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魔王様、顔怖いです。  作者: ふかづめ
生活の質を上げよう
122/142

第122話 普段大人しい人が怒ると怖い

 抜き足差し足、忍び足。物音や気配で相手に気取られないようにするというのは意外と疲れる。


 それに加えてガリガリと精神的な何かを削りに来るすぐ横にある死体、少し離れた場所で戦闘をしているという条件も加味して、この特殊な緊張感の中だとそろりそろりと薄暗い空間をただ歩いているだけだと言うのに、気付けば息が切れてくる。


 この独特なペースに、レリーアは苛立ちを募らせてどこかへ行ってしまった。堪え性のない変態め。


「大丈夫ですか、もしもーし? 大丈夫ですかー……?」

「ぅあ……、ぇぁ……」


 先程体を張ってチューインガム役をこなしていた亜人の女性に小さな声で話しかけてみたがまるで映画などで見るゾンビのようだ。

 ただそこで立っていろ、と言う命令を忠実に守り続けているかのようにして佇む彼女は、近寄るとプンと臭う。


 見た目もべちょべちょ、服の千切れている部分から覗く肌は噛まれたような跡に打撲傷、痛々しい状態もそうだが、何よりこの唾液に塗れた状態と臭いで意識を取り戻したらさぞ取り乱す事だろう。


 あまり触りたくはないが、しっかりとした呼吸や脈なども確認しつつズタボロの布切れ状態の衣服だけでは可哀想なので鞄から出した新品の布を肩からかけていると、音も無く空中から巨大な蜘蛛が降りてきた。


「ホリ、どうするんだ?」

「いきなり上から現れるなよ怖いな。俺の体から色々溢れ出て大人の尊厳を失ってしまうだろ」


 元よりそんな物はない、という意味合いの篭ってそうな視線は避け、女性を一人保護する事が出来た。年齢は俺より少し上という感じだが、体はやつれていて軽々と担ぐ事が容易く出来る。


 もしかしたらここに長く捕らえられていたのかもしれない。

衣服から糞尿の臭いがない事からコーヌの方と違って最低限の世話をされていたのは伺えるが……。


 そういえば拠点でラミアの一人が言っていたな。

 意識を奪って先程ラミアの女王が見せたような使い方をするのだから、まさに非常食という訳か。


 あの巨漢の女王に苛立ってしまうが今はとにかく捕らわれている人全員にこれ以上酷な目に遭わせない為にも行動だ。


「レリーア、お前の手を貸してくれ。頼む」

「お、おう。どうしたいきなり真面目な顔をして、似合わないぞ」


 何故かしどろもどろになっているレリーア、こうしている間にも少しだけ空気が変わってきている。どうやら先程ラヴィーニア達に頼んでおいた事が進んでいるようだ。


 これだけ戦闘の外であれこれとしていればそう遠くない未来に相手に気付かれるだろう、それまでに捕まっている人達の安全を確保しなければいけない。


 オラトリ達にはもう少し踏ん張って貰わないといけないな。

 これが済んだらスライム君に美味しい物をたらふく作ってもらって、彼女達を今日の功労者として盛大に讃えるとしよう。


「ホリ、それで私は何をすればいい?」


 べちょべちょの女性を運び、他の亜人の元までは相手に気付かれる事もなくやって来れた。


 大事なのはここから。この場から敵に気付かれないように更に注意を配りながら一人一人脱出させねば。


「レリーア、この人達を思い切り雁字搦めに糸で結びつけて身動きを一切取れなくしてくれ、上のラヴィーニアのところまで運びたいんだ。頼りになるお前の姉さんの事だからどうせ俺の体に糸を張り付けて会話を聞いているだろうし、上にいる他の人達の力があれば楽勝だろ?」

「わかった、いいですねお姉様?」


 俺とレリーア、ほぼ同時に出入口の穴へと視線を上げるとそこにはサムズアップしてこちらの要求に応えようとしてくれている女性がいた。

 上では俺の頼み事を実行しながら彼女が的確な指示を出してくれると信じて後はやるしかない。


「それで? ホリは何をするんだ?」

「俺はもしもの時の為にこの人達を守れるようにさっき外で見せた小屋を用意しておくよ。頼んだぞレリーア」


 俺の言葉を聞いて軽く頷いた彼女は早速一人の亜人を捕まえて糸で手足を縛り、出入口のある場所の下までその亜人を連れて行った。


 そのまま空中から何かを手繰り寄せるような仕草を見せ、上からラヴィーニアが垂らしているのだろう糸を括りつけられた人がその後、ゆっくりとしたペースで持ち上がっていく。

 何かのお話のようだが流石にあの糸は切れないと思うし、こちらはやれるだけの事をやっておこう。


 細心の注意を払い、更には二桁に及ぶ人数を運び出すのは骨が折れるだろう、時間も掛かる。レリーアの方も頑張っているが遅々とした救助は気持ちを逸らせるが焦ってもしょうがない。


 命懸けで戦っている者達とはまた別に、こちらも命を賭けた脱出劇を繰り広げているとまず先に俺の方が目的の物を作り上げる事が出来た。


 先程騒音対策に出した小屋のような物を出来る限り音を立てないように作り上げただけなのでぱっと見た感じとても心許ないが強度は折り紙つき、いざとなればこの中に入ってしまえば何とかなるだろう。


「レリーア、手伝うよ。あと何人残ってる?」

「コイツを含めて五人だ。そっちはもういいのか?」


 彼女の言葉に一度頷き、そのまま糸で身動きを封じられている人を担ぎ上げた時、背筋が凍るような感覚に襲われた。


 俺も流石にこの世界でピンチを味わい続けたその結果、養われた小動物的本能が全力で鐘を鳴らしてピンチだと知らせてきている。間違いない、相手のラミアに気付かれたのだろう。


「レリーア! すぐ全員ここに連れてこい! 急げ!!」

「な、なんだ急に? っ!? わかった!」


 抱えていた人を糸に繋ぎ終え、また一人安全地帯へと送り出した彼女は俺の声に何かを察し、ちらりとオラトリ達が戦闘をしている方向を見て、血相を変えて残っている二人を抱えてこちらへと駆け寄ってきた。


 こちらも残りの二人を両脇に抱え、そのまま簡易の避難所へと走り中へと転がるようにして逃げ込む事が出来て、一先ず安心。


 どうやら直感のような物は正しかったようだ、急ぎ扉を閉めて侵入を防ぐ準備を終えたところで屋外から怒号のような声が響く。


「何じゃお主ら! まだ仲間がおったとは、しかもワシの飯に手を出すとは良い度胸をしている! このまま叩き潰してやるわ!」

「レリーア、耳塞いでおけ!」


 自らもそうしながら、レリーアに忠告を飛ばすと彼女は既に先程作り上げた耳栓を装着し終えていた。

 準備が宜しい事で、と感心している場合ではない。自分も彼女に倣い鞄の中へ手を入れて耳栓を出そうとするよりも早く、大きな物が激突したような音が小屋の中に鈍く響いた。


「くわぁ、頭に直接来るなこれは……。耳栓耳栓と……」


 一度大きな衝撃の後に、またも襲い掛かってくる同じ様な衝撃の波。

 亜人の人達は大丈夫だろうか? 俺よりも耳が良いんだろうし、このいつやって来るかわからない大きな音で心臓止まったりしないよな?


 耳栓を着用して、べちょべちょな女性の様子を見てみたが問題は無さそうだ。というより、意識が無いから元々大丈夫じゃなかったか。


 鉱石で出来た耳栓はやはり素晴らしい、時折やってくる大きな振動さえ気をつけていれば音も気にしなくて済むし。


 グスタールで安眠グッズとして商売出来ないかな? あのやり手の商会長さんならどうとでも売り上げてくれそうだが……鉱石の価値が結果的に下がりそうだ、そんな事をしたらトンデモない事になりそうだからやめておこう。


 蓑虫状態で寝転がっている亜人達の様子を確認していると、肩をトンと叩かれた。

 振り返るとそこにはレリーアが耳栓を取れ、というアクションをしているので外してみると、先程までの衝撃音も無くなっていて外からはまた叫び声が。


「クソが、何じゃこの硬い小屋!! ワシの武器が砕けようが全く傷も入らんぞふざけおって!!」


「どうやら何とかなってるみたいだね」

「ああ、だがどうする? 目の前に居られては身動き一つ取れないぞ、こちらは」


 とりあえず外の状況を確認しよう。

 中からは天井の空気穴くらいしか外を覗ける穴が無いので、つるはしを刺し込んで先程ラミアの女王が走り込んできた方向や他にも数個の穴を開けてみた。


 様子を伺いながら覗き穴から外の様子を眺めてみると、そこには近くで見れば見るほどデカい女王の姿。

 今避難している小屋よりもデカいバケモノが家の前で砕けて短くなった棍棒を地面に叩きつけている。どうやら、流石にこの小屋を壊せるほどの物ではなかったらしい。


「忌々しい、忌々しい連中じゃ! 大人しくワシの晩飯になれば良い物を!!」

「ありゃ、めっちゃ怒ってる。何しでかすかわからないぞあれ……おわっ」


 穴から情報を仕入れていると、突然避難している小屋に大きな振動が。

 怒りに身を任せたラミアの女王の叫び声と共に揺れる屋内、敵が何をしているのかはわからないが、とてもではないが立っている事が出来ない。


「こんな時は……、とうっ!」

「おわっ! き、貴様やはり私にまで変態の牙にかけるつもりか! この色魔め!!」


 激しい揺れが続いているこんな状況でも、それほど影響を受けていないという卓越したバランス能力を見せているアラクネの体に飛び掛かり、抱き着いて難を逃れよう。


 いざという時に頭をぶつけて気絶していた、などという事にもならない為にも、眼前にある二つの柔らかクッションにしっかりと顔を埋めておかねば。


 頭を小突かれながらも不退転の覚悟でまんじりともせずに動かないという意志を見せていると諦めて鎮まる彼女の怒りと共に揺れも治まってきた。


「ん? 流石に疲れたのか? 外の様子、変わったみたいだ。レリーア俺は忙しい、ちょっと様子を見てくれ」

「おまっ、とりあえず後で殺す。……ん、どうやらリューシィ達とまた戦闘になったようだ。とはいっても、この距離ではこの入り口の閂を外して外に出る訳にも行くまい。このままここで機を待つとしよう」


 いつまでも抱き着いている訳にも行かない、レリーアが覗き込んでいる穴のすぐ近くから俺も周囲の様子を確認してみるとしよう。


「んー……?」


 穴の中から見える景色、薄暗い空間の中でそれほど視界が良いという訳ではないが、オラトリ達と戦闘をしている相手の女王の状態がおかしい。先程までほぼ無敵と思われた圧倒的な防御能力が徐々に落ちている様子で、下半身の長い尻尾の肉が削げ落ちて骨が見えていたり、切り傷が入っていたり……。


「ねぇレリーア、あの女王って……」

「ああ、魔法陣を潰した成果が表れ始めているな。ホリの作り出した武器や魔法の攻撃を全て弾くほどの防御魔法、消費する魔力も相当な物だろう。魔法陣を壊した事もあってその魔力を賄う事が出来なくなっているな。こうなる事を見越していた姉様に感謝しろ」


 彼女は強い眼差しでこちらへ向き直り、一つ頷いて女王の状態が長くは持たないという事を示唆している。そして、何があればすぐさま動けるようにと蓑虫状態の亜人達を入り口の近くへと運んできた。


「しかも今、奴は先程と違い魔力を補充出来ない。戦局が動いたら頃合いを見てこいつらを纏めて上に引き上げるぞ」

「わかった、外の様子は……」


 レリーアと共に再度外を眺めると今までの余裕はどこへやら、焦った様子のラミアの女王への攻撃が効果的に決まり始めている。


 先程と大きく違うのは全ての魔法や武器の攻撃を弾いていたあの絶対的な防御力も完全に鳴りを潜めている事だろうか。


 もっと言えばレイと比べても遜色のなかった腕力による棍棒の一撃や、目にも止まらぬ速度で動いていた尾による薙ぎ払う攻撃も、その全ての速度や威力が落ちて鈍くなっている。


「奴の動き自体が鈍くなっているのは、姉様に頼んだ作戦の効果か? しかし、ラミアというのは意外と『寒さに弱い』のだな」

「ラミアがっていうか蛇が、だけどね。寒さに強い種も勿論いるだろうけど、やらないよりはやってほにゃららの精神でやってもらったんだ」

「ホニャラ……?」


 レリーアと共にいつでも飛び出せるように亜人達を足元に待機させつつ、眺め続けていた穴の奥から見える映像は徐々にスプラッター映画のような物へと変わってきた。


「さっきのお返しだ、このやろぉー!」


 両手に構えた短刀と体術を駆使し、大きな相手へと向かっていくフォニア。迎え撃つように激しく振り下ろされた棍棒もひらりと避けつつ、そのまま腕を蹴り上げた時にまたも肉が抉り取れていく。


 彼女達の戦闘、目を背けたくなるほどに惨たらしく見える一番の要因はあのラミアの肉体の異常性だろう。

 魔力と天井にあった魔法陣、そのどちらもが無くなり始めた途端に肉が衝撃で腐れ落ちるように剥がされ、中の骨が浮き出てくる。

 その剥がれた部位から出血をするような事もなく、血の通っていない人形のようだ。


「なんかアイツの体、やばすぎじゃない? まるで死体が動き回ってるみたい」

「あれは先程まで施行していた魔法の反動だ。あらゆる攻撃を弾くなんて大それた物を使っていた代償に、魔力が尽きた今は肉が朽ちているんだ。むっ? ホリ、そろそろ飛び出せる準備をしておくぞ」


 リューシィ達が撃ち出した水の槍がラミアの女王の体の贅肉を削ぎ落とし、相手がよろめいたのを見てレリーアは亜人を二人抱え上げた。

 どうやら伺っていた機会の時間がやってきたようだ、もう大丈夫だろうと閂を外していつでも飛び出せるように俺も蓑虫状態の二名を抱え、準備を済んだと彼女に頷いて応える。


 静かに、相手に気取られないようにゆっくりと扉を開けて、恐る恐る外の様子を見てみると敵はまたも棍棒を振り下ろし激しく地面を抉った。

「腹立たせてくれるわ虫けらが! 死ね死ね死ねッ!!」


 大きく叫び、何度も何度も棍棒をリューシィ達へと振り下ろすラミアの女王だったが、その攻撃は既に見切ったと相手へ宣告するようにオラトリが振り下ろされた棍棒の上へといつの間にか降り立ち、そのまま棍棒の上を走り込んでいく。


「おおっ、映画のワンシーンのようだ……!」


 つい口を出た呑気な言葉とは裏腹にオラトリが降り抜いた十手はラミアの肩を撃ち抜くようにして、その部位ごと腕を吹き飛ばしてしまうほどの威力。


 オラトリが繰り出した一撃はそのまま決定打となり、ぼろぼろとなってしまった太った肉体のあちこちから骨を剥き出しにしているラミアの女王が肩で息をして、既に息も絶え絶えという様子が目に入ってきた。


「クソが……、腹さえ、腹さえ満たせればお主らなんぞ……」


 敵はもう片腕を無くし、あれほど自慢げに振り回していた尾もズタボロ、手にしている棍棒も最初に見た時のような強度や逞しさを感じさせない程に細く、弱々しい物へと変貌している。

「他者を糧に得たまやかしの力でやってきた所業の数々、それを償う時がやってきたようだな名も知らぬラミアの女王よ。悪行三昧もここまでだ」


 十手の切っ先を相手に向けて、物々しい口上を放ったオラトリ。

 彼女の凛々しさと十手の輝きを見るとやはり和同開珎が腰元に欲しくなるな、今度作ってみよう。武器名は、キンヤかな……? 


「レリーア、今の内にこっそりと行ってしまおう。あの様子ならこっちに意識を持ってくる事も出来ないだろうし、何よりこの亜人達を抱えたままじゃ何かあっても動きが取れないしね」

「わかった、丁度ここからなら闇に紛れられる。だが相手は手負い、何を仕出かすかわからないから充分に注意しろよ。まぁ別にお前が死んでも私は構わないがな」


 小さな声で憎まれ口を叩きながら亜人を抱えて進み始めたレリーアに続き、俺も同じ経路を辿り出入口の麓までやってこれた。

 俺が到着した頃には、既にレリーアが抱えていた二人は纏めて上へと運ばれている。

 あと二人、この二人さえどうにか出来れば……。

「レリーア、この二人を運び終えたらこの洞窟の他の道に捕らわれている人がいないか確認してきてくれ、一人じゃ危ないから上にいる誰かと数人でね。すぐさま逃げる為にも、心残りは無くしておきたいし」

「ああ、わかった。それならついでにその二人はこのまま上まで直接運ぼう。一人よこせ」


 抱えていた蓑虫を彼女が受け取ると、そのままカツカツと壁を歩き始めた彼女に続いて俺も……、とブーツに魔力を込めるイメージをしていた時に上から叫び声のような物が聞こえてきた。


「ホリィッ!! 急ぎなさい相手が来てるわァッ!」

「えっ……?」


 ラヴィーニアの普段聞く事が滅多にないような、焦りの色が感じられる大きな声に振り返ると肉体の大部分が剥き出しの骨という状態になったラミアの女王がこちらへ目をつけ、凄まじい勢いで残された腕や肉体を使って這いつくばり迫ってきている。逃げようとしている俺達や、奴の言う餌の存在に気付いたのだろう。


 対峙していたオラトリ達は、奴が巻き起こした砂煙に目を取られ咄嗟の動きを取れなかったようだ。


「やばっ……、あっ、あれ?」

 人間というのはこういう土壇場や追い込まれた事態、普段とはまるで違う重圧の中に身を置いた時に二つのタイプに別れると思っている。

 普段と変わらずプレッシャーを物ともせずに実力を出し切れるか、萎縮して実力の半分も出せなくなるか。


 悲しい事に、自分は後者だ。


 普段何となくやれていたブーツの効力を発揮した壁上り、後ろから迫る恐怖に焦り何度壁に足を引っ掛けても発動しない。

 現代日本でもこういった緊張や焦りで何度も痛い目に遭わされていた。

しかし、現代日本ならば例えば会社の重役が集う会議のプレゼンには事前に飼っていた猫達と自宅で会議のリハーサルを何度もやる事で事なきを得ていたりと対策はしてきた。


 しかし、そういった緊張の極まった物のようなこの状況、更に正真正銘の命懸けの状況で既にタマヒュンと共に縮み上がった足が壁に引っ掛かるような事はまるでなく、終いには体勢を崩す情けない自分の醜態に涙が出る。


「お主、人族、それもオスかァ!! 好都合だ、ワシの糧になれぇえぇえ!」


 もたもたとしている内にすぐ傍にまで迫ってきているラミアの女王、顔面の半分が朽ちているバケモノが凄まじい勢いで地面を這い、俺ともう一人の亜人を目標に捉えている。


「ああ、もうくそ! レリーアこの亜人も頼んだ!!」


 力の許す限り全力で抱えていた人を放り投げ、放り投げたのとは逆の方向へ走りながら自身の情けなさの腹いせにラミアへの怒りを大きく叫んでみた。


「おいこの豚野郎! ラミアの女王だって聞いて期待してたのに何だその醜い姿は!! 痩せろデブが! 金返せバカヤロー!」

「何じゃとぉ!? ワシの美しさがわからぬ下賤な人族が!! 骨の髄までしゃぶり尽くしてやるわぁッ!!」


 放り投げた亜人の方へと行かず、真っ直ぐに俺へと向かってきた女王から全力で逃げていたが、僅かな時間の内に大きな手に足を掴まれその場に転がされ、俺が捕まった事であちこちから叫び声が聞こえるが顔面を強打してくらくらとする意識を失わないように歯を食い縛るのに必死だった。


「ブッファハハハ! よりにもよって人族がおるとはな! 早速頂かせてもらうぞ!!」


 地面に顔面を強打して、ちかちかと星が飛び鼻からは熱い何かがぼたぼたと流れているがそんな事はお構いなし、と俺は足を掴まれたままラミアの女王の、肉が半分削ぎ落ちた顔の前まで運ばれてしまった。


 ああ、この女王ちょっとやっぱり、口臭がアレ。

 どす黒い、白い輝きとは真逆の深い闇のような牙や歯を持つ口がぱくりと開いて、先程転んだ時とは別の意味で気を失いそうな俺を今にも飲み込もうとしている。

鼻血が出ていて助かったと思う時が来るとは……。


「くそ……、頂かれるならせめて美人が良いー! こんなおっさんみたいな奴なんて嫌だァー! うわぁーん!!」


 叫びも虚しく空へ高々と持ち上げられた俺はそのままラミアの女王の極めて暴力的なスメルが迸る空間へ頭からダイブする事になってしまった。


「うぉおぉぉおおお! くっせぇえええ!!」


 咄嗟に出したハンマーで、鋭い牙やどす黒い歯を持つ女王の口内を閉じさせないように突き立ててみたが歯とはまた別の物、うねうねとした舌が俺の背中を舐め回している。


 しっとりぬめぬめとした感触が肌を襲い、それが一回、更に一回と増えて行く毎に体から力が抜けていくのを感じた。


 これがチューインガムの気持ち……? 俺は今、噛んでいるガムの味が無くなっていくように魔力を奪われているのだろうか? 出来れば一生味わいたくはない経験だったな、相手が美人だったり鼻が捥げそうな口臭じゃなければまだ良かったけど……。


「くそ、目がチカチカしてきた……。こりゃやばいな……」


 ハンマーに身を預けるようにして、何とか噛まれるという事は避けているものの既に体が痙攣して力が入らなくなってきた。もうあまり長くはもたないと鈍くなった頭でも分かる。


「うぐっ、おわぁ」

 抵抗はしていたが僅かな時間の内に瞼が重く、意識を保つのも難しくなってきた時に強い衝撃がやってきて俺はそのまま空中へと吐き出された。

 キツイ臭いの口内から解き放たれた俺の目には、肉体の大部分を取り戻した女王の顎に向かいオラトリが十手を振り抜いた姿が見える。どうやらその打撃の勢いによって脱出をすることが出来たようだ。


 しかし脱出に成功しても、手足を満足に動かす事すら難しい。

 まるで麻酔でもかけられたように感覚の無くなった身体、そして走馬灯のようにゆっくりと迫る地面。痛い思いするの嫌だなぁ……。


「ホリさん!!」


 鈍くなった思考でもはっきりわかる、このまま地面に激突した時に備えてぐっと歯を食い縛り衝撃に備えているとやってきたのは一つの声。

 その声が聞こえたと同時に何かに包まれた俺はそのまま地面に激突したが、何かに包まれていたおかげで痛みがやってくるような事はなかった。


 ゆっくりと瞼を開き、俺の頭全体を包んで視界を遮っていた物が動くとそこには微笑みを浮かべているレイの姿。

 どうやら彼女が身を呈して俺を空中で受け止め、庇ってくれたようだ。

「ホリさん、大丈夫?」

「うん……大丈夫……、じゃないかな……? 嫌な目に遭ったし……」


 こちらが返答すると、クスリと小さく笑った彼女に強く抱きしめられた。

 レイが胸当てさえ着けていなければ全力でありがたいシチュエーションではあるが、今の彼女は戦闘の真っ最中、つまり顔に当たるのは主に鉱石の固い感触とすべすべとした腕の感触のみ。非常に惜しい。


「良かった、無事で。本当に良かったわ」

「うん、ごめんね……。皆がもう少しでアイツを倒せそうな時に邪魔しちゃって……」


 我が事ながら情けない事のオンパレードである。

 うっかりが自慢のハチベーさんよりやらかした結果、膂力を取り戻したラミアの女王は今また、元気に棍棒を振り回しているし……。

 視線をラミアの女王からレイに戻すと、彼女は微笑みを崩す事なく軽く首を横に振り、一度顔を撫でてきた。


「ううん、大丈夫。心配しなくてもアイツは『今すぐ私が殺してくるから』」

「えっ……?」


 ちりちりと、彼女の黒い瞳に火が灯っていくように紅くなる。

 その彼女らしからぬ一言に、最初は何を言っているのかと困惑したがもう一箇所、変化が始まっているのを見て彼女に何が起きているのかが分かった。


「だから、少しだけ休んでてね? 絶対に動いちゃダメダカラ」

「レイ、それは……」


 最後に優しく、彼女の腕から解放され地面にゆっくりと寝かされると彼女が見せていた優しい笑みから、みるみるうちに別人のような笑顔へと変貌していった。

 まるで別の人格が現れたように口元だけ大きく笑い目は大きく見開かれて瞳孔が開ききった、まさに狂人のような笑みが俺を見つめている。


「アノ糞蛇、ブチ殺スネ」

「いや、めっちゃホラーやん……」


 紅く燃える瞳、そして煌めく角。

 いつの事だったか、ティエリが自慢気に話していた事を思い出す。

 何がキッカケでそのスイッチが入ってしまったのかはわからない、だがあの状態は色々まずいという事も聞いている。


「レイ、待ってレイ、今は……」


 俺を助ける為に手離したのであろう、落ちていた槌の柄を掴んだ彼女にはもうこちらの声が聞こえていないようで、そのまま槌の頭を引きずりながら目標の相手へとカツカツと足音を立て真っ直ぐ歩いて行ってしまった。


 身体を動かして後を追おうにも手足はまだ自由に動かせない、どうにかせねばと焦っていたらすぐ横から顔を覗かせた人物が。

「ホリ! 死んだか!?」


 壁伝いにやってきて開口一番、聞く事がそれなのかとつい笑ってしまったが今はそれどころではない、彼女に何とかしてもらわないとオラトリ達が危ない。


「レリーア、残念だったなまだ死んでない……。それはいいから、レイの視界に入らないようにしながらオラトリ達に下がって身動き一つ取るなって伝えろ……」

「はっ?」


 言っている意味が分からない、と首を傾げて表情を曇らせている彼女に説明をしている暇はない。俺自身叫びたい気持ちで一杯だが、全身を襲い続けている脱力感でこうして喋っているだけでも息が切れてくる。


「いいから、急げ……。俺達の中から死人が出るかもしれないぞ……」

「わ、わかった。ちょっと待ってろ」


 レリーアが一度頷き、そのまままた壁伝いに闇の中へと姿を消すと大きな声がオラトリ達に指示を告げていく。

 その声に困惑した様子のオラトリ達を見ながら、がたがたと震えながらだが少しずつ動かせるようになった腕を鞄に突っ込み、二本の水筒を取り出す。


「よし……流石オラトリだ、すぐに指示を実行してくれるとか仕事が出来る人ってステキ……」


 熟成されていない薬草汁が入った水筒の蓋を開け、舌で舐めるような微量を一口含む。

 強烈な味と臭いで重くなった瞼が一気に開き、まるで全身を狂暴な何かが走り巡るようにしながら、身体の奥から何かが噴き出るような感覚に襲われる。


「くぅっ、はぁ……、やっぱりこれはキクなぁ……!!」


 まるで危ない薬をキメた人のようだが、自然由来の健康飲料である。

 その刺激を耐えて得られた効果はすぐに現れ、少しだけ自由が利くようになった体を起こし槌の引き摺られる音の方向を見やれば、そこには丁度ラミアの女王の前へ到着したレイの姿が。


 オラトリ達は纏まり、そのまま出入口の穴がある丁度真下へと避難を完了している。

 先程放り投げた亜人も姿は見えないという事は、救助が完了したのだろうとホッと一息つけた。


「何じゃ、ミノタウロス。生意気な目つきしおって……」

「殺ス」


 相手のラミアの女王、人から奪った力でまた肉体が殆ど回復している。オラトリが吹き飛ばした筈の腕も元に戻り、まるで今戦闘が始まったと言わんばかり。

 手にしている棍棒も最初の頃の強度を取り戻しているようだし、また体の方も頑丈になっているのかな? これからまた長丁場になりそうだ……。


「それにしてもホントに臭いな、布、布と……」


 流石に鼻が我慢の限界、このままでは意識を失いそうなので鞄の中から出したもう一本の、ただの水が入った水筒と布を手に、せめてと顔や頭、手を拭こうとしていると一つの鈍い音がこの空間に響き渡った。

「ウギャアアアアアアア!!!」


 突然の音と続いてやってきた声に驚いて、視線をレイとラミアの女王へと戻すと視界に入ってきた情報に最初は頭の処理が追い付いてこなかった。


 先程オラトリの一撃で吹き飛んだ腕とは逆の腕が、この僅かな時間の内に既に捥(・)ぎ(・)取(・)ら(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)。


 レイは自身の手が握っている彼女の体よりも大きな腕を軽々と放り投げ、叫び声を上げながら捥がれた部位を押さえて後退るラミアの女王に一歩、近づいていく。


「殺ス」

「何じゃおのれは……、死ぬのは貴様じゃい!!」


 全身を使って振り下ろされる巨大な棍棒、危ないと叫ぶ間も許されずその一撃が相手を潰そうとレイの眼前まで迫る。


 しかし、ラミアの女王の渾身の棍棒の一撃はレイが軽く槌を薙ぎ払うとその軽く扱う見た目と反した槌の威力により、ラミアの女王が振り抜いた時には既に棍棒は粉々に砕かれていた。


 自身の手に握られていた棍棒に絶対の自信があったのか、それが根元から砕かれた事が信じられないと何度もレイと無残な状態になった自身の武器を交互に見ている女王。

「何じゃ、一体何なんじゃお前……。バケモノか……?」


 また後退り、いよいよ壁を背にしたラミアの女王は少しずつ近づいてくる相手に恐怖の視線を送り、棍棒の根元の部分を投げつけた。

 それすらも軽々とキャッチするように受け止めたレイ。彼女はお返しとばかりに全身を使いそれを投げ返した。


「アギャァァ!!」


 投げ返された棍棒、その柄は深々とラミアの女王の腹部を穿ち、威力と勢いによって壁へと突き刺さり、それ以上動く事を許さないと宣告するような杭となってラミアの女王の身動きを封じるとレイは槌を軽く持ち上げ、それを掲げて歩み寄り相手をまた一つ威圧していく。


「やめろ、やめろやめろやめろ!!」


 これから何をされるのか、誰の目から見ても明らかなレイの行動に大きく叫び逃げようとするラミアの女王だったが最後に大きく叫んだ瞬間、その眼前に向かいレイが跳んでいった。


「死ネ」


 汚い何かが破裂するような音と、そしてその後にやってきた大きな衝撃と地響き。

 今日の晩御飯、お肉料理は止めて欲しいなー。と俺は現実を逃避する事に依り恐怖を和らげていた。


 レイが全力を籠めて振り抜いた一撃はラミアの女王の顔面を捉え、そして今俺達の目の前には胸元から上が跡形も無く吹き飛び、骨すら残っていない大きな死骸と肉塊が飛び散っている一面。

 そしてその中心で降り注ぐ肉塊の中で大きく笑っている女性の姿。全員がレイに軽くトラウマを抱えてしまいそうな事になっている。


「アァーハッハッハッハッハ!! ハァッハッハッ……」

 レイの大笑いって貴重だなーと現実逃避を続けてぼんやりと眺めていると、上空から飛来した肉片がぺちゃりと彼女の顔面へと降り注いだ。


「あっ」

 肉片が顔に落ちてきて、大笑いをしていた彼女はピタリと動きを止めたかと思うとゆっくりとした動きで顔の肉を手で退かしながら、声を出した俺の方へと時間をかけて向き直ってきた。


「いや、ホラーやん。めっちゃホラーやん……」


 そして、まるで子供がその玩具で遊ぶのに飽きた時のようにゆったりとした動きで手にしていた槌を放り投げると、先程俺に見せてきた独特な笑顔をこちらに向けながら歩き始めてきた。


 その歩調は徐々に、段々と早くなり終いには駆けだした彼女。

 真っ赤な角と瞳にロックオンされているのは勿論俺。


「ブモォォオオオオオッ!!」

「死んだな、俺」


 ドタドタとした足音と、彼女の声とは思えない程の雄叫びを聞きながら『これからそちらに参ります』と腕輪に祈りを捧げておいた。

 今日の腕輪は、少し悲し気に輝いて見えるなぁ……。

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