ。
建物の広場は驚いたことにがらんとしていた。人々が大挙して逃げ出すところだった。とびきり大きいヘリがとびきり大きな音を立ててディメンションセンターから飛び去って行くところだった。人々はヘリの向かう方角へ必死に走っていた。Kの乗ったヘリは地上を少しも顧みることなく高度を上げ、悠々と東の空に消え去った。
「そうか、Kが逃げ出したということはみんないよいよ世界が終わると思ったんだ」はやとが言った。
「急ぎましょう」さやかが言った。二人は人々が捨てた鉄棒やまだ燃え続けている松明を飛び越しながら闇の中を疾走した。クレーターの縁まで来たとき、突然すっと地面がなくなった感じがした。途端に空中に投げ出されたかのように上と下の感覚がなくなり、一瞬空中に放り出された感じがした。はやとは慌てて地面に落ちている鉄骨にしがみついた。
「船戸くんが上手くやってくれたんだわ」さやかも鉄骨に掴まって言った。
「まだクレーターの中心まで一〇メートルほどある。浮き上がらないように気を付けて行くんだ」はやとは右手で崩れたビルの建材につかまり、左手でさやかと手をつないで中心まで進んで行った。
「宇宙遊泳ってきっとこんな感じね」さやかが言った。二人はこのあたりでいいだろうというところまで移動した。
「三つ数えてジャンプするよ」はやとはしっかりとさやかの手を握って言った。
「一、二、三、それ」二人は思いきり地面を蹴った。地面からの反作用で体がふわりと空中に浮かぶとみるみる間に地上が遠さがっていった。視界が大きく開け、地上で点々としている光の数がどんどん増えていった。少し離れたところで走っていた人々がもがきながらぷかぷか浮かんできたが二人よりはずっと下の方だ。
地面の光が徐々に朧げになり、ついには完全な闇になった。上空から微かに吹いてくる風が唯一上に向かって進んでいる証拠だった。
さやかが上昇しながらした計算によると天頂に届くまで約一時間ということだったが二人とも闇の中で時間の感覚を失っていた。はやとはいったい天頂には何があるんだろうということや地上で起こっている混乱やKに捕まっている博士のことを思いながら上昇していった。視覚も聴覚も失ったような世界の中でさやかとつながった手から流れてくる温かさがかつてないほどに意識された。
頭上に微かな光が見えてきた。あそこが天頂に違いない。二人は衝撃に備えて両手を上にあげた。少しして手が平らなところにぶつかった。はやとは反作用で再び地上に戻ってしまわないために急いで天頂から突き出た人工照明につかまった。
「少し微調整しなくちゃ」天頂を示す光のところまで一〇メートルほどだ。はやとは氷のように冷たい人工照明を両手で一つ一つ掴みながら少しずつ移動した。
ついに天頂に到達した。そこには北極星として機能する巨大な人工照明があり、今はその表面に大きな矢印型の非常用照明が光っていた。
二人は矢印の先まで移動した。銀色のプレートがあり、”Parity City”という文字が光っている。その下に円形の小さなボタンがあった。
「いっしょに押そう」はやとはどうかうまく行きますようにと願いながらさやかといっしょにボタンを押した。プレートに”Restarting the system…”と表示された。二人はどきどきしながら待った。長い間待った。はやとは当局の横暴や地上の混乱はどうなっているかということなどどうでもよくなった。光をつけること、これがすべてだった。もし今少しでも努力する余地があるのなら、はやとはどんなことでもしただろう。しかしすべてはシステムに任されているのだ。はやとはただ祈るしかなかった。
不意にあたりにうっすらと薄明が差した。オーロラのように踊りながら光の帯ははるか彼方まで広がり、真夏の海に潜っているかのような光景を与えた。はやととさやかは歓声を上げて抱き合った。光は同時に熱を放ち、冷え切った二人をゆっくりと温めた。
二人は今では”Parity City Safe Mode”と表示されたプレートを手でぐいと押し、地上に向かって進み始めた。
「街が見えて来るよ」しばらくしてはやとが言った。はるか下方にパリティ・シティの全体像がぼんやりと見えた。地上に近づくにつれ、一号区から五号区とそれらを取り巻く森がはっきりと姿を見せだした。
光はどんどん強くなり、頭上の空は青く染まってきた。二人とも暑くなって上着を脱いだ。
行きよりもスピードは遅かったが時間が経つのはずっと早く感じられた。ついにディメンションセンターの建物が一つ一つ見えるようになり、浮かび上がってしまった人たちが驚いて叫んでいるのがあちこちに聞こえた。さやかがうれしそうに手を振った。はやとの心に喜びが込み上げてきた。
二人が地上に着いたとき、空中や地上から人々がこっちに駆け寄ろうとした。ゆっくりと重力が戻ってきた。浮かんでいた人たちも地上に戻り、全く元通りになった世界でみな信じられないような顔をしていた。
近くにいた人たちが一斉に走って来て口々に「あなたたちが光を点けたのか?」と聞いた。
「パリィ博士のおかげです。彼はこの街から消えてしまったのではありません。ずっとパリティ・シティのために尽くしてくれてたんです」はやとが言った。
向こうの方から船戸くんが手を振って走ってきた。二人はそちらに向かって駆け出すと抱き合って狂喜した。
「さあ帰ろう。パリィ博士はKといっしょに過去にいるはずだ。それにトミーたちも待ってるだろう」はやとは言った。
三人は来るときに置いてきたヘリのところまで走って行った。ヘリはちゃんと元のまま停められていた。空中に飛び立つと、街のあらゆるところで人々が叫んだり抱き合ったりして街の復活を喜んでいるのが見えた。
ヘリは五号区のトミーたちの仮の家に到着した。光の下で見るといっそう古びて見えるあばら屋敷だった。みんなトミーたちが歓声を上げて迎えてくれるのを期待したが家はしんとしている。
「留守みたいだ。大丈夫だろうか」船戸くんが言った。
「元のお屋敷に戻ってるかも」さやかが言ったのでみんなはお屋敷の方に行った。
驚いたことにお屋敷を警備している人は誰もいなかった。みんな首をかしげながら壊れた窓から部屋に入ったが誰もいそうになかったので、柱だけ残っている東屋に行き、順番に月の台にジャンプした。
夜の月の台だった。クロノス像のすぐ下に巨大な貨物ヘリが停めてあり、その周りに一〇人くらいの人がきょろきょろと辺りを警戒しながら座っていた。おどおどした様子から一目でお屋敷を警備していた当局の側近たちだとわかった。
「世界はまだあるのか?」三人がクロノス像から降りて来るのを見て驚愕した一人が言った。
「エネルギー系統は復活しましたよ。もう戻っても大丈夫です」はやとがそう言うのを聞くと側近たちは慌てて不慣れな手つきで像に登り始め、一人が貨物ヘリに大急ぎで飛び込んだ。
「我々がここにいたことは誰にも言わないでくれるかな?」最後に残った青年がはやとたちに頼むように言った。はやとは勝手に逃げたことがKにばれるのを恐れているのだろうと思った。
「もちろんですよ。そういえば誰かほかにトンネルを通りませんでしたか?多分、僕たちくらいの歳の男女が」はやとが尋ねた。
「我々がここへ来たすぐ後に大慌てで逃げたしてきた人がありましたが、きっとその人たちでしょう。呼び止める間もなく、走って行ってしまったので」青年はそれから「きみたちもすぐ戻りなさい」と言って姿を消してしまった。
「きっとトミーたちだ」船戸くんが言った。
「家にいるんじゃないかしら」さやかが言った。他に探す当てもなかったので二人はラプラシアンハウスに向かった。まだ闇のパリティ・シティが瞼に焼き付けられているので、明るい街灯や住宅から漏れてくる温かい光がたいそうありがたいもののように思った。
南町へ入った交差点にある交番を通り過ぎた時、見慣れないものが道にあるのに気づいた。
「Kのヘリだな」船戸くんが言った。
「見て、交番の中!」さやかが叫んだ。中からトミーがが手を振りながら外に出てきた。友梨が続き、その後からなんとパリィ博士が満面の笑みを浮かべて出てきた。
「うまく行ったようだね」博士が三人の表情を見てうれしそうに言った。
「はい、街は再び明るくなりました」はやとが言った。
「ちょっと中へ入ってごらん」博士がそう言い、三人は交番の中に入った。
Kがカウンターの向こうに座らされていた。手錠をはめられている。こわばった表情でこちらをまじまじと見ている。
「トミーと友梨のおかげだよ。月の台で捕まえてくれたんだ。それから私を解放してくれた」博士が言った。一同が交番を出る時、後ろからKの声が響いた。はやとたちが聞いたKの最後の言葉だった。
「なんだってこの世界はこんなに野蛮なんだ」
はやとたちはラプラシアンハウスで詳しい話を聞いた。トミーと友梨によると、見慣れないヘリがお屋敷に向かうのを見てその後を追ったと言う。庭へ入り込むとちょうどヘリが東屋の柱を破壊して月の台へ逃げ去るところだった。二人は警備していた人たちに見つかったが、彼らはKが逃げ去ったと知ってパニックになり、あたふたした挙句、後を追ってトンネルから逃げてしまった。
トミーと友梨が月の台に出た時、ヘリは駅の方向へ飛び去ってゆくところだった。二人はとてもヘリに追い付けまいと思ったが友梨が機転をきかした。Kならばほとぼりが冷めるまで–街が本当に滅んだかどうか確かめに行くまで–どこか快適なところでゆっくりと過ごすのではないかと思ったのでとりあえず駅に行ってみた。すると駅前のオリエント・ホテルの屋上にさっきのヘリが止まっているではないか。予想が的中した二人はホテル中を探した結果、最上階のレストランでくつろいでいるKを発見して、すぐさまこれまでの略奪の犯人として警察に通報したのだった。屋上のヘリにはデパートから奪った宝石がごっそり出て来たし、驚いたことに後部座席にパリィ博士がガムテープで縛られて横たわっているのを発見した。
「きみたちのおかげで助かったよ」トミーと友梨が話し終わると博士はパリティ解放団のみんなに囲まれて幸せそうに言った。
「これから街はどうなって行くでしょう。指導者を失った今、また新たにKのような人が出てきたりはしないでしょうか?」船戸くんが悲観的な見方を示した。
「いや、私が思うに街の人たちはもうKのような人に惑わされたりはしないだろう。彼らには本当に大切なことが分かったと思うよ。そうだとするとクランの闇のパリティ・シティも無駄ではなかったわけだ」
「あの・・クランはどうなっちゃったんでしょうか?」はやとはずっと気にかかっていたことを聞いた。
「クランのあの革命は当局に対する最後の抵抗だったんだろう。当局のせいで理想世界からはるかに遠さがってしまったパリティ・シティを何とか元に戻そうとして。だがディメンションセンターの戦いでその希望は砕け散ってしまった。味方は次々と離反するし当局の暴走はどうしても止められるものではなかった。最後の可能性が消えてしまった時、クランにとってこの世界はもはや価値を持たなくなったんだろう・・・。街の明かりを消してしまったのは愚かな人々に対する抗議だったのかもしれないし、あるいは彼自身の光を失った心がそう駆りたてたのかもしれない。いずれにせよクランはエネルギー系統を破壊した上、エネルギー貯蔵庫からありったけのエネルギーを積んで脱出してしまった・・・」
「いくら味方を失ったって私たちはみんなずっと待ってたのに」友梨が感傷的な声で言った。
「ほんと惜しいところまで行ったんだけどな」トミーも悔しそうに言った。
「パリティ・シティに愛想を尽かしたのならせめて過去に逃げてくれればよかったのに。結局この世界の大地を踏まないで行ってしまったわ」さやかが言った。
「これは本当に惜しいことだけれども、クランは最後まで遠い未来にしか希望を見出せなかったんだ。私たちが伝えようとしたことをとうとう分かってくれないままに去ってしまった。彼は強かったからだろう、あまりにも自分自身に頼りすぎたんだ」博士が深く沈んだ声で言った。はやとはその言葉をどこかで聞いたことがある気がした。「あまりに自分に頼りすぎると助けがあってもそうだと分からないことがあるんだよ」。そうだ、今朝だ。あれからずいぶん時間が経った気がする。
「クランはどうなっちゃうんでしょう?」はやとは答えを知りたくないような気がしながらも聞かずにはいられなかった。
「クランはおそらく、また地球に戻ってくる意思があったんだと思う。そうでないと街の寿命の一年にも相当するエネルギーを積んで行ったりはしないだろう」
「じゃあもしかしてまた・・・」さやかが期待して言った。
「いや、クランはたとえ地球に無事戻ることができたとしてももうそこに私たちはいないよ。彼は非常に原始的な方法、ひたすら速度を上げて移動することで未来へ行こうと試みたんだ。亜光速で移動する系の時間はゆっくり進む。彼が戻ってきたころ地球は何百年、もしかするとパリティ・シティの時代よりもずっと未来になっているかもしれない。どこまでも未来を追求したんだ」
「なんと言うか・・私には想像もできない生き方だわ」さやかが眼に涙を浮かべて言った。
「この世界にもイデアを見つけることができた僕は本当にラッキーでした」船戸くんが窓の外を遠く眺めながら言った。
ラプラシアンハウスの居心地のいいリビングで、はやとは一日の張りつめていた気持がどっとゆるんでいくのを感じた。ゆったりとソファにもたれかかり、みんなを見渡した。右隣にさやか、左側に船戸くん、テーブルの向こうにトミーと友梨、そしてパリィ博士が座っている。たったこれだけのことなのにこれ以上ないほど深い幸福感が込み上げてくるのを感じた。こんなにもイデアの破片が集まることは長い人生でもそう多くはないかもしれない。しかしいつ、どんなところにいようともイデアの破片は確実に存在するのだ、はやとは身をもってそれを知った。Pursue the Ideas イデアを探し求めよ。はやとは不思議なことに今こうして座っているだけで世界のあらゆるイデアに結びついているような気がした。そして初めて、あのクロノス像の詩、今でも終わらない稀有な冒険へと走らせるきっかけになったあの言葉の全部を理解したと思った。