パニカさん
「シアー!シアー!」
高く可愛らしい声に気付いて目を開けてみれば、布団の上に女児が一匹。ベッドで眠る私の上に馬乗りになって、私をじっと見ている。私を起こすためか、一生懸命体重をかけて揺さぶってくる。重い。揺さぶるたびに、パニカさんの肩口で切りそろえられた綺麗な緑色の髪がさらさらと舞う。時折髪からぴょこんとはみ出ているエルフ耳がかわいい。でもどうせ馬乗りにされるなら二十歳過ぎの地味系黒髪美人が良い。私は心の中で、ちぇんじ、と呟いて瞼を閉じた。
「おきなさいよ~~!!」
「いふぁ!?いひゃひゃ」
ほっぺを横に伸ばされた。とうとう実力行使である。観念して起き上がると、パニカさんが体勢を崩してころんと転がった。窓からやわらかい陽が射していて、気温はぼんやりと暖かい。ぐっと体を伸ばしてからベッドを降りた。何故寝室にいるのか、そもそも家の鍵は閉めたはず。疑問は尽きないが、それでもまずは言わねばなるまい。
「おはようございます」
「おはようシア!今日は天気もいいしオムライス日和よ!」
挨拶の合間に、しれっと朝食の注文が来た。パニカさんはにっこにこしながら寝室を出て行った。1階の居間でご飯を待つつもりだろう。オムライスの作り方をおぼろげに思い出しながら、パニカさんの後に続いた。
パニカさんが「これはこれでありね!」と言いながら朝食をかき込んでる。ホッと胸を撫で下ろして、私も一口食べた。私が初めて作ったオムライスは、ケチャップライスのスクランブルエッグのせ、といった惨状だった。でも味は悪くないと思う。見た目は散々だけど、でも味は悪くないのだ。今はこれが精いっぱいである。
お米も炊飯器もケチャップも、すべて石版通販で手に入れた。何故あるのか不思議でならないが、便利だから仕様が無い。もしチュートリアル後の異世界の文化を参考にしているなら、私にとってはとても生きやすいと言える。トイレは水洗だしお風呂もある。
「でね!部室から出禁喰らったのよ酷くない!?たかが8人教会に送っただけじゃない!別にわざとじゃないのにあの平たい胸族の女め!初心者なんだから魔法制御できないのが当たり前なのに狭量だと思わない!?何なのよ何なのよ!!その自爆魔法をなんとかするまで戻ってくるなってポイって捨てられたのよ!?ただの不幸な事故なのに温情無しなの鬼畜だわー!鬼畜集団だわマギカの奴ら!ねぇーシアー奴らに天誅しにいこうよー石投げにいこーよー根も葉もない噂流しに行こうよー」
顔をケチャップまみれにしながらパニカさんが喋りつづける。どうご飯を食べたら額にケチャップがつくのか。適当に頷きながらハンカチで拭いてあげる。パニカさん本人は元成人女性を自称しているが、見た目と行動がまるっきり園児なので怪しいところである。言葉選びだけが見た目と一致していないが、生意気盛りのおマセさん、といった感じにも取れる。
「はぁー午後からの予定がポッカリ空いたわ。ねぇ、シア。午後になったらスラ踏み行きましょうよスラ踏み。あたしはその辺プロよ。なんたって長靴持ち歩いてるんだから!」
「いいですよ。訓練の後、ということでしょうか」
「そうよ。あ、でもちょっとだけ気後れするわね。隅っこでぷるぷる震えてるスライムって、人ごみにいる時のシアに酷似してるのよ。シア踏みって感じだわ」
パニカさんのやわらかいほっぺをつねった。非常にもちもちしている。パニカさんは私の無言の抗議を無視してオムライスを食べ続けている。だからといって強くつねるのは可哀想だ。パニカさんのほっぺを適度な力加減でつまみながら、私もオムライスを食べた。
あの迷宮2階層での出会いから既に3日経つ。森で死にかけたあの日の帰りに気付いたのだが、何の偶然か、パニカさんは我が家のお隣さんだったのだ。迷宮住宅街の一番高台にある我が愛しのお豆腐ハウス。そこから階段状になった街路を降りてすぐの、薄ピンク色の屋根が付いた小さな家。そこがパニカハウスであった。以降、毎朝パニカさんが遊びに来る。その際、かならず右手をお腹に充てて左手の人差し指をくわえ、全身で『あたしお腹が空いてます』スタイルを決める。涙目上目使いをちらっちらっするのが非常にあざとい。パニカさんはポイントが残り少ないらしく、あんまりご飯を食べていないらしい。そんな流れもあり、自然に私がパニカさんの朝食係になったのである。
自分の分を食べ終えたパニカさんが私を上目使いで見る。はぁ、とひとつため息ついて、私のオムライスをパニカさんの口に放り込んだ。雛にエサやりする親鳥の気分。育児の延長みたいな関係のせいか、パニカさん相手だと私の人見知りは発動しない。パニカさんの自由気ままな人柄も関係があるのだろうと思う。一切の遠慮無く思ったままの言葉をポンポンぶつけてくるので、こちらも反射で思ったままの言葉を返したり、ほっぺをつねったりして反撃をする。気の置けない、とはこういうのを言うのだろうか。
仲良くなったと言うよりは懐かれたといった感じだが、それでもこうして一緒にいてくれるのはうれしい。パニカさんの口にエサを放り込みながら、微かに自分の頬が緩むのを感じた。
朝食を食べて少しお話した後は街の郊外の草原へ。これが連日続く私とパ二カさんのルーチンになっている。へっぽこなシアを鍛えてあげるわ、と何故か意気込むパニカさんの指導の下、私は素振りしたり跳ねたり転がったりした。私は人ごみが苦手なので割と混んでる訓練場は避けたのだ。そのついでにパニカさんも魔法の練習をするという流れである。
「そんな目で見なくても今日は大丈夫よ!今日はなんだか上手くいく気がしてるの!括目なさい!目にもの見せてくれるわ!」
草原に体育座りする私の視線の先で、気合十分なパニカさんが長い杖を掲げる。その言葉、信用ならない。やがて空気がパチパチと放電し始めて、パニカさんの杖の先にフワッと球体状の雷玉が現れた。
「ほら見てシア!!成功しばばばばばばばばばばばばば」
パニカさんの体全体が放電して、煙を吹きながら地に伏した。私は慌てて駆け寄り、パニカさんの口にポーションを流し込む。帯電してるとき一瞬マンガみたいに骨が見えたが、そのコミカルなのどうやっているのか。ちゃんと呼吸しているのを確認し、ホッと胸を撫で下ろした後、気絶したパニカさんの頭を膝に乗せた。
パニカさんは【雷魔法】のスキルを持っているがなかなか上手くいかないらしい。私は魔法についてはブリザードと唱える、相手は死ぬ、くらいに考えていたが、実際はそう簡単な話ではないとパニカさんの魔導書を読んで思った。体内のエネルギーをイメージで取り出してイメージで形作る。イメージという単語が至る所に散りばめられているのに、じゃあイメージとは何か、という疑問は記されていない。魔導書の内容を流し読みした私は、始終首を傾げ続けた。魔法の制御は一朝一夕にはいかない、という事だけは理解した。
今日は気絶で済んだが、訓練初日のパニカさんは自爆していきなり死んだのだ。眩い光と共に10メートル範囲の草花と自分を雷で焼き払った。黒コゲになって消えたパ二カさんをみて私は恐慌状態になってぼろぼろ泣いた。黒焦げ死体はショッキング過ぎた。数十分後ケロッとして街から歩いてきたパ二カさんは靴と靴下とパンツを失っていた。いつも着てる黒い魔女っ娘服は雷耐性の高いものらしいが、その他は自分含め雷に焼かれたらしい。それ装備として意味はあるのかと2人で笑いあった。
すやすや寝ているパニカさんの額に小鳥が止まった。青空色の小鳥がパニカさんの額の上でちょこちょこ足踏みして、不快に思ったのかパニカさんが顔を顰める。その様子があまりにシュールで、声を殺して笑ってしまう。草原に心地いい風が吹いて、それに驚いたのか青空色の小鳥が慌てて飛び立つ。舞い上がった小鳥は、すぐに同色の空の中に消えていった。
街の迷宮前広場はいつも人が沢山いる。芝生にシートを敷いてパンを食べてる人や噴水で水浴びしているマーメイドっぽい人がいたりと、春めいた気候のせいか今日はどことなくのんびりとした雰囲気だ。忙しそうにしてるのは生徒会の人たちだけのようで、バタバタと掲示板に紙を張り付けている。お昼ご飯をおごってあげるわ!と言うパニカさんに連れられてきたのだ。全然ポイント無いと聞いてるので不思議に思いながらパ二カさんの顔を窺う。ウインクされた。動きがどことなく昭和である。
ちょっとだけ離れて着いてきて、と言われたのでとことこ歩くパ二カさんをそっと尾行していたら謎の串焼き屋台に着いた。
「おにいちゃ。あたしね、お腹すいたの」
右手をお腹に充てて左手の人差し指をくわえている。全身であたしお腹が空いてますスタイルを決めて、涙目上目使いをちらっちらっしてる。これどっかで見た。あ、今朝同じの見てた。串焼きを売ってる男性はそれを見て顔を顰めた後溜め息を吐く。
「お前どんだけ精神図太いんだよ……。昨日なんか二時間おきに来やがって……」
「あたしね、泣いちゃう」
「よせよせよせ!分かったから!クソッ……ほら見ろ!お前の本性まだ知らねえ奴が俺に白い眼むけてきやがる!!やるから!多めにやるから頼むからもう来んな!!」
店員さんかわいそう。半泣きである。交渉の結果串焼きを手に入れたパ二カさんが会心のドヤ顔を浮かべながらてってこ帰ってきた。中身はどうあれ姿は女児。衆目の良心を利用する実に効果的な交渉であった。多大な罪悪感を感じながらも食べた串焼きはとても美味しかった。そしてパ二カさん。暴走状態である。一店舗で満足しない。
「おねいちゃ。お腹すいたの。しんじゃう」
「アンタさっき隣の店で肉食ってたじゃないの!!!!!」
「ふぇ………」
という流れで数店舗巡り屋台という屋台から食べ物を巻き上げてく。大変気まずい思いをしながら着いていくと店の人に泣きつかれたりした。このロリをどうにかしてくれと。私も注意したいところだがにっこにこと満面の笑みで食べ物を分けてくれるパ二カさんに注意がし辛い。でも、ここは心を鬼にせねばなるまい。ちゃんと言うのだ。
露店並びを狼の目で見まわすパニカさんを呼びとめて、しゃがんで目を合わす。
「パニカさん。だめですよ。ちゃんとお金で買わないと、お店の人も困ってしまうんですよ?」
パニカさんはきょとんと私を見た後、はっと目を見開いた。周囲をこそっと見回したパニカさんは何かを思いついたような顔をしていて、なんだか嫌な予感がしたがじっとパニカさんの言葉を待った。
「で、でもおねえちゃん!あたしお腹すいたの!すごく、すっごく!」
ぶわっとパニカさんが泣き出す。小さな体を震わせて不自然な大声で言った。急におねえちゃんと呼ばれてギョッとしたが、今はそれどころではなかった。パニカさんが泣いている。魔法が上手くいかなくて迷宮で稼げないのだ。パニカさんがポイント無いのは知ってる。だから私は、こう言った。
「お腹が空いたら私が、私が買ってあげますから」
私の言葉を聞いてパニカさんがわあわあ泣き出した。
「あたし知ってるよ!おねえちゃん毎日傷だらけで帰ってくるし、ほんとうは弱いんでしょ!?ぜんぜんお金稼げないんでしょ!?だから、だからあたしにはパンを買ってくるのに自分は食べないんだ!!おなかいっぱいって嘘ついて!いつも!いつも!!」
身振り手振りでパニカさんが泣き叫ぶ。なんだその設定は。頭がついていかなくて茫然としてしまう。ど、どういう事なのか。
「あたし見たもん!!夜中こっそり迷宮のキノコをそのまま食べてるおねえちゃん見たもん!!あ、あたしが!あたしが食べ物もらえれば、おねえちゃんもお腹いっぱいにしてあげられるの!!いつまでも守られてばかりじゃないんだから!!!」
わーっと涙をまき散らしながらパニカさんが抱き着いてきた。なんだかよく分からない状況だけど、パニカさんにとても大事に想われてる。パニカさんの体温が温かくて、その気持ちがうれしくて、何も言えぬままじわりと視界が滲んだ。パニカさんはわあわあ泣き続けて、私も困惑しながらほろほろ泣いた。
ドサッ、と私の近くで音がした。顔を上げてみれば、見知らぬ男性が私の足元に野菜が入った木箱を置いていた。
「……そこの店で、買える分だけ買った。二人で、腹いっぱいになるまで食ってくれ……」
男性が涙を流しながら笑顔で言う。状況が分からぬまま茫然としている間に、更に私とパニカさんの周りにドサドサと食料品が積まれる。
「女の子ふたりだ、果物も必要だろ……?」
「これ、わたしが焼いたクッキーなの!なかよく食べてね!」
「パン屋に並んでたの一通り買ってきた。嬢ちゃんたち、もってけ」
抱き合う私達の周囲に円を描くように食料品が積まれていく。まるで記念碑か何かになったような心持。困惑したままの私が力なくお礼の言葉を述べると、集まった転移者たちは涙を拭わぬまま満面の笑みで頷いた。
「これ、うちの部の支給品だけど貰ってくれ。低品質のマジックバッグだけど、ここにある物は全部入ると思うから」
目を赤くした狩人風の男性がそう言って、黒いショルダーバッグを渡してきた。石版通販で100万前後する代物である。震える手でつい受け取ってしまった。助けを求めようと抱き着いているパニカさんを窺うと、邪悪な笑みを浮かべている。確信犯。完全に、詐欺である。多大な罪悪感でぼろぼろ泣いていたら、感涙したと勘違いしたまわりの転移者達が照れくさそうな笑みで食材の収納を手伝ってくれた。
「申し訳なく思う必要はないよ、同じ転移者同士助け合っていかないとね」
言葉無く泣き続ける私を、狩人の男性がどこまでも優しい声でフォローしてくれた。