スライムを踏む簡単なお仕事
私は神妙な顔で居間のソファに座っている。全身で明鏡止水を体現しているのだ。ゆっくりと深呼吸して、静かな心でチェッカーを見た。
名前:アムネシア
技能:気配遮断 2
索敵 1
両手で顔を覆う。本当に崩滅の魔女さんに命名されてしまった。私の名前はアムネシア。時の狭間の観測者。中二の寸劇の結果強制的に決まっていた。アムネシア。よくよく考えればそんなに悪くないしむしろカッコいいとも思える。でも記憶喪失、中二過ぎる。記憶あるし。終焉の星のアムネシア。アニメのタイトルか。当の本人はと言うと、海辺でやりたい放題した後満足げな顔で街に帰っていった。あまりにも超越的な台詞を捲し立てるので、もしかしてこの人は小説にありがちな主人公に絶大な力を与え試練を課し最終的にラスボスとかそんな感じの存在なのでは、と訝しんでいたが普通に中二病の転移者だった。
『服に興味のある方!刺繍やパッチワークが好きな方!気軽に服飾部へご参加ください!アットホームな部活です!ご連絡は生産ギルドまで』
去り際に渡されたビラがテーブルで風に揺れていた。かわいい花のイラストが紙面に散らばっている。部活動。転移者達はチュートリアル島に転移した際、治安維持のために複数の組織を作った。そのトップに立ち、ある程度の法を作ったのは『生徒会』だ。それに合わせて、同じスキルの強化を望む転移者達が集まり部活を設立していった。剣の道を志す『剣道部』や斥候技術を学ぶ『シノ部』等。その学園ノリの名称に苦笑いしてしまう。3年間のチュートリアル期間を高校生活に準えたのだと思う。でも崩滅の魔女さんのキャラで服飾部はどうなのだろう。似た感じの人が多いのだろうかと慄く。当然、人見知りぼっちの私は無所属である。勇気を出して何らかの部活に入っても、自己紹介で現役中二病だと勘違いされる事請け合いなのである。つらい。
「私の名前は、シアです」
声に出して言ってみる。愛称みたいに短くしたら女の子らしい名前になってしまった。はぁ、と溜め息一つ。ある種の事故みたいなものだ、と納得して諦める事にしたのだった。
コツン、コツンと靴が石畳を踏み鳴らす。ランタンの青白い光がレンガの壁を照らしているが、あまり視界は広くない。時折天井の一部が崩れている場所があり、その部屋だけは地面に真っ直ぐ日が射して仄明るい。例えるなら、滅びた城の回廊、といった所か。迷宮の1階層は荒涼感が漂っていて、少し埃っぽい。
踏めば死ぬスライムしか生息しないせいか、時折見かける転移者たちは談笑交じりで散歩するように歩いていく。安全ゆえの気楽さだ。そんなに数は見つからないけれど、一匹倒せば500円。いいお小遣い稼ぎ、そんな立場にスライムはいる。【気配遮断】と【索敵】を意識しながら通路の真ん中を歩いた。スライムはいつも隅っこにいるのだ。
差し込んだ日の光が空気の埃をきらきら輝かせていて、ついつい目が奪われてしまう。元の世界にいる時、廃墟が好きな人は割と多くいる、と何かの雑誌で読んだ。その時の私は首を傾げたが、今なら少し分かる気がする。時が止まったような風景、とはこういう場所の事を言うのだろう。日の射した場所だけに、苔や小さな花々が庭園を造っている。そんな風景をきょろきょろ見回しながら歩く私は、きっとほかの物見遊山気分の転移者と変わらない。
粘りつくような水音が聞こえて【索敵】に集中する。小さな気配が通路の隅っこにいるようだ。そろりそろりと近づいて、気配の元を目視する。枕と同じくらいの大きさの水袋が、小刻みに震えながら移動していた。黒いクルミみたいなスライムコアを勢いよく踏み抜くと、べしゃっ、と丸い水袋が弾けた。
靴やタイツが濡れてしまったが謎素材の服の効果か、すぐに何事も無く乾いた状態に戻った。スライムの体には極微量の酸性しかなく、靴が濡れる以外の被害は殆どない。魔物最弱の名を欲しい侭にしているのだ。転移者最弱はきっと私だ。仄かに仲間意識が芽生えるが、これも弱肉強食の定め。黒い煙になり、徐々に魔石になってゆくスライムを眺めながら諸行無常に思いをはせる。やがて小指の先ほどの大きさになった黒い魔石をぽっけに入れて、私は颯爽と歩き出す。
薄暗い通路を進んでいると、迷宮の天井が大きく崩れて吹き抜けになっている部屋に辿り着いた。部屋の中心には陽の光を一身に浴びた巨木が生えている。ずっと薄暗い場所を歩いたせいか、強い光が目に痛い。
生徒会で売っているマップには『セーフエリア』と書かれていた。何故か魔物が近づかない安全地帯。各階層にあったり無かったりする探索者の休憩場だ。私と同じくスラ踏みしていた探索者が巨木の根に腰を降ろして休んでいる。探索者達はグループごとにある程度の距離を空けて座っているので、私も丁度よい場所を探して座り込んだ。
木の根の所々に極彩色の花々が咲いていて、色彩の洪水が目をチカチカさせる。リュックを降ろして、水筒と携帯食料を取り出した。安定のチーズ味。視界の端で小人たちがご飯を食べているのが見えた。わいわいと楽しげにおかずの交換をしてる。サイズのせいだろうか、遠足に見えてしまって微笑ましい。
ぼんやりと携帯食料を齧っている私は、このセーフエリア内で唯一のソロだ。みんな友達同士で迷宮に来ているようで、ぽつんと巨木に座る私は少々居心地の悪さを感じる。なんだか学生時代を思い出してしまい、俯く。カロリーバーが4本入ってるうち、2本だけたべて、後は仕舞った。
ぱんぱんと膝を払いながら立ち上がり、軽く体を伸ばした私は、心なしか早足で歩き出した。先へ進もう。2階層の森へ行こう。怨敵を討つのだ。落ち着かない気持ちを誤魔化すかのように、2階層への転移陣へ足を進める。黒タイツにつつまれたこの足と、腰元の短剣だけが頼りだ。
懐中時計の針は、お昼時を少しばかり過ぎた時刻を指している。時計をリュックに仕舞いながら仰いだ空には、青白く光る満月と散らばるような星々。2階層の森はいつでも夜だ。この青い月も相まって、2階層は通称『青の森』と呼ばれている。冷たい風が一帯に流れて、揺られた森がざわめいた。
背の高い草原の草をかき分けて、森の入り口まで歩いた。魔物はこの先にいる。2階層の魔物はウルフとデスウィード。大型犬と同じ大きさの茶色の狼と、齧りついてくる白い花。デスウィードは藪を切り分けるついでに倒せてしまうほど弱い。なので私の標的はウルフだ。不覚ながらここ2日ほど連敗を喫している。森の奥へ行くほど群れを成すウルフを、まずは一匹。その一匹が倒せない限り、私の迷宮探索はここまでである。【気配遮断】と【索敵】を使用しながら、私は腰の短剣を右手で抜いた。今宵の短剣は、血に飢えている。
やがて姿を現す一匹の獣。奴だ。直感でわかる。森の中の少し開けた場所を、青白い月が万遍なく照らす。おあつらえ向きだ。私は少し距離を詰め、背負っていたリュックを横に放り投げた。息を深くはいて平常心を維持する。
ウルフが唸りながら身を低くし、私から一切視線を逸らさない。警戒している。以前の私とは違う事を悟ったのだろう。私とウルフの間に一陣の風が通り過ぎる。
「……慟哭する刻の鐘よ。混沌たる宵の星々よ」
左腕をゆっくりウルフに向け、言霊を紡ぐ。森が呼応するかのようにざわめいて身を揺する。
「夢幻の闇の螺旋となりて!全ての命に終焉を!!」
そして私は目を見開いた。
「ナイトメア!!!!!!」
ウルフに一切の動揺は見られない。当然ながら左手からは何も出ないのだ。隙を突く作戦は失敗したと言える。少しばかり何か出ないものかと期待したが、こればかりは仕様が無い。気を取り直して短剣を構える。
次の瞬間真っ直ぐ飛びかかってきたウルフを、横に転がって避けた。短剣を持ちながらの回避が偶然上手くいった。すぐに飛び起きて、ウルフとの間合いをはかる。奇跡的な回避だ、次は無い。
私はヤクザ映画のカチコミの如く構え、走りだし、つまづいて転がった。
割と距離があった筈なのに軽快にころころ転がり続け、ウルフの足元に辿り着いた。短剣はどこかに吹っ飛んだ。
仰向けの視界に広がる満天の夜空が、じわりと涙で滲んでいく。また私はころころ転がった。大事な所で転がった。なぜ転ぶ。前回はここでウルフに顔を踏まれたが、視界の隅のウルフに動く気配はない。慎重に身を起こして辺りを窺うと、脳天に短剣が突き刺さったウルフが地に伏していた。私がその惨状を茫然と眺めていると、ウルフの亡骸は霧になって魔石へと変化していく。
よろよろと身を起こし、落ちていた短剣を鞘に戻した。なんだろう、腑に落ちない。もにょっとする。まあ、経緯は別として、とりあえず私は勝利した。とりあえずの勝利だ。右手に魔石を握ったまま、夜空に浮かぶ月に拳を掲げた。私は立派に戦い、生き残った。私は異世界でもやっていける。満天の星々は私の勝利を祝福するかのように、きらきらと眩く輝いていた。