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甘くとろける黒糖コーヒー




 溶けだした氷が、カランッ、とグラスの中で軽やかな音を立てた。甘すぎるほど甘く、それでいて後味すっきりな黒糖コーヒー(冷)で喉を潤す。飲み物だけど、私の認識ではこの黒糖コーヒーはデザートの分類である。この甘い飲み物に一瞬で魅了され、春香さんに『いつもの』と注文すれば出てくるようお願いしてしまった。ちょっと暴走してしまった感があるけれどしかたない。それほどのものなのだ。私は多幸感に包まれながらチビチビ飲んでいく。


「僕が知っている事は全部話せます。けれど、きっとそれはシアさんが知りたい事とは違うような気もするんですよ」


 この蒸し暑い中、温かいコーヒーを静かに啜りながらくまさんが言う。2メートルを優に超えるその巨体のせいで、コーヒーカップがとても小さく見えてちょっと面白い。


「僕が知っているのは、僕たちが同じ時を過ごしたカラメル大陸。隣の大陸メイプルガーデン。遥か北方に位置するピュアホイップの三大陸の事だけです。僕はそれらを纏めて『世界』と認識してますが、それはきっとシアさんにとっては極一部だろうと思います」

「極一部、ですか」

「はい。シアさんが言う『夢世界』の極々一部です。薄氷を一枚挟んで曖昧に、無数に、それこそ星の数ほど別の世界が在るのだと、僕が創られた時にぼんやりと理解しました。幾千もの映像が視界いっぱいに広がり、そしてその一部が僕たちの住む場所だと気付いたのです。まぁ、理解したのみで他の世界への移動は出来ないのが残念でなりませんが」


 そう締めくくり、くいっとコーヒーを飲み干した。私はくまさんの話を反芻しながらグラスを傾ける。くまさんが視たという映像は私が自分に【夢】を混ぜる度に見るアレだろうと思う。夢の中の無数の世界。以前から察してはいたが、こうして夢の中の住人から話を聞くと、改めてそのスケールの大きさに慄いてしまう。


 丁度話が途切れた一時、見計らっていたかのように春香さんが注文を取りに来て、私はくまさんのおかわりと小豆サンドを頼んだ。くまさんは私に恐縮しながらも「今度はアイスで」と付け加えた。やはり暑かったのだろうと思う。



 昼下がりの強い陽射しに空気が温められていて、薄青い空がぼんやりと白んで見えた。初夏の気温に起こされたのか、セミに似た虫の声が微かに聞こえる。春香さんが経営する喫茶店『錆色時計』の店の前。そこに一席だけ設置されているテラス席で、私とくまさんは和やかなティータイムを楽しんでいた。私はくまさんを召喚するためにねむいモード(仮)であり、大きな翼を引っ付けているので店内のソファに座りにくいのだ。くまさんも2メートル越えの巨漢騎士なので窮屈だろうと思い、少々蒸し暑いながらも野外でのお茶会と相成った。パラソルの日影が非常に助かる。


「……そうだ、今思い出したんですが、以前くまさんが言っていた『上の方々』って誰ですか?気になります」


 私の尋問は続く。最初は単純にコーヒー党のくまさんにご馳走したいだけだったが、こうしてお話しできる夢の住人は貴重なのでここぞとばかりに質問攻めである。


「あの子鬼の群の時のですよね。う~ん。お話したい所ですが……」

「え……なにか、箝口令みたいなの敷かれてるんですか……?もしかしてあの国の王様とかです?」

「いえ、それは……。う~ん……シアさんが主ですし……。でも怒られそうですねぇ……」


 くまさんは腕を組んで「うむむ」と唸る。話しにくい事らしいが、私も諦めきれずに「うぬぬ」と唸る。


「『上の方々』というのは我々の立場上の上司ではなく、シアさんが呼ぶ『夢生物』の上位存在という感じですかね。僕も一度だけしか会ってないのですが、不思議と感覚で理解したと言うか……すみません、曖昧にしか答えられなくて……」

「どんな人なんですか?呼べば出てきますか?多分色々詳しいですよね、その人たち。私に話すと怒られるんですか?なぜ」


 私の怒涛の追及にくまさんは暫しの間逡巡し、諦めたかのように息を吐いた。


「その、僕に言伝を頼んだ後、確かこう言ってました。ここぞというタイミングで登場したほうが好感度が稼げる……とかなんとか。ゆえに、秘密にしろと」

「え!?そんな理由!?ちょっと予想外なんですけど!な、なんか残念な気配がします!」

「はい……。僕もちょっと残念な感じだと思いました」


 衝撃である。チュートリアル島には変な人ばっかりだと思っていたけど、それだけに飽き足らず私の固有スキルの中にも変な人達がいる。好感度って何だ。


「えっと、もしかしてその中に鳥のお面の人もいました?すごく背丈の大きい……」

「すみません……詳しくは言えないのですが、草むしりしてた、とだけ」

「草むしり!?なんでその情報をピックアップしたんですか!?意味が分からなくて増々気になります!」

「シアさん。そろそろ30分くらい経ちましたが、眠気は大丈夫ですか?」

「そんなんじゃ誤魔化されませんよ!教えてください!くまさん!」

「あ、おかわりが来ましたね」


 くまさんは目を右往左往させながら露骨に話題を逸らす。そこまで話したくないというのはもしかしてよっぽど怖い人達なのか、もしくはドン引きするほどの変人達なのか。もはや懇願に近い形で話を聞き出そうとしたが、くまさんは一向に口を割らず、おかわりのアイスコーヒーを美味しそうに飲んでいた。





 ほどよい眠気に包まれて、くぁ、とひとつ生あくび。たっぷりとコーヒーを堪能したくまさんを送還し、私はテーブルにぐんにゃりと突っ伏している。頬に当たる冷たいテーブルの感触が心地よく、このまま午睡に落ちても良さそうだと思案する。微睡む私の耳に、チリリン、と涼やかな鈴の音。


「夢のお話は聞けましたか?」


 店のドアから春香さんが出てきた。その手には2つのグラス。そのうちの片方は私のおかわりだと察して、私はのそのそと身を起こした。


「……はい。色々聞いたんですけど、余計に謎が深まったというか、なんというか。複雑です」

「なるほど。まぁ『夢』というくらいですからね。不思議だらけという事でしょうか」


 不思議というか残念だったというか。春香さんは空いた対面の席に腰掛け、ストローでアイスコーヒーを優雅にかき回す。夏日に相応しいノースリーブにエプロンという薄着が色っぽく、少々目を狼狽えさせながらおかわりの黒糖コーヒーを啜った。


「シアさん。もし眠かったらベッドをお貸ししますよ?以前固有スキルの反動はお聞きしましたが、一刻程翼を出していらしたので心配です」

「あ、えと、まだ大丈夫です。くまさん1人でしたし、他には力を使ってないので」

「遠慮なさらずに。こんな日の為に上質な寝具を揃えてますから」

「大丈夫です」

「大き目なベッドを買ったばかりなので、安心してお休み頂けます」

「大丈夫です」


 何故かぐいぐい来る春香さんは、そうですか、と残念そうに口を尖らせた。そんなに寝具を自慢したかったのだろうか、少し罪悪感を感じながらも私の意志は変わらない。女性のベッドを借りるなど、気まずさと緊張でほとんど眠れない事が目に見えているのだ。パンドラさんとエステルさんに拉致されたあの日々が脳裏をよぎる。


 おかわりの黒糖コーヒーを一口飲めば、冷たい喉越しと甘さで少しだけ眠気が和らいだ。こくこくとグラスを傾ける私の様子を、春香さんは頬を緩ませながら眺めている。


「予知夢、白昼夢、明晰夢。未だ現代でも解明されてない『夢』が固有スキルとは、文字通り夢がありますよね」

「……春香さんは夢について詳しいんですか?」


 私の問いに、春香さんは少し考える仕草で顔を上げ、コーヒーを一口飲んだ後話し始めた。


「読書が好きですから、多少は知っている、という所でしょうか。脳の記憶貯蔵庫の残滓という説や、集合的無意識の象徴、とも解釈されてますね。わたしは後者の解釈のほうが好みですが」

「しゅ、集合……?」

「つまり、みんな夢で繋がっている、という見解です。少し霊的な言葉で言えば、夢は魂の休息場、という説ですね。中には全部性欲に繋げる学者もいますが、結果的に『夢』はなんなのか解明できていない現状、それなら夢のある解釈がいいなとわたしは思います」


 春香さんがイキイキと言葉を紡ぐ。説明しよう!という感じである。実は豆知識を披露するのが好きなのだろうと察し、私は大人しく頷き続ける。


「夢を見ている最中は、多くの場合それが夢だという自覚がありません。睡眠中の本人にとっては限りなく現実的かつ、違和感のない日常の一部です」


 春香さんが眼鏡をクイッと上げる仕草をした。眼鏡してないのに。


「さて、以上の説明を踏まえてシアさんに問います。ここは現実でしょうか。それとも夢の中でしょうか」


 予想外なクイズに肩をビクつかせる。自覚が無い、という事を踏まえているのでとてもズルい質問だと言わざるを得ない。さっき【夢】を使ったのでここは多分現実だと思う。けれど、もしかしたらそれすらも夢の中の出来事だとしたら。もしくはねむいモード(仮)を解いた後に寝てしまった可能性も。


 口をへの字にして唸る私を見て、春香さんが口に手を当てくすくす笑う。からかわれているのだと気付くも、それすら夢の中のやり取りなのではと思考の波に攫われる。これが夢なのか夢じゃないのかを判断するため、私は街の風景をきょろきょろ窺い、顔を顰めた。


「どうしました?シアさん」

「……これは、夢だと判断しました」

「え?予想外な答えです」


 目を丸くした春香さんに、私が見つけた夢の証拠を指さす。



 強い陽射しに温められた街路の上に、茶色く変色して萎びている着ぐるみの人が行き倒れていた。誰であろうその人は、黄昏モードとなったハナハナちゃんである。ハァハァと荒い息を吐き、なぜか瀕死の状態のハナハナちゃんの隣には一人の青年。茶色い短髪で、そばかすが特徴の男性である。たしか、ハナハナちゃんの友人役の、ビリーだかギブミーだったか、そんな感じの名前の人だ。


「もう……!もう良いじゃねぇかブラザー!このままじゃ…!このままじゃお前がどうにかなっちまう……!神ですら7日目には休んだんだぜ!?」

「……それでも俺は止まれねぇのさ。止まっちゃいけねぇのさ。……何故かって?簡単な事だ。俺を呼ぶ声がする……!」

「あぁ!クソッタレのクソダチが……!俺は……!俺は……!!」


 萎びたハナハナちゃんが這いずって移動し始めて、その友人が涙ながらにジョウロで水をかけてる。着ぐるみに水をかけてどうする。


「……みっともねぇ面で泣きやがって。男が泣いていいのはケツ掘られた時だけだとママが言ってたぜ……?」

「でもよ……!その腐ったミートパイみたいな姿を見るとよ……!」

「OK、こうしよう。お前が俺の右肩を支えて、俺が俺の左肩を支えるんだ」

「……やっぱり止まらねぇか。笑えない冗談はよせよブラザー。……こんな時のためのダチだろうが」


 友人がハナハナちゃんの両肩を後ろから支え、引きずる形で街路を通り過ぎていく。たぶんそれはハナハナちゃんの希望とは違う移動法なのでは。やがてズルズルと引きずられていくハナハナちゃんが遠くなっていき、住宅街の影に消えていった。



「……今の、何ですかね、春香さん」

「……多分、お店が忙しいのではないかと。連日賑わってると聞きますし……」


 ハナハナちゃんの固有スキルで手に入れた現代食品が並ぶ『ハナハナマート』の事だろうと察した。確かに人気で、パニカさんなんかは連日足繁く通ってる。ハナハナちゃん、過労らしい。


「……ちょっと現実味のない一幕だったので、やはり夢では、と」

「大丈夫ですよシアさん。わたしも正直面食らいましたが、ちゃんと現実です」

「春香さんがそう言うなら……」


 私が渋々納得しかけたその時、ぺたんぺたん、という音が、昼下がりの西居住区に響き渡る。


 夏の陽射しを一身に浴びている街路の上を、一人の男が歩いていた。細身ではあるが鍛えられた身体にはしなやかな筋肉が付き、長身も相まってプロボクサーのような男である。上半身裸の装いで、ついでに下半身も裸だった。端的に言えば全裸。『攻略組』最強と謳われる全裸男、『羅針盤』バッカス。


 赤いネクタイだけを身に着けて、何故か浮き輪を肩に担いでる。海に遊びに行くのだろうか。裸足ゆえに街路の石畳をぺたんぺたんと踏み鳴らし、腰のデザートイーグルも左右に揺れてぺたんぺたんと鳴っている。平和な住宅街に全裸男が闊歩してるのだ。それだけにとどまらず、たまたま行き会った通行人に握手をせがまれてる。尊敬される全裸の変態。まるで現実味の無いその存在が威風堂々歩いてる。これが夢だと言わずになんと言うのか。


 私はぺたんぺたんという音が過ぎ去るまでの時間、ずっと顔を伏せて過ごした。見るに堪えない。チラリと春香さんの様子を窺ってみれば、頬をヒクつかせて街路とは反対側のお店の方へ顔を向けている。やはり常識人たる春香さんもアレは全裸だと認識しているらしく、その共感がとても嬉しい。


 ぺた音が小さくなっていき、完全にその音が消え去ったのを確認した後顔を上げた。私は春香さんと目を合わせ、おそるおそる口を開く。


「……やはり、これは夢では」

「……そうですね。わたしも、そんな気がします」


 微妙な雰囲気になった私達はその後、無理矢理話題を方向転換してなんとか和やかなお茶会を取り戻した。チュートリアル島に巣食う変人たちから目を背けるために『夢』だという結論にしたのに、いつまで経っても夢から覚める事は無く、私と春香さんの常識人タッグの目論見は露と消えたのだった。



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