第84話 逞しボディと悩ましボディ
熱い、焼けるようなこの感覚、間違いなく調子に乗るなと神のお叱りを下されているに違いない脇腹から脳に伝わってきているこの熱さ。
先程、柄にもなく恰好をつけた事への手厳しい代償を腹部に喰らったのだが、剣で腹を裂かれるという最悪な結果になる事もなくアラクネの布が俺の命を布一枚で守り抜いてくれた。彼女達には再会出来たらお礼に抱き着いておこう。
話のついた段階で交渉相手に不意打ちをして、結果に大満足と高笑いをしていた茶髪の子は、ボスと呼ばれていた女性に頭部へ拳を振り下ろされ、その痛みに涙を滲ませ膝を抱えて落ち込んでいる。
黒髪の子が隣で頭を撫でて励ましているので、そちらの心配はいらないだろうな。
「す、すまない許して欲しい。あの子も仲間を守ろうと必死だったんだ、虫のいい話だというのは分かっているんだけど……」
「ああ、構わない。こちらも多少こういった目に遭う事も考えていた。悪いんだが、少し怪我の治療をさせてもらうぞ」
俺は今、様々な種族の中心にいる。向けられている視線はこれまた敵意の含まれるものや、恐怖心に囚われた視線、負の感情が殆どだ。
その中で痛みを紛らわせるように手を当てながら、それとは逆の手を鞄に入れてある水筒と、カップと水の魔石も取り出した。
水筒の中には常に謎の重圧を放つ正体不明の液体、ペトラの薬草汁だ。
その中身をカップに少しだけ出して、あとは水の魔石でそれを薄めてから一気に飲み干した。
気の遠くなるまずさ、青臭さと辛味と酸味が甘味と苦みの奏でるメロディーに合わせてブレイクダンスを舌の上で繰り広げているような味を感じると意識を失いかけるが、今は気絶する訳にもいかない。少し水が少なかったのもあるけど、いつもよりマズイんじゃないかな……?
ペトラの薬草汁は熟成を経て、効果も上がるのだろうか? 痛みがあっという間になくなったな……。拠点に戻ったらポッドに改めて見てもらうとして、今はこれで十二分に回復したといっていいだろう。
「ふぅ……、よし。まず重傷者のところへと行こう、どのテントからいけばいい? それとも人間が信用出来ないというのなら誰でもいい、まずは軽傷者からやろう」
俺が治療をすると言っても向けられるのは敵意、そして聞こえてくるのは舌打ちくらい。まぁ、敵対種族が何言ってるんだと思われてるんだろうな。人間と争い続けてきた結果の弊害なのかもしれないが、やはりこうして敵意を剥き出しにされると怖い。
「こちらへ、深手を負っている仲間を纏めているテントがあるのでそちらを見てもらえるだろうか?」
俺へ向けられている敵意の中で、その空気を崩すようにダンディーな声が聞こえてきた。
俺にそう声をかけてきたのは先程ボスと呼ばれていた女性の身を案じていたミノタウロス……、こうして間近で見るとデカいな。
大木から生み出された丸太のように見える首や腕、はち切れそうな筋肉をしている。体も他の種族より二回りほどデカい、ああ、想像通りのミノタウロス……。こうして初めてみる種族はついつい感動してさわさわしてみたくなるな、決して変な意味じゃなく。
「わかった、案内してくれ」
「こっちだ」
連れられて入ったテントは他の物より少し大きい、だがそれ以上に気になったのは独特な臭い。
ペトラの薬草汁で鼻が利かないのが功を奏したが、血と汗と、あとは何かわからないその臭いの中で呻き声をあげているミノタウロスが二名と、リザードマンが二名。
「よし、貴方の力を借りよう。俺はホリ、貴方の名前は?」
「ああわかった。イダルゴだ、仲間を頼むぞホリ」
頷いて返してから、鞄に手を入れて取り出したのは残り少なくなったポッドの実。滋養強壮と体力回復、何よりおいしいという効果で元気になれる果実をナイフで一口サイズにしておこう。
「おいお前達! 俺の声が聞こえるか?」
少し声を張り上げてみたところ、一人を除いて全員が返事を返してきた。
「これからお前達の口の中に、トレントの実を放り込む! 治療はそれを飲み込んでから始めるから最後の晩餐のつもりで腹を括っとけ、死ぬ程痛いぞ!」
「クックック、これ以上の痛みか、楽しみだな……」
「死ぬ前にトレントの実が食えるとはな……。魔王様に感謝しておこう」
ぽつりぽつりと返事を返してくる奴らには少し大き目の物を口に入れておく。味わっている最中に死ぬ事もないだろう。
問題は反応が薄い一人だ、彼が一番危ないかもしれないので、薬草汁を薄めた物を無理矢理口を開いて流し込むようにして飲ませる。
「うぅぅぅ……!? なんだこれは毒かっ……!」
流石フォニアで試した薬草汁の使い方、大怪我によって意識の虚ろいでいたリザードマンを覚醒させる程に劇的な効果を見せてくれる。
「おい、リザードマン。名前は?」
「うぅっ……、レギィ……、ゲ・レギィだ……」
歯を食い縛っているその口元から血が垂れている。それだけ強い痛みに耐えてきたのだろう、早く何とかしてやるとしよう。
彼の体を軽く水で流して最低限の汚れだけは落としておくが、流れる水が赤く染まっている事からまだ血も止まり切っていないようだ。
「よしレギィ、これからお前の体に治療をするから死ぬ気で耐えてくれ」
「ククッ、ああ……、どうせこのままだと俺はもうすぐ死ぬだろう……。最後に思い切り運命に抗ってやるぞ……!」
荒い呼吸で俺に言葉を返し、笑うレギィ。
俺は薬草汁の入った樽から薬草汁を掬い出し、カップから零れるほどのそれを準備してイダルゴへと指示を出す。
「イダルゴ、彼を抑えつけてくれ、何があっても絶対に動かしてはいけない。わかったね?」
視線をミノタウロスへと移してそう問いかけると、彼は力強く頷いてリザードマンの体に手を置き、これから起きる事に備えた。
「わかった。レギィ死ぬなよ。……これでいいか?」
「レギィ、叫ぶ事になるからこれでも咥えておけ。『一、二、の三』でいくから覚悟しておけよ」
「ふぁふぁっふぁ、ふぉい!」
口の中へ詰め込んだ布は既に血で染まっている。だが薄めた薬草汁で意識だけは強く保てているのか、このリザードマンの眼には力というか光を感じる。
「はい、いーち」
「ンンンンンンンンンンンッッッ!!!」
ばしゃりと傷口に薬草汁をかけてそれを塗り込んでいく。
跳ね上がる体を抑えつけているミノタウロス、体へ襲い掛かる熱というか痛みというか……、とにかく痛いんだよなぁこれ。
体の大きな怪我に薬を塗り終える頃には、叫び続けた疲労からか息を切らして力無く口を開いているゲ・レギィ。死んだか!? と最初は焦ったが、流石薬草汁の効果で気絶はしておらず虫の息になっているだけだ。
「よし、レギィ。終わりだ、よく頑張ったな。ご褒美にこれ食っとけ。力が沸いてくるからな」
「ふぁぁ……、ふぁ、あぁ……」
噛ませていた布を外すと、しっかりと返事は出来ている。力の無い反応ながらも、まるまる一つ頬張った果実をしっかりと咀嚼しているのでレギィはこれでよし。
「よし、次だ。心の準備は出来たか? まぁ出来てなくてもやるけどな」
重傷を負って横になっていた彼らは今の治療とレギィの惨状を見て、目を見開いて震えている。
「か、神よ……。ああ、魔王様……」と祈りを捧げているミノタウロスとリザードマンの三人にも同じように薬草汁をかけてから塗り込み、治療を終える。
辺り一帯には叫び声が響き渡り、レギィ以外に薬草汁の薄めた物を飲ませていなかったからかそのまま眠ってしまった。
「これでよし、と。レギィ? 調子はどうだい?」
「あ、ああ……、先程まで体を襲っていた痛みや苦しみが嘘のように晴れている……。この実を食べた後は尚更、力が腹の底から湧き上がり始めているようだ……」
「レギィ、良かったなレギィ!!」
イダルゴはレギィの手を握り締め、レギィもそれを見て笑顔を浮かべて頷いて返している。……あ、感動的なところ申し訳ないが大事な事を忘れていた。
「レギィ、悪いんだけどこれ飲んでもらうから。はい口開けてー」
「なにっ!? またそんなまずいものいらなおごごごっ」
おお、流石薄めてないと大変な事になるな。先に飲ませた薄めた薬草汁の効果を消し飛ばして、軽々と一瞬で気絶したぞ。
「よし! イダルゴ、次だ次! とっとと済ませて栄養のある飯を作ってやるから呆けている暇なんてないぞ!」
彼の逞しい体を軽く叩いて気合を入れてみるが、こうして触ってみると凄い張りの筋肉だな。セバートも俺がこれくらいの体になったら一人前と言うのだろうか。その前に入国審査で不審な筋肉として弾かれてしまいそうだが。
「あ……、ああ、すまない。よし次はこっちのテントに重傷者がいる!」
「よし、お邪魔しまーす!」
俺とイダルゴはそれから突撃隣の薬草汁という恐怖のテント訪問を繰り返し、傷の大小に構わずほぼ全員に薬草汁をお見舞いしていった。あちこちのテントから断末魔のような悲鳴が響き、全てが終わる頃には無傷の者が怯えるように俺を見つめてきたのが印象的だった。
「アイツ、皆を殺しにきたんだ……。私、あんな事しちゃったから絶対酷い目に遭わされて、殺されちゃうんだ……」
俺の腹を斬りつけてきた茶髪の子が自分の頭頂部近くの耳を隠すようにして頭を押さえ、小さく震えながらぽろぽろと泣いていた。
この子は暫くは放っておくとしてこちらは次の行動を始めないといけない。
リーダーの女性も、先程まで彼女を励ましていた黒髪の子も今は薬草汁の世界へ飛び立ってしまっているから少し不憫ではあるが。
「イダルゴ、飯の準備を始めるから手伝ってくれ。料理をした事はあるかい?」
「いや、何かを焼いたりした事はあるが料理自体はした事がない。何を手伝えばいい?」
鞄から大きな鉱石を取り出して巨大な簡易かまどを三つほど作ったので、彼にはそこで火の面倒を見ておいてもらおう。まずは怪我をしていない者達の腹を満たして、俺を手伝う英気を養ってもらわないとな。
そういえば俺が大怪我を負ったりブーストポーションで傷ついている時に、スライム君は俺にお粥のような物やスープ、食べながら水分が取れる物を用意してくれたな……。参考にしよう、彼の選択になら信頼を置ける。
とりあえず野菜を全部細かく刻んでしまおう。噛む事すら難しい体力の者もいるだろう。味付けは……。
「イダルゴ、君達の種族はどんな物が好きなんだい? 味付けにちょっと困っているんだけど、味見して協力して欲しいな」
「我らは皆、野菜が好物だな。何でも言ってくれ、ここまで来たら出来る限り何でも協力しよう」
力強く頷いている彼、だがしゃがみ込んで板のような物でぱたぱたと風を送り、火を大きくしているその姿はどちらかと言うと可愛い物だ。
ミノタウロスだけじゃなく、リザードマン、オーク、彼ら全員が満足する物はそれこそスライム君でしか作れないだろうし、俺に出来る事をやるとしよう。
それにしても色々買っておいてよかったなぁ。
鞄から溢れんばかりにある食材を使って鍋の一つはクリームシチューを使用したパン粥、一つは野菜を炒めて香辛料で味を調えてから煮込み始め、最後の鍋は肉を細かくして炒めた物を使って作ったブイヨンに大き目に切った野菜を入れて煮込んでおいた。
「よし、イダルゴと俺に斬りつけてきたそこの君、試食というか先に食事にしよう。他にも怪我をしていない人達、お腹空いてたらおいでー」
出来上がったスープを一旦別の場所へ置いて、元気な者達へはミリーから教えてもらった野菜炒めを少し薄味にして腹ペコミノタウロス二名の目の前に並べる。
この二人、更に後ろにいる五人を除いてほぼ全員が重軽傷を負っていたというのも中々異常だな。
「あ、毒とかは入れてないけど不安なら俺が一口食べるから。出来立てで熱いから気を付けてね」
「お、おう……」
「まともな……、食事……」
「何時振りだろう……」
少し周囲の者がざわついて狼狽えている中、イダルゴが最初に手を伸ばし少し時間を置いてからぱくりと頬張ったのは自信作のシチューを使ったパン粥。
病人や怪我人には重いかなぁ、クリーム。ちょっと悩むから彼に聞いてみよう。
「この後これを起きてきた怪我人とかに食べさせようと思うけど、口に合うかな?」
「これは……、ヤッキュルの乳か。栄養もあるから大丈夫だ、うまい。……うまいっ!!」
軽く涙ぐみながら器を持ち上げ、その器の中身を豪快に飲み込んでいく彼もあちこちに生傷が見えるな。
「ミノタウロスは野菜が好きなんでしょ? これも食べてみて? この通り毒も入ってないからさ」
俺に斬りかかってきた茶髪の子の前に野菜炒めを差し出し、フォークで一口頬張って毒のない事をアピールすると、彼女の少し開いた口から息が漏れ、涎が垂れている。
「冷めるのも勿体ないから、俺が食べちゃおうかな? いらないかい?」
「た、食べるよ! 食べるから!!」
少しだけ、野菜の切れ端のその小さな摘まむような欠片を取り、目を瞑って口に入れた彼女。
「うぅぅ……っ!」
「ティエリ、どうした!? やっぱり毒か!?」
「ティエリ、吐き出しなさい!!」
「くそっ! 人間め!! どういうつもりだ!」
「いやいや、今俺も食べたでしょ? 毒なんて入ってないってば。そんな勿体ないことしないから、落ち着きなさいよ」
唸りながら突っ伏してしまった彼女の後ろから、声を張り上げて俺への敵意を出してくる彼らの心配とは別の場所から、かたんと何かが響く音が二つ。
「うまーっい!!」
「おかわりっ!!」
響いた音の正体は俺が糾弾されている僅かな時間で、野菜炒めとパン粥を食べ切ってしまった二名が皿をテーブルに置いた音だった。
彼らはきらきらとした表情をこちらに向けて、皿を前に差し出して次を要求しているので次はたっぷりと盛ってあげよう。
「味は大丈夫みたいだね? 野菜炒めはどんどん作っていくから、熱い内に食べてね。あとイダルゴ、クリームがついてるよもう」
「す、すまん。まともな食事は久しぶりだったもので……」
「おかわり! おかわりー!!」
俺が布でミノタウロスの大きな口を拭っている横で体を縦に揺すって次を要求してくる茶髪の子、おうふ……。何が、とは言わないけどありがとうございます。眼福、まさに眼福。
先程までの様子とは一転して元気が溢れ出し始める彼女の声に、周囲を覆っていた鬱屈とした空気がどんどん霧散していく気がする。
彼女のその元気な声に呼応するように、まず一番重傷だったのではという怪我をしていたリザードマンのレギィがふらふらと足元が覚束ない様子だが姿を見せた。
そしてそれを皮切りに次々と薬草汁をお見舞いされていた割と軽傷だった者達がテントから出てきて、自身の回復ぶりを確かめるようにしてその効果に目を見張っていた。
「ごめんね、リザードマンには魚の方が良いんだろうけど今持ち合わせてないんだ。その内、何か用意するから楽しみにしててよ」
「は、はい……。ありがとう……」
レギィを支えるようにしていたメスのリザードマンに彼の分の食事を渡しておく。レギィや彼女の体からも鉄の臭いがするが、怪我自体はもう塞がっていたりして身動きもゆっくりとなら問題はないようだ。
「レギィ、ゆっくりと頂きましょう? 食べられる?」
「アマラ……手間をかけさせてしまってすまない。大丈夫だ、頂くとしよう」
彼の面倒はこのリザードマンに任せておこう。次々と現れる元怪我人達は相当空腹だったようで、出された物を即座に食べ切る程には回復の兆しを見せてくれる。
体に何かあると腹が減る感覚自体が感じられなくなるしなぁ。美味しいという感覚は、俺の拙い料理でも味わってくれている彼らがそれだけ健康になったという証拠、ペトラとシュレンが生み出したこの兵器に今日も感謝。
がつがつと料理を食べている者達は大丈夫そうなので、俺はトレイにスープとパン粥、少しの野菜炒めを乗せてあるテントへと訪れていた。そこは先程俺が薬草汁をお見舞いした内の一人、ボスと呼ばれていた女性が休んでいるテント。
腹に食事が入った事で落ち着いて水を飲んでいたイダルゴに同行してもらい、訪れたテントの中では彼女の隣に先程の黒髪の子も横になっている。
ボスと呼ばれる寝ている女性の頭の上にトレイを置き声をかけてみる。先程まで彼女は元気そうに見えたのだが、その実かなりの重傷を負っていた内の一人だった。
頭には斬られたような傷とそれで流れ出た血によって髪が固まっていて、同じような斬られた大きな傷が背中にも。小さな生傷や火傷のような痕を入れたら数えきれない程の怪我をしていて、よくもあれ程動いたり、叫ぶ事が出来たなと感心してしまうくらい。
先に料理の匂いに反応をして目を覚ましたのは黒髪の子だった。用意していた物を食べさせるとじっくりと、ゆっくりと料理を噛みしめているので大丈夫そうだ。
「うぅぅ……っ、ここは……? 美味しそうな物の匂い……」
「ボスッ! 気が付きましたか!?」
「おはようございます、食事にしようと思っていたんだけど貴方は先にコレを食べて精をつけようか」
体を起こそうとしている女性の目の前にポッドの実を差し出す。
残った実もこれが最後、大事に食べておいてよかったな。ふらつくようにしてまだ本調子ではない彼女は、それでも目の前の果実から溢れる香りに反応を示している。
先程は薄暗くてよくわからなかったが、テント内のランタンの光に包まれている彼女を少し眺めてみる。
少し垂れた目と潤んでいるように見える黒い瞳に泣きボクロ、黒に近い茶髪のふんわりヘアーにこれまた茶色の肌の美人が少し荒い呼吸でいると何というかこう、ドキドキします。
そして視線を横にスライドしたくなる何か途轍もない魔力も感じる。男にしか効かない何かの魔力。コレ、魔王のツマやラヴィーニアよりデカいんじゃ……?
「これは……、トレントの実……?」
「うん、頂き物だけど栄養があるから。こういう物の方が今の貴方にはいいと思うんだ。それを食べて少し落ち着いたら、ちゃんとした食事にするからね」
一口サイズに切り分けてから彼女が上半身を起こせるように頭を抱え上げ、そして手を貸しながら少しずつ果実を口へと入れていくとしっかりと噛みしめている事からも体調の方に問題は無さそうだ。
彼女もあとは体力が戻れば、といったところだな。
「おいしい……。フフフッ、怪我をしてトレントの実を食べるなんて御伽噺の一節みたい……。これがポッド様の実なら完璧だったわ……」
「おお、君達の種族もその御伽噺があるんだ? これそのポッドの実だよ、最後の一つだから大事に食べてね」
「えっ?」
「はえっ!?」
「えええっ!?」
腕の中でポッドの実を食べさせていたボスと呼ばれる女性から、そしてその隣でスープを飲んでいた黒髪の女性から、横でボスの体調を気遣っていたイダルゴから間抜けな声と顔を向けられる。ポッドの実、有名だなぁ。
「まぁ、今はそれはいいか。イダルゴ、食事を用意してくるからここは頼んだよ。大分彼女の顔色も落ち着いたし、一息つけそうだなぁ」
「お、あ、ああ……」
俺は彼女がポッドの実をある程度食べ切るまで手を貸し、食べ終わったら抱えていた彼女の頭を再度寝かしつける。そうしてテントを後にして、火元から離しておいたスープを温め直しつつ新たな野菜炒めを作る為に野菜を刻み始めた。
――テント内、ミノタウロスの三名はホリが放った一言に驚愕し言葉が出す事が出来なかった。だがその空気の中で、意を決して声を出した黒髪の女性が隣で顔を赤くしている女性へと声をかけた。
「ぼ、ボスー? 今あの人族『ポッド様の実』って言ってたように聞こえたんですけど、私の聞き違いですよねー?」
「ろ、ロサナ、当たり前だろう? 伝説と謳われるポッド様の実だぞ? どうして人族が……、それにもし今ボスが食べているのがその実だとしたらボスは……」
「言わないで、それから先を口にしたら怒る」
真っ赤に燃え上がる炎のような頬を手で押さえながら、他の二名に自身の顔を見えないように体の向きを変えつつ、手にしていた一切れの果実を見つめ続ける女性。
ケンタウロスと同じような恋の御伽噺、やはり同じ草原の民ミノタウロスにもあるのだがその内容は少しだけ違っている。ケンタウロスに伝わる話はトレントの実を相手へと差し出す事で生涯の愛を誓うという話である。だがミノタウロスに伝わる話はそれと似て非なる物だった。
うら若き女性が男性と結ばれるといった話の筋は変わらない、だがケンタウロスに伝わっていた話は森の賢者から実を貰うという厳しさ、実の貴重さが強く語られる。
対してミノタウロスに伝わっているのは森の賢者を見つける事への困難な道のりがより強く語られている。
それは種族としての差が生んだ違い。魔族の中でも有数の健脚を誇るケンタウロスと移動の能力がそれ程優れている訳ではないミノタウロスとでは、同じような話の内容でも難しさの観点が違う為に生まれた相違点。
ミノタウロスに伝わる御伽噺では、物語の最後『愛し合う男女が伝説の樹の下で誓いを結び、果実を食べさせ合うとその愛が永遠の物になる』と言った物が時代を経ていく内に何時しか変化をして『異性に食べさせられたらプロポーズ』の意味を持つようになってしまった。
更にケンタウロス族よりも森の賢者の実を入手する事は疎か、その森の賢者を発見する事すら難しいミノタウロス族にとってその物語への憧憬の念は根強く、根深い物だった。
ホリは勿論、そんな事は知る由もない。
「どうしよう……、どうしよう……」
長い時間苦しまされ、耐え続けた痛みはもう既に消え去っている。だが今また生まれてしまった新たな苦しみに胸を高鳴らせ、頭の中をかき乱す原因となっている果実を見つめ、優しく香るそれを彼女は大事に口に放り込み、ゆっくりと噛みしめながら味わっていく。
その味を心に刻み込むようにして飲み込むと、自身のこれからと先程までの自分と人族の行為を思い返しては、体を包んでいた薄手の毛布で顔を隠しじたばたと小さく見悶えた。




