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おいでよ提灯通り



 夜空に赤い灯りが点々と浮かんでいる。ゆらりゆらりと風に揺られる赤提灯が辺りを仄明るく照らす。街路には野外テーブルと椅子が並べられていて、その空間を挟むように居酒屋や露店が軒を連ねている。人が多いせいか、熱気があって少し蒸し暑い。


 パニカさん曰く、ここは『提灯通り』と呼ばれる飲み屋街らしい。様々な料理の香りが鼻孔をくすぐる。夜遅くまで開くお店が多いせいか、迷宮帰りの転移者が毎夜集まって宴会をしたりするのだそうだ。話に聞いた通り、沢山の人がわいわいと酒宴を楽しんでいる。てってこ歩くパニカさんは迷いなく突き進み、私はきょろきょろと観光ツアー客のように着いていく。晩ご飯おごってあげるわ、というパニカさんに連れられてきたのだ。その台詞を聞いたとき大層訝しげにパニカさんを見つめたが、にこにこと邪気の無い顔で笑っていたので一先ず信じたのだった。


「ん?シアはこういう場所は平気なん?人ごみだけど」

「飲み屋街ならみんな酔ってるので。お祭りとかも案外平気ですよ」

「えー。スラ化したシアのぷるぷるを眺めるの好きなのに」


 パニカさんのエルフ耳を軽く引っ張ったら「みー!」と鳴いた。おもしろい。みいみい鳴くパニカさんに連れられて提灯通りを進んでいく。パニカさんはしきりに辺りを見回し、まるで誰かを探すように歩みを進める。


「だれか探してるんですか?」

「んー。そうなんだけど、今日はいないみたいなのよ」


 ちょろちょろと野外テーブルの合間を動き回っては飲んでる人を覗き込む。そんなパニカさんの所業に、飲んでる人はギョッとしたり胡乱な目を向けたりしている。気まずくなった私はパニカさんを後ろから抱っこして輸送した。


「あっ、アホがいるわ」


 パニカさんはニヤリと笑った後、私の腕をタップして着陸申請を出した。それを受理して着陸させると、口元に手を当てて内緒話ポーズを取る。私は首を傾げながら、しゃがんで聞き入れる姿勢を取った。


「シア、あたしの代わりに借金取りして」


 藪から棒に意味不明なお願いにギョッとした。パニカさんは両手を胸の前で組んで、涙目で私を見上げる。


「あの男はあたしの知り合いなの。金貨1枚貸してたんだけど、顔が怖くて言い出せないのよ。返してほしいの」


 金貨1枚。石版で変換すると10万ポイントである。パニカさんが指し示す方向を見てみると、マフィアのナンバー2みたいな顔の男性が一人でお酒を飲んでる。こわい。殺気をはらんだ顔で焼き鳥食べてるけれど、焼き鳥になにか恨みでもあるのだろうか。よく見れば周囲の席が不自然に空いている。


「あ、あの。本当に知り合いなんですか?凄くこわいんですけど……」

「転移初日からの知り合いよ。見た目はチンピラ、頭脳もチンピラ、その名もチン・ピラーよ」


 散々な紹介である。三回もチンピラって連呼した。


「あの、仲良さげですし、ここはパニカさんが行くべきでは……」

「あたし、ちっこいから男の人こわいの」


 急に舌足らずで喋りだした。ずいぶん怪しくはあるが、もし私があのチンピラさんにお金を貸せって言われたら震えながら貸してしまうだろう。そんな迫力がある。断ったら湾に沈められる。パニカさんは小刻みに振動しながら私を見つめる。し、仕方ない。私は元日本男児だ。行かねばなるまい。


 自身を鼓舞しながら顔の怖い人の方へ歩き出す。黒髪黒目で黒い服。鋭すぎる眼光が邪悪に光っている。意外と若く、二十歳前後のように見えた。でも若い分だけ逆に何をしでかすか分からない印象で怖い。地獄への片道切符。それでも私は進むのだ。震える友の為に。特攻隊にでもなった気分で颯爽と歩き、やがて顔の怖い人の元に辿り着いた。


「ひぃ!!!」

「ひぃ!じゃねぇよ!!誰だよ!何で真っ直ぐ歩いてきて目の前で叫ぶんだよ!?クッソどいつもコイツも!!」


 こわい。顔の怖い人が邪神様みたく怒鳴った。こわい。


「いや、ちょ、はぁー!?なんで泣く!?おい!つか誰だ!?」

「す、すいません……。私は、無宗教です……」

「予想だにしない返答きたが!?意味分かんねぇんだけど!?」


 かつてこれほどの恐怖があっただろうか。私は震えたまま瞼を閉じて神に祈った。私の異世界での最大のピンチ。あぁ、神よ。私はこわい。


「いや、え??何で俺拝まれてんの!?」

「あの……。今、覚醒チートを願ってる最中なんです……」

「ピンチでも何でもねぇよ!?酔ってんのか金髪!!!」


 蹲って震える。前の世界でもヤクザに会ったことなど無かったのだ。声なき声でぽろぽろ泣いた。箸が転がっても泣く体質になったのだ。しょうがない。そんな私の醜態を見て、顔の怖い人は眉を顰めて般若みたいな顔になった。その顔のまま視線を左右させ、椅子を引いて私を丁寧に座らせた。


「わ、分かった。とりあえず落ち着いて呼吸しろ。俺も大声出さない。落ち着いて、ひー、ひー、ふーだ」

「……ひー、ひー、ふー」

「こいつマジか。な、何かよく分からんが、とりあえずこれでも食って落ち着けや。な?」


 差し出されたお皿には焼き鳥や枝豆が乗っていた。私はしゃくり泣きしながら枝豆をちまちま食べる。反対側に座る顔の怖い人は困惑した表情でエールの瓶を傾けてる。


「んで、迷子か何かか?ここはあんたみてぇなお嬢ちゃんが来る場所じゃねぇ。どいつもこいつも酔ってんだ。こんな飲み屋街なんかをうろつくと羽目外す馬鹿がでるぞ」


 顔の怖い人はそんな事を言いながら、厚焼き玉子の乗ったお皿をこちらに移動させた。食べろという事だろうか。なんだか心配してくれているみたいだし、案外やさしい人なのかもしれない。


「あの、お金。お金を返してほしくて……」

「はぁ!?俺とアンタは初対面だろが!俺は誰からも金借りた事ねぇぞ!?」

「いえ、あの、パニカさんが、金貨1枚貸したって……」

「……あんのクッソガキがぁあああ!!!!!!!」


 顔の怖い人が立ち上がり吼えた。あまりの恐怖に硬直し、枝豆が私の手からするりと逃げた。


「おい金髪!それ全部あのクソガキの嘘だかんな!?アイツの知り合いか友達かは知らんが、アイツとの付き合いは考えろ!!碌な事しねぇぞ!!」


 視界の隅、ちょうどチンピラさんの背後にその碌な事をしないパニカさんがいる。小さな背を丸めて、そろりそろりと忍び寄っている。本当だ。きっと碌な事しない。


「その、チン・ピラーさん」

「それもあのチビガキに教わったんか!!俺の名はレンジだ!いいか、レンジだ!」

「は、はい!」


 がなり立てるチンピラさんを余所に、私達が座る野外テーブルまで辿り着いたパニカさんは、小さな手でこそこそと料理を盗んでいた。わざわざタッパーに入れてる。完全に窃盗である。


「転移初日から散々な目に合されて来たんだ俺は!とんでもねぇ名前を命名されるわ変な噂流されるわ!金が無ぇから俺の料理を盗みやがるし!いつも全力であの見た目利用して逃げやがる!」


 現行犯で料理を盗んでいるちびっ子がドヤ顔してる。チンピラさんが怒っている間にテーブルの料理が霞の如く消え去った。それだけに飽き足らずパニカさんはエールも一気飲みした。おい女児。


 私がさり気無くパニカさんを指さすと、チンピラさんが一気飲み中のパニカさんに気付いた。急に真顔になったチンピラさん。それでもパニカさんは一切気にせず一気飲みを継続し、やがて飲み切ったのか瓶を置いて、てってこ逃げ出した。私は一連の流れを枝豆食べながら眺めていた。私は後で盗品を食べさせられるのだろうか。


「き、今日という今日は許さねぇぞゴラァ!!バラして屋台に売りさばいたるぞロリババア!!!!」


 人ごみの中に消え去ったパニカさんをチンピラさんが追う。私も枝豆を一通り食べ終えてから追いかけた。




 提灯通りを早足で歩いていくと、やがて人垣が出来ている場所に辿り着いた。私は嫌な予感がして、人垣の隙間を泳ぐように通り抜けて中に入った。その中心では、パニカさんが蹲っておいおい泣いていて、狼狽えたチンピラさんが周囲に何か弁明している。


「おい顔面凶器!こんな幼子泣かすたぁ鬼畜の所業だぜ!?」

「チンピラが本当にチンピラみてぇな事してるゾ」

「魔王陛下!!!!見損なったぞ!!このクソ童貞が!」

「テメェらチビガキの本性知ってんだろうが!!ここぞとばかりに罵倒してんじゃねぇぞ!!!おい今なんつった!?」


 女児を泣かせたチンピラさんが一身にブーイングを浴びてる。おいおい泣いているパニカさんを注視すると、口元に邪悪な笑みを浮かべているのが見えた。幼女詐欺常習犯。私は頭を抱えた。


「オレの内なる正義感がふつふつと湧きあがってきたぜ!」

「おう凶顔。久々に路地裏で訓練するか??あ?」

「クッソ!!テメェら揃いも揃ってニヤニヤしやがって酔っ払い共が!!分かっててやってんのバレバレだぞ!!」


 駄目だ。誤解されたチンピラさんが正義感の強い人に囲まれてる。無実の罪でチンピラさんがボコられる。確かにパッと見は女児を苛める悪漢の図だろう。それでも私だけはチンピラさんの無実を知っている。見過ごせない。やりすぎのパニカさんは後で説教だ。それよりも、どうしたらこの誤解は解けるのだろう。チンピラさんの誤解が解けて、かつパニカさんがあまり責められない方法。


 一つだけ方法を思いついたが、それはあまりにも、あまりにも男としてのプライドを破壊するものだ。でもこのままではチンピラさんの危機だ。少しの間逡巡して、私は一時プライドを捨てることにした。


「に、兄さん!パニカ!やっとみつけましたよ!!」


 大きな声を意識して言った。駆け付けた私を見て、パニカさんとチンピラさんは目を白黒させた。


「あ!!兄さんたらまたパニカを泣かせてる!だめじゃないですか、パニカはまだ小さいんだから大らかに接してあげないと!!」


 チンピラさんの服の袖を摘まみながら見上げて言う。チンピラさんは茫然としていたが、じっと見つめているとやがて「お、おう」と返事した。


「パニカも!さみしいからってあんまり兄さんからかっちゃダメですよ?兄さんは迷宮探索で疲れてるんですからね?」


 蹲ったパニカさんに目線を合わせるためにしゃがみ、眦に着いた嘘泣きの後をハンカチで拭う。パニカさんが「う、うん」と答えた。


「は?あの子チンピラの妹なん??可愛すぎじゃね??」

「いやまて、兄妹で転移した奴なんて聞いた事ないぞ。あれだろ?義理の妹ってやつ」

「話の流れからして『強欲』も義理の妹か?通りで絡むわけだな」

「はぁ!?じゃあ顔面凶器はあんなかわいい妹ほっぽって毎日ここで飲んだくれてるってのか!?」


 完璧である。私の作戦は成功した。パニカさんの発案した貧乏姉妹設定にチンピラさんを巻き込んだ。実は兄妹だという設定ならばチンピラさんはただ妹のイタズラに怒っただけになり、パニカさんの窃盗も兄へのイタズラという事になる。許される。完璧である。よし、この流れを維持したままさり気無くパニカさんを連れて撤退するのだ。


「兄さん。私はパニカをつれて家に帰りますから、兄さんはあまり飲み過ぎないでくださいね?飲み過ぎは体に障ります」

「お、おう……」


 チンピラさんは窮地を脱したはずだが、少し顔が引きつって見えた。パニカさんは何故か憐憫を含んだ目をチンピラさんに向けている。私はパニカさんの小さな背中を押して帰路に就く。


「凶顔。路地裏行こうや。今日は何も冗談じゃねぇ。刀抜け」

「異世界で義理の妹って。天使みてーな義理の妹ってオイコラ」

「ふざけんなよクソ魔王。もう日の出を拝めると思うなよ」

「もはや貴様は我々の敵。五臓六腑をぶちまけるのを覚悟せよ」


 ちらりとチンピラさんを窺うと、沢山の男性と肩を組んで歩いていくのが見えた。わいわい騒いでいる。仲良しである。みんなの誤解が解けたみたいでホッと胸を撫で下ろした。とりあえずこのまま私の家に行き、やり過ぎなパニカさんを説教しなければならない。私はふんふん鼻息を荒くして街路を進む。パニカさんは怒られるのを察しているのか、困惑したような表情をしている。私だって怒るときは怒るのだ。


「シア……。鬼だわ……」


 パニカさんがぽつりと呟いた。そんなに今の私はこわいのだろうか。ふふん。それでも説教は確定である。



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