ある日森の中
吹き飛ばされたウルフが直線上の木に激しく打ち付けられた。その衝撃で辺りに木の葉が舞う。隙と見た別のウルフが飛びついたが、それを察していたレンジさんに刀で一刀両断された。レンジさんは刀の血糊を払った後、唸って警戒していた三匹目に向けて砂を蹴り上げる。突然の事に慄いたウルフはもはやいい的。特攻したレンジさんに頭を貫かれて地に伏した。
刀での斬撃と喧嘩殺法。蹴るし殴るし、周囲の物を利用して隙を作って切り伏せる。その姿まさに暴れん坊侍。自由で、強引で、強い。パニカさん以外の人の戦闘方法をこうして近くで見るのは初めてで、つい見学したまま立ち尽くしてしまう。私の視界の先で、レンジさんはまた別のウルフを切り裂いた。
「ほれシア、ぼけっとしてんな。最後の奴はお前にやる」
素振りして血糊を払った後、その刀を肩に乗せたレンジさんが私に言う。感嘆してる場合じゃなかった。戦闘中なのだ。自然に短剣を持つ手に力が入る。最後に残ったウルフはもはや及び腰だった。3階層のウルフは2階層より一回りほど大きいが、私もいつまでも臆してはいられない。
水晶の短剣をウルフに翳すと、鉢植えに入ったサボテンが飛び出てきてウルフの顔面に当たった。【夢】の力と共に【気配遮断】を使用し、ウルフの側面に回り込む。ドンッ、という衝撃。体当たりしたと同時にウルフの首筋に短剣を突き刺したのだ。
反撃を予想し、軽く後ろに跳んで距離を取る。じりじりと間合いを詰めながらウルフの様子を窺っていると、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。どうやらいい一撃が入ったみたいだ。見事だぞ私。決まった、アサシネスブレイク。【索敵】の反応でウルフが死んだことを確認し、ふう、と軽く息をつく。
「もう敵の反応は無いな?」
周囲を見回しながらレンジさんが歩いてきた。その手にはウルフの魔石と毛皮を持っている。レンジさんはマジックバッグを持っていないので、代わりに私が荷物持ちの役目を担っているのだ。
「はい。それにしても、レンジさん凄いです。魔物を一網打尽にするその姿はまさに悪鬼羅刹。チンピラ侍という感じでした」
「何だよオイあんま褒めんなよ。照れくせぇだ……チンピラ侍!?全然褒められてる気がしねぇぞ!?」
「この毛皮綺麗ですね。高そうです」
「聞けよ!!とりあえず話を聞けよ!!」
魔石と毛皮をマジックバッグに吸収していく。森の少し深い場所に来ているせいか、月刊チュートの情報通り魔物の出現率が高い。【索敵】しながらの行動にはまだ慣れていないが、これも必要な事だと自分を奮起させる。素材を渡し終えたレンジさんは私が召喚したサボテンをおそるおそる突いていた。
「今度はサボテンか……。こりゃまたヘンチクチンな能力に目覚めたもんだな。ちんちくりんと良いコンビじゃねぇか。ちくりん姉妹……痛ぇ!!!何だこのサボテン!?」
突如鉢植えのサボテンが飛び上ってレンジさんに張り手を喰らわせた。叩かれるのも仕方ない、ばかにするからだ。唖然とするレンジさんを放って、サボテンが私に手を振ってきたので私も振り返す。こうしてみるとサボテンもかわいいものだ。やがてサボテンは、ふわっと光になって帰っていった。
「いや、なん、ハァーーー!?今の何だよ!?なんで動くんだ!?なんでお前は動じてねぇんだ!?」
私はもう既にリアクションするのに疲れたのだ。不思議生物に慣れてきたのもある。それに夢世界の住人(仮)はみんな私に懐いてきてとてもかわいい。たまに物騒な事もあるけれど、それでも慕われてるというのは嬉しいものだ。さっきは赤身のお刺身が降ってきて驚いたけれど、その辺もそのうちに慣れていくだろう。
「ほら、レンジさん。早くしないと負けちゃいますよ」
「お、おう」
茫然としていたレンジさんは私の言葉で気を取り直し、森の奥へと歩みを進める。私もその後を追って歩く。索敵役なのに後ろである。迷子になるから、とレンジさんが言い、私が先頭を歩く事を許してくれないのだ。その迷子イメージは一体どこから来たのか。解せない気持ちを抱えたまま私は素直に着いていく。
昨晩の事である。トムさんの家に招待されて、パニカさんとトムさんと三人で鳥鍋をつついていたら、そこにレンジさんが現れたのだ。四人での食事会となったがパニカさんとレンジさんがさっそく口喧嘩を始め、ぎゃあぎゃあ言い合いしながら鍋を食べて、ぎゃあぎゃあ言い合いしながらお酒を飲んだ。挙句の果てにぎゃあぎゃあ言い合いしながらトランプで遊んだ。実はすごく仲が良いのでは、という言葉は呑み込んだ。私は空気が読める人間なのである。
何が切っ掛けだったか、ガバリと立ち上がったパニカさんが「迷宮で勝負よ!」と叫び、それにレンジさんが同意した。3階層わくわく素材集め大会の始まりであった。そして何故か私とトムさんがその妙な大会に巻き込まれて、レンジさんのペアとして参加と相成ったのである。斥候スキルのある私とパニカさんが離れる事で公平な勝負になるらしい。
「……パニカさん、大丈夫かな」
「心配いらねぇよ。なんせトムさんがいる。ああ見えてトムさんは俺なんかより全然強えんだぜ?悔しい事にまだ一度も勝ったことがねぇ」
私の呟きはレンジさんに聞こえてしまっていたようだ。トムさんがレンジさんより強いというのは正直な所意外だった。温和で、飄々とした印象のトムさんがどのように戦うのか想像がつかない。
「だから余計に稼がねぇと。負けたら連帯責任でお前も罰ゲーム喰らうんだぞ?チビガキが考える罰ゲームなんて想像もしたくねぇ」
「はい……。絶対に精神抉ってきますよ……」
レンジさんが冷や汗を流しながら言い、私もそれに同意した。パニカさんが考える罰ゲームは絶対に鬼畜なものだ。なぜそういう発想に至ったのか説明できないほどの罰ゲームで精神攻撃してくるに違いない。わくわく素材集め大会なのだから、べつに魔物を倒す必要はない。安全に薬草集めやキノコ狩りしてもいい。だけど私達は絶対に負けたくなかったのだ。勝ちたい、ではなく、負けたくない。絶対に。自然と私達の足が早まる。森の奥へ、奥へ。
森が深くなるにつれて陽の光が細くなっていく。覆い茂る葉の隙間から雨のように陽が射していて、私は度々足を止めてしまっていた。綺麗な景色を見つけると、ついつい動きが停止してしまう。小さく溜め息をつきながら付き合ってくれるレンジさんは、やはり見た目とは裏腹に優しい人だと思う。
「んお?そこにいんのはレンジか?」
「よう、ジャド」
側面の藪の中から一人の男性が姿を現した。レンジさんと同じ黒ずくめの軽装で、黒いバンダナを目深に被っている20代中盤くらいの男性だ。名の知れた盗賊といった印象である。どうやらレンジさんの知り合いらしい。森の景色につい気が逸れて【索敵】が切れていたようだ。接近にまったく気付かなかった。バレたら怒られる。私は慌てて【索敵】に集中した。
「悪いなレンジ。この辺のウルフはもうオレが……ハァーーー!?女子!?おっま、女子連れ!?オイ、嘘だろオイ!!!!」
「あ、いや、あのな?コイツは」
男性が驚愕の表情で私の方を見る。女子がいたのかと背後を振り返ってみたが誰もいない。
「テメェこらレンジ!どうやったらその面で女子とパーティ組めんだ!?とうとう【魅了眼】でも覚醒しやがったか!?」
「ハァァァ!?夜盗面に顔がどうの言われたく無ぇんだよ!!コイツは、その、あほ妹みてぇなもんだ!!!!!!」
「オレが妹萌えなん知ってて言ってんな!?表出やがれやァ!!!!」
「既に表じゃボケナス!!!!あぁもうメンドくせぇ!!!!」
そういえば、今の私は女子だと気付いた。そうか、半端なロリ姿になった今、レンジさんと二人きりというのは大いに誤解を受けるものだった。盲点である。どうしよう。ガラの悪い二人がガラの悪い口喧嘩してる。私が何か言えばいいのだろうか。でも私が出しゃばると悪い方に転がるような気もする。
おろおろと狼狽えていたら、何か大きな反応が近づいているのに気付いた。その方向から木の軋むような音が聞こえてくる。
「あ、あの」
「海賊狩りみてぇなファッションすんなら刀使えや半端野郎が!!!」
「オメーみてえに刀使ってヤクザ扱いされたくねぇんだよファッション組長!!!!」
「アァ!?しまいにゃ湾に沈めたるぞシャバ僧が!!!!!」
全長3メートルはあろうかという巨大なクマが近づいて来た。2足歩行でゆっくり近づいてくる。普通クマって立ち上がったまま歩いてくるものだろうか。魔物ゆえなのか。
「くまー!!」
私は叫んだ。レンジさんがチラッと私を見たが、まるっきりアホを見るような目だった。私はそれに負けじと必死でクマを指さす。
「くま!くまです!!くま!!」
レンジさんと盗賊さんが私の指さす方向を訝しげに見て、固まる。クマはのそのそと距離を縮め、まるで挨拶するかのように右手を上げた。よっ、という感じである。もしかして、魔物じゃなくて転移者なのだろうか。熊族。とりあえず私も右手を上げて挨拶した。
「散・開!!!!!!!」
盗賊さんの声と共に突如レンジさんに担ぎ上げられた。私を担いだままレンジさんが森の中を跳ぶ。ワンテンポ遅れて、ズンッ、と鈍い振動音。私達の元いた場所にクマが右手を振り下ろしたのだ。一体どれだけの膂力なのか、地を殴りつけたと共に軽い地揺れが起こった。風圧で無数の枯葉が舞い踊る。
「なんでこんな浅い場所にキラーベアがいんだ!?よりにもよってクソでけぇ!!!」
クマの一撃を避けた盗賊さんが叫ぶ。あのクマはキラーベアと呼ばれる魔物らしい。レンジさんは私を木の葉の山に丁寧に着地させた後、刀を抜きながら獰猛に笑う。
「おいジャド、手伝え。コイツ狩るぞ」
「おっま、マジか!明らかに人手足んねえゾ」
「こんな大物逃がしてたまっかよ。結構な額だぜコイツ」
キラーベアに向かって刀を構えるレンジさん。それを見て盗賊さんも大振りのナイフを取り出す。私の心構えの有無など関係なく、もう戦いの火蓋が幕を切って落とされたようだ。
キラーベアの咆哮が森の空気を震わせた。その巨体から発せられた音は軽い衝撃を伴って、揺られた木の葉が雪のように舞い落ちる。レンジさんの突貫。巨体に臆して固まった私を置いて、キラーベアに突撃していく。慌てて右手に短剣を呼び出したが、足が地面にへばり付いたように動かない。
ストトッ、とキラーベアの胸に三本のナイフが刺さった。盗賊さんの投擲攻撃。痛みか驚きか、狼狽えた様子のキラーベアは隙だらけで、その隙をついたレンジさんが木のように太い熊足を切り付けた。振りぬいた刀に血糊が付いていないあたり、あまり深くは切れなかったようだ。
「固ってえゾ熊公!!オレのナイフ半分も刺さってねえ!!!」
「刃物と相性悪ぃってのは情報通りか。じわじわ嬲りゃあ殺れんだろ。絶対逃がしゃしねぇ」
「お前さっきから顔と台詞が悪役過ぎんゾ!!だいたい刀じゃなくて剣持てよ!!鈍器としても使えンだろ!?」
覆いかぶさるように飛び掛かってきたキラーベアを盗賊さんが跳躍して躱す。躱しながらもナイフの投擲は止めない。
「うるっせえぞ一人盗賊団!!侍から刀取ったら何が残るって言うんだよ!!!」
「ただの時代劇オタクが一端に侍気取ってんじゃねえゾ!!」
レンジさんの斬撃がキラーベアに無数の傷を付けていく。血飛沫が細かい霧状になって宙に舞う。レンジさんは刀傷を靴の底で蹴り付けて、その反動で後方に跳んで距離を取った。話しながらも二人の攻撃は止まない。時折お互いの場所を入れ替え、周囲の木を利用し、隙をついて着実に傷を作っていく。
私も行かなきゃ。私も立派な探索者。【気配遮断】を使用して慎重に距離を詰める。キラーベアが振るった腕が、一本の木を半場でへし折った。メキメキと不快な音を立てて木が傾いていく。木の葉の雨が視界を埋める。開けた森の天井から、陽の光が柱の様にキラーベアを照らした。いつの間にか左目にはナイフが刺さっていて、丁度キラーベアは死角になった側面を晒していた。
タッ、と疾走し、キラーベアに接近。無防備な脇腹に全力で短剣を突き刺した。そう、全力だった。体重もかけた私の渾身の一撃は、キラーベアの厚い毛皮に阻まれてしまっていた。レンジさんの刀と盗賊さんの投げナイフは確実に効いていたというのに、私の攻撃はこの巨大な魔物にはあまりにも無力。
「シア!!!!!!」
視界を埋める巨大なクマが、私に左腕を振っているのが見えた。刹那、視界の景色が乱暴に移り変わる。手足の感覚で気付く。私の身体は宙にいる。殴り跳ばれてたのだろうか、不思議と痛みは無い。
地面に叩きつけられると予想して身を縮めたが、その予想に反してフワッと私の落下が止まった。
「だいじょぶですかー?」
眼前に茶髪の女性の顔があった。ギョッとして、慌てて状況を探ってみれば、どうやら私はこの女性に抱きしめられているようだった。いわゆる、お姫様抱っこというやつである。丁寧に降ろしてもらって気付いたが、私のお腹には鎖が巻き付いていた。察するに、キラーベアの一撃から助けられたようだ。
「あの、ありがとうございます」
「いえいえー。ふふ、二度目のやり取りですねー」
くノ一の格好をした女子大生、といった感じの女性である。よくよく見れば何度か顔を合わせた事のある人だった。パンドラさん暴発事件と、東地区漫才劇の時と、ムームー事件の時の三度。なぜか変な場面ばかり見られてしまう『シノ部』の部員さん。記憶に新しいムームー事件の時もこんなふうに鎖で湖から引き揚げてもらった。キラーベアの攻撃を避けながらも、こちらに視線を向けたレンジさんがホッとしたような顔をしていた。心配させてしまったようだ。
「ロリコン魔王さんー!あともう一人の人ー!助太刀必要です?」
「おう!!助かるわ忍者!!あとその呼び名について後で話がある!」
しょうがないなー、と笑いながら、くノ一さんは握った右手の人差し指と中指を立てた。かの有名な、忍者が忍術を発動させる時のあの手の形である。何が起こるのかと見ていると、白い煙と共にくノ一さんが三人に分身した。
「ニカ、サンカ。GO」
「「はいはーい」」
疾走した分身二人はあっという間にキラーベアに肉薄し、通り過ぎ様に両腕を鎖で雁字搦めにした。隙をついて盗賊さんの投げナイフがキラーベアの右目を潰し、レンジさんの刀が比較的無傷だった太い右足を切り裂く。私とは力が違うのだろう。くノ一さんの短刀がカマイタチのように鋭い傷を作っていく。
三人とも縦横無尽に位置を変えながら攻撃を加え続ける。即席の連携のはずなのに、僅かな目線のやり取りのみで意思疎通している。時と共にキラーベアの巨体に投擲されたナイフと刀傷が増えていく。既に四肢は鎖によって完全に封じられていて、反撃もままならない様子。
やがて、膝をついたキラーベアの頭頂にレンジさんが強烈な突きを放ってトドメとなった。地響きを立てて地に伏したキラーベア。その様子を見て、やれやれ、といった様子で奮闘した三人は武器を降ろした。私は始終三人の連携に入り込めず、ただただ茫然と立ち尽くすばかり。
「オレこんなデケェの初だわ。ナイフほとんど使ったぞ」
「しかしみなさん災難でしたねー。ベアは一番奥の魔物ですよ?」
盗賊さんとくノ一さんがキラーベアの死体を眺めながら言う。その体は少しずつ黒い霧になっていき、素材へと姿を変えていく。死んだ魔物は魔石と、魔力の籠った部位を残す。ふさいだ気持ちでぼんやりと見ていたら、やがて黒い霧が収縮していき、魔石と毛皮、そして牙と爪を残した。
「それで?シノ部の奴がたった一人でなんでこんな場所にいる?その恰好って事はプライベートじゃねぇよな?」
「えーと。あはは。たまたまですよぅ」
レンジさんの地獄の眼光がくノ一さんを貫いた。こわい。くノ一さんも怖かったのか、冷や汗を垂らしながら視線を右往左往させる。
「その、『嫉妬』からリークがあったんです。ロリコン魔王が女の子を森に連れ込んでよからぬ事をしようとしてるって……。まぁ、『嫉妬』の情報なので半信半疑だったのですが、一応って事でー」
「へぇ……。奴はまだまだ元気が有り余ってんだな……」
「おいレンジ。一目で小動物を即死させるようなその邪悪な顔やめろ」
「まあその女の子がシアちゃんだったんで、なんとなく事情は察しました。パニっちゃん繋がりですよね?だからその魔王顔やめてください。ロリコンって言ったのは『嫉妬』ですよぅ。わたしじゃないです」
いつの間にかくノ一さんに名前を知られている。忍者の情報力だろうか。三人が雑談する中、私は少し離れた場所で所在無く立っていた。私はキラーベアに手も足も出ず、むしろ邪魔にしかならなかった。かなしい気持ちが膨れ上がって身を竦ませる。弱い。なんたるへっぽこ。私はしょんぼりとしながら隅っこでキノコを採取した。
レンジさんはジャドさんと話しながら前を歩いている。先ほど、つい盗賊さんと呼んでしまったら苦笑いと共に名前を教えてくれた。レンジさんとは提灯通りの飲み友達らしく、新しくできた居酒屋の話などで盛り上がっている。レンジさん友達いたのか、と大層驚き、大層力のこもったデコピンを頂いた。
「あの、イチカさん……」
「んー?どしたのシアちゃん」
「歩きにくいのですが……」
私はくノ一のイチカさんに後ろから抱きしめられた状態で歩いていた。悲しげにキノコ狩りをしていた私を見て事情を察したのか、短剣を使った戦闘法のレクチャーをしてくれている。ありがたいけど、なぜずっと抱きしめられてるのか。
「いやー。シアちゃんのちっこいサイズが丁度良くてつい。うちの部長も同じくらいの背丈ですが、絶対こんなことさせてくれませんから。まぁそんなことは置いといて、次は【軽業】の強化方法と【回避】の習得についてお話しますねー」
置いておかれた。それどころか持ち上げられて、ぶらんと足が宙に浮く。パニカさんをぬいぐるみ扱いしたことはあるけれど、逆にぬいぐるみ扱いされたのは初めてだ。はぁ、と息をついて、私は大人しく話に集中する。
「階段を数段飛ばしで駆け上がるのも効果的ですがー、ある程度のリスクがあったほうがスキルの成長は早いと実証されてますし、ここはやはり建物の屋根を跳んで移動するのが有効で……何か来ますね」
急にイチカさんの声が低くなり、少しギョッとしてしまった。私を着陸させたイチカさんが腰元の短刀を小さく鳴らす。その音を聞いたレンジさんとジャドさんが武器に手を添えた。
「ン?なんだこの匂い」
ジャドさんが鼻を擦りながら言う。ワンテンポ遅れてやっと私の【索敵】に反応が出た。気配が二つ。森の中をガサガサ音を立てながら疾走してくるのが気配で分かった。
「敵意は無いように感じますが……」
「その二人の後ろにねー。こう、わらわらと」
わらわらと、私はイチカさんの言葉を小さく復唱して、短剣を呼び出した。今度こそ、今度こそ私もちゃんと戦うのだ。ウルフなら倒せる。先ほどは三人の連携を気にして【夢】は使わなかったが、今度はうまく活用して戦いたい。イチカさんは既に分身していて、その分身たちを木の上に移動させてる。奇襲の準備だろうと思う。
暫しの間があり、藪の中から近づいて来た人物が現れた。誰であろうトムさんである。そのトムさんの頭には何故か涙目のパニカさんがへばり付いていた。
「し、しあ~~~~!!!!!」
「あ、レンジ君シアさん、いいところに」
女児がぶわっと泣き始めたが、その女児を肩車しているトムさんはホッとしたように笑う。二人からはなぜか美味しそうなカレーの匂いがする。
「いやー。お昼ご飯にカレーを食べてたらね。なんだかすごく集まってきちゃって。辛口のカレーだったから刺激しちゃったのかな、なんて」
「魔物集まってるの!魔物集まってるのよーー!」
ははは、とトムさんが爽やかに笑いながら頬をかく。パニカさんはトムさんの頭をぺしぺし叩きながら後方を指した。一連の流れをレンジさん達は唖然とした表情で見ている。
「あの、トムさん」
「ん?なんだい、シアさん」
「カレー粉って売ってるんですか?」
「そこじゃねぇよ!!!!!おいトムさん!魔物の森でカレーってマジか!?そんな匂い出したらそりゃあ大層集まるだろうがよ!!!!」
がなり立てるレンジさんの言葉で私も思い出した。獣型の魔物は食べ物の匂いに集まる習性がある、という張り紙が迷宮入口の掲示板に貼り出されていたはず。だから探索者は匂いの少ない携帯食料を食べたり、もしくはセーフエリアで食事するのだ。なのにセーフエリア外でカレー。
「でもパニカちゃんのリクエストだったし……。集まるんなら素材集めも捗るかなって思って……。ちょっと予想外な魔物も来ちゃったけど」
苦笑いのトムさんを見てレンジさんが頭を抱える。トムさんはパニカさんに激甘なようだ。レンジさんは、はぁ、と深い溜息をつきながらも刀は持ったまま。カレーにつられた団体を撃退する流れである。
「ヤベェんじゃね?これ」
「逃げたきゃ逃げていいぜ、それこそ盗賊みてぇにな」
「ほーう言うじゃねェか魔王侍。逃げねぇよ。男が廃る」
ジャドさんがニヒルに笑いながらナイフを構える。ちょっと冷や汗を流してるけど戦う事を選んだようだ。イチカさんはわくわくしてる様子で、見るからに戦う気満々であった。私はトムさんに差し出されたパニカさんを受け取って抱っこした。トムさんは左手に大きな鉄製の小手、右手に槍を担いで私達の先頭に出る。
「閃光弾の後にとり餅弾を撃つよ。それで有利に事が運べるはずだ。視界に気を付けて」
トムさんが左手をぎゅっと握りしめると、ガシャッ、という音と共に小手から銃口のようなものが出てきた。なにそれカッコいい。
「なにそれカッコいい!!!!」
私の代わりにパニカさんが称賛した。その言葉に嬉しそうに頷いて答えたトムさんが、小手を魔物が来る方向に向ける。そういえばまだパニカさんを抱っこしたままだった。慌てて野に放す。
藪を食い破るように這い出てきたウルフの群れ。一瞬茶色の波が来たかのような錯覚。ウルフに紛れて巨大なイノシシがいた。大量にいるとは聞いていたけど、ちょっと予想外な数である。わらわらいる、と私はぽつりと呟いた。
「オイオイオイ!!これ無理!マジ無理!ボア混じりだぞ!!」
「何だこの数!?オイこらチビガキ!てめぇの我儘のせいだぞコレ!!」
「魂がカレーを欲してたんだから仕方ないでしょチンピラ!!さっさと逃げて男を廃らせればいいじゃない!!チンピラ子ちゃんになればいいじゃない!!」
「言うじゃねぇかちんちく虫!!じゃあテメェはあの津波ん中で自爆して男の散り様表現して来いよ!!!!」
魔物が迫っている中、パニカさんとレンジさんがいつも通りぎゃあぎゃあと罵り合いを始めた。チームワークとは。
「閃光弾いくよ!」
トムさんが言い、左腕の小手(?)からパパパンッ、と閃光弾を撃った。光に備えて腕で顔を覆う。
激しい風圧で体が押され、耐え切れずに後ろへ転がった。ワンテンポ遅れて激しい爆音。枯葉、木片、時々肉片。様々なものが宙を舞う。二転三転する視界に翻弄される中、また発砲音が聞こえて再度爆風が飛び交う。
ようやく転がり終えて、困惑したまま急いで立ち上がった。どうやら一緒に転がっていたらしいパニカさんも、口をポカンと開けた状態でのろのろ立ち上がる。見渡してみれば、トムさんの前方の森が随分開けていて、燦々と陽が降り注ぐ光の空間になっていた。トムさんだけは堂々と敵陣に向かって立っている中、他の3人はしゃがんで爆風をやり過ごしていたようだ。
「……トムさん、なんで閃光弾にあんな殺傷力があるんだ?」
「あれ?おかしいな。なんでだろ」
渋顔のレンジさんがツッコミを入れて、トムさんはそれに首を傾げながら答えた。すごい威力だったが、魔物はまだまだ生き残っているうえに行進が止まらない。
「次、とり餅弾で動きを止めるよ!」
その言葉を聞いたレンジさんが何故か身を伏せて、ジャドさんとイチカさんもそれに倣った。私とパニカさんも困惑したまま身を伏せる。
ドンッ、という鈍い音と共に爆発が起きた。土や砂利が爆風で流されてきて、体全体に降りかかる。立て続けに爆音が響いて、その間ずっと私は戦場にいるような気持ちで身を伏せていた。
「何で、何でとり餅弾が爆発すんだよ!!!!!トムさんそれ全部爆弾じゃね!?餅要素どこだよ!?」
「いや、僕は爆弾作った事はないよ。これは間違い無くとり餅弾だ。なんせ昨日たくさんのお餅を入れたからね」
「それ餅の代わりに火薬入れてね!?絶対間違えてんだろ!!!」
不思議だなぁ、と首を傾げるトムさん。レンジさんの追及も柳に風といった様子。身を起こしながら思う。トムさんは、トムさんだけは普通の人だと思ってたのに。常識人だと思ってたのに。
「魔物まだいるわ!く、くま!くまーー!!!!」
「やっべ!またキラーベアだ!!トムさん!もう爆弾でもとり餅弾でも何でもいいから撃ってくれ!!!!」
「もう弾切れなんだ。意外と素材に費用がかかっちゃって」
クレーターだらけの広場に変貌した森に、王者の風格を纏ったキラーベアが立っていた。その森の王に付き従うかのように他の大型魔物も群れに混ざっている。灰色で馬のような大きさのウルフ。鋭利な牙が天を衝くかのようなイノシシ。そうそうたる顔ぶれが私達に向かって突進してくる。【索敵】の反応で、通常のウルフが私達を囲んでいるのに気付いた。
短剣片手に息を飲む私を、後ろから誰かがふわっと抱きしめた。そしてそのまま持ち上げられる。
「男性のみなさーん。こんな状況ですし、シアちゃんとパニっちゃん貰っていきますね。それと、一撃で消えちゃいますが一応分身の一人は残していきますねー」
イチカさんだ。知らぬ間にイチカさんに捕獲されてる。見回してみればもう一人のイチカさんがパニカさんを捕まえてる。
「おう!お前等また後でな!!!」
「あ、パニカちゃん。僕のマジックバッグだけ持ってってくれないかい?」
「妹ちゃん!提灯通りに遊びに来いよ!奢ったるぞ!!」
一瞬頭が真っ白になった。状況的に、イチカさんが私達を連れて撤退するつもりだ。きっとくノ一のイチカさんなら私達を抱えたまま安全に逃げることが出来るのだろう。みんな強くてもあの魔物の数だ。巨大な魔物も複数いる。勝ち目はきっと無い。イチカさんが抱えられるのは小柄な私達だけ。確かにパニカさんは連れていって欲しいが、私は納得がいかない。
「私も!戦います!」
私は必死で言う。
「おう!今度な」
レンジさんが適当に返した。ここでやらなきゃ男じゃないのに、少女な私は守られる。いくら教会で復活するといっても、死ぬのはとても怖いだろうに。痛いだろうに。こんな展開は全然納得いかない。見た目へっぽこでも心は錦。握りっぱなしの短剣に力が入る。何が起こるか分からなくて躊躇していたけれど、それでも私が授かった力。瞼を閉じて集中する。夢よ、夢よ、おいでませ。
パンパンッと発砲音が響いた。この音はパニカさんの銃だ。撃ったのだろう、私と同じで納得できずに。パニカさんも私と同じで立派な負けず嫌い。
閉じた瞳の暗闇で、水晶みたいな蝶々がふわっと現れた。キラキラと虹色に輝いて見える。
目を開いてみれば、その蝶々は確かに目の前に存在していた。短剣の輝きが蝶と共鳴したかのように、どんどん光を強めていく。
「え!?シアちゃんコレ何です!?」
地鳴りと共に私の足元から無数の蝶々が噴き出した。
光の柱の如く宙に舞い上がって、森の上空でふわりふわりと回遊を始める。煌めく蝶が空を覆い、真昼の星といった様子である。天体が回るように、時計の針が回るように蝶は回遊する。夢と繋がった、と直感で分かった。
景色が陽炎のように揺れて、空と同じく回転していく。眩い光の粒子がまるで雪の様にふわりふわりと降り注ぎ、やがて視界を埋めていく。突然の異常事態に人も魔物も茫然と空を仰いで立ち尽くした。
ぽかんと口を開けたパニカさんが見てくるので、私はサッと視線を逸らす。たぶん大丈夫です。何が起こるか分からないけど、大丈夫です。きっと。我に返ったパニカさんとレンジさんが私に向かって何か言っているが、私は事前に耳を塞いでいるのだ。私は静かな気持ちで、ただただ茫然と変わりゆく世界を眺めた。