第98話 ファンタジスタ
フロウと呼ばれるワンコ、彼女はどうやら豆乳のお菓子を気に入ってくれたようで、あれこれと並べたお菓子をアナスタシア達と一緒に食べて談笑をしていて和やか。先程の言葉の通り歓迎をしてくれているというのもわかるし、こちらの心配はいらないだろう。
問題があるとすれば……。
フロウに差し出した物と同じ分量で薄めた飲み物を多めに用意して、遠目でこちらの動向を見ていた三匹の若い犬の前へと並べる。他の犬達も同じ物で大丈夫……だろう。
「気に入らないならそのままにしておいていいからね。このあとおやつも持ってくるから」
差し出した皿と俺を交互に睨みながら唸る三匹、その内一匹は尻尾を振っているのだがこれはどちらの意味合いだろうか。
一度戻り、おやつの入った器を先程と同じように三匹へと持って行くと、先程尻尾を振っていた犬の口周りが白くなってそっぽを向いている。スコーンを彼等の前に並べ、そして中身の無くなった皿を回収しながらおかわりを入れ直して再度白い口をした犬の前へと置いておいた。
今度は二匹が尻尾を振っていたのだが、どうなる事やら。
トレイにお菓子とお茶を用意して、談笑をしていたト・ルース達の元へと向かうと三者が笑顔で出迎えてくれる。一名、いや二名笑っているのか定かではないが微笑ましい眼差しでフロウを見守っているので、大丈夫だろう。
「お待たせしました。フロウさんのおかげで色々と助かりましたよ。はい、どうぞ。ト・ルースとイェルムは豆乳ね。合わなそうなら無理して飲んじゃダメだよ」
「ありがとうございます、ホリさん。うちの子達がつまらない態度をして申し訳ないね」
「うふふ、頂きますホリさん。ああ、いい香り」
カップを手渡し、お茶菓子を並べているとト・ルースが早速と飲み込んで、それに続く様にイェルムが。そして匂いを確かめるようにして鼻を鳴らしていたリーンメイラが最後に豆乳と牛乳を薄めた物を飲み込むように器に顔を突っ込んだ。
「ヒッヒッヒ、魚茶を振舞ってやろうと思ったけど、やっぱりこれはこれで美味しいですよ。ありがとうございますホリ様」
水音を立てて器の中の物を飲み込んでいたリーンメイラも顔を上げて、口周りについた水滴を一度舌なめずりしている。
「ふうっ、あんな臭い物鼻が利かなくても私はいらないぞルース。それにしても優しい味……、あの子達も誘惑に負けて味わっているのも頷けるよ。歳を取るとどうしても物を食べるのが億劫になるから久しぶりに味わいのある物を口にした気がするね」
口元を白くしたリーンメイラがちらりと移した先に俺も目を移すと、その先には先程と同じ様にそっぽを向いている犬達。
「食事、あまり取れていないのですか?」
「そうだね、昔は気にせず砕いていた獲物の骨も今じゃ食べていると顎が疲れちゃうんだよ。ルースならわかるだろう?」
「ああ、ああ。どうしたって硬い物を食べるのに時間が掛かっちまうねえ。あたしも今じゃ魚の小骨が面倒で面倒で……」
お婆ちゃん達によるあるあるトークが始まってしまった。やれ立ち上がる時に腰が痛いだの、尻尾の付け根が雨の日になると痛むだの、夜中に用を足すのに起きるのが辛いだのと……。イェルムはこの話が始まった途端、俺を放置してアナスタシア達に合流している。
あの動き、そして面倒な空気を回避する経験の差が凄い。
最近の若いモンはと始まる前に、柔らかくて食べやすい物でも出して話題を変えてしまおう。
「これなら、多分それほど疲れる事なく食べられると思うんで食べてみて下さい。その豆乳を作る時に使った豆を使ったケーキなんですけど、上手く出来た奴なんで硬くもないですし、果物を使っているので味も楽しめるかと思いますよ」
鞄から出したのはおからのパウンドケーキ、それも大きな型から出したばかりの物を入れておいたので他のドーナッツやクッキーなどとは食べ応えが違うだろうというサイズ。但しそれはあくまで俺達の体のサイズの話、これだけ大きい老犬にはこれくらいのサイズでも物足りないかもしれない。
「けーき……? これは他の奴と違って、随分大きいね。ルース、これは私が丸ごと食べていいみたいだから頂くよ。ああ、いい香りだ。潰れた鼻でもこれだけ香ってくれると嬉しいね」
パウンドケーキに鼻を近づけながら、その香りに笑顔のような物を見せるリーンメイラ。そしてその彼女が出した言葉にひらひらと手を振り、数回頷いて返したト・ルース。
「好きにしな。あたしゃこの豆乳を頂いているし、あんたほど腹も減っとらんよ」
これは本来ならカットして皆で摘まもうと思っていたけど、同じ物はいくつか用意してあるし後で切り分けよう。……そう考えていたところにリーンメイラが大きく口を開けて、その次の瞬間には頼みの綱のパウンドケーキは皿の上からその姿を消してしまった。
何となく、そう、何となく。そのよくわからない感情に心を支配された俺が次に取った行動は、鞄の中からもう一つのパウンドケーキを皿の上に出して、同じ様に振舞う事。
「んっ? フフ……」
目の前の老犬も口の中の物を味わい終え、空へと顔を向けた状態でごくりと音を出して飲み込むとそのまま静かに皿の上を確認して、同じようにパウンドケーキをまた一口で頬張ってしまう。
な、なんだこの感情は……!? 綺麗に食べられて嬉しいし、満足そうに頷いて味わっている姿も見ていて楽しいが何だか悔しい!! 何故だ……、鞄から手を離さねばと思いながらも、三つ目のパウンドケーキを皿の上へと乗せておいた。
そうして俺とリーンメイラによるワンコ蕎麦のパウンドケーキ版が始まってしまったがこちらが用意していた五つの大きなケーキをぺろりと平らげてしまった彼女、最後に水音を立てて飲み物も綺麗に無くなってしまった。
「ああ、美味しかった。まともに食べたのは何時振りだろうか、不思議とお腹から力が沸いてくるようだ。ホリさん、美味しい物をありがとう」
「い、いえ。気に入って貰えたのならよかったです。顎の方も疲れていないようですしね」
「ヒッヒッヒ、じゃなきゃあそこまで清々しく食べれませんて。この犬っころの種族は本来、見た目はこんなナリですが小食なんですわ。あの大きな菓子が相当気に入った様子ですがねえ……ホリ様?」
ト・ルースが俺の後ろを、笑いを零しながら指し示しているので振り向いてみるとクッキーを片手に唖然とした表情を浮かべているオレグが立ち尽くしていた。
「あっ……」
「ヒッヒ、他の子達の分まであげちまう事もないでしょうに。まぁ、メイラがこんなに何かを食べているのを見たのはあたしゃ初めてでしたから、止めようという考えになりませんでしたよ」
「クックッ、おかげで久方振りに腹が重いくらいだ。最後に味わったのもトロルの脳漿なんていうモンだったおかげでね、食べていてこれほど幸福になったのなんぞあの大木の実を盗み喰った時以来だよ」
お婆ちゃん達が楽し気に笑い合っているので、とりあえず悔し気に佇むオレグにスティックケーキを渡して謝っておいた。
「私もアレは味見できていなかったのに……っ!!」
「ごめんよ、いや何も泣かなくても……。今度また別の物を用意する時にまた味見係をやってもらうとするからさ」
震える馬体の背中を擦って悔し涙を浮かべる老齢の男性を宥めていたのだが、直後、がしりと俺とオレグは肩を掴まれた。俺はラヴィーニアとエンツォに、オレグはアナスタシアに。そして俺達を囲むようにしている女性陣。皆、良い笑顔を浮かべているのが怖い。我関せずとプルネスはト・ルースの元へと避難を始めているし……。
「おい、先程も気になったが何だその味見係というのは? オレグお前……、私達に隠れて一人でお菓子を振舞ってもらい、食べていたのか?」
「ホリィこうして食べさせて貰ってるからいいけどォ、オレグ以外にその役目が必要でしょォ? 私がなるわァ」
「いえホリさん! 私っ! 私が味見係、頑張りますからっ!!」
他にも名乗りを上げる声に曖昧な返事を返している最中にも、俺の想像を超える力を生み出しているのであろう細く長い指に握られている、オレグの肩。しどろもどろに言葉を返そうとしている彼の顔色がどんどん悪い方へ悪い方へと変わっていく。
「う、ウォック様落ち着いて……。あががっ、ホリ様助けてくだされっ!」
「我々だって甘い物が食べたいのを日々我慢しているのに、お前ときたら……ッ!! まぁいい、甘い物が好きなのは性分だしな」
先程浮かべていた悔し涙とはまた別種の涙を浮かべてこちらへ救助を求める彼。その握られていた肩を解き放ち、アナスタシアが優し気に微笑んでいる。
その表情を見て、彼が許されたのかと俺はほっとしていたのだがオレグは全く別の、畏怖の念を抱いているような表情になっている。
「だが、なぁオレグ?」
「は、はいっ……!」
肩にポンと手を置きながらにこやかに笑うアナスタシア。綺麗な笑顔だなぁ、と呑気に見惚れている俺とは違い、オレグはがたがたと体を震わせ続けている。
「食べた分はしっかりと訓練しよう。そうだなぁ……、糸素振りを薬草汁二本分やろう。それならお菓子もちゃんと血肉になってくれるぞ。それでいいな? 皆も」
「そうねェ……、三本分じゃないところに甘さを感じるけどォ。オイシイ思いをしちゃったんだしィ、特別強い糸を使ってあげるわァ」
「オレグ殿、しっかりと素振りをしましょうね!」
「負けないで下さいね、オレグさん!」
無情な一言を付け加えるラヴィーニア、そしてオラトリやウタノハにまでそう激励されてがっくりと肩を落として膝をついたオレグ。
俺が発端となって開発されてしまった訓練特別メニュー、糸素振り。
武器や体のあちこちに、鉱石粉とトレニィアの生み出した糸を混ぜて生み出される超伸縮する鉱石糸を張りつけられ素振りをさせられるソレは、アナスタシア監修の元更なる進化を遂げ、今ではその過酷さもあって、何かをやらかした者が味わう一種の罰ゲームのようになってしまっている。
個人個人が持てる限界の重さの武器を見極めて使う鍛錬内容、武器や膝を地に着けてしまう度に伸びていく訓練時間、そして何より限界を迎えた途端に味わう薬草汁といった恐ろしい訓練。
判決を言い渡されたオレグが助けを求めてこちらへと視線を投げかけてくる。あのままでは不憫だし、俺がバラしてしまった負い目も感じるので助け船を出そう。
「アナスタシア、皆も、今食べているクッキーとかもオレグがいたから完成したんだよ。今回は許してあげてほしいな?」
「ん、む……?」
崩れ落ちるように項垂れているオレグをちらりと眺め、口元に手を置いて少し考えているアナスタシアが、大きく息を吐いて彼の顔の前に指を一本立てた。
「薬草汁一本分だな。あとはその訓練が終わったらホリに甘い物を特別に貰えるという事にしてやるから頑張るんだぞ」
最初、救われたように表情を輝かせた彼だったが、薬草汁を飲むまでやるという変わらない内容に気付いて徐々に表情を落としていき、最後はがくりと首を垂れた。
その訓練を終えた時に、間違いなく疲れているであろう彼に特別に美味しい物を準備しておこう。せめてそれくらいの償いと労いを……、まぁ味見係といっても食べて頷くばかりだったオレグが役に立ったかは別として、お手伝いして貰ったんだし……。
「フフ、楽しそうにやっているのね。魔族と人族がこれ程仲良しなんて、聞いた事がないわ」
「まぁ、楽しくやれるのが一番だしね」
口の横にクッキーの粉をつけているフロウ、楽し気に尾を揺らして笑っている彼女がオレグの隣へやってきて落ち込む彼の肩に手を乗せて慰めている。不思議な光景だな、と眺めて賑やかに話をしていると他の犬達がやってきた。
二匹は口元を赤と白に染めているのでどうやら完食してくれたようだが、先頭で憤っている犬はまだ綺麗な口元。お気に召さなかったのかな、残念だ。
「もう我慢ならん、我らの棲み処で好き放題喚きよって! 低能な人族の手下共、いい加減にせんとその喧しい口を利けなくしてやるぞ!!」
険しい表情と歪む口元で光る牙、そしてうねるように逆立つ毛並み。俺達が騒がしくしてしまった事に怒っている犬の言葉を受けて、こちらも数名が纏う空気を変えていく。
「ああ、騒がしくしちゃってごめんね。まぁ落ち着いて……」
「うるさい!! 愚物ばかりの人族がべらべらと、この場にいるだけでも虫唾が走る! 中身の入っていなそうなその頭蓋、噛み砕いてやろうか!」
「ちょっとアナタァ、好き放題キャンキャンうるさいわねェ? 何だったらァ、その口縛って黙らせてあげようかァ?」
ああ、一人やる気が口から溢れてしまった……。身内に優しいお姉さん気質がそのまま怒りに変換されているようで、カツカツと地面を足で叩いているラヴィーニアが相手を睨みつけている。
その言葉を受けて立つようにぎらりと光る黒く大きな瞳がそちらへ向くと、憤りを強く激しくさせてきた犬。
「やってみるか? 虫けら風情が……! その無駄に多い足を数本噛み切ってやっても不自由はないだろう!」
「犬畜生がァ調子に乗ってるとォ、どういう目に遭うかァ……、お姉さんが教えてあげるわァ」
「はいストーップ! やめやめ! そういう事しに来た訳じゃないから!」
とりあえず、ラヴィーニアに抱き着いて止めておこう。ああ、何時如何なる時でもこの幸せ空間は俺を癒してくれる。ん……? こ、これは……っ!? 前より少し、サイズが大きくなっているような!? ま、まだ成長するというのか、この何とはいえないコレ!! ありがとうございます!
「ちょ、ちょっとホリィ……っ!」
困惑した表情で抵抗を見せながらも俺を突き放すような事をせず、包むように抱き留めるところに果てしない姉力を感じる。俺が彼女を止めた事で、敵意を出していた犬が大きな舌打ちを響かせてきた。あまりこうしているのもお互いの為に良くないよなぁ……。
「低俗な連中め……」
ぽつりとその犬が呟いた言葉に、大きな舌打ちと共に怒りを再燃させるラヴィーニアに小さく耳打ちをしておいた。
「大丈夫、ちょっと試してみたい事があるから、アナスタシアにもすぐ動けるように言っておいて」
「ホリィ……、わかったわァ、何するか知らないけどォ、半殺しまでなら私が許可するわァ」
物騒な言葉を出しながら妖しく笑う彼女から離れて、俺は敵意に満ちた犬の前へと座り込んだ。
「何だ?」
「いやぁ、仲良くやっていきたいと思っていたけど、流石にあまり低能だ低俗だと言われているのも面白くない。なので、君と一つ頭を使った勝負をしようと思ってね? えっと……、コレコレ」
鞄から探し出したのは以前に暇つぶしで作った物、異世界物の定番のボードゲームと必殺兵器が入った水筒を犬の前に出してみた。
「これ、単純なゲームなんだけどね? 意外と奥が深いんだよ。これで一つ、勝負をして俺が勝ったら君には『とある物』で静かになってもらう。俺が負けたらそうだなぁ……、この場から大人しく帰るしもう顔を見せない。どうだい?」
「ほう、面白い。受けて立とう、脆弱な人族と牙を交えても勝つことは目に見えていて勝負にならんだろうしな」
うーん、この自信は素晴らしい。
俺なら初めてやる勝負内容に裏があると思って絶対拒否するけど、目の前にいるこの子はそんな事を気にしていない様子だ。しめしめと思わざるを得ない。
「じゃあルールを説明するね。ああ、それとプルネス……が良さそうだな。ちょっと彼の手元をやってあげて欲しいんだ。頼むね」
いきなりの指名に、驚きの表情で自分を指差しているプルネスを犬の横へと座らせてゲームの内容を説明する。大体のルールを教えたところで、一度練習として勝負をしてみた。
パチパチと俺の手と犬からの指示を受けたプルネスの手が駒を返していき、その勝負は接戦の後に相手の勝利になったところで、正面の犬が鼻で笑って見下すようにこちらを見ている。
「なるほどな、大体どういう物かわかった。だがいいのか? 初めての私に負けてしまう程度の知能しかない俗物には帰る身支度をする時間が足りないかもしれないが?」
「ん? ああ、いいよ。それじゃあ本番をやろうか。まぁ楽しんでやろうよ、どちらが先手にする?」
あまりその挑発に乗らなかった事に苛ついたのか、大きな舌打ちと共に先手を選んだ犬。肩を軽く指で突かれ、小声で後ろからラヴィーニアに声をかけられた。
「ちょっとォ、大丈夫なのォ?」
「んー、まぁ問題ないよ。大丈夫大丈夫」
「おい、お前の番だろう」
不安気に見つめてくる彼女や、気付けば周りを囲んでいる他の皆からの視線に頷いて答えてパチリと駒をひっくり返しておいた。そしてその後、大した時間もかからずあっさりと俺の勝利、九手で終わらせる完封。
「はい、俺の勝ちね? いやあいい勝負だった」
「なっ、なんだと……っ!?」
打ち震えるように盤面を見ている犬に、呆然としている犬の兄弟達。俺も友人にやられて唖然としたなぁ……。その急展開にこちらの仲間も呆けている。
それでも納得が出来ないようで、犬が立ち上がりながらこちらを睨みつけてきた。
「も、もう一回だ! 今度は私が後だ!!」
「はいよ、それじゃあ罰ゲームも二回分ね? それじゃあ最初はここに」
今度は最速で終わるような事もなく、勝負は中盤。盤面には後攻を示す記号が入った駒が多く、相手の方が数が多いのは一目瞭然。こちらの仲間もあちらの犬達も盤面を覗き込んで固唾を飲むように勝負を見守っている。
「フッフ、先程とは違って今度は勝つ! そう、先程のは何かの間違いだ!」
「そうはいかないのがこのゲームのコワイところなんだよなぁ……」
パチパチとそこから数手進んでいくと、徐々にこちらの確定石が増えていきそのまま完封して終了。ああ、俺も色々と勉強したのにそれでも友人に完敗した時と同じようにぷるぷると震えて盤面を眺める対戦相手をしてくれた犬。
そして再び唖然とした表情でこちらを見ている犬の兄弟達、こちらの仲間達も先程のようにこちらを見ているが、その中には顔を手で隠して笑っているアナスタシアや心配して後ろにいてくれたラヴィーニアが俺の背中に顔を埋めるようにして隠れて笑っているようだ。
「さてと、勝負も決まったことだしこれで仲良くやろうね。それと、俺の名前はホリだよ、よろしくね。はいどうぞ」
先程食べて貰えなかったお茶菓子をもう一度差し出して、犬の反応を待ってみる。俺とお菓子を交互に見て、静かな唸り声を響かせるとそのままぱくりとお菓子を口に含んでくれた。
「……カーリンだ」
「うん、よろしくカーリン。ちょっと体撫でてもいいかな?」
「……好きにしろ」
大人しくなってお菓子を頬張ったカーリンのその大きな体、流れる緑の毛を少し撫でさせてもらったがつるつるとした感触が凄い。流石に抱き着いたりはまだ出来ないが、いつか機会があれば狙ってみよう。
「よし、それじゃあ罰ゲームね。カーリン、覚悟はいいかな?」
「えっ」
パンと柏手を打ちながら俺が言った一言に、ぽろりと口からスコーンを落としているカーリン。即座に動いたのはアナスタシアとラヴィーニアの両名。彼女達が抱き着き、しっかりとワンコの身動きを封じている中で水筒を一本手に取り、蓋を開ける。
「ギャウンッ!!」
水筒の蓋を外した途端に先程までの堂々とした態度が急に変わった四匹の犬達の内、三匹が即座に距離を取ってこちらを威嚇している。ああ、臭いがしたのかな……? 流石はワンコ、鼻が良いんだなぁ。
「や、やめろ……っ! 何だその悍ましい臭いは……! おい離せッ!!」
「すまんな、ああなったホリは我々には止められない。大人しく飲んでくれ」
「そういう約束でしょォ? お気の毒ねェ」
飲ませようと近づくと、まず唸るカーリン。アナスタシアやラヴィーニアに抑えられて身動きは取れていないようだが……。絶対に負けまいという意志を感じさせる瞳と、侵入を許すまいとする食い縛られた牙。立派な歯だけど、これでもまだ子供っていうのは先程リーンメイラのもっと鋭く立派な牙を見ているとよくわかるな。
「あれ? 約束を違えるのは良くないよカーリン。まぁ無理矢理飲ませるけどね?」
「やってみろ……! 絶対にそんな臭い物口にはしないぞ……!」
犬相手に薬を無理矢理飲ませるのは経験があるので、程無くして甲高い声が一つ、森と岩場に響き渡るとどさりと横たわる大きな犬が誕生した。何かあってはいけないと鉱石布を体中に巻いておいて正解だったな!
「クックッ、ホリさん? うちの娘が迷惑をかけたみたいだね。面白い顛末だったけど、こう見えて元来優しい子なんだ。もう少しお手柔らかに頼むよ」
「すみませんリーンメイラさん、ちょっとやりすぎでしたね。あとでカーリンさんには謝罪をさせて頂きますのでそれで許してもらえますか?」
足音をあまりさせずに、気付けば後ろに立っていたリーンメイラがそのままカーリンの顔の傍で臭いを嗅いで何かを確かめようとしたが、びくつくようにして顔を背けた。
「カァッ、これは凄い臭いだね。まぁうちの子も死んではいないみたいだし、謝罪もいらないよ。この子が撒いた種だ、こうなる事も承知だったろうさ」
「色々な薬草を煎じている健康に良い飲み物ですよ、うちの拠点でも皆飲んでいます。一杯召し上がってみますか? 娘さんが残してくれた一本がまだありますよ」
二本目の水筒の蓋を開けておすわりの状態をしている彼女の前に差し出すと、長い尾が靡いて彼女の体に小さく巻き付いた。
「やめとくれよ、この老体にそんな物騒な物を飲ませたら次の瞬間には神の許に行ってるよ。全く、薬草をどうやったらこんな物に出来るんだい……?」
「それがわからないんですよねえ……。これも『今回のは過去一番おいしい筈』と作ったオークはお墨付きを出していたんですが……」
ペトラは味見をしない、それが一番の原因だという事はわかっているが頑張って作り上げた物を輝く笑顔でこちらに渡してくるので、それを潰すような批判をしたり酷評をする事が出来ない。
こうして役立つ事ばかりなのだし、怪我をしたりしなければ振舞われる事もないので誰も咎めようともしていないという事からも、薬草のファンタジスタはまだまだ進化をするだろう。
日々気絶するような間抜けは俺だけだという事実がまた悲しい、次点で悲しいのはちょくちょく実験台になっているペイトン。
俺とリーンメイラが薬草汁の事や拠点の事で話をしていると、小さな手により薬草汁の入った水筒が奪われた事に俺は気付いていたが、あのリザードマンが何をするのかを観察していた。
目が悪いというリーンメイラ、彼女の後方で何かを始めているト・ルースの事に気付く事もなく、俺もちらちらと視線を移しながら目の前の老犬と拠点の生活や魔族達との生活の話に花を咲かせている間に杖で空中に何かを描いているト・ルース。
彼女が杖を静かに振っている最中にまず杖の先に小さな青い水球が生まれ、そして次に彼女の手に握られた水筒の中身、どす黒い色をした液体が水筒の口から溢れて水の膜に包まれた。
そうしてト・ルースの杖の先には薄い空色の膜に覆われたどす黒い水球が出来上がり、小刻みに小さな体を揺らしながら静かに、一歩一歩こちらへと歩み寄ってくる。
「おいメイラ」
「ん? なんだルースどうしボゴゴゴ」
やるんじゃないかな? とは薄々思っていたが、ト・ルースは一つの迷いも躊躇の欠片もなくその恐ろしい水球を振り向いた老犬の大きな口の中へと放り込み、ソレを喰らった直後にリーンメイラの大きな体がぐらりと揺れてそのまま倒れそうになるのを抑える俺や他の者達と、彼女の子供達。
恐らく全員が目を見開いて小さなリザードマンを注視している中で、トントンと自分の肩を杖で叩いて息を吐いたト・ルース。
「ったく、子供の躾ぐらいちゃんとしときな。ヒッヒッヒ、さてホリ様。メイラが気ィ失っとるうちに拠点に運んじまいましょう、荷車を出してもらえますかねえ?」
「お、おう……。いいの? 後で怒られるの嫌だよ俺?」
白目をむいて舌をだらしなくだらりと出して横たわっている老犬を横目に、鞄から彼女が乗っても大丈夫なサイズの荷車を出すと、静かに頷いたリザードマンは次にその老犬の子供達三匹に視線を移す。
「お前達、暫くここには戻ってこれないよ。何か大事なモンがあるなら今の内に取って来な!」
「は、母上は大丈夫なの!?」
「母上、母上!!」
荷台に乗せられた彼女に、寄り添うように三匹の犬達が周りをぐるりと囲んで様子を伺っている。そして息をしているのを確認して、安堵したような息を吐き出すとこちらへ向き直った二匹の犬達が先程のように毛や尻尾を逆立てるようにして唸り声を上げてきた。
「どういうつもりだ、このような仕打ちをするなんて!」
「やかあしい! 恨むならトロル程度を殺せない自分達の弱さを恨みな! ここに残ってたら確実に犯されて殺されちまうんだ、それよりはこうした方が手っ取り早いんだよ! メイアには後であたしから謝っておくから、あんた達も早く支度しな!」
普段あまりト・ルースがこのように声を荒げるのは見た事がないけど、年季の入った凄みがあるなぁ。彼女の言葉に一匹だけ冷静に対処したフロウが自分の母親と気絶したカーリンの体調を確認して一度頷いた。
「大丈夫、私達はいつでも出発出来るわ。こうしていても時間を浪費するだけ、行きましょう? 貴方達の拠点に。今は、私達が生き延びる方法を取った方が母上も喜ぶわ。お叱りなら私が代表して受けるから」
唸り声をあげていた犬達も静かに尻尾を垂らしてフロウの言葉を噛みしめるようにして大きく頷いた。
多少口論もしてしまったが、フロウの説得により彼女達の理解を得たところで、そこからの俺達の行動は素早かった。あれこれと迅速に片付けを済まし、持って行きたい品も相手側に特になしという事。道中面倒になりたくないとラヴィーニアがカーリンの手足を縛り、荷台にその体を固定して身動きを取れなくするという予防策もして出発。
大きな荷車を引くのはアナスタシア、荷台に横たわるリーンメイラの体の上に乗るようにト・ルースとラヴィーニアが同乗している。
普通サイズの荷車、こちらはオレグが引く事になり荷台には雁字搦めになっているカーリンとウタノハ、俺が乗っている。そして荷車を護衛しているフロウ達、フロウの姉妹の背中にプルネスとオラトリが乗っているのだが。
「ヒィィィィッ!!」
「頑張れプルネス、頑張れオラトリ」
気絶している内に拠点まで行ってしまおうという考えの元、それなりの速さとペースを維持して走り続ける先頭のアナスタシア、オレグも息を切らしながらもそれに必死に追随している。
問題はプルネスとオラトリ、それを乗せている犬達。どう見ても乗り心地は悪いだろうというサスペンションの壊れた車のような、犬の背中でがくんがくんと体を浮かせているプルネス。ケツが痛そうだなぁ……。
オラトリはしっかりと前を見据えて、表情と体勢を一切変えていない。
あまりにも不憫というか可哀想だったので道中俺と交代する事になり、そこからは俺が大変な事になる。プルネスに泣いて感謝をされ、こちらも事前にトイレは済ませておいた。
その後の事はあまり覚えていない、落ちないようにとラヴィーニアが俺の体をフロウの体に括りつけ、緑の毛並みを堪能している内に俺の涙と鼻水でべちょべちょになったフロウの背中は取り敢えず後で綺麗に洗ってあげよう。
まさか異世界に来て拉致をすることになるとは……。そう考えていたら涙で滲む視界の中には拠点が見えてきた。
その後、帰還を果たした俺達を見たポッドの顔は忘れようとも忘れられない程印象に残る物だった。そりゃまさか友人が拉致されてくるとは思わないよね……。




