春風。草原。丸羊。
春風が木々の隙間から流れてきて、あちこちに咲いている小さな花が気持ち良さそうに揺れている。木漏れ日が地面に光の道を作り、無意味にその道を選んで歩く。影に入らないように道を進むという、子供の頃のちょっとした遊び。清涼感のある森特有の香りが心地よくて、深く深く息を吸った。時折見かける花々は申し訳程度の薄い色合いで、この小ざっぱりした森によく似合っていると思う。春風に流されるように森の奥へと歩いていく。
「シア。また迷子になるから」
パニカさんに服の裾を掴まれて立ち止まった。いけない。そういえばここは迷宮だった。森の奥には凶暴な魔物がいる。自然の景色が心地よくて、ついつい気が抜けてしまっていた。パニカさんに一言謝罪して、森の浅い方へと足を向ける。「うむ」とパニカさんがひとつ頷き、採取活動に戻った。
木の実、果物、きのこ、薬草。森には素材が溢れていて、そのほとんどは石版でポイントに変換できる。ひとつひとつは安価だけど、なにより数が取れるのでおいしい狩場だと言える。迷宮3階層はある意味とても安全な場所。危険な魔物は森の奥だけに集中していて、それ以外の場所には危害を加えてこない草食の魔物しかいない。次の階層へは石畳の道が真っ直ぐ伸びていて、そのルートを歩き続ければ一度も魔物と出会わずに攻略することができるらしい。探索者達には『街道』と呼ばれていると聞いた。
パニカさんはちょこまかと動き回っては、両手いっぱいに素材を持ってくる。【採取】というスキルを持っていて、なんとなく価値のある自然物の場所が分かるのだとか。私も頑張って探してみたものの、収穫量はいまいち芳しくない。変な色のキノコとかは探すのが得意だ。ほとんど無価値だけど。
「シア!リコの実をみつけたわ!なかなか高く売れるのよ!」
パニカさんが嬉しそうに駆け寄ってきた。小さな手のひらの中にはたくさんのドングリ。ドングリ拾って満面の笑みのパニカさんがかわいくて、ついつい頬が緩む。
「かわいいですね。ドングリ」
「違うってば!これ薬の材料になるのよ!」
頬を膨らませながら私のマジックバッグにざらざら入れる。てっきりドングリだと思ったのに、リコの実という高価な素材らしい。どう見てもドングリなのに不思議。よく見れば、まだまだ道のあちこちにリコの実が落ちている。私もパニカさんに習って木の実を拾っていく。
ふと【索敵】に小さな反応がひっかかった。辿ってみれば、小さな角の生えた兎がこちらを不思議そうな目で眺めている。ホーンラビット。おいしい肉と綺麗な毛皮を落とすが、臆病なためにすぐに逃げてしまう難儀な獲物。すでに私の活躍により、5匹分の素材がバッグに収まっている。こっそり短剣を出したが、察したホーンラビットは身を翻して逃げてしまった。
「私のアサシンモードに恐れを成したみたいです」
「何言ってんの。あたしの強大な魔力を恐れたのよ」
逆手に持った短剣で格好つけていると、パニカさんも魔法銃をくるくる回して格好つけた。正直今の私達は調子に乗っているけれど、今日くらいはそれも仕方ない事だと自分を擁護した。午前訓練の折、しばらく見ていなかったチェッカーに変化が起こったのだ。
名前:アムネシア
技能:短剣 1 NEW
軽業 2 UP
気配遮断 3 UP
索敵 1
ついに念願の武器スキルがついた。【短剣】スキル。正直な所スキルがつくと何が変わるのかは未だ分からないけれど、でもグンと強くなったような気がするのだ。軽業で身が軽くなり、気配遮断でこそこそできる。もはやアサシンと言わざるを得ない。格好いい。すでに私のアサシネスブレイクで数匹の魔物を屠っているのだ。まぁ、全部危険性の無い草食魔物なのだけど。
名前:チン・チクリン
技能:雷魔法 2
魔導 1
聞き耳 2
採取 3
パニカさんも魔法がレベルアップしたらしく、はしゃぎながらチェッカーを見せてくれた。今までは名前を気にして見せてくれなかったが、よっぽど嬉しかったのか、ぐいぐいと顔に押し付けるように見せてきた。笑わないように注意して見てみれば、全体的に私よりレベルが高かった。魔法系のスキルはレベルが上がるほど魔力総量が増えて威力が上がると聞いた。【聞き耳】というのは聴覚強化。もはや私の【索敵】よりレベルが高くて、斥候役交代の危機であったが、結局の所めんどうくさがったパニカさんに斥候役を任されたのだった。
「しあー。もうバッグ入らないみたい」
パニカさんが私のバッグにぐいぐいとキノコを押し付けていた。まるで見えない壁でもあるかのようにキノコが弾かれる。
「あ、キャンプセットとか入りっぱなしでしたね」
「後あれでしょ?あの頃の宝物たち」
ただ探索するだけなら必要のないものがマジックバッグに入りっぱなしになっていたようだ。それでも、今日の収穫量はかなりのものだという実感がある。しかたないわね、とパニカさんが言いながら森の出口へ歩く。懐中時計で時間を確認してみれば、ちょうど午後3時になるところだった。おやつの時間にしましょうか、と伝えてみれば、しかたないわね!と弾んだ声が返ってきた。
3階層の草原にシートを敷いて、お茶会セットを取り出した。草原の中でも少し小高い場所を選んだので遠くの景色が良く見えた。私達と同じようにシートを敷いてご飯を食べてる人や、ハンモックで寝てる人。遠くに見える湖では釣りをしてる人がけっこうな人数いる。
携帯コンロの火に燻されて、銀色のケトルがことこと鳴った。カップに紅茶を注いでみれば、春めかしい草原の匂いと紅茶の香りが混ざり合う。みっつほど角砂糖を放り込んで完成である。ごそごそと私のバッグを漁ってお菓子を探しているパニカさんが、何かをみつけてわあわあ騒ぎ始めた。
「これパステルモールに出来たケーキ屋のやつじゃない!シア抜け目ないわ!流石よ!」
「それ、レンジさんに貰ったんですよ。あの場所に入り辛いとかで、私が代わりにケーキを買いに行く報酬って事で」
「え!?何それ!魔王とか呼ばれてるくせに甘党なわけ!それはいいネタだわ!!」
東地区のパステルモールは女性向けのお店が建ち並ぶ場所である。どこもかしこもキラキラしていて、私自身もかなり勇気がいる場所だったが、レンジさんが行くよりはマシだろうと思い奮闘したのだ。ゴスロリ専門店『魔女の庭』というお店をそこで見かけたが、中二ワールドの気配がしてコソコソやり過ごした。そういえばレンジさんに口止めされていたような気がしたが、まぁいいか、と気を取り直して配膳を続ける。
ミニテーブルの上に紅茶とベイクドチーズタルトが並ぶ。紅茶の赤とタルトの黄色がおもちゃみたいな配色で、そわそわと落ち着かない様子の女児によく似合っている。頷いてGOサインを出すとガツガツと食べ始めた。パニカさんはたまに見た目そのままな行動をする。そんな様子に苦笑いしながらも、甘いものが好きな私も盛大に食べ始めた。
草原にやわらかな風が吹く。どこかに菜の花畑でもあるのか、強い花の香が鼻孔をくすぐる。この階層は外の気候と同期していると聞く。チュートリアル島も今日は春めかしい気候だった。いずれ夏がくるのだろうか。四季があるのなら、それはそれで楽しみである。異世界に来てから四季を楽しむ余裕ができた事に内心驚き、それも友達が出来たおかげかな、と内心で呟く。パニカさんは鬼気迫る勢いでタルトを貪っていて、顔中にタルトの残骸をつけていた。
「パニカさん」
「ん。くるしゅうない」
パニカさんは殿っぽい事を言いながらおとなしく顔を拭かれる。顔が綺麗になった後も、先ほどと同じペースで貪り始めた。これじゃ意味が無いな、と苦笑いした。陽が温かくて、微睡んだような空気。草原の各所でまん丸くて白いヒツジがムームー鳴いている。ムームー鳴くから『ムームー』と呼ばれる大人しい魔物だ。数匹倒した後だけど、こうして眺めるとぬいぐるみみたいで愛らしい。
のどかで、呑気で、ぼんやりとした風景。ほわ、とひとつ欠伸をしたら、だんだん眠気が増してきた。タルトを殲滅したパニカさんもうつらうつらと船を漕いでる。たまにはこういうのんびりとした1日も悪くない。もう一度欠伸をして、グッと体を伸ばした。
ざり、ざり、と何かを引きずるような音で目が覚めた。重い瞼を開けてみれば、視界一面夕暮れの赤。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。起き上がろうとして、でも起き上がれなかった事に驚く。あわてて状況確認してみれば、私の上に覆いかぶさるようにしてパニカさんが寝ていた。しかも私達は寝袋に入って寝ている。さっぱり記憶にない。
ざり、ざり、と何かに引きずられている。ふたつの顔があるミノムシと化した私達は、その引きずっている何かに抗えない。俯せで眠るパニカさんにしっかりと抱きしめられていて、寝袋の上部にあるチャックに手が届かないのだ。私達は何に引きずられているのか。パニカさんが重いが、腹筋の要領で一生懸命に周囲を見回す。
まん丸くて白いふわふわボディが見えた。草原のアイドル、ムームーである。大きさは普通のヒツジと変わらない。寝袋の足の部分を咥えて、後ろに下がるような体勢で私達をどこかへ運ぶ。
「……パニカさん!ムームーがっ!ムームーが!」
呼びかけてみるもパニカさんは一向に起きない。パニカさんが起きないと寝袋が開けられないのだ。何度呼びかけてもパニカさんはすやすや寝息を立てるばかりで、その間もずっと私達はどこかへ輸送されている。寝袋が拘束具と化した。傍から見たらこれほどシュールな絵面も無いだろう。
私は焦った。どこへ運ばれているのか分からないし、そもそも何故運ばれているのかも分からない。とにかくこのままでは不味い。短剣を出して寝袋を破くという手も、パニカさんの位置的に使えない手段だ。今呼び出すときっとパニカさんに刺さってしまう。最善策、最善策。思考を加速させて、この危機的状況を打破する一手を思いついた。
ゴッ、と鈍い音が鳴った。いたい。額が痛い。寝袋内でなんとか体勢をずらし、パニカさんに頭突きしたのである。これで起きるかと思われたが、パニカさんは寝息が静かになっただけで起きなかった。
もしや、今ので気絶してしまったのではなかろうか。じわじわと失策を実感し、顔がどんどん青ざめる。動けない。寝袋から出られない。
「Muuu」
ムームーの呆れたような鳴き声が聞こえた。つらい。いたい。動けない。顔がふたつのミノムシたる私達は絶体絶命のピンチだ。私達はいったい何処へゆく。
「だれかーーー!ムームーが!ムームーが!!」
私の叫びはただただ夕暮れの空へ消えてゆく。返答はムームーの籠った鳴き声のみ。
「む、ムームーさん!もう夕暮れ時ですよ!遊びは終わりにして、おうちに帰ったほうがいいですよ!」
「MuuMuu」
ちゃんと返事してくれた。聞いてくれたのだろうか。そわそわムームーの動向を窺っていると、再度引きずられ始めた。全然言う事聞いてくれない。
「私達を置いておうちへ帰りましょう!ね!美味しいごはんにホカホカお風呂!あったかい布団で眠るために!」
どこまでも引きずられてゆく。こうなったら固有スキルの力に頼るしかない。短剣を出さずとも使えることは確認してるのだ。私はヒヨコをイメージした。きっとヒヨコなら助けてくれる。撃ってくれる。
「ぴぴぴぴぴーよぴよ!ぴーよぴよ!」
私は鳴いた。必死で鳴いた。されどがらくた製造機。色とりどりの風船が空に浮かび上がって消えてゆく。夕暮れに浮かぶ風船群はどこか物悲しげに見える。
「ひ・よ・こ!ひ・よ・こ!」
べちゃっとパニカさんの後頭部に目玉焼きが現れた。焼き立てほかほか。惜しい。ちょっとだけ違う。
「Muuuuuu!」
「え、うるさくしてごめんなさい……」
ムームーに怒られた。しょんぼりとして黙る。そのまま夕暮れの草原を引きずられていく。うろこ雲が夕日に照らされて、めんたいこみたいに見えた。
やがてムームーの目的地に到着したのか、寝袋の足元から口を離し、私達の側面にのんびり歩いてきた。もしや食べられてしまうのだろうか。草食の筈なのに。
「は、話せば分かります!たしかに私はもやしみたいに見えるかもしれませんが、人です!人なんですよ!」
人と魔物は分かり合えないのだろうか。たしかに私はムームーの同胞を3匹倒した。けれど、その死は循環するのだ。ムームーの死が私達の血肉になり、いつか私が死んだときは誰かの血肉になる。そういうものなのだ。でも私達は食べないでほしい。それとこれとは話が違う。いまはまだ食べごろじゃない。命だけは助けてほしい。以上の事を必死で語った。ムームーに語った。でもムームーは私の説得を無視し、寝袋を顔で押して私達の角度を変える。
横になった私が見たものは湖に映し出される綺麗な夕日だった。小高い丘の天辺で、それもムームーに連れられて、私が目にした夕日は何より美しかった。夜に変わりゆくグラデーションが空を彩る。
「……もしかしてムームーさん。これを見せたかったんですか……?」
私の静かな問いに、ムームーは小さく鳴いて答えた。きっとこの景色をだれかに自慢したかったのだろう。自分の住処の素晴らしさを、誰かに見てほしかったのだ。
「すばらしい景色です。あなたは、こんなにも綺麗な場所に住んでいるんですね……」
「MuuuMuuu」
「……人と魔物が分かり合えるって、いま実感しました。だって、美しい景色を共有する事ができるのですから」
「Muuuuuuu」
じんわりと暖かい気持ちになって、その気持ちを抱いたまま夕日を眺めた。最初はちょっとビックリしたけれど、たまにはこういう日も悪くない。
「Muuuuu」
「あんまり押すと危ないですよ?ここは丘の上なんですから」
「MuuuMuuu!」
「すぐそこは湖なんですから。こらこら、私達転がっちゃい」
ドゴンッ、と腰のあたりに頭突きされて、ミノムシ姉妹の私達はごろごろ湖の方へ転がる。突然の裏切り。回転する視界の中で見えたムームーは、まるで勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。ちくしょう。すごい勢いで転がった私達は、そのまますごい勢いで湖に落ちた。薄れる意識の中で私は思う。人と魔物は分かり合えない、悲しい運命なのだと。
パニカさんが口元をもにゅもにゅさせながら私をジッと見ている。私は静かな気持ちで壁と箪笥の隙間に挟まっていた。窓辺からは涼しげな夜虫の声が流れてきて、心が静かに凪いでいく。
ムームーの裏切りにより湖へ突き落とされた私達は、たまたま3階層で訓練中だったシノ部の面々に助けられて事なきを得た。寝袋のまま動けずムームーに負けたというシュールな状況を大層笑われたけれど、助けられたのは事実である。かたじけない、と忍者っぽく礼を言った。ずっと寝ていたパニカさんは当然のことながら私の奮闘を何も知らず、私の悪戦苦闘の話を聞いて第三者の如く爆笑した。以降私は大人げなくふて腐れている。
「シア!ほら、おいしい串焼きよ!」
パニカさんがおもむろに私のマジックバッグから謎の串焼きを出した。私が隙間に挟まって既に小一時間。さすがに焦れたのだろう。だがそんなもので私がほいほい出ていくと思っているのだろうか。犬じゃないのだ。
「いいかげんそこから出てこないと、この串焼きをー」
パニカさんが謎の串焼きを漂わせる。食べるのだろうか。
「枕に押し付けて匂いをこびり付けるわ」
「な!?なんですかその発想は!!鬼の所業です!!」
「あははは!何とでも言うがいいわ!!!!」
女児が高笑いと共にくるくる回る。たいそう落ち込んでいて、そのうえふて腐れている今の私はいつもとは一味違うのだ。
「この、ちんちくりん!!」
「もういっぺん言ってみなさいよーーー!!!!!!」
一言でキレた女児が飛びかかってきた。何とでもと言ったじゃないか。壁と箪笥の隙間でほっぺの引っ張り合い。わあわあ言い合いをしながら盛大に暴れ、なぜか最終的に箪笥の隙間でパニカさんを抱っこするような体勢になっていた。暫しの間そのまま時間が過ぎる。なんだか間の抜けた空気に肩の力が抜けていき、どちらともなく謝り合う。自然にパニカさんが家に泊まっていく流れになり、わいわいと騒がしい夜が更けていく。眠りにつく前に、私は石版通販で横開きも可能な寝袋をしっかり購入した。