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鬼とサンマとチョコレート



 蒼い月に照らされて、大きな影が蠢いた。シルエットとして浮かび上がる二本の長い角。雲の切れ目から光が注ぎ、やがてその全貌が窺えた。3メートルは超えるであろう赤い肌の巨躯は剣をも防ぎ、剛腕は森の木々を軽々と薙ぎ倒す。筋骨隆々な暴力の化身。足を止めていた私達に射るような目線が刺さった。あぁ。こわいこわい鬼が来る。歓喜に満ちた鬼の咆哮が大気を揺らした。


「シアちゃん!早く!!」


 イチカさんの声で平静を取り戻し、鬼とは逆方向に走り出す。幾つかの藪を引き裂きながら私達は走り続ける。決してあれに捕まってはいけない。ヒカリムシが漂う青の森は似たような景色が続くせいで、すぐに私達の方向感覚を狂わせた。それでも足を止めることは出来ない。時折後方から、木がメキメキと倒れていく音が響いた。


『こちらとり組。いぬ組がサブターゲットに殲滅された、注意を』

「言うのが遅いですよー!!うさぎ組は今追われてます!!」

『……確認した。そのまま北へ進め。たぬき組を援護に回す』

「了解!!」


 右耳のイヤリングからイチカさんと他の部員の通信が聞こえてくる。先を行くイチカさんが早速ルートを変えた。転ばないように、枝に顔をぶつけない様に、慎重にイチカさんに着いていく。着なれないくノ一衣装のせいか、藪が足に当たって凄く痛い。私は赤い鉢金をはためかせながらひた走る。


「跳びますよー!」


 藪の先に突然現れた小さな崖。その小高いほうに私達はいる。4、5メートルはあろうかという高さからイチカさんがひらりと飛び降りた。二階建ての家の屋根から見た高さくらいだろうか。つい怖気づいて足を止めてしまった。


 ジャラッ、という音。いつの間にか腰に鎖が巻き付いてるのに気付いて、次の瞬間私は夜空を飛んだ。ぽーん、という感じである。ワンテンポ遅れて私の元いた場所に赤い手が伸びてきて、巨大な掌が空を掴んだ。イチカさんの機転で危機を脱した私は、紙一重だった事に思わず冷や汗を流してしまう。


 空を飛んだ私はイチカさんにポフッとキャッチされて、お姫様抱っこ状態になったまま運ばれていく。後方から轟音が響いて、強風がイチカさんの背中を押す。枯葉や砂利、ヒカリムシたちが風で流されてきた。


「悪いゴはいねガァァァァァァ!!!!!!!」


 鬼の咆哮に森が揺れた。ビリビリとした振動がお腹の中まで震わせる。イチカさんの分身が撹乱に向うも、横薙ぎに振られた剛腕で掻き消されてしまった。木々を薙ぎ倒し、ウルフを踏み潰し、縦横無尽に暴れながら私達を追う。あの鬼に一切の障害物は意味を成さない。


「シアちゃん!まだ走れる!?」

「は、はい!!」


 普段はどこか飄々としてるイチカさんも、今は一欠けらも余裕が無い。ひょいっと地に降ろされて、振り返らずに駆け出す。


『うさぎ組、そのまま直線上に走れ。3、2、1』


 私達の頭上を紐で縛られた丸太が通り過ぎた。


「笑止ィィィィ!!!!!!!!!!!」


 ドンッ、と振動を伴う鈍い音が鳴り、細かな木片が宙を舞う。鬼の頭突き一発で、あれほど大きな丸太が木端微塵に粉砕されてしまった。物の怪の代名詞とも言える鬼は、その知名度に相応しい膂力で刃向うものを塵にする。捕まったらどうなってしまうのか。背筋が寒くなった。


 森の小道の先に、二人の忍びが現れた。双方既に武器を構え、私達の後方を睨み付けている。姿かたちが似ている二人の男性。


「たぬき組、右近」

「同じくたぬき組、左近」

「「ここは我等に任せ、お主らは先へ行け!!」」


 イチカさんが二人の忍者に頷いて、その横を走り抜ける。私も遠慮がちに頭を下げた後イチカさんの後に続いた。


「「括目せよ!!トイレと風呂とプライベート以外は常に共にいる我らのコンビネーション!!!」」


 プライベートは別々なのか。それはあんまり仲良くないのでは。顔を振って気を取り直し、私は足を速めた。


「忍法ォ!!ダブル・ラリアットォォ!!!!!!!」

「「ぐっはぁぁぁ!!!!」」


 鬼が放った技を喰らい、先ほどの二人が吹き飛ばされたのが横目で見えた。飛ばされた二人は数本の木を薙ぎ倒して森の奥に消えた。完全にプロレス技である。全然忍法関係ない。解せない気持ちを抱えたまま、それでも足は止められない。とんでもない威力を目の当たりにして自動的に全力疾走になったのである。


「HeyHey!たぬき組、ザ・グレート忍者スター!参上だぜ!」


 突然頭上から現れた忍者がポーズを決めている。イチカさんが無言で横を走り抜け、私も遠慮がちに頭を下げた後イチカさんの後に続いた。


「忍法ォ!!!!殴りィィィ!!!!!!!」

「ごっはぁぁ!!!!」


 もはや技名ですらない。ザ・グレート忍者スターさんは登場と共に星になった。その後もたぬき組の忍者たちは登場と共に吹き飛ばされていく。その有様はどことなくボーリングのピンのように見えた。


「……あの!なんで、皆さん名乗りながら出てくるんです!?」

「シアちゃんにいい恰好見せたいんだと思いますよー!もう無視していいですからねー!」


 息を切らしながらの質問に、イチカさんは引き攣った顔で答えてくれた。


『こちらとり組。D地点でねこ組がメインターゲットにやられた。我らはこれより散り花を咲かす』

『こちらきつね組。お供します』

「D地点ってこの先じゃないですかーー!!もしかして誘導しました!?ねぇー!わたし達挟み撃ちですよ!?」

『うさぎは寂しがり屋だと聞き及んでいるのでな。共に逝こう』

「何ですかーそれ!!!あっ、あー!通信切った!?」


 全力で駆けていた私達は方向転換する間もなく、藪を裂いて森から出てしまった。




 影絵たちが草原で楽しそうに遊んでいた。大蛇が地を這いずりまわり、カエルたちが飛び跳ねて、カラスが辺りを旋回してる。一様に漆黒の体を持ち、瞳だけが白く光る。その群れと対成す忍者たちも負けてはいない。クナイ、手裏剣、忍術が夜空を飛びかう。まさに忍者大戦といった有様であった。


「部長の【影】ですよあれ……。ノリノリじゃないですかヤダー……」


 疲れた声のイチカさんがある一点を見る。大きな黒蛙の背に小さな人影。おかっぱ頭でくノ一姿の女の子。中学生に成長した座敷童、といった見た目の忍び頭。シノ部の部長、紅葉モミジさんその人である。今日は私と同じく赤い鉢金を頭に巻いていた。


「強すぎですよ部長!!ちっこいくせに!!!!」

「お菓子あげるから【影】を減らしてくれ部長!!」

「この数は卑怯過ぎですよマイクロドチビ!!!」

「な、なんだと貴様らぁーー!!!もう容赦せん!!私と背丈が同じになるようそっ首落としてやるぞ!!!!」


 紅葉さん部長なのにめっちゃ弄られてる。提灯通りで弄られ放題なレンジさんと気が合いそう。カラスたちの翼が鋭利な刃物に変化して、空から雨あられの如く降ってくる。


 爆音と共に森の木々が吹き飛んだ。背後から追ってきた鬼が辿り着いたのだろう。あまりの状況に体が固まる。前門の影、後門の鬼。絶体絶命。


「やっべ!!副部長合流したぞ!!!」

「イチカ!!なにやってんのアンタ!!」

「とり組に言って下さいよー!!!わたし知りませんー!!!」 


 三人に分身したイチカさんが無数の影たちを鎖で薙ぎ払っていくが、影は次々と地面から生まれて尽きることが無い。固有スキルの使用に魔力を使う紅葉さんは、高価なマジックポーションをしかめっ面しながらガブガブ飲み干してる。腹に据えかねたといった様子。背丈を気にしてるのだ。


 鬼が両手を組んで地面を叩き、近くにいた忍者も影も纏めて衝撃波で吹き飛ばした。火球も斬撃も分厚い皮膚で弾き返し、その肉弾戦車は誰にも止められない。影の生物が無限の如くに湧いてきて退路を失くす。個の力と群れの力に蹂躙されて、どんどん忍者が力尽きていく。


 私は鉢金をきつく締め直し、短剣を逆手に構えた。


「私も、行きます」

「ん。お供しますよー。狙うは部長ですね?」


 イチカさんが紅葉さんのいる方向に鎖を伸ばし、道を塞いでいた影蛙に叩きつける。鎖の結界が解けた隙をみてカラスが飛び込んできた。一閃を避けて、左手で柄を押さえながら一突き。胴体に短剣が深く突き刺さり、影は霞の如く消えていく。私だってちゃんと訓練してるのだ。連日汗水たらして忍んでる。


 突如横から爆風が巻き起こり、土煙が視界を覆った。


「やっと追い付いたぞ。これで儂等の勝ちじゃあ」


 風に流されていく土煙の隙間から、巨漢の赤鬼が姿を現す。立ちはだかるようにして眼前に現れたその鬼は、口角を上げながら私に腕を伸ばした。


「残念だったの。まぁ儂と部長相手じゃあ勝ち目がピョン!!!!!」


 奇妙な声を上げて鬼が硬直した。切羽詰まった私は【夢】を発動させたのだが、それが功を奏したのだろうか。鬼は口元を震わせたまま動かない。


「……副部長ー?なんですそれ?ぴょん?」


 イチカさんの呼びかけにも答えない。やがて土煙が晴れていき、地面から生えた電柱が鬼の股間に直撃してる惨状を目の当たりにした。周囲の忍者たちが沈痛な面持ちでそれを見ている。電柱が光になって消えていき、ゆっくりと傾いた鬼はそのまま地響きを立てて地に伏した。


「……シアさんが副部長倒したピョン」

「じゃあ後あのちびっ子だけピョン?」

「ふむ。可能性が出てきたピョン」


 暫しの間静寂に包まれたが、突如忍者達の猛反撃が始まった。大蛇が火球で焼かれ、カエルにクナイが突き刺さり、暴風がカラスを吹き飛ばす。勢いに乗る忍者たちが一斉に紅葉さんを目指して突き進むが、紅葉さんには一切動揺が見られない。


「影縛り」


 紅葉さんがぽつりと呟くと、影生物の体が紐状に解けて付近の忍者たちを縛り上げていく。夜空に無数の黒線が引かれ、たまたま範囲外にいた私とイチカさんは無事に済んだが、半数以上の忍びが宙吊りにされてしまった。無事な私達を含む忍者たちを見回して、紅葉さんがこほんとひとつ咳払い。


「お仕置きの時間だ」


 言い終えたと同時にその姿が掻き消えた。


「べっふぁ!!!!!!!!」


 影に捕まらなかった忍者が突如吹っ飛ぶ。よく見ればその忍びの元いた場所に、木製バットをフルスイングし終えた紅葉さんがいた。神妙な顔で野球選手のバッターのような姿勢を取り、再度姿が掻き消えた。その刹那、比較的私達の近くにいたくノ一が飛ぶ。紅葉さんがくノ一のお尻をかっ飛ばしたのだ。紅葉さんは【影】の固有スキルだから影の中を移動しているのだろうか。


「残ってるのってさっき部長をイジった連中じゃないですかー!なんでわたしたちは無事なんです!?」

「ん?期待を込めてだ」

「込めないでー!!いっそ縛ってー!!わたしを縛って下さいー!!」


 あやしげな事を言うイチカさんは、言葉とは裏腹に分身しながら紅葉さんに向かって疾走した。もはや玉砕覚悟。紅葉さんの頭の赤い鉢金を奪えば私達の勝ちなのだ。その代りに私の鉢金を奪われれば負けである。お仕置き予定だった忍び達も便乗し、紅葉さんの元へ跳躍する。私も逆手に持った短剣を握り直し、【気配遮断】を使いながら慎重に距離を縮めた。


 バットを宙に放り捨てた紅葉さんは、四方八方からくる攻撃を全て躱し、回避と同時に短刀の峰で打ち据える。転移魔法の如く姿が消えては、忍びが呻き声をあげて崩れ落ちていく。まずは紅葉さんの動きを止めねばなるまい。というか叩かれたくない。あれ絶対痛い。



 短剣が光を増していく。夢さんお願いします。紅葉さんの動きを止めるもの。役立つものをお願いします。でもヒヨコは無しで。銃はダメ。願いが通じたのか、やがて私の前方に眩い光が現れた。警戒した紅葉さんが後方に跳んで私から距離を取る。



 チリン、チリン。涼やかな鈴の音が夜空に響き渡った。


 徐々に光が収まっていき、その音の元が全貌を表す。古い自転車に乗った、白い服のサンマである。なぜか人の手足を持つそのサンマは、左手(ヒレ?)におかもちを持っている。その姿、まさにラーメン屋の出前。


 異世界の迷宮の中、忍者大戦が繰り広げられる草原にはあまりにも不釣り合いで、すっかり【夢】に慣れたと自信を持っていた私は驚愕で固まった。よくよく考えれば忍者大戦もおかしいのだけど、それは隅に置いておく。サンマはおかもちを開いてラーメンを取り出し、私にそっと差し出した。


「あ、やっぱりラーメン、ですね」


 おずおずとラーメンと割り箸を受け取った。温かい。どうしよう。予想だにしてない。私の希望通り紅葉さんが動きを止めているけど、他の忍者達も私も動きを止めている。サンマは満足げに頷き、自転車に跨ってチリン、とベルを鳴らす。


「あの!お金は」


 急いでがま口財布を出したが、サンマはサムズアップ(?)して消えていった。サービスなのだろうか。どうしたらいいのか分からず、ラーメンを持ったまま茫然と立ち尽くす。どうなってるんだ私の力は。こんな、ガチバトルの真っ最中に温かいラーメンを貰ってしまった。


「ど、どうしたら……。紅葉さん、その、ラーメン今食べないと伸びてしまうので、ちょっとだけストップで」

「う、うむ」


 許可を貰ったので、端っこに座り込んで割り箸をパキッと割る。


「「「今の何!?!?」」」

「……待て待て待てシア殿!さっきの魚人は何だ!?た、食べるのか!?今ここでそのラーメン食べるのか!?」

「え?……すみません、ダメでしょうか。でも、今食べないと食べられなくなりますし……せっかく貰ったものですし……。ど、どうしたら」


 こんなことは初めてなので大層おろおろする。せっかくの魚の人のご厚意なのだ。できれば一番おいしい状態で食べたい。でも、今このタイミングである。紅葉さんも困惑した様子で私を見る。


「そ、そうだな。伸びると美味しくないものな……ご厚意には答えねばなるまい」


 紅葉さんに許可を貰って、安心してずるずる啜る。あっさり醤油ベースでとても美味しい。魚の人だから魚醤を使っているのだろうか。肌寒い2階層ではこの温かみはとてもありがたく思う。


「……俺達さっきまで決死の覚悟で戦ってたよな」

「何なんだろ今の状況……。シアさんすごく美味しそうに食べるのね」

「シアちゃん!わたしにも一口くださいよー!」


 すっかり戦う雰囲気では無くなってしまった空気の中、無事だったイチカさんと他2名の忍者さんが集まってきた。空中で縛られている人たちが複雑そうな目で見てくる中、その3人があまりにもラーメンをねだるので、マジックバッグから割り箸を出して振る舞う事にした。幸せの御裾分け。


「あー。懐かしい味だな。思い出の味って感じの」

「分かるわ。どことなく昔通った店の味に似てる。美味しい」

「チャーシュー貰っていいです?いいです?」


 三人が代わるがわるラーメンを啜る。少し距離のある紅葉さんを背にして、忍者とくノ一の人がアイコンタクトしてくる。時折チラッと紅葉さんの方向に視線をやっていて、私は二人が伝えたい事を察した。


「紅葉さんも食べてみませんか?温かいうちですよ」


 私が紅葉さんに声をかけると二人が口角を上げ、イチカさんも状況に気付いたようでハッとした。そう、仲間外れは良くないのである。気絶した人や縛られた人は仕方ないにせよ、今は敵同士とはいえ紅葉さんだってラーメンが食べたいだろうと思う。戦いは後にして、今はこの美味しいラーメンを分かち合いたい。


「部長、玉子好きですよね?まだ残ってますよー」

「シアさん、もう一本箸ある?」

「あっ、はい。ちゃんとありますよ」

「俺ガッツリ食いたいんだけど、魚もう一回呼べね?」


 紅葉さんが困惑した表情のまま近づいて来た。やはり紅葉さんも食べてみたかったのだろう。まだ街にはラーメン屋が無いのだ。紅葉さんが到着すると、競うように食べていた三人がおもむろに箸を置いた。


「はぁ。本当にシア殿の力には毎回驚かされるな。ま、ここはひとつ休戦って事で、ありがたく頂こ」

「「「死にさらせやあぁぁぁぁぁ!!!!!!!」」」


 突如三人が短刀を振い、紅葉さんの急所近くで寸止めした。


「ち、畜生……!!」

「計ったわね、部長」

「動けませぬー……」


 よく観察してみれば、三人は【影】の力で縛られているようだった。紅葉さんは三本の短刀の隙間をまるで暖簾でも潜るかのように通り抜け、ラーメンを持つ私の反対側に座った。


「これは確かに美味しそうだ。む、シア殿。食事時は被り物は取るのが礼儀だぞ。どれ、ジッとしていろ」


 紅葉さんが私の赤い鉢金をしゅるりと取り、おもむろに天へと掲げた。


『『『『あああーーーーー!!!!!!!』』』』

「忍びの戦いは騙し合いが常。最後の三人は機転を利かせた良い発想だったが、いかんせん演技力に難があったな。残念だが貴様ら、今日も私の勝ちだ」


 私と同じ赤い鉢金を付けたまま、紅葉さんは美味しそうにラーメンを啜った。




 セーフエリアにはテントが立ち並び、隅には簡易シャワー室と公衆トイレが設置されていて、まさに野外駐屯地といった様子。焚火を囲んで談笑する忍者たちを横目に、テントの合間を縫うように歩く。おにぎり、味噌汁、漬物という和風な晩ご飯を終えて、私は自分のテントに戻ってきた。やたらと黄色くて丸みを帯びた、おもちゃみたいな小さなテント。パニカさんが選んでくれたものだ。パニカさんが選ぶものはどれもパニカさんに似ている気がする。疲れ切った体を寝袋の上に横たえて、ふぅ、と息をついた。今日もなかなかハードだった。


 ある日我が家を訪ねてきたイチカさんに、シノ部の強化合宿に誘われた。最初は人見知りのため大層臆したが、自分の弱さをどうにかできるならと思い合宿参加と相成った。合宿と名がついているだけあって、しばらく家に帰れていない。シノ部の部員はローテーションのようだが、部長の紅葉さん他数人と飛び入りの私は完全拘束。迷宮に潜りっぱなしで訓練漬けの日々である。今日で既に5日目。トムさんに預けたパニカさんが心配で、時折ごろごろ転げまわっては紅葉さんに動向を聞いたりしている。


 携帯コンロの仄かな明かりがテントの内部をふんわり照らし、気温と視覚を温めていく。ホッとする色合いの天井を眺めていたら、少しづつ瞼が重くなってきた。まだシャワーを浴びていないけど、もう明日にしてしまおうか。


「シア殿ー。まだ起きてるかー?」


 テントの外から紅葉さんの声が聞こえて、私は慌てて返事した。すると私服に着替えた紅葉さんがテントの中にやってきた。仕事中はくノ一姿の紅葉さんだが、プライベートの時間になると着物姿になるのだ。今日は赤くてシンプルな着物を身に纏っている。似合ってるし可愛いのだけど、赤い着物を着るとますます座敷童に見えてしまう。私のテントにいるし、幸運が訪れるような気がする。


「シア殿は本当に顔に出やすいな……。まあ私は転移前と殆ど同じ姿だし、もう慣れっこといえば慣れっこなんだが」

「えっと、すみません……。でも、似合ってますよ?」

「ふふ、ありがとう」


 紅葉さんに苦笑いされてしまった。申し訳なくてしょげる。


「今日はいつもの『強欲』情報と、後これを持ってきたのだ」


 着物の袖に腕を入れてごそごそし、やがてそこからお酒の瓶と湯呑が出てきた。なぜそこから出てくる。


「シア殿は果実酒を好むと聞いたのでな。数本ほど物資の中に紛れていたのを頂戴してきた。生産ギルドの試作品らしいが、なかなか飲みやすくて美味いぞ」

「あれ?勝負に勝たないとお酒は飲めないのでは」

「私と五郎は勝ったからな。ちょいとばかし私の酒がシア殿のコップに零れても、誰も文句は言うまい。まぁ、残り半分といった所だがな」


 紅葉さんが酒瓶を振って笑う。どうやらそういう事らしい。私はいそいそとカップを差し出した。


「それでまぁ、『強欲』……いや、パニカ殿の事だが、生徒会本部に聞いたところ相変わらず大暴れらしい」

「大暴れですか……」


 私のカップに向けて傾いた酒瓶が、トクットクッと良い音を奏でた。背の低い中学生、といった見た目の紅葉さんが酒を飲むのにはどうにも違和感が拭えないが、よくよく考えてみれば今の私も紅葉さんとほぼ同年代で似たような背丈だった。私の方が若干高いくらいか。


「魔法塔のマジカ・マギカの連中と喧嘩した挙句自爆騒ぎは合宿初日だったか。小人たちと結託して屋台という屋台から食べ物を巻き上げ、どこから手に入れたのか大量の爆弾をマルチ商法で売りさばき、今日はマジカ・マギカのメンバーの暴露本をフィクションと銘打って街全域に広めた。ご丁寧にアルファベッド表記。法に触れないギリギリの方法でやりたい放題だ……。私と交代したロイヤルガードの団長が泣いてた……」


 紅葉さんは沈痛な面持ちで杯を傾ける。


「パニカさん……。さびしいとイタズラしちゃうんですかね……」

「いやシア殿。イタズラというレベルでは……いや、まあ、いいか。うん。……そういえば酒のあてを忘れていたな」


 酒瓶と同じように、紅葉さんの懐からお皿に載った焼き鳥が出てきた。ラーメンに大層驚いていたけど、紅葉さんだって割とビックリ人間だと思う。紅葉さんに頂いたお酒はブルーベリーの酸味を少し強くしたような味で、その涼しげな味は夏に飲みたいと思わせる。


「……シア殿が知っているかは分からんが、普段の私の持ち回りは提灯通りだ。知ってのとおり馬鹿な酔っ払い共が集まる馬鹿の集合住宅だ。喧嘩の果てに固有スキルや魔法を暴発させる馬鹿や、トップだ何だと縄張り争いするような馬鹿。果ては目立ちたいから暴れるような馬鹿まで相手にしてる」


 くいっと少しムキになったような仕草で紅葉さんが杯を呷った。よく見れば頬は赤く染まっている。早くも酔っているようだ。


「毎晩だ。毎晩毎晩、果ては明け方、更に昼まで。今現在の交代要員は次々に胃をやられてるらしい」


 焼き鳥はできたてホカホカな状態だった。不思議。軽く塩が振ってあるだけのシンプルな味付けが大変好みだ。どこかで買ったのもなのだろうか。


「シア殿」


 名を呼ばれて、気が逸れていた私は肩をビクつかせた。紅葉さんが私を真っ直ぐ見つめる。


「強くなれ。シア殿の周りには不思議と問題児が集ってる気がするのだ。『魔王』しかり『崩滅』しかり。『嫉妬』もシア殿を気にしてると聞く」


 魔王とはレンジさんの事だろうか。常識人だけど喧嘩っ早そうな所があるし、酔って取っ組み合いとかしてるのだろうか。割と想像しやすかった。


「強くなって、いや、もはやパニカ殿だけでもどうにかしてくれ……。頼む。それだけで、それだけでも大分楽になる。徹夜して、次の日の昼まで時間を取られた挙句に夕方には出勤時間。つらい。ゆっくり寝たい。もう変人相手は嫌だ。お家でごろごろしたいし、私も提灯通りで飲んだりしたい……。わたしは合宿でやっと羽が伸ばせて、うれしくて、その事実が悲しい……」


 紅葉さん涙目。口をわななかせながらの独白が心に突き刺さる。強くて、それでいて真面目な人の心の叫び。その真面目な性分のせいで街を放ってはおけないのだろう。私も元はブラック企業の歯車。紅葉さんにつられて涙目になる。


「私が、私が少しでもお力添えできるなら……」

「し、シア殿~~~~~~!!!!!」


 突然泣きついてきた紅葉さんに押し倒された。わんわん泣きながら私の胸に顔を擦りつける。お酒を飲んで、愚痴をはいて、少しでも気が休まるならいつでも付き合おうじゃないか。私は鼻を啜りながら紅葉さんの艶やかな黒髪を撫でた。華奢なせいか、ついパニカさん相手のような事をしてしまう。


「シアちゃーん!!物資にチョコレートあったから一緒に」


 ガバリとテントを開けたイチカさんと目が合う。イチカさんの背後には二人のくノ一さんもいる。なんだかこれは、誤解を受けそうな状態ではなかろうか。


「和人形と洋人形……。ありですね」


 イチカさんが神妙な顔で頷き、静かにテントを閉めた。何がありなのか。今の何か不味い気がする。テントの外できゃいきゃい話し出した女性陣の声がどんどん遠くになってゆく。追いかけようにも紅葉さんが泣きながら凄い力で抱きしめてくるので動けない。しばらくもがいてみるも微動だにせず、すっかり諦めた私はとりあえず紅葉さんの頭を撫で続けたのだった。



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