固有スキルの事
古びた本と、濃い珈琲の香り。小さな明り取りだけでは照明が足りないのか、広い室内の随所にオレンジ色のランタンが備え付けられている。重厚な皮でできたソファには、本を読んでいる人の他にも談笑してる人達がいる。司書さんらしき人がなんらかの魔法で宙に浮いて、ずいぶん背の高い本棚を整理整頓していた。たぶん気に入ると思うわ、と言うパニカさんに連れられてやってきたその場所は、まさに異世界図書館といった様子だった。
図書館特有の静けさに心安らぐ。ランタンが照らすこの空間は、どこか孤独で温かい。本と向き合うのにこれほど好条件な場所も無い。一目で気に入ってしまった私は、そわそわと珈琲売り場を探してうろついた。
「ほら、シア。また迷子になるから」
女児に手を繋がれた。そんなに迷子になった事は無いのに、油断するといつもあほ妹扱いしてくるのだ。繋がれた手からパニカさんの子供体温が伝わる。曇り空のせいか今日はすこし肌寒くて、左手を伝う熱い体温がちょうどよく感じた。
この建物は図書館であると同時に『スキル研究部』の活動拠点でもあると聞いた。スキル研究部とは生徒会の下部組織であり、転移者達にとって唯一の生命線かつ武器でもあるスキルの強化方法を日々模索する部であるとか。共有財産として膨大な書物を集めて議論したり実験したりするらしい。その研究対象にはもちろん固有スキルも含まれていて、私の意味不明な能力を解明するべくパニカさんに連れられて来たのだ。
「トムさん。連れて来たわよ」
パニカさんがソファに座るひとりの男性に声をかけた。男性はその声に気付き、読んでいた本から顔を上げる。少しくせっ毛の赤髪で、眼鏡をかけた優しげな人だ。20代前半くらいだろうか、背が高くて、灰色のツナギを纏っている。
「やあパニカちゃん。そちらがシアさんだね?」
男性は読んでいた本を仕舞い、立ち上がって右手を差し出した。
「初めましてシアさん。僕の名前はトム。いつもパニカちゃんから色々話を聞いてるよ」
「は、はい。はじめまして、シアです」
背丈が違うので少し見上げながら男性と握手した。声が上ずってしまったが仕方ない。友達の知り合いというのは人見知りにとっての鬼門なのだ。緊張倍増しである。
「そう緊張しなくても大丈夫だよ。簡単に自己紹介すると、君がパニカちゃんの朝と昼のご飯担当だとしたら、僕が晩ご飯って感じかな」
パニカさんのお世話係夜部門の人らしい。いままでずっとパニカさんの晩ご飯を心配していたのだが、なるほど、この人にご飯を貰っているらしい。ほんの少し緊張が解ける。
「ああ、声は気にしなくて平気だよ。音をある程度吸収する魔導具が設置されてるからね。なんせここは相談場所として使われてるくらいだから」
ただ何と言おうか迷っていた私に対して、トムさんが微笑みながら言う。ソファに深く腰掛けたトムさんが「どうぞ」と対面のソファを指し、私はそれに従い座った。柔らかくていい座り心地。パニカさんが引き合わせたという事は、このトムさんという男性がスキル研究部の人なのだろうと察する。
「トムさんはね、料理上手なのよ。そのせいでお腹を空かせたチンピラも時々トムさんちにやってくるわ」
「まぁそんなわけでレンジ君とも知り合いなんだ。自然にシアさんの話題が挙がるから、だから僕としてはシアさんは他人という気がしないかな」
私の緊張を察したらしい二人がフォローめいた事を言う。気を遣わせてしまったようだ。ぼふっ、と隣に座ったパニカさんは私のマジックバッグをちらちら見ている。お腹が空いたのかと思いお菓子を出すと、私と同じタイミングでお菓子を差し出したトムさんに気付く。目が合って、お互い苦笑いしてしまった。飼育員魂が根付いてる。
「シアさん、飲み物は何がいい?珈琲とジュースがあるけど」
気配り屋さんらしいトムさんがいくつかの飲み物を出した。私は珈琲を頂き、パニカさんには自動的にジュースが出てきた。綺麗なカップに水筒から珈琲が注がれる。パニカさんは瓶入りのジュースを「これよこれ」等と言いながらラッパ飲みした。そしてそのラッパ飲みの合間にチョコチップクッキーをばりばり頬張る。
「じゃあ話を始めようか。パニカちゃんからはシアさんが面白い固有スキルを持っている事と、その使い方がよく分からないって事だけは聞いてるよ。僕はスキル研究部の部員だから、少しだけそのへんには詳しいんだ。よかったら、話を聞かせてほしい」
「シアはね、がらくたが出せるのよ」
お菓子を補給して機嫌が上昇したパニカさんが口を挟んだ。あんまりな言いようである。確かにがらくたも多いけど、ヒヨコも出るのだ。トムさんは首を傾げ、目で続きを促す。パニカさんは私をチラッと見た後、お菓子の殲滅に移った。私に話せという事だろう。
「私の固有スキルは、色んなものが出ます」
「えっと、その色んなものとは」
温かい珈琲で喉を潤し、私は思い出しながら話す。
「自転車の車輪、風船、コケシ。あと、ホットケーキとかです」
「確かにそれは……色んなものとしか言いようが無いね」
あまりに予想外だったのか、トムさんは苦笑いを浮かべている。
「あと、ヒヨコがマシンガンを撃ちます」
「ちょっと待ってねシアさん。ごめん、想像の斜め上だった」
右手でストップの合図を出して、トムさんが天井を仰ぐ。何か考え込んでいるようだがどうしたのだろうか。
「……あたしがシアの代わりに知ってる事話すわ。トムさん、シアの能力は【幻影】じゃないし【創造】でもないみたいよ?ホットケーキは美味しかったし、召喚されたヒヨコはさらに武器を召喚して魔物を撃ち殺したわ」
「その能力に何か対価は必要なのかい?」
「少し眠くなるだけらしいのよ。イメージ関係なくヘンテコなものを出すわ」
なぜかパニカさんが説明する。飼育員同士とはいえトムさんとは初対面。緊張していたので代わってくれるのは助かるけれど、どこか解せない気持ちにもなる。
「単純に【召喚】かと思ったけど、あまりにもジャンルがバラバラすぎる。確認されてる【創造】は無機物限定だし。効果が全くの未知。面白いね。実にヘンテコだ」
二人にヘンテコ呼ばわりされた。トムさんは顎に手を添えて考え込み、私はその様子を珈琲飲みながらジッと見ていた。濃い珈琲の香りを全身で味わう。実の所子供舌な私は、砂糖とミルクをどばどば入れて缶コーヒーの如く甘くしたいのだけど、初対面の人にカッコつけたい気持ちが前面に出て大人しくブラックを啜ってる。
「シアさん、パニカちゃん。ちょっと場所を移そうか。ここの地下に訓練施設みたいな部屋があるから、そこで実際に見てみたいんだ」
トムさんが言う。ちょうどお菓子を全滅させたパニカさんが颯爽と立ち上がり、私も珈琲片手に颯爽と立ち上がった。それは置いておきなさい、とパニカさんにやんわり注意されて、しょんぼりする。
地下だとは聞いていたけれど、丸くて巨大な天窓が付いていて、そこから陽が射している。今日は曇っていたはずだが、それでも先ほどの部屋とはうって変わって明るい。図書館の薄暗さに慣れていた私の目が眩む。壁と床が真っ白で、どことなく都内のオフィスを連想させる。部屋の中心に私が立ち、パニカさんとトムさんは部屋に備え付けられた椅子に座って観戦モードだ。
「シアー!がんばるのよ!あと、服を脱いで変身ポーズの方じゃなくて、がらくた製造の方だからね!」
「……そ、そのくらい分かってますよ」
「何でそこで目が泳ぐの!?脱ぎたかったの!?」
「そんな訳ありません!!絶対に!断じて!」
とんでもない勘違いされた。ぎゃあぎゃあ言い合う私達をトムさんは苦笑いを浮かべて眺めている。とても苦笑いが似合う人だと思う。
「じゃあ、はじめます」
「ええ、視せてもらうわ貴女の全てを。もう既に開幕のベルは鳴ったの。ここから始まる、貴女だけの冒険譚」
「いきなりパンドラさんのモノマネしないでください」
ひとりでもわいわいと騒がしいパニカさんを無視して、私は固有スキルに集中した。私の前方の空間が光り輝いて、カツン、という音。見てみれば床に洗濯バサミが落ちていた。このままでは本当に【がらくた製造】だと認定されてしまう。焦った私は一生懸命ヒヨコを想像する。ヒヨコは最強だ。なんせ銃である。
みかんの皮、ボロボロの本、お茶碗、古ぼけたぬいぐるみ。がらくたと言わざるを得ない。このままでは増々バカにされてしまう。ヒヨコが出た時を思い出して、右手に短剣を呼び出し横薙ぎに振う。
壁の側面から速度制限の標識が生えた。丸い標識には50と書かれている。短剣を振り下ろすと、色とりどりの飴が降る。軽くて硬質な音が部屋に広がった。
今度は短剣を振り上げてみると、真っ白な床を埋め尽くすように水晶製の綺麗な花が現れた。陽の光が反射して、きらきらと七色に光る。この短剣に反応しているのだろうか。普段と違う感触。また振り下ろしてみれば、宙から黄色い冷蔵庫が降ってきて鈍い音と共に着地した。真っ白だった部屋がどんどん色付く。
「「ストップストップ!!!」」
息の合った二人の声が聞こえて、私はビクリと肩を震わせ動きを停止した。隅の椅子に座って観察していた二人が、辺りを見渡しながらおそるおそる歩いてくる。パニカさんが頭頂を擦っているあたり、飴が当たってしまったらしい。
「……話通り、色んなものが出るんだね。ちょっと無秩序極まり過ぎて、正直言って混乱してる。でも、凄い力だ」
「シア、マジックショーやれば儲かるんじゃない?」
トムさんはしゃがんで水晶花をしげしげと観察している。パニカさんはうろちょろと歩き回り、落ちてる飴をせっせと拾っている。口の中にころころとしたものが入っている辺り、すでに飴をなめているようだ。暫しの間トムさんは部屋の中をうろうろ歩いて調べまわる。数十分ほどの時間を要し、やっと落ち着いたのかトムさんが戻ってきた。
「私はどんな力なんでしょうか。ぜんぜん何が起こるか分からないんです」
「う~ん。確証はないけど、もしかしたら、というのは浮かんだよ」
水晶花は見た目とは裏腹に柔らかい。その綺麗な花畑に直接腰を降ろしたトムさんが、ボロボロの本を読みながら言う。私もその対面に座った。するとそこに、先ほど召喚したペンギンのぬいぐるみがぺたぺたと歩いてきた。私の前に辿り着いたペンギンが飴を渡してくる。くれるのだろうか。ありがとう、と礼を言うと、きょろきょろと辺りを見回して飴探しを再開した。
「……シアさんは力を使う時、何かイメージしたりしてるのかい?」
「えっと、ヒヨコをイメージしましたが出ませんでした。あとは、何も考えず無我夢中で」
「ちょ、ちょっと待ってあんたら!ペンギンのぬいぐるみよ!?動いてるし飴拾ってる!!何でそこスルーできるの!?」
「ぺんっ」
小さく鳴いたペンギンのぬいぐるみがパニカさんの飴を奪った。
「いや、ぺんって!!何その不可解な鳴き声!!!てかそれあたしのよ!!!」
女児がぬいぐるみと飴の奪い合いを始めた。かわいい。気が逸れてしまった私をトムさんが苦笑いで見ている。私は顔を振って気を取り直して、トムさんに視線を戻す。
「僕が思うに、シアさんの力は【転送】に近いものだと思う。みかんの皮もこの茶碗も、明らかに誰かの中古品だ。もしかしたら【創造】の系統なのかもしれないけど、このランダム具合のせいか、元からどこかにあった物だという方がしっくりくる」
「では、元はこの洗濯バサミも誰か他の人の物なんでしょうか。もしかして私は盗人なのでは……。ペンギンを誘拐したのでは……」
「その辺は何とも言えないけれど、でもあのペンギンは明らかにシアさんを主として見ていた気がする。さっき言ってたヒヨコはどんな様子だったか覚えてるかい?」
「その、魔物を殺戮した後、みんな私に撫でて貰いたがってました」
ふむ、とトムさんがひとつ頷き、私の前に裏返した茶碗と開いた本を見せてきた。
「この茶碗には日本語で製作者が刻印されていて、こっちの本は全くの未知の言語で書かれている。つまり、シアさんの【転送】は世界を超えているか、もしくは色々なものが複雑に混ざり合った場所から来てる、ってのが僕の予想だ。こんな綺麗な花、今まで見た事ないしね」
トムさんが花を撫でると、小さな光の粒子が宙に舞った。
「ペンギンやヒヨコも転送先の世界の生き物だとすれば、シアさんが慕われてるって事はとても重要な事だ。繋がった世界ではシアさんが知られてるって事だからね。他の能力で召喚された者も主を慕うものらしいし、そのへんも似てるね。だから、ちょっと言い換えるならシアさんの力は【門】と呼べるかも」
「門、ですか」
「そう。【THE・門】だ」
なぜカッコよく言い直したのか。トムさんが眺めているボロボロの本、どこか見覚えがあるような気がする。
「シアさんの能力はどこかと繋がっている。今はまだ何が出てくるのか分からないけれど、固有スキルも成長していくものだから、そのうち物凄い事ができるんじゃないかな」
「どこかと繋がっている……」
「あくまでも全部僕の予想だけどね。でも、もしシアさんの力が【門】なら、僕も一度はその先に行ってみたいな。無秩序で綺麗で、夢の中って感じなのかも」
トムさんの視線の先では、パニカさんとペンギンが花畑の上でプロレスしていた。揺れる水晶花が煌めく花粉をまき散らし、まるで光の噴水といった様子。原色の標識と冷蔵庫が背景を彩り、まさしくトムさんの言う、夢のような光景だった。
広場の時計塔は午後五時を示していた。曇天のせいか日が落ちるのが早く、街にはすでに街灯が灯されている。白い壁の街がオレンジ色に染まり、どこか先ほどの図書館を彷彿させる。やはり肌寒い日は家が恋しくなるのだろう、転移者たちは足早に居住区の方へ歩いていく。
少し閑散とした広場のベンチで、パニカさんと一緒にたい焼きを食べる。肌寒いせいか、パニカさんは私にぐいぐいと体を押し付けながら座っている。パニカさんは、まだやることが残っているトムさんを待っているのだ。このまま晩ご飯を頂きに行くらしい。パニカちゃんは僕にとって孫みたいなものだから、と去り際に笑って言うトムさんは、私の元の年齢よりもぐっと年上のような気がした。
「シア、そっちも食べてみたい」
カスタード入りを食べていたパニカさんが、私のあずきホイップ入りに目を付けた。たい焼きを差し出すと、そのままパクッとかぶりついた。
「猫みたいですよ」
パニカさんは何も答えず、そのままパクパクとたい焼きを削り取っていく。このままでは全部食べられてしまうと、慌ててたい焼きを宙に逃がす。いつまでも私のたい焼きを見ながら、渋々自分の分を食べるパニカさん。何故だろう。カスタードはあまり美味しくなかったのだろうか。
パニカさんとトムさんのおかげで、私は今日少しだけ自分の力について理解することが出来た。呼び出された召喚物を逆に送ることが出来たのだ。花も標識も冷蔵庫も、光の粒子になって消えていった。消滅ではなく、元に戻ったという感覚がある。パニカさんとたくさん遊んだペンギンは、満足げな顔で自ら帰っていった。呼び出すときのような消耗は無かったので、マジックバッグの中の宝物たちもついでに還して、ずいぶん身軽になった。
「パニカさん。やっぱり私の力は【夢】なのかもしれません」
「んん?そういえばいつかそんな事も言ってたっけ」
顔にクリームをつけたパニカさんを拭いてあげた後、私はマジックバッグからボロボロの本を出した。小さく首を傾げているパニカさんに本を見せた。
「何この文字。古代って言うか、何この文字」
「さっき思い出したんですけど、それ、私が書いたものなんですよ。幼いころに」
私が考えた暗号文。私以外は読むことが出来ない日記帳。思い出すまでに時間がかかったが、昔捨ててしまった事はしっかり覚えてる。
「夢の中のアイテムって事?へ~。ふ~ん。ふふふ!てかやっぱり中二患ってたのねシア!」
にやにやと面白げに笑うパニカさんに苦笑いを返した。確かに。幼いながらも私には中二の才能が開花していたのかもしれない。日記帳の最後のページには、書いた覚えのないものが暗号文字で書かれている。そこには五文字だけ。『ぱにかさん』と書かれていた。
中身を教えてとうるさくせがむパニカさんを押しのけて、私はその日記帳を夢に帰した。騒ぐ女児にたい焼きの尻尾を渡すと、とたんに静かになった。夜特有の刺すような冷たい風に、少し身震いする。パニカさんが増々引っ付く。
「ん、そろそろトムさんが出てくる時間だわ。じゃあ行きましょ」
颯爽とベンチから立ち上がったパニカさんが、なぜか私の手を引いて広場を歩く。
「あれ?あの、どうして私を連れて行くんです?」
「ん~?トムさんがいつでも食べにおいでって言ってたじゃない。だから今日行くのよ。トムさんも最初からあたしがシア連れて行くの察してるわ」
そう言いながらトコトコ進む。しっかり繋がれた左手が温かい。なんだか今日はずっと気を使われているような気がする。
「30%の確率で鍋だけど、でもすっごく美味しいのよ!」
結構な確立だけど、でもこんな肌寒い日の鍋は凄く美味しいと思う。本当にいいのだろうか、と思いながらも大人しく連れられる。少々の緊張感と楽しみな気持ちを胸に、静かな夜の広場を歩いた。