山は良いね、とトムさんは語る
木々の合間から見える空は薄く雲がかかっていて白っぽい。山道は湿った土と木の葉の匂い。枯葉が敷き詰められたような道のため、さくりさくりと足音が小気味良い。
山は生きている。そう、爽やかな顔で語るトムさんに案内されて、私達は4階層の山中を歩いていた。私とパニカさんと、案内役のトムさん。そして最後尾にはレンジさんがいる。ヒマしてっから、とぶっきら棒に言うレンジさんは、なんだかんだ私達を心配してついてきてくれたのだと思う。
灰色ツナギの上に黒い皮鎧を装着したトムさんが先頭を行く。レンジさんは相変わらず黒ずくめの黒コートだが、コートの中に鎖帷子を着こんでいてなんだか凄味が増している。槍と刀を武器にしている前衛二人がちゃんと防具をしてるのに、軽戦士(自称)の私は相変わらずのダボッとした白ローブである。迷宮なめんなと言われそうな格好なので、今後いい防具を探していきたい。パニカさんはいつもの黒い魔女っ娘服。後衛なので自由である。
「くくくっ!いつでも来るがいいわ畜生共!あたしのコメットちゃんが火を吹くわ!!!」
今日も元気なパニカさんは、ピンク色の魔法銃を振り回しながらてってこ歩いている。トムさん作の魔法銃『コメットちゃん』は、パニカさんの要望がこれでもかというくらいに詰め込まれた完全オーダーメイドな一品。相当な費用がかかったらしいが、パニカさんのグレーゾーンな商売でトムさん共々お大臣なので賄えたらしい。見た目は玩具のショットガンといった印象だが、ひとたび撃てばマシンガンの如く雷弾の雨あられ。強力、の一言である。
「ねぇシア。あたしは新武器手に入れたけど、シアの新技はどうなの?分身できるようになったって言ってたじゃない」
「……あれは、その、後から物凄いダメージを受けるので、ちょっと」
「ふーん。それはなんだか残念ね。すごい便利だと思うのに」
自己との対話を可能にするダブルモード(ロリ)は精神衛生上よくないので封印中である。例えれば、談笑していたらその相手は実は鏡だった、という感じだろうか。融合後に襲い来る羞恥は想像を絶するものがある。
「あー、アレだろ?分裂してちっこくなるってやつ。俺は見てねぇが、提灯通りじゃ噂の的だかんな。なんとなくは聞いてる」
「そうね。あの副会長と『崩滅』を大人しくさせたんだもの。提灯通りじゃシア最強説出てるわ。儂が育てたってシノ部の『赤鬼』が自慢げに話広めてるみたいよ」
「分裂と言えば、生産ギルドで小さいシアさんのポスター見たよ。その時に売ってくれって人を見かけたし、なんだか大事になっちゃったね」
「あっ、あたしは『崩滅』本人にシアポスター貰ったわよ!!お近づきにって!」
あまり聞きたくない話題になってしまったので、私はそっとフードを被って気配を消す。トムさんの言う通り、本当に大事になってしまった。パンドラさんとエステルさんは私の想像を超えて有名だったらしく、そんな二人を諌めた(?)挙句にロリ姿で連れ回された私は、迷宮に辿り着くまでの道のりでかなりの視線にさらされた。つらい。ゆえに今日は【気配遮断】を使いっぱなしである。なお、【気配遮断】の効果を実感したことは今まで一度も無い。
「ほらシアちゃん。涙目でプルプルしないの。大丈夫よ。姉たるあたしが上手くやっといたから明日には人目も気にならなくなるわ?」
涙目でもないしプルプルもしていないが、パニカさんはこれ以上ないほど優しい声で私を慰めた。何を上手くやっといたんだろう。あまりいい予感がしない。パニカさんは姉モード特有のやわらかな微笑みをたたえて私を見ていて、何故かレンジさんは同情に満ちた顔で私達のやり取りを見ている。知りたいような知りたくないような複雑な気持ちを抱えながら、私は山道を歩き続ける。
「反応、左から3です!」
【索敵】が魔物の気配を捉えた。すぐにレンジさんが刀に手を添えながら前に出たが、ドヤ顔のパニカさんがてこてこ歩いて更に前に出た。苦笑いのトムさんがパニカさんの横に並ぶ。
パパパパパパンッ、と軽い発砲音。パニカさんの魔法銃が無数の雷弾で藪と魔物を焼き払った。トドメとばかりにトムさんが小手の銃口から閃光弾を放ち、辺りに轟音が響き渡る。粉塵が景色を覆い隠し、私は風圧で二・三歩後ずさっていた。【索敵】にはもう魔物の反応は無い。
「これは、閃光弾だよ」
土煙で覆われた景色の向こうから、まるで自分に言い聞かせるようなトムさんの呟きが聴こえた。やがて土煙が風に流されていき、撃ったままの姿勢のトムさんと立ち尽くすレンジさんの姿が露わになった。パニカさんは、と見回してみれば、風圧で山道の脇までころころ転がったようだ。
「いや!もう認めようぜトムさん!それ爆弾だ!てかトムさんも分かってんだろ!?トドメに使ったもんな!!!」
「火薬使ってないんだよ?術式も光魔法の【ライト】だし……」
「トムさんのそれ商店街に卸してるよな!?店のポップに爆弾って書いてあったぞ!?認めようぜ!!」
転がったパニカさんを起こしてみると、なぜか満面の笑みで目を輝かせていた。道に落ちていたコメットちゃんを拾い、おもむろに頬擦りを始める。
「最高だわコメットちゃん!!バイパー3匹瞬殺よ!!願わくば魔力消耗が減るとイイ感じね!!」
大変ご満悦の様子。がなり立てるレンジさんから逃げるように、頬を掻いたトムさんが歩いてきた。
「ごめんごめん。二人とも平気かい?お詫びと言ってはなんだけど、今日は特製カレー鍋にしようと思うんだ」
「気にしてないわ!それにカレー鍋久しぶりじゃない!!やっぱ〆にはご飯よね!!」
「ん?パニカさん、それは結果的にカレーライスになるのでは……」
「意外と違う味になるんだよシアさん。僕の場合は出汁も入れてるからね。感覚的にはカレーうどんの味に似てるかも」
「……おい。カレーの話はいいから先行こうぜ。音で魔物寄ってくるぞ」
渋顔のレンジさんがため息交じりで言う。そういえば素材はどうなったのかと見回してみれば、魔物のいた場所はトムさんの閃光弾(仮)によりすっかり土砂山と化していた。私は魔物の姿すら見ていないが、確かに3匹死んだはず。素材の行方は何処。みんなは既に素材を諦めたらしく、私に声をかけた後すたすたと山道を登っていく。パニカさんとトムさんはわいわいとカレー談義を続け、それにレンジさんが突っ込みを入れながら歩く。どうにも緊張感がないメンバーである。私がしっかりしないといけない。気合を入れ直して【索敵】に集中した。
白んだ空を背景にして、連なる山脈が視界いっぱいに広がった。曇り空のせいか、彩度の低い山々がまるで一枚の墨絵のように見えた。寒々しくも雄大。深呼吸してみれば、清涼感のある森林の香りが鼻孔をくすぐる。トムさんのおすすめ休憩ポイントとして案内された場所は、山道から少し外れた崖の上。標高の高いその場所は確かに絶景ポイントだった。わりと人気スポットなのか、あつらえたように切り株の椅子がある。
「日によって、時間によって変幻自在の景色。それが山の魅力さ。こんな日は渋めのお茶が合うだろうね」
トムさんは満足げに景色を眺めた後、おもむろにお茶の準備を始めた。レンジさんは周囲の安全確認に向かい、パニカさんは私のバッグをごそごそ漁ってお菓子を選んでいる。マジックバッグは共有で使っているが、中身の大半はパニカさんのお菓子で埋まってしまっている。匂いの出るものは魔物を呼ぶので、私もお菓子の選別を手伝った。
熱い緑茶で喉を潤し、ほう、と一息つく。山を登るにつれて肌寒くなってきたので温かい飲み物はありがたい。
「ん、この饅頭美味しいね。シアさん、これどこで買ったんだい?」
「えっと、シノ部の方からの貰い物なので、詳しくは」
「それ提灯通りの雅って店よ。もう再開してるんじゃない?」
「建物はあっちゅう間に直ったが店の方はな。商品もあちこちに飛んだだろ」
そう、パンドラさんとエステルさんの喧嘩によりほぼ全壊した提灯通りは、驚くべきことに次の日には元通りになっていた。誰かの固有スキルだろうか。ついでに言えば暴れ放題した二人は生徒会からみっちり無償労働の刑をくらい、一時的に迷宮調査隊として送り込まれるらしい。監視役である紅葉さんが縋るような目で私を見たが、私に出来ることはないので応援だけしといた。拉致される私を見捨てた小さな仕返しである。
「ねぇシア~。あたしも飛びたい。翼生やしたい」
「……え?」
「あたし副会長から聞いたのよ?一緒に飛んだって。あたしにも生やして」
パニカさんはいつの間にエステルさんと接触したのか。先ほどもパンドラさんと会ったと話していたし、謎である。パニカさんは私の腕を両手でつかみ、まるで駄々っ子のように揺らしてくる。
「ん?何の話だ?それ。生やす?」
「シアは他人にも翼生やせるのよ!副会長と空で遊んだらしいの!」
「面白そうな話だね。僕にもお願いしていいかなそれ」
レンジさんは訝しげな目をしているが、パニカさんとトムさんの目はキラキラと輝いていた。人に夢を混ぜたのはあの一度だけである。成功するかどうか分からない旨を伝えたが、二人は目を輝かせたまま何度も頷く。
「じゃあ先あたしね!この大空に!翼を広げ!飛ん」
「おいチビガキ。もし本当に生えても飛ぶなよ。喰われっぞ」
「分かってるわよ!ヴァルチャーいるんでしょ!?百も承知の助!!」
女児が両手を震わせて鼻息を荒くする。こうなったパニカさんは止まらないので、私は仕方なく短剣を呼び出してねむいモード(仮)を発動させた。【夢】の効力を強めるセットを呼び出し終えて、眼前に立つパニカさんを見ながら集中した。
一生懸命翼をイメージしながらパニカさんに夢を混ぜたら、ポンッ、という気の抜けた音と共に、パニカさんの頭にキノコが生えた。
「「「……!!!!!」」」
驚き固まる私達を前に、異変に気付かないパニカさんはワクワクした表情のまま私を見てる。丸みを帯びた赤いキノコがパニカさんの頭頂に鎮座している。何だこれ。似合う。
「ねぇねぇ!生えた!?生えた!?」
「……生えました」
「どんな感じ!?どんな感じ!?」
自分の翼を確認したいのか、両手をわちゃわちゃさせながらその場でくるくる回る。一緒にキノコも回る。
「……赤くて、白の水玉模様、です」
「へー!!キャッチーでポップね!でも見たいのに見えないわ!?」
トムさんは目を瞑って天を仰ぎながら震えていて、レンジさんは眼光を鋭くして悪鬼羅刹みたいな顔で笑いを堪えてる。見えないわ、見えないわ、と呟きながらくるくる回るパニカさんが可愛くて、つい噴き出した。
「え!?どうしたのよシア!!」
「か、かわっ……!きの、きの……!!」
「ブハハハハハハ!!!ひーっ!ダメだ笑う!!クッソ似合う!!」
とうとうレンジさんが笑い転げた。突然の事態に狼狽えるパニカさんに、トムさんが震えながらも手鏡をそっと差し出す。訝しげに鏡を確認したパニカさんが目を丸くした。
「キノコ!?何で!?ねぇ!!!これあたしから生えてる!!!」
「あ……もちもちしてて、ぷふっ、いいキノコです」
「なんで翼じゃないのよ!!!シア!!どういうことよコレ!!」
「私はちゃんと翼をイメージしましたよ?本当に。キノコではなく」
そのキノコはやたらと伸びる材質らしく、パニカさんが一生懸命頭のキノコを取ろうとするも、びよんびよんと伸びて一向に取れる気配が無い。やたらと肌触りのいいキノコなので、私とトムさんが笑いを堪えながらキノコをつついていたら女児が涙目になってきた。もしかしてランダムな結果になるのかと思い、パニカさんのキノコを消してもう一度夢を混ぜてみるも、やはり同じ赤いキノコが生えてきた。レンジさんがますます笑う。
「さて、つぎは僕だよ。もしかして個人によって結果が異なるのかもね。だから検証が必要だ」
「ククッ!トムさんもキノコ生やすんか……?今日はキノコ狩りか?」
「さっきからうっさいわねチンピラ!!アンタも次生やすんだかんね!?」
「ハァー!?何で俺もだよ!?シアの力だぞ!?碌な目に合わねぇのが目に見えてんだよ!!!」
「怖気づくのねヘタレ野郎ぉ!あたしたちが生やすんだからあんたも神妙にお縄について魔界キノコ生やしなさいよ!!!」
「何で産地が魔界なんだよ!!食ったらデカくなるようなキノコ乗せやがって!!顔にはてなマーク描いたろか!?アァ!?」
ぎゃあぎゃあと罵り合いを始めた二人を尻目に、私の前には目を輝かせたトムさんが立っている。いいのだろうか。目を合わせたら何度も頷くので、私は再度翼をイメージしながらトムさんに夢を混ぜた。
「「……?」」
確かに夢を混ぜたはずだが、トムさんには何の変化も見られない。トムさんも手鏡を使ってしきりに自分の体を確認しているが、これといった変化が起こってないので少し残念そうな顔をしている。やけに頭頂を確認しているところを見るに、実はキノコを期待していたのではと訝しむ。
「とくに、変化はないみたいですが……」
「う~ん。何だろう。何かいつもと違う感覚だけど、う~ん」
トムさんは手鏡を中空に掲げ、やはり頭頂をしげしげと観察している。罵り合いを切り上げた二人も、トムさんの周りをうろうろして観察している。みんな頭上を見上げている所を見るに、全員キノコを期待していたようだ。
「変化なし、かな。ちょっと残念だよ」
「ふ~ん。そういう事もあるのね。じゃあ次いってみましょう!」
「はぁ……わーったよ。次俺な」
レンジさんはそう言うと、どすんと地面にあぐらをかいて座る。そしておもむろに懐から出した煙草に火をつけた。ヤケッぱちと言う他無い態度である。パニカさんにぎゃんぎゃん言われて渋々、といった所か。そのパニカさんはレンジさんの側面に立ち、そわそわとした様子で頭頂を見ている。その隣でトムさんも顎に手を添えながらレンジさんの頭頂を見る。みんなキノコを期待している。私はキノコをイメージしながら、レンジさんに夢を混ぜた。
一瞬、視界が黒に染まった。よく見てみれば、無数の黒い粒子がレンジさんの足元から噴き上がり、まるで吸い込まれていくようにレンジさんの体に集まっていく。その粒子は体のあちこちに集まって凝固していき、どんどんその姿を変容させていく。
こめかみから生える角は天を突き、所々ほつれた黒の両翼は歴戦の風格を漂わせている。刺々しくも禍々しい漆黒の鎧を身に纏い、一切の攻撃は無に帰すだろうと思わせる。鎧の胸部には悪魔の顔を模した装飾。
むき出しの顔にも変化が現れていた。本来白目であった部分が黒くなり、黒目の部分が血のように赤く爛々と光っている。まさに凶相。脳裏に様々な死のイメージが濁流の如く流れ込んできて、血流が凍りついたような心持になる。あれは死の魔眼だ。目にするだけで生命を失わせる暴虐の化身。
私の力がレンジさんを魔王陛下へと進化させた。
「「ぴぃ!!!!!!」」
「うぬぅ!?吾輩は……吾輩はどうなったのだ!!先ほどの黒い霧は何ぞ!!!答えよ!!貴様ら答えよ!!!」
魔王陛下の波動が風となって周囲を荒れ狂う。私は恐怖のあまり涙目で固まる。パニカさんとパニキノコは震えながら後ずさり。トムさんは冷や汗を流しながら固まっていた。
「わ、吾輩の話し方が勝手に変わっておるぞ!!何事が我が身を襲ったのか!!この鎧は何ぞ!!!ええい揃いも揃って固まりおって!!」
一言も発しない私達に焦れたのか、死の気配をまき散らしながら魔王陛下が近づいて来た。
「し、しあーーーーーー!!!しあーーーーーー!!!!!」
女児ギャン泣き。魔王の波動を感じ取ったのか、周囲の森からギャアギャアと鳥型魔物の群が飛び立った。みんな這う這うのていで逃げていく。気配に敏感な魔物なのだろう。私も逃げたい。
「れ、レンジ君。いや、陛下。とりあえず一旦後ろを向いてほしい。怖い」
「吾輩が怖いだと!?何ゆえ!!我が身を一体何が襲ったと言うのだ!!」
怨嗟の塊のような顔を歪めて、魔王陛下は渋々後ろを向いた。偶然そこに、絶景スポットを見に来たらしい探索者パーティーが現れた。わいわいと談笑しながら歩いてきた男性4人は、ちょうど陛下を眼前に捉える位置である。そして、案の定周囲の空気が固まった。
「……おい貴様ら。なぜそんな目で吾輩を」
「「「「ぎゃあああああああああ!!!!」」」」
探索者達は武器を放り投げ、血相変えて逃げていく。だがそのうちの1人だけは果敢にもその場に残り、剣を構えて魔王と対峙している。真っ青な顔をしながらも、仲間を逃がすために殿となったのだ。探索者はごくりと喉を鳴らしながら覚悟を決め、魔王陛下はおろおろと狼狽えている。
その時、トムさんの目から赤い光線が放たれ、探索者の足元で小爆発を起こした。それが切っ掛けとなって、最後の1人も踵を返して泣きながら逃げていく。
唖然としてトムさんを眺めるも、トムさんは空中に何度かビームを放って感涙に震えている。眼鏡が壊れていないので眼鏡ビームといったところだろうか。
「……最高だ。最高だよシアさん。目からビームだよ?これぞ、浪漫だ」
「何なのだこの状況は。何なのだ吾輩は!!シア!!早う解除せよ!!」
「ひぃ!!!お、お静まりください陛下!!!!」
「ぎゃああああ!!!!しあーーーー!!!!しあーー!!!!!」
まさにカオス。場が混沌としている。後から考えれば【夢】を解除すれば直ぐにでも場が収まったのに、地獄の形相で追いかけてくる魔王陛下があまりにも怖すぎて意識の外へ放り投げていた。パニカさんは私の服に涙と鼻水をべったり付けた後気絶し、私も袋小路に追い込まれへたり込む。山を愛していると今朝方さわやかに語っていたトムさんは、高笑いしながらビームで森林破壊していた。
じっくりコトコト煮込まれていくカレー鍋の匂いが山頂に漂う。夕日が山脈の影に沈んでいき、静かに夜を連れてくる。やはり山頂は冷えるのか、吐く息が白くけむった。黄色いモコモコとしたダウンを着たパニカさんは、フードをすっぽり被ってソワソワと鍋を見ている。そんな姿がマトリョーシカみたいで面白い。魔物と殆ど接触しなかった私達はさくさくと道を進み、あっという間に山頂のセーフエリアに辿り着いていた。魔王陛下さまさまである。
「クソ寒いな……。俺もなんか温かい服持ってくるんだった」
焚火にあたるレンジさんが早速お酒の瓶を開けながら言うと、鍋をかき混ぜていたトムさんがリュックをレンジさんに渡した。
「何枚か余分にダウン入ってるから好きなの選んでいいよ」
「いやー助かるぜトムさん。最近ずっと街道だったからうっかりしてた」
「かまわないさ。ただの仕舞い忘れだからね」
茶色のダウンを纏ったレンジさんが機嫌よく酒瓶を傾ける。トムさんもツナギの上に緑色の防寒着を着ているが、私だけいつもの白ローブのままだった。不思議と暖かいのだ。夢から出た謎素材なので首を捻りながらも思考を放棄する。
「レンジ君のおかげで大分楽に進めたけど、でも難点もあるね」
「あぁ、稼げねぇし鍛錬にもなんねぇな。便利っちゃあ便利だが」
「いっぱい採取できたからいいじゃない!薬草畑に魔力草!!あとキノコでマジックバックいっぱいよ!!」
「テメェのキノコが採取できなかったのは残念だがな」
またレンジさんが余計な事を言ってぎゃあぎゃあ言い合いが始まる。そんないつもの光景を見ながら、私ははんごうのご飯の様子見をしていた。コトコトとはんごうが泡を吹いてるけど、これは大丈夫なのだろうか。うんうん唸りながら木の棒でつつく。
「おっ!そこにいるのシアちゃんじゃないっすか」
山頂のセーフエリアに生徒会のヨモギさんが姿を見せた。ちゃんと今日も頭に黒いお団子を乗せている。こんなに寒い場所なのにいつもの白い学生服姿である。鍛え方が違うのだろうか。
「こんばんは、ヨモギさん」
「はいこんばんは!みなさんもこんばんわっす。それでちょっとお尋ねしたい事があるんすが、みなさん、魔王を見かけました?」
つい、レンジさんの方を見てしまった。パニカさんとトムさんも神妙な顔でレンジさんに視線を向けている。そのレンジさんはと言えば、煙草に火をつけてそっぽを向く。しらんぷりする構えであるらしい。
「あ、いや、提灯通りの魔王ではなく『魔王(真)』っす。今日この階層の探索者が出会ったらしくて、殺される寸前で運よく逃げられたらしいっす。うちはその調査に来てるんすよ」
「……えっと、魔王(真)ですか……?」
「ねえ生徒会庶務。それコイツの事よ?」
パニカさんが早速バラした。そっぽを向くレンジさんを指さしている。
「いやいや。話によればその魔王、黒い角と羽を生やして目から怪光線を撃つらしいんす。しかも頭にキノコを乗っけてるとかで、そんな珍妙な生き物どこにいるって言うんすかねぇ。正直半信半疑なんすよ」
ため息交じりに言うヨモギさんに目を合わせられない。口を開けば噴き出してしまいそうになるのだ。
「……酔ってたんじゃねぇか?ソイツ等」
「ん?だからそれ」
私はあわててパニカさんの口を塞いだ。めんどうな事になりそうだったからだ。
「そっすよねぇ。無駄足とは分かってましたけどね。お、カレー鍋じゃないっすか!!いいっすねえ!!」
「えっと、よかったら食べていくかい?多めに用意してあるよ?」
「ありがたいっす眼鏡の人!!もうこういう都市伝説めいた話が浮かぶたびにうちが走らされるんでくったくたでお腹ペッコなんすよ~」
トムさんが苦笑いしながらヨモギさんを労う。私もヨモギさんの器を用意したり飲み物を用意したりと甲斐甲斐しく世話をした。無駄に走らせたお詫びである。プラス1名の夕食会はずいぶん賑やかなひとときになった。夜空の雲はいつの間にか晴れていて、満天の星の元での小さな宴席。途中パニカさんが口を滑らし、結局の所ヨモギさんに全てバレた。




