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ある夜に響くコケシの慟哭

※紅葉視点




 夜虫が鳴き声が徐々に大きくなっていく午後5時。点々と設置されているハイカラな街灯がぽつりぽつりと灯り、しだいに街が橙色に染まっていく。西日を浴びる街中を揺蕩うように歩いてみれば、開け放たれた家々の窓から歓談の声。


 夏が近づくにつれ提灯通りの盛況ぶりに拍車がかかり、客数に比例して店舗が増えていると聞く。きっと熱を帯びた体が冷たいお酒を欲すのだろう。かく言う私も例外ではなく、強い陽射しを浴びながら幾度も脳裏に冷酒が浮かんだ。酒のあては冷奴がいいだろうか。いや、焼き鳥も捨てがたい。仕事終わりの一杯に思いを馳せながら街路を歩く。



「ここはチーム『怒羅怒等ドラドラ』の縄張りじゃあ!尻尾巻いてお家に籠れやゴキブリ共!」

「舐めた口聞いてんじゃねぇゾ三下ァ!こちとら天下の『魔王軍』じゃボケェ!」

「グハハハッ!!ブルってねぇでさっさと来いや雑魚共!」


 夕暮れと夜の間の空に、酔った住人の楽しげな声が木霊する。飲んで騒ぐのもそれはそれで一興だが、個人的には静かに月を眺めながら杯を傾けたい。明日は待ちに待った休日なのだ。少々多めに酒を買いつけてもよかろう。私は提灯通りに建ち並ぶ店の中から、数件ほど目星をつけて道を歩む。


「ァア!?ケツから手ぇ突っ込んで奥歯ガタつかせたるぞドラちゃんズ!」

「上等こいてんじゃねぇゾ!?ヤレるもんならやってみろやァッ!」

「ギャハハハハハハハッ!殺せッ!殺せッ!ブッ殺せッ!!!!」

「面倒くせぇ!絡むな!喋んな!息すんな!構って欲しけりゃ一列に並べ!望み通りに刀の錆にしたるわアホンダラァ!!!」


 酒宴の和気藹々とした声に耳を傾けながら、私は鮎の塩焼きを売る露店に辿り着いた。酒には塩気の濃い物が欠かせない、というのが私の持論だ。幾つか焼き立ての鮎が見本で置いてあるので即座に買えるだろう、という私の希望は、何故か吹っ飛んできた男が店に突っ込むことにより脆くも崩れ去った。至極残念。


「グォオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」

「オイやべぇぞ!ガウエンが固有使いやがった!」

「誰か!生徒会呼べ!!」


 転移者達の楽しげな酒宴を横目に、私は次なる店へ歩みを進める。日本人の多い転移者達はいずれ日本食を求めるだろう、という書記殿の考えは見事的中し、かなり早い段階から作られた『提灯通り』は今やこの街最大の飲み屋街に発展している。ただ惜しむらくは、未だに漬物類の売り出しが少ないのだ。確かに手間暇かかるが、漬物といえば和の心。冷酒には奈良漬が必須、という私の企画書は調理部にちゃんと届いているのだろうか。


「あ!『闇こけし』いるじゃんか!オイあれ!あれなんとかしてくれ!」


 カブや大根が在るのだから漬物は作れるはず。小さな村の小さな神社で生まれ育った私は、もはや漬物に育まれたといっても過言では無い。ぱりぽりとした歯ごたえを空想しながら人垣を縫って歩く。


 ドンッ、と爆発音が聞こえ、黒く焦げ付いた男が空から降ってきた。何故だろう。花火でも失敗したのだろうか。酔った若者の醜態に苦笑いしながら、私はその男を踏み越えて歩く。酒のあてに思考が埋め尽くされている私を、数人の男性が呼びとめた。


「おいこらシノ部!アレ見ろアレ!『憤怒』が店燃やし始めたぞ!」

「私は既にタイムカードを切った」

「流石に不味いだろ集団抗争。いつもみたいに縛って持って行ってくれよ」

「私は既にタイムカードを切った」

「お役所仕事かよ!?ほら!小遣いやるから出張れって!」

「やだ。やだもん」


 毅然とした態度で断り、私は煎り豆を売る売店に辿り着く。明日は折角の休日なのだ。ここで馬鹿共に関わっては私の休日が減ってしまう。引き継ぎは五郎に任せてあるのだから何の問題も無い。周囲の声を無視しながら淡々と豆を購入した。


「ガァァァァァアアアアッ!!!!」


 腹に響く咆哮が聞こえ、ズズンッ、と足元が揺れた。チラリと声の元を見やれば、抗争中の馬鹿共の中に3メートル越えの赤鬼が混ざっていた。シノ部の副部長、『赤鬼』五郎だ。職務に忠実な五郎は、さっそく提灯通りに巣食うチンピラ共を千切っては投げ、千切っては投げしている。数件の店が人間大砲で倒壊したが、まぁ仕方のない事なのだ。休日を明日に控えている私は心が広い。


「……ふふっ!今日も下等生物たちが踊ってる。憐れなものだね、全てボク達の手のひらの上とも知らずに」

「クフフフッ!ワタシ達は高みの見物といたしまショウ。……さぁ!ショータイムの始まりデス!」


 酒店の屋根の上に、仮面を被ったタキシードの男とフードで顔を隠した少女らしき人物がいる。確か、いつも高台の上で戯言をほざく『崩滅』のファン達だ。この街では毎夜の如く変人が湧く。心の平穏のために私は何も見なかった事にして先を急ぐ。


「あ!不味い!魔王が『暴食』のテーブルに突っ込んだ!!」

「に、逃げろ!巻き込まれんぞ!!」

「金払えやゴラァ!ブチ殺すぞオンドレ!」

「冗談じゃねェ!こんな場所にいられるか!」

『こちら生徒会本部。提灯通りにて大規模な抗争が発生。付近の者は直ちに急行して下さい』


 客の楽しげな声を右から左へ聞き流しながら、私は晩酌用の酒を淡々と購入していく。途中、私を名指しで呼ぶ眼鏡の声が通信機から漏れていたが、既に休日前夜を楽しんでいる私は問答無用でスルーした。





 人が集まる東地区とは打って変わって、『迷宮住宅街』と呼ばれる西居住区は静かなものだった。折り重なる家々の隙間。まるで迷路みたいな細い路地を鼻歌交じりに進んでいく。幾つもの路地を曲がり、長い階段の先に我が愛しの自宅がある。窓辺からはやわらかな明かりが漏れ、肉料理の匂いが仄かに香る。やっと我が家に帰ってきた。明日はお休み。長い長い旅路だった。


 芯から溢れる安心感からか、自然に脱力しながら玄関を潜る。私の帰宅に気付いたのだろう、居間の方からエプロンをつけた少女がパタパタと駆け寄ってきた。


「ただいま」


 私が言うと、少女は一瞬考える仕草をした後、ふにゃっとした笑みを浮かべた。


「おかえりなさい。紅葉さん」


 あぁ、この言葉を聞くために私は日々頑張っているのだ。絶対的な安心感に包まれて、じわりと視界が滲んでいく。私は少女に心配させまいと、顔を背けながら明るい居間へと入った。


「えっと、ごはん、食べますか?」

「いや、夕餉より先にいつものを頼みたい」


 私はソファにぼふっと座り、その隣をぽんぽんと叩く。少女は首を傾げながらも隣に腰を降ろし、私はそのやわらかな太ももに頭を乗せた。


「……あぁ……。やはり姉上の膝枕は最高だ……」

「あ、姉……?」


 姉上が少々困惑を孕んだ声を出したが、極上の枕に身を預けた私は一切気にしなかった。



「……姉上、私はとっても頑張ったのだ。いつものように、撫でて欲しい」


 お願いすると、姉上はさらりさらりと優しく頭を撫でてくれた。


「紅葉さん……。お仕事、お疲れさまです。本当に」

「あぁ、ありがとう姉上。やっと、やっと明日休みがとれたのだ……」

「じゃあたっぷり休んでくださいね?」

「うん。そうする。ごろごろしたいし、たまにはお買いものにも行きたい」


 姉上に撫でられるにつれて、激務の中で溜りに溜まったストレスが徐々に溶けてゆくような心持ち。ふんわりとした姉上の花のような香りに包まれて、思考まで蕩けていくようだった。


「姉上~。姉上~」

「どうしました?」


 つい舌足らずな声を出してしまい、自分が赤面していくのを自覚したが、それでも姉上に甘えるのを止められない。


「もっと、撫でて」

「はい」


 私は最愛の姉上の太ももに顔を埋め、全力で至福を味わう。ここが、姉上の太ももの上が私の居場所だと断言できる。この理想郷ユートピアを世界に自慢したい。


「私もう、ずっとここにいる。外は嫌だ」

「え?……えっと。はい」

「姉上……。お外は地獄だ。ひとたびお外に出れば、変人と馬鹿と鬼畜眼鏡が私の精神を瀕死寸前までゴリゴリ削ってくるんだ。この街の秩序は絶妙なバランスで成り立っているのは分かる。ゆえにお仕事が多いのも分かる」


 姉上の女神ハンドで私の理性が解れていき、ぽつりぽつりと心の膿が漏れていく。


「けれど、あの鬼畜眼鏡は私にばかり仕事を振るのだ。確かに私は常識人で、責任感も強い方だと思う。ヨモギ殿はすぐにサボるし、エステル殿はとりあえず切り殺す。部下たちは残業の気配を察するとドロンと消えて私はいつも置き去りだ。同僚に恵まれない。もはやイジメの領域だと言わざるを得ない。いや、イジメだ。私は虐められてる。もういやだ。いやだ!」


 話しているうちに涙目となり、姉上の太ももを少し濡らしてしまった。でも私の独白は止まらなかった。止められなかった。姉上の温もりに包まれたせいか、私の中に積りに積もった憤りが咳を切ったように溢れ出す。


「……でも、辞められないのだ私は。転移者のみで構成されたこの街は、切っ掛けひとつで目も当てられないくらい殺伐としたものになるのは目に見えてる。スキルレベルなんていう数値。固有スキルの内容。転移前は馴染みの無かったものゆえに、どうしても優越感や嫉妬心などを生みやすい。もし書記殿の政策が無ければ、きっと今の平和は無かっただろうと思う。だからこそ治安維持には慎重になるのも理解している……。つねに最悪を想定してしまう己が性分のせいでもある……。でも……。私ばっかり……」


 しまいには涙を零し始めた私を、姉上はどこまでも優しく撫でさする。撫でられた部分がじんわりと温かく感じた。


「……大丈夫です、紅葉さん。私は紅葉さんが誰よりも頑張っている事を知っています。もう、大丈夫ですよ。ゆっくり、ゆっくり休みましょう?」

「私はッ!私は頑張ってるのに!私の気持ちを露知らず!この街の連中はどいつもこいつも自分勝手に暴れ放題!きっとこの島は変人博覧会だ!ストーカーもいれば『切られたがり』もいる!パンツを拝む宗教を広める奴もいる!極めつけは全裸だ!なんだアイツは!何故みんな疑問を持たないのだ!もうやだ!やなの!」

「落ち着いて。深呼吸です。大丈夫、大丈夫ですよ紅葉さん。ここには変な人はいませんから、ね?」


 姉上の甘やかな声に励まされ、とうとう私は声を上げて泣いた。この世界で私の事を理解してくれるのは姉上ただ一人。年甲斐もなく幼子のように泣きじゃくる私を、聖母の如く慈愛に満ちた姉上はもらい泣きしながらも慰めてくれた。





 温かい食事と入浴を済ませ、さあ至福のお布団へ、という段階で、私はとんでもない事に気付いて茫然と立ち尽くす。


「……な……なぜ私は……ここが自宅だと。え?……あれ?」

「も、紅葉さん……!」


 ベッドに座った姉上……否、シア殿が目を潤ませて声を上げた。


「私は……私は何故シア殿を姉上と……。え……?シア殿の固有スキル、では無いな……。どのタイミングでそんな思い違いを……?」

「大丈夫です。紅葉さんはちょっとだけ、ちょっとだけ疲れていただけなんです……だから……」

「私は……私は……」


 シア殿が憐憫の目で私を見ていて、なぜそうなったのかを薄々察してしまう。シア殿の寝室に敷かれた客人用の布団の上で、私は震えながら蹲る。


「その、これはシア殿の力ではないのか……?イチカから多少聞いてるが、その、夢……なのでは?そうだったらいいなー、と」

「いえ……。その、非常に言いづらいのですが、違います……」

「ふむ……」


 一瞬、時が止まったかのような錯覚。察するに、日々のストレスが限界突破した私は、自らの精神を守るために謎設定を信じ込んでシア殿に甘えまくった。シラフの状態でだ。不法侵入した挙句、一方的にシア殿を姉扱いし、膝枕を強請り、最終的に幼子の如く『あ~ん』をしてもらった。下手をすれば母上と呼んでいたかもしれない。授乳を望んでもおかしくない精神状態であった。


「あああぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!」

「紅葉さん大丈夫です!なんとなく理由は分かりましたし!誰にも、誰にも言いませんから!」


 これ以上ないほど赤面した私は、情けなくもお布団の上で顔を覆いながらのたうち回った。圧倒的羞恥。穴があったら投身自殺したい。シア殿を対象としたのは、多分パニカ殿を甘やかす姿を度々目撃したからだろうと思う。深層心理では私も同じ扱いを求めたのだろうか。何にせよシア殿にとっては迷惑千万な話だ。申し訳なさが極まり鼻水が出てきた。


「ししシア殿……!私は、私は何か変な事を口走ってなかったか……?お、おぼろげなのだ、記憶が……」

「えっと、『バブみ』がどうこうって……」

「ああああぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!」


 知られざる己が性癖を自覚し、散々泣いて騒いだ後、羞恥が限界まで達した私は意識を失った。生まれて初めての気絶である。翌朝、シア殿に行った数々の無礼を土下座して謝り倒した。涙目の私に対し、シア殿は溢れんばかりの母性で慰めてくれたので、ついうっかり飛びついて甘えそうになったが、それをすると私は最早切腹する他無いので断腸の思いでその場を辞した。去り際、シア殿が放った「大丈夫です。紅葉さんは常識人です」という、まるでシア殿が自身に言い聞かせてるような言葉がやけに耳に残った。



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― 新着の感想 ―
[一言]  この44話の紅葉さんが壊れる話、今でもふとした瞬間に思い出しちゃうくらい好き。  ひとんちに押し入ってきた紅葉に開口一番「ただいま」を言われた直後のシアちゃんの対応力の高さほんとすき。
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