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西居住区の錆色時計



 いつも通勤に使っていた道の途中には、こじんまりとした小さな公園があった。坂道の上にあってあまり目立たないその場所は、いつも人気が無くて侘しい雰囲気を漂わせている。錆びついた鉄棒と、椅子の無いブランコしかない。仕事からの帰り道、私は時折その公園のベンチに腰を降ろしては、時間を忘れて夜景を眺めた。


 見晴らしだけはいいその場所からは、見渡す限りの住宅街や高層マンションが一望できた。家庭によってカーテンの色も蛍光灯の色も違う。赤、白、黄色。緑、青。地に落ちた星空は色彩豊か。そんな綺麗な夜景を眺めては、いつも複雑な心境に陥った。


 どうしても想像してしまう。窓辺ひとつひとつの先にある温かい幸せを。家族、というものを。恋人同士、または友人同士という家もあるかもしれない。その窓の先の明るいリビングで、談笑したり、はたまた喧嘩したり、決して明るいだけじゃない諸々のやり取りをしているのだろうと思う。もちろん独り暮らしの家もあるはず。それでも、遠目に見える家々から漏れ出る明かりは、私にとってはやはり幸福のイメージだ。


 ずっと独りだった私にとって、その景色は毎日内容が合わる映画のようなものだった。窓辺の先の登場人物を勝手に想像しては、多幸感の御裾分けをされたり、荒涼感に包まれたりもした。私には決して手に入らない幸せが小さな窓明かりの先にある。だからこそ、どうしてもその景色に強く惹きつけられてしまうのだ。




「あの公園の名前、なんだったかな……」


 一人ごちた後、手に持っていた瓶を傾けた。商店街で買ったコーヒーが、あまりにも当時よく飲んでいた缶コーヒーに似ていて、つい思い出に浸ってしまった。既に日暮れも過ぎていて、街は群所色に染まっている。高低差のある街の作りのせいか、明かりのついた家々がどこからでも見えるのだ。買い物帰りにベンチに座って、既に1時間くらいは過ぎてるだろうか。立ち上がった後、ぐっと体を伸ばした。


 夕食時の西居住区は少しだけ寂しげで、心なしか自分の足音がよく響く気がする。みんな広場や東地区に遊びに行ってるのだろうと思う。広場にはレストランが幾つもあるし、東地区には提灯通りやパステルモールがある。娯楽が少ない異世界では、食事と酒と談笑が娯楽代わりになっている。テレビ、ネット、ゲーム等。私はどれも嗜む程度だったので、無いなら無いで仕方ないと思えるが、それらが好きだった人達は夜が落ち着かないものらしい。じゃあシアは代わりに何をしてるの?とパニカさんに聞かれたときは、ぼんやりしてます、と正直に答えた。大層残念なものを見るような目を向けられたのが、時が過ぎた今でも解せない。


 真っ白な壁がオレンジ色の街灯に照らされて、街路を温かく落ち着く色合いに染め上げている。好きな景色のひとつだけど、相変わらず迷いやすい街だと思う。それは他の転移者も思う事なのか、それぞれの自宅には分かりやすい目印を付けているようだった。変わった花を花壇に植えていたり、壁に絵を描いていたり、不思議な色合いの布を壁にぶら下げていたりする。




 ふと、看板を掲げている家を見つけた。『錆色時計』と綺麗な字で書かれている。どうやらそこは時計屋さんのようだ。迷宮住宅街の奥の奥、ひっそりと隠れるようにそのお店はあった。名前からしてアンティークショップみたいな店だろうか。明かりのついたドアにはOPENの札。なんだか真っ直ぐ帰る気にならなかった私は、ちょっと覗いてみようと思いドアを潜った。


「いらっしゃいませ」


 リンッ、と涼しげに鳴るドアベルと共に、穏やかそうな女性店員の声。足を踏み入れた私は、店内に広がる木と珈琲の香りに気付いた。


「お好きな席へどうぞ」


 女性店員に何故か席を勧められて困る。木造の内装と黒い椅子が落ち着く色合いだが、商品がどこにも無いように見えた。まるでおしゃれな喫茶店、という感じである。大層おろおろする。


「すみません。もしかして時計屋か何かかと思い違いされたのでしょうか。見ての通り、うちは小さな喫茶店です」

「は、はい。てっきり……」

「よく紛らわしいって言われるんですけど、どうしてもこの名前にしたくて。よろしければ一杯、どうですか?」


 そういえば表の看板にはコーヒーカップのイラストが描かれていた。勘違いで入ったけれど、せっかくなのでここでコーヒーを飲んでいく事にした。窓辺の一番奥の席を選び、やわらかいソファに深く腰を降ろす。ランプの明かりに照らされた店内に、小さくオルゴールの音色が流れている。隠れ家的名店といった雰囲気。


 奥まった場所なのに窓からの眺めは良く、東地区と海が一望できた。夜は夜で綺麗だけど、日の出てるうちのほうが海が見れていいかもしれない。テーブルの隅の小さなメニューから、ブレンドコーヒーとあずきトーストを選んで注文した。


 窓辺から見える提灯通りの赤い光が、まるで静止した線香花火みたいに見える。きっと今日もパニカさんはあの場所でわいわいして、レンジさんが喧嘩して、トムさんが苦笑いしているのだろう。会いに行ってみたいけど、でも今日はなんだか上手く喋れる気がしなかった。


「おまたせ致しました。ご注文は以上でよろしかったですか?」

「はい」


 温かいコーヒーと皿に乗ったあずきトーストがコトリと置かれた。一口そのコーヒーを飲んでみれば、濃厚な味と温かさで体が芯からほぐれていく。ついついホッと息をつく。角砂糖とミルクの入った陶器を見ながらジッと考える。ブラックか、もしくは激甘を好むのだ。白黒はっきりつけたい。


 ふと気づけば、コーヒーを持った店員さんがテーブルの近くに立っている。何だろう、と首を傾げた。


「すみません。なんだかお客様が寂しげなご様子でしたので、ご一緒してもよろしいですか?」

「?はい。大丈夫ですよ」


 コトリ、とテーブルの対面にコーヒーが置かれ、店員さんがソファに座った。少し驚いたが、不思議とこのお店では自然な事のように思えた。店員さんはやわらかい笑みを浮かべ、静かな所作でカップを傾けている。私は何を話せばいいのか分からず、大人しくコーヒーを啜る。店員さんの目の前だから、という事で砂糖とミルクは使わなかった。なんとなく味に文句をつけているように思われないか心配になったのだ。


「お客様とは一度お会いしてるのですが、わたしの事覚えてますでしょうか」

「……?す、すみません。思い当たらないです」


 失礼にならない程度に店員さんを観察する。黒い髪を後ろで纏め、穏やかな笑みを浮かべる二十歳前後の綺麗な女性。背が高いので少し見上げる形になってしまう。緑のセーターにエプロン姿。全く思い当たらず、唸る。


「ヒント、スライムです」


 店員さんはニコニコと楽しそうに私を観察する。スライム。1階層の魔物だ。私とパニカさんが一度負けた憎き最弱魔物。1階層。


「……あっ」

「ふふ、思い出して頂けましたか?」


 巨大スライム戦で戦闘不能になった私達を介抱してくれた人だと気付く。確か獣人の女性と二人組で、穏やかな方の人だ。


「あの時はありがとうございました」

「いえ、良いんですよ。たまたまですし。またお会いできて嬉しいですよ。その後の方はいかがですか?」


 迷宮探索の事だろうと察しを付けた。


「今度、3階層の攻略に行こうかとパニ……あの時の子と計画してます。少しは強くなれたと思いますから」

「それは良かったです。3階層は危険性が薄いかわりに道程が長いですから。水と食料を多めで、あと虫よけは必須ですね」


 自然に会話をリードしてもらってる気がする。美味しいコーヒーの合間にあずきトーストを齧りながら、ゆったりとしたテンポで会話が続く。ふとした瞬間会話が途切れても、優しいオルゴールが間を持つように流れている。沈黙が許されているような雰囲気のこのお店が、もう私はすっかり気に入ってしまった。



 2杯目のコーヒーがテーブルに置かれた。迷宮の事、季節の事、街で見かけた猫の事。店員さんの話はゆったりとしながらも移り気で、まるで散歩してるみたいな話し方だと思った。そんな会話の散歩の途中、さり気無く私の話になった。どこか寂しげな様子だったと店員さんが言い、私は考えあぐねた挙句、とても簡潔に答えた。昔を思い出しました、と。


「そう、ですか。わたしもたまに考えますし、知り合いの方々も時折元の世界を思い出して懐かしんだり、感傷的になったりしてますね」


 どうぞ、と角砂糖の入った箱を差し出された。甘くしないと決めた途端に未練が出たのか、私は無意識に角砂糖とミルクに目線が行っていたようだ。店員さんは微笑ましいといった笑みを浮かべている。私は遠慮なく甘くすることにした。


「元の世界に未練の無い人、という人選がされているのは有名な話ですが、それでもやっぱり、人というものは複雑なものですからね。わたしも、やり残したことがたくさんありました」


 もはやカフェオレといった様子の私のカップを見て、店員さんがくすりと笑い、そして自分のカップにも角砂糖を幾つか沈めた。


「……やり残したこと、ですか」

「はい。まあ、今になって思えばというものですけどね。陳腐な言葉ですが、失って初めて、というものなのかもしれませんね」


 コーヒーの湯気が焚火の様に揺らめいて、店内にゆっくり立ち上る。


「でも、わたしは思うんですよ。もう戻れない元の世界を想う気持ちって、帰る理由の無くなった田舎や、学生時代を思い出すのとどこか似ていると。あ、お客様はもしかして現役だったでしょうか」

「?いえ。立派な成人男性です」

「ふふふ。まぁこういう結論に至るのが転移者特有なのかは分かりませんが。そういう意味では食文化は助かりましたね。元の世界と同じ食材や調味料がありますし」


 笑われたうえに流された。まるっきり冗談だと思われたようだ。何故だ。解せない。パニカさんにも伝えた事があるけれど、その時は鼻で笑われた。どう考えても元13才くらいのド天然あほ娘だと決めつけられた挙句、いかに私がアホで頭ゆるふわなのかを懇切丁寧に並べ立てるのだ。解せない。


 結局三杯目のコーヒーを飲み干すまで会話の散歩は続いた。店員さんの話し方にすっかり慣れた私も、一緒になってふわふわ話した。ふと、マジックバッグにくっ付いてる懐中時計に目をやれば、来店してから一時間以上過ごしているのに気付く。この居心地のいい場所では時間を忘れてしまう。素直にそう告げると、そう思っていただければ光栄です、と嬉しそうに笑った。


 やがて二名の客が来店して、それを機に私は帰る事にした。ずいぶん安い金額を払ってドアを潜る。涼やかなドアベルの音が心地いい。近所にいい店を見つけてしまった。心なしか足音が軽く聞こえる。




「シア!!遅いわよ!心配するじゃない!!」


 なぜか明かりのついていた家に帰宅すると、玄関先で仁王立ちする女児に叱られた。


「まったくもう!まったくもう!お腹ぺっこよ!!」


 ふんふん鼻息鳴らしながらリビングのソファにころころ転がる。


「……?あの、パニカさん。なぜ家に。何か約束してましたっけ……?」

「ん?別になんの約束もしてないけど?」


 首を傾げる私を見て、パニカさんも首を傾げた。困惑する私を置き去りにして、パニカさんは月刊チュートを読み始めた。自由気ままにもほどがある。はぁ、と溜め息ついて、私は夕食を作る事にした。店員さんにおいしいカレーの作り方を教えてもらっている。コーヒー、ケチャップ、醤油を隠し味に使うのだ。やたらとアップテンポなパニカさんの鼻歌を聞きながら、私はもたもたと料理を作る。


「この芳醇な香り!まさにカレー!素晴らしいチョイスよシア!!」

「パニカさんが好きだと聞いたので。もう少し煮込まないとですね」

「カレーのためなら世界が終わるその時まで待ち続けるわ!」


 大げさ極まる。にこにこしながら転がるパニカさんの近くに、何故か畳んだ服と枕が置いてあった。パニカさんサイズなのでちょこんとしている。


「……?パニカさん、そこにあるのは」

「ん?見ての通り着替えとまくらだけど」

「あの、何か約束しましたっけ……?」

「別になんの約束もしてないけど?」


 首を傾げる私を見て、パニカさんも首を傾げた。どうやら泊まっていきたいらしい。合宿でしばらく会えなかったせいか、最近増々甘えん坊将軍である。


「それでシア、今日忍者屋敷に菓子折り持ってったんでしょ?どうだったの?やっぱり武家屋敷風?掛け軸に隠し通路?」

「いえ、意外と普通の建物でしたよ。掛け軸に『隠し通路は無い』と書かれていたのが凄く気になりましたが」

「ふーん。景観保護ってのは聞いた事無いし、単純に難しいのかな。でもシアの事だから菓子折り持って行っても逆にお菓子貰ってそうね」


 パニカさんの推理は正解であった。合宿でやらかした私は謝罪の気持ちとして菓子折りを持って行ったが、なぜか忍者さんたちは倍の量のお菓子をくれた。訓練中よく死んでるから気絶したくらいどうって事ない、とあっけらかんと笑っていて、私が参加した合宿は手加減してくれていたのだなと感謝しながら始終ぺこぺこ頭を下げた。


 さっそく私のマジックバッグをごそごそと物色し始めたパニカさんを嗜めて、私はカレーをよそいに行く。一口味見してみれば、会心の出来だと言える味。これにはパニカさんも唸るに違いない。


「あっ!このおはぎ最高だわ!!」


 居間でパニカさんが騒いでる。世界が終わるその時まで待ち続けるんじゃなかったのか。苦笑いしながらカレーを盛っていく。お皿の真ん中にご飯を丘の様に盛って、その周りにカレーの海。子供っぽいところがあるパニカさんはきっとこういうのが好きだろう。残念ながら旗は無い。無人島カレー特盛。一方私の分はとても少な目に盛り付ける。体の変化の影響で、ちょっとした量でもすぐに満腹になってしまうのだ。今日は間食もしてる。いつもよりさらに少なめによそったら、お子様用ミニカレーといった有様である。



「うむ!これぞ至高の一品!!90パニポイントあげるわね!!」

「なんですかそのポイント。何かと交換できるんですか?」

「100パニポイント貯めるとあたしとお話ができるわ!」

「いま話してるじゃないですか……」


 パニカさんはにこにこしながらカレーをかき込んでる。案の定無人島カレーは喜んでもらえた。ガツガツと美味しそうに食べる姿を見て頬が緩む。こうして談笑しながら誰かに料理を振る舞うなんて、あの小さな公園にいた時の自分は想像もしなかった。


 暖色系のランタンの明かりが部屋を万遍なく照らしてる。きっと窓辺から漏れる明かりは、黄色に近いオレンジ色だと思う。いつの間にか私は、あれほど焦がれた光の先にいる。小さな私の友人は、よく食べ、よく騒ぎ、はしゃぎ過ぎてお風呂で転んだ。



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