わんわんランド
軽い発砲音が断続的に夜空に響く。振動で狙いが定まらないのか、パニカさんは発砲するたびに悔しげに唸る。私は後方を向くパニカさんを担いで、ただひたすらに走り続けた。ウルフの荒い息遣いが近づくにつれ、どんどん焦燥感が増してくる。
魔法弾を撃ち尽くしたパニカさんが銃に魔力チャージを始めた。私達はウルフの群れに追われている。甘いホットケーキの匂いが頭にこびり付いたパニカさんとぎゃあぎゃあ騒ぎ過ぎたのだ。ふと我に帰ればかなりの数のウルフが私達の痴態を眺めていた。そのおかげで私とパニカさんの微妙な喧嘩は止まったが、果てなき逃走劇の始まりであった。
「シア!またホットケーキ出して!足止めするのよ!」
そんなこと言われても。パニカさんはまだ私を疑ってるけど、当然ながらバッグにホットケーキは入ってない。ふと、パニカさんの頭に謎のホットケーキが現れた時、私は短剣からレーザーを出そうとしていた事を思い出した。考えたくはないが、あれは私の固有スキルなのだろうか。あの時を思い出して、私は右手に短剣を呼び出した。
「け、顕現せよ!暴虐のホットケーキ!!!」
「何その強そうな食べ物!?」
ひたすらに走り続けている私には後方の状況は何も分からない。思いつきで唱えてみたが、本当にホットケーキが出るのだろうか。
「シア!!何か急に出てきたわ!!何でやのん!?」
何か出たらしい。私こそ何でやのんと言いたい。
「赤くて、丸くて……風船!?風船が出た!!!何で!?飛んでく!!!!!」
「パニカさん!意味わかりません!」
「あたしこそ意味不明よ!よく分かんないけどシアの固有スキルに違いないわ!!何か出して!」
こんな土壇場で気付いたけれど、私には創造の力があるのでは。それはとてもチートっぽい。迫るウルフたちのせいで喜ぶ時間は無いけれど、内心で私は自分を褒めた。凄いぞ私。創造魔法のアムネシア。中二だぞ私。さっそく危機を脱する道具をイメージした。
「爆弾!爆弾!爆弾!爆弾!」
「ねぇ!シアが叫ぶたびに地面からお花が生えてるんだけど!?」
「……綺麗でいいじゃないですか」
「それもそうね。あたしも意外とお花が好……それどこじゃないのよ!!!花よりウルフよ!!」
イメージ全然関係なかった。へっぽこだぞ私。業を煮やしたパニカさんは私のバッグをごそごそ漁りだした。何をしてるのかが見えなくて不安になる。
「喰らえ!シアのお菓子!シアのお菓子!シアの非常食!」
「何で私のばっかりなんですか!!!!!!」
効果のほどは定かではないが、甘党ね、などとパニカさんが呟いたので少しは撒いたらしい。だが、私は少しづつ走るスピードを緩めた。緩めざるを得なかった。
「シア!?」
「待ち伏せです……」
私達を中心にして円を描くようにウルフがいる。とうとう立ち止まり、短く息をつく。いつの間にこうなったのか、誘導されたのか。不思議と、追ってきたウルフたちはある一定の距離で立ち止まった。ゆっくりと円を回るように歩いている。
「シア、降ろして。こいつ等たぶん死角から来るつもりよ」
着陸したパニカさんと背中合わせになってウルフと対峙する。転移して以降、ずっとこの狼には煮え湯を飲まされてきた。40匹はいるだろうか。絶体絶命。出ないと分ってはいても、短剣からレーザーを願ってしまう。光と共に洗面器が現れた。ちくしょう。
「絶体絶命ね。覚醒チートのチャンスよ。あたしだけ」
「なんでパニカさんだけなんですか。私は?」
「シアはもう【スローイングダスト】覚えたじゃない」
「ゴミじゃないです。お花が出たじゃないですか」
「そうね、お花に罪は無いわね」
私達は臆した気持ちを誤魔化すかのように軽口を叩いた。物語みたいに都合よく助けは来ないだろう。一掃された2階層には新たにポップした魔物しかいない。もし他の誰かがいても、大分入り口に近いあたりだろうと思う。私達は考え無しで広々とした荒野を進んでしまった。
「あ!シア今【気配遮断】使った!?あたしだけ狙われるじゃない!」
「気休めです。もう見つかってますし。囲まれてますし」
「お菓子投げたの怒ってる!?後であたしのあげるから!」
「そもそも、私が買ってあげたお菓子じゃないですか」
パニカさんを左側の小脇に抱えて、軽く後ろへ跳ぶ。視界を通り過ぎたウルフの身体に短剣を突き刺し、引き抜かずに手放した。
地に足付けた後、背後を見ずに左へ回避。【索敵】の気配が私に魔物の動きを教えてくれる。私達が元いた場所にウルフが着地し、躱された悔しさか、低く唸り声をあげた。新たに召喚した短剣を投げつけてみるも、投擲したことなどない私の技量では当然上手くはいかない。明後日の方向に飛んで行く。
パンッと発砲音がして、そのウルフは地に崩れ落ちた。そうだ、今はパニカさんがいる。小脇に抱えたお米のような存在感。比較的近い距離にいたウルフ2匹に三発ほど魔法銃を連射し、その2匹も同様に帯電して倒れた。
「すごいです」
「でもチャージに時間がかかるわ」
思わぬ反撃に警戒したのか、ウルフたちは距離を維持したまま動かない。そんな状況でパニカさんが腕をタップし、私に着陸申請を出した。何を思ったのか、地に降りたパニカさんは私のマジックバッグに銃を仕舞った。
「あたしは正直な所ウルフが怖いわ。でも、やらなきゃいけない状況なの。見せたげるわ、あたしの必殺技」
「必殺技……」
パニカさんが私の服の裾を掴みながら言う。神妙な顔をしたパニカさんの体が、周囲の空気と共にピリピリと発電し始めた。私の知らない、パニカさんの必殺技。
「必殺技であると共に、得意技でもあるのよ」
「パニカさん!?それは……!!!」
「……いいのよシアちゃん。全部、一瞬だから」
パニカさんの体が発光を始める。パニカさんは自爆魔法を使うつもりだ。ウルフを自爆に巻き込んで倒すつもりだろう。そんな事は見過ごせない。それに。
「……あの、パニカさん。なんで、私の服に掴まってるんです?」
「ん?あたしひとりじゃ寂しいじゃない」
「必殺って!私も必殺されるじゃないですか!!!!」
「死に戻りってやつよ。ついでに奴らに一石を投じるわ」
「一矢報いる、ですよ!!!!」
この言い合いが合図になったのか、周囲のウルフが一斉に飛びかかってきた。このままじゃ、ウルフよりも先にパニカさんに殺される。痺れる感触を気合で無視して、パニカさんを担ぎ上げた。突貫。もはや方法はそれしかない。
私の能力は謎だらけだけど、念じれば何かが出るのだ。正面のウルフの気を散らすために力を発動させた。次の瞬間視界が赤に染まる。ズン、と鈍い音がして、それなりの大きさの赤い物体が正面のウルフを押しつぶした。
「今度はポストなの……」
パニカさんの疲れたような声が聞こえたが、私は無視して走り出した。召喚されたゴムボールをぶつけられたウルフが立ち止まり、通り過ぎざま切り付ける。
三角定規、自転車のタイヤ、鳥籠、プリン。規則性の無いものが次々と宙を舞う。驚いてくれればこちらのものだ。なんせ私達も驚いてる。ギョッとしたウルフの隙間を縫うように走り抜け、なんとか包囲網を抜けた。
後方で何か色んなものが落ちる音が聞こえるが、私に振り返る余裕はない。もうすでにこの場所が何処なのか分からないが、入り口か出口、もしくはセーフエリアに逃げ込めれば私達の勝ちだ。ウルフの鳴き声から逃げるように、パニカさんを抱えたままひた走る。
「シア!!だめ!止まって!!」
パニカさんが急に叫び、その声に驚きながらも走る速度をゆるめた。ゴンッ、と鈍い音。速度をゆるめていた私は、夜空に顔をぶつけた。何もない荒野に見えない壁があるようだった。
「よく見てシア!ここ迷宮の端っこよ!!」
顔を押さえているパニカさんが言う。抱えられたパニカさんも私と同じくぶつけたらしい。私も額を押さえてよく観察してみれば、透明なガラスの壁が広い夜空を覆っている。角度の違う二面が見えるあたり、迷宮の四隅のどこかだと察した。それに気付いたと同時に顔が青ざめる。後方のウルフはやがてここに辿り着く。もはや逃げ場がない。
「ごめんね、シア。あたしが普通に魔法が使えたら」
パニカさんがぽつりと言う。
「……私こそ。もっとちゃんと戦えたら」
私もぽつりと言う。ここは迷宮の2階層。序盤も序盤の初心者用ステージ。普通の探索者はもっと先へと進んでいる。話によれば既に10階層に到達してる人たちもいる。きっとウルフなんかよりもっと恐ろしい魔物を沢山倒しているだろう。その人達にとっては、大型犬くらいの大きさのウルフなど、雑魚敵に等しい存在だと思う。
「悔しいわ」
パニカさんの短い言葉に、私は内心同意した。言葉では返しづらかったので、ただ頷く。昔から人に流されやすい私は、なんとなくな流れで戦う事を選んだ節がある。ブラックな職場で己を殺して頑張ってきたのだ、我慢すればどんな風にでも生きていける、ような気がする。人が怖いから気配を殺して、ひっそりとして安定した生活。
でも、そんな私に「せっかくだから」とパニカさんは言う。せっかくの異世界なのだから。せっかくのチャンスなんだから、と。チュートリアル後は俺TUEEEしながら異世界を見て回りたいのだと、目をキラキラさせながらよく私に話す。私には理解できないパニカ語を話すときもあるけれど、それでも心底異世界生活を楽しみにしているのは分かる。
ウルフの群れがどんどん距離を詰めてくる。水晶短剣をウルフのいる方向に掲げて、集中する。光と共に現れた無数のビー玉が飛んでいく。ブリキのおもちゃが地に落ちて、七色の紙飛行機が宙を舞う。
ビックリ箱みたいな効果を生み出すが、危機の脱出には繋がらない。それでも、何度も何度もヘンテコなものを呼び出し続ける。
悔しかったのだ。奥歯をかみしめるくらいに。ろくに戦えない自分が、努力の実らない自分が、他の転移者達に置いていかれるような気がして。転移前の私なら全然気にしなかったような事なのに、体の変化は心まで変えていくものらしい。もしくは、ずっと押し殺していて自覚しなかった、私の負けず嫌いな部分なのかもしれない。地に降りていたパニカさんは私を心配げな目で見ていた。
ボンッ、と土煙が上がった。私達を守るかのように、有刺鉄線の絡み付いたフェンスが地面から現れた。少しだけ状況が良い方に変わったと思う。
私達転移者は、3年間のチュートリアルが終わると全員別々の異世界に転移する。私の毎日を明るいものに変えてくれたパニカさんとも、いずれ別れの時がくる。涙腺全開の私は想像しただけで目が潤むけれど、しかたない事なのだと思う。だからこそ、3年間はパニカさんと一緒に楽しく生きたいのだ。迷宮を突き進んで、魔物を吹き飛ばして、パニカさんの夢を手伝いたい。
ガシャガシャとフェンスに押し寄せるウルフが不快な音を鳴らす。フェンスの隙間から短剣を刺せばいずれ全滅させられるかもしれない。けれど、そんなせこっちい事をする気分じゃなかった。このくらいの事は乗り越えないと、いずれ何処かで破綻する。私は必死で固有スキルに祈った。短剣に願った。
ドンッ、と重い音と共に、何か大きなものが降ってきた。茫然と立ち尽くした私達を無視するかのように、断続的に大きなものが降り続ける。巨大な雨が降り注ぎ、辺りを土煙が吹き荒れた。怖がったパニカさんが引っ付いてきて、怖がった私もパニカさんに抱き着いた。
やがてその雨が降りやんで、ゆっくりと土煙が晴れていく。
「ピヨ」
土煙から晴れた場所には、全長1メートルくらいのヒヨコのぬいぐるみが立っていた。その黄色くて丸いふわふわは、嬉しそうに体を揺らしながらピヨピヨ鳴く。20匹くらいだろうか。まんまるでかわいい。
「ひ、ひよこ!?何で!?もうシア何なの!?」
パニカさんに何故かキレられたが、私だって訳が分からない。降り注いだ無数のヒヨコたちは、虚空から重火器を召喚して一斉にウルフを撃ち始めた。ファンシーな生き物が現代兵器って。まるで理解の追いつかない状況に、私の思考は完全に停止した。
拳銃。ライフル。マシンガン。スナイパーライフルを撃ってるのもいる。距離が近いせいか使いづらかったらしく、ウルフの口内に突き刺してから発砲してる。暴発しないのだろうか、なんにせよえぐい。
フェンス越しに一方的な虐殺。ついでに言えば完全に世界観無視。ウルフの体がミンチになるまで執拗に射撃を続け、辺りに霧状の血潮が舞っている。挙句に手榴弾である。オーバーキル甚だしい。そんな惨状なのに、ヒヨコたちは一様にピヨピヨ鳴いて楽しげであった。パニカさんが泣きながら何かを訴えるが、銃撃音がうるさくて何も聞こえない。血と硝煙とミンチになった何かが辺りを地獄へと変えた。パニカさんは青い顔で震えて泣いた。私も同じ顔だろうと思う。
もうとっくにウルフは全滅してるのだ。それなのにヒヨコたちは肉片1つ許さない。ピヨピヨピヨピヨ撃ちつづける。無邪気な様子で行われる蹂躙劇。ヒヨコこわい。かわいい姿なのが余計にこわい。私とパニカさんはただただ震えて泣いた。
私の前に一列に並んだヒヨコたちが、ねだるように「ピヨ」と鳴く。こすり付けられたふわふわの頭を撫でると、満足げに「ピヨ」と鳴いて消えていく。全員褒められたいらしい。微笑ましくてかわいい。私は先ほどの蹂躙劇は記憶の奥底に封じ、私の固有スキルから出てきたと思われるヒヨコたちをせっせと撫でた。
「え!?なんでパニカさんも並んでるんですか!?」
「ん?何でって、あたしも頑張ったじゃない」
仕方なく女児も撫でる。すると満足げに「ぴよ」と鳴いて、魔石を拾いに行った。先ほどまでヒヨコが怖くてぴいぴい泣いていたのに、すっかり元気を取り戻した様子。ヒヨコたちは全員満足げに消えていき、そこでやっと肩の力を抜いた。固有スキルを使いまくった影響か、体がだるくて少し眠い。
へなへなと地面に座って、青い月を見上げた。ウルフの群れは怖かったし、ヒヨコも怖かった。でも、成し遂げたのだ。生き残った。完全勝利である。そうして夜空を仰いでサボっていたら、魔石拾いしてるパニカさんに叱られた。疲れたので聞こえないふりをしていたら、女児が全力で飛びかかってきた。動く気の無かった私は素直に潰されて、仰向けに倒れる。視界いっぱいに満天の星空が瞬いている。疲労で動けないまま綺麗な景色を眺めて、私は満足げに「ぴよ」と鳴く。