崩滅の夜のスナイパニカ
「……全てが刹那に消え去った。霞の如く。夢の如く。この星も泣いているのでしょうね」
因果なものね、と彼女は笑う。月に照らされた彼女の横顔はどこか儚く見えた。私が彼女に言えることなんて本当の意味では何もない。けれど私はここにいる。なにかほんの少しでも言えることはないのだろうか。
「これは偶発的なものです。貴女の手は、まだ汚れてはいない」
私の言葉を聞いて、彼女は月に手をかざした。青い月は彼女の白い肌を増々青白く映す。
「既に九つ。九つの世界が死んでいった。わたしの力は、いつだってわたしを孤独にする」
「それでも、その滅びの中にも芽吹くものがきっとある。何故なら、私はここにいます」
一陣の風が吹いて、彼女の長い黒髪がふわっとたなびいた。滅びた世界の風は、濃い土の匂いがして少し埃っぽい。彼女は目を見開いて私を見た後、柔らかく笑った。何処までも広がる荒野が青い月に照らされて、まるで深海にいるような気持ちになった。そんな場所にいるせいか、彼女の立ち姿が微かに揺らめいて見える。
蒼月を仰ぐ彼女が、細い声で歌う。グリーンスリーヴス。歌詞は知らないけれど、旋律は知っている曲だった。その歌はすっかり見晴らしの良くなってしまったこの場所に広がる。死んだ世界を悼むように。新たな生誕を願うように。
私もハミングで彼女と共に歌う。やわらかい風が歌を夜空に運んでいった。伝えたいのだ、彼女は決して孤独ではないと。そもそも彼女は私の為に世界を滅ぼしたのだ。隣で歌う彼女は私に気付き、ほんの少しだけ距離を詰めた。私達は月を仰ぎ見たまま、世界へのはなむけの歌を歌う。
「……やはり貴女だったか」
聞き覚えのない誰かの声が聞こえた。いつの間にか幾つもの影が私達を囲む。ぴんと張りつめた空気。
「来たのね、神の使徒。また次元の狭間に押し込めるつもり?あの暗闇へ。あの揺り籠へ」
神の使徒、と呼ばれた黒い集団から、背の低い女の子らしき影が私達に近づいた。
「よ、よく分からんが『崩滅』殿。大人しく我々に着いて来てもらおうか。青の森で訓練中だったロイヤルガードが謎の黒炎に巻かれて教会送りになった。その件について、生徒会事務所で話が聞きたい」
「ふふふ、魔女裁判が始まるのね。なんだか懐かしいわ。高らかに囀ってあげましょう、カナリアみたいに。わたしの視た世界の全てを。崩滅の魔女の最後の歌を」
「……誰か通訳!この中に通訳はいないか!?」
くノ一の格好をした座敷童、といった見た目の女の子がパンドラさんに詰め寄っている。その周囲の人達も、みな一様に忍者の格好をしていた。生徒会下部組織の『シノ部』は忍者の部活だと聞いた事がある。話通り、全員にんにんしている。忍者に囲まれるゴスロリがシュールで堪らない。事情を知る私はパンドラさんを庇うために前に出たが、それはパンドラさんの手によって遮られた。
「心配しないで記憶喪失。これは那由多の刻の中で繰り返してきた贖罪なの。きっとわたしは、幾つもの世界が終わる頃まで封印される。でもわたしには、貴女との思い出がある。救いがある」
「私は、私は全てを知っています。己を知らぬ全知全能、それが私です。きっと力になれるはず。それでも、ですか?」
「ええ。きっとまた会えるわ。時の狭間の最果てで。終わりの始まるあの場所で」
滲む視界の先でパンドラさんがやさしく笑っていた。
「な、何で中二患者が増えてるんだ!?それに封印も何も、生徒会での奉仕活動くらいだぞ!ちょ、『崩滅』殿!」
「部長、今は決して邪魔をしてはならぬぞ。この物語の終幕には静寂が相応しい」
「部長うるさい。星々が息をひそめて見てるから」
「な!?貴様らまで患ってどうする!!!!!」
私の頭を幾度か撫でたパンドラさんは、贖罪をするために颯爽と出口へ歩き出した。状況に感じ入っていたシノ部の人達は立ち尽くしたまま茫然としている。ある程度シノ部の面々と距離を取ったパンドラさんは、唐突に猛ダッシュした。逃亡である。ハッと我に返った忍者たちが慌てて後を追った。
嵐のような一幕が終わり、そこでやっとパニカさんが近づいて来た。今まで大人しく体育座りして、ずっと私とパンドラさんの中二世界をキラッキラした目で見ていたのだ。その有様はお遊戯会を眺める園児のようであった。
「いやー、あれが最強と名高い『崩滅』なのね!一撃で森が無くなったもの!さすがだわ!!シアがそんな人と知り合いなのも意外よ!で?シアって本名アムネシアって言うの?記憶喪失?ぷふっ!カッコいいー!」
女児がノリノリで詰め寄ってくる。その笑顔、ほっぺつねって曇らせたい。
「ねぇ、なんで中二っぽくなったの?ねぇなんで?患ってるの?『崩滅』は中二で有名だけど、ご同輩なの?ねぇねぇ」
私は俯いたまま歩き出した。通称『青の森』と呼ばれる迷宮2階層は、すっかり青の荒野といった惨状になっていた。おかげで随分歩きやすい。暫くの間ニヤニヤ笑うパニカさんの口撃に晒され続けた。
パニカさんが新しい戦闘方法を手に入れた。酔ったレンジさんに妹詐欺を働いて、リボルバー型魔法銃を手に入れたのだ。シリンダーの魔石に魔力をチャージして雷の弾丸を放つ遠距離武器。必要なのは属性を持った魔力と射撃の腕だけで、トリガーを引けば簡単に魔法弾が撃てるのだ。魔法銃の中では一番安くて殺傷力は低いが、未だに魔法がうまく発動しないパニカさんにはうってつけの武器であった。そんなこんなで調子に乗ったパニカさんに連れられて迷宮攻略へと乗り出したのである。
未だウルフに阻まれて進めなかった2階層。緊張しながら歩く私達の前に、とても中二っぽく崩滅の魔女さんが登場した。海辺での一件以来会っていなかったが、相変わらずの中二節で私を巻き込んだ。中二台詞をなんとか脳内変換して知ったが、パンドラさんは中二っぽい青の森がお気に入りで散歩中らしい。私達が攻略中だと知ると、おもむろに掌から黒い炎を出して「道を作ってあげる」と言う。黒い炎を放った瞬間、「あっ」とパンドラさんが声を上げた。その理由は次の瞬間目にする羽目になる。
瞬く間に森が塵になっていった。黒炎が2階層の広範囲に広がり、草木の一片も残らず消滅していく。時折、黒の世界から獣や人の断末魔が聞こえていた。道どころか、視界を遮るものが全て消え失せた。きっとここまでやるつもりは無かったのだろう。しょんぼりと肩を落とすパンドラさんを慰めるため、私は中二を装っての寸劇と相成ったのである。
青の荒野をパニカさんとふたりで歩く。パンドラさんの事故により滅ぼされた2階層には、もはや生命の気配はなかった。時折逃げ延びた光虫がふわふわと夜空を漂うばかり。全方位なにもないこの場所では、迷宮前で売っていたマップとコンパスだけが頼りだ。本来は一泊二日の道のりだけど、大分時間の短縮にはなるはず。
「でも凄かったわねー『崩滅』の魔法!あれも固有スキルらしいし、あたしもあんな凄いの手に入れたいわ!」
黒の魔女っ娘ガンナーが鼻息を荒くする。たしかにパンドラさんは凄かった。瞬く間に全てを滅ぼした黒炎。焼くというより、感染して塵にする、といった様子だった。沢山の魔物を倒したはずだが不思議と魔石などは落ちていない。そういうデメリットなのだろうか。ついでに運悪く教会送りになった被害者にはご冥福をお祈りするばかりである。
「……シア!!!!」
パニカさんが小さく叫び、気が逸れていた私は慌てて周囲を見回す。【索敵】の範囲外からこちらに走ってくる一匹のウルフが見えた。先に気付いたパニカさんはすでに銃を構えていて、私は射線に入らないよう気をつけながら前に出た。
短剣を呼び出してウルフとの距離が近づくのを待つ。今日からパニカさんが銃を使うので、どのタイミングで飛び出せばいいか逡巡する。たしかあの魔法銃は6発が限度だ。再び魔力を込めるのには大した時間はかからないが、それでも戦闘中というのは難しいだろうと思う。
パンッ、と発砲音が一発。一瞬黄色い魔法弾が見えて、ウルフの後方に着弾した。小さく地面がえぐれて、なかなかの威力を物語る。パパンッと連射音が響き、ウルフの体が光を放ちながら帯電して地に崩れ落ちた。
油断なく【索敵】で倒れるウルフの気配を窺うと、徐々に気配が小さくなって消えた。パニカさん、完全勝利である。ふとご本人の様子を窺うと、全開のドヤ顔で銃口にフッと息を吹きかけていた。一度怖い目に合されたウルフに復讐を遂げたのである。そのドヤ顔も仕方ない。
「あたしはパニカ……。『魔弾』のパニカよ?全ての障害を撃ち抜くわ」
何か決め台詞っぽいのを呟いているが、無視してウルフの魔石と毛皮をバッグに仕舞う。迷宮内では石版が呼び出せないので、ちゃんと持って帰らないといけないのだ。
「それより、なんでウルフがいたんでしょうか。全滅したとばかりに……」
「多分新しくポップしたのよ。迷宮内のギミックとかは1週間くらいで元に戻るみたいだけど、魔物はもっと早いの」
ポップ。たぶん生まれるという事だろう。私は見晴らしのいい2階層を見回して渋顔を作った。このままでは新しく魔物が生まれる度に私達は見つかるのではなかろうか。次の転移陣のある方角をまっすぐ歩いているせいで、セーフエリアの場所は分からない。
「見晴らしがいいのも考えものですね」
「大丈夫よ!このスナイパニカの実力をもってすれば一瞬でウルフなんか蹴散らしたるわ!!」
ますます増長している。なんだその造語は。不安が増してきて【索敵】に集中した。障害物の無い場所ではたいした意味は無いが、それでも気が紛れる。歩幅の小さいパニカさんに合わせて、少しだけゆっくりと歩く。パニカさんはうろちょろと徘徊しては、何か木の実みたいなものを自分のリュックに入れていた。非常食だろうか。月明かりを頼りに、私達は北へ北へと歩みを進めた。
地面に腰を降ろして携帯食料を齧る。肌寒いけれど焚火は無し。セーフエリアではないので、魔物を呼び寄せるような行動はできないのだ。ゆえに匂いの出るようなものも食べられない。寒がったパニカさんは私にもたれかかるように引っ付いていて、その場所でかりかりと携帯食料を齧る。天然カイロみたいで私も温まる。
「大体の方角に来たけど、大丈夫よね?迷子になってないわよね?」
「大丈夫ですよ。迷子は迷子でいいところもあるんですから」
「全然大丈夫じゃないじゃない!何で迷子をフォローしてるの!」
やいやい言うパニカさんの頭を撫でる。あれから幾度かウルフに狙われたが、そのほとんどがパニカさんの凶弾に倒れた。パニカさん大活躍である。一方私は1匹だけ倒した。たまたま銃撃を避けきって至近距離に来てしまったウルフを、私が華麗に一閃したのだ。いや、わりとギリギリだった。携帯食料を食べ終えた私は、おもむろに水晶短剣を呼び出した。青白く光っているせいか、ほんの微かに辺りが明るくなる。
パンドラさんの固有スキルを見てしまった今、自分の固有スキルだと思われるこの短剣がとたんにしょぼく感じてしまう。欠けたりしたことは無いけど、切れ味はいたって普通と言わざるを得ない。服と同じでごく平凡。魔法の才も無い私は、もはや自他ともに認めるへっぽこ。戦うのはやっぱり間違いなのだろうか。安全な街でウエイトレスでもしてるべきなのだろうか。
「い、いらっしゃいませ……」
「え!?あたし今どこに来店したの!?」
パニカさんの頭を撫でて落ち着かせる。撫でると静かになる習性なのだ。パニカさん情報によれば、固有スキルが発現した人は自分の固有スキルがどんなものなのか漠然と分かるものらしい。発現してもチェッカーには表示されない、理を無視した不思議な力。一度予知夢に近いものを見ているし、やはり私は【夢】の力なのだろうか。だとしたら服と短剣がいまいち結びつかない。そもそもこの短剣はなんなのか。やけに綺麗で光ってるわりに何の効果も無い。実はレーザーが出ます、とかならうれしい。
「ドリーミングレーザーーー」
「へぅ!?さっきからどうしたのよシア!大丈夫!?疲れたの!?お姉ちゃんになんでも相談して!!」
だれがお姉ちゃんか。携帯食料をぼろぼろこぼしながら齧るパニカさんにお姉ちゃん要素は微塵も無い。当然ながら短剣からレーザーが出たりはしない。あたりまえの話である。ひとつ溜め息をついて、またパニカさんの頭でも撫でようと思ったが、思わず私の手が止まった。
パニカさんの頭に、ホットケーキが乗っかっている。
まだ溶けきっていないバターが乗った、ほかほかのホットケーキ。お皿などは無く、直にパニカさんの頭上に鎮座している。
「何でですか!!!!!!!」
「ふひゃあ!!??」
思わぬ事態に混乱した私は叫んだ。驚いたパニカさんはビクッと体を震わせたが、頭上のホットケーキは絶妙なバランスで居座っている。
「ぱ、パニカさん!!!」
「ひゃい!!??」
「あの、頭、頭がおかしいです!!!」
「え!?シアの!?今日は凄くおかしいわ!!」
言葉というのは難しい。パニカさんのほっぺを縦横無尽に引っ張りたくなったが、今はそれどころではないのだ。なぜならホットケーキだ。
「頭に、パニカさんの頭に、ホットケーキがいます」
私はしっかりと状況説明をした。パニカさんは後ろ向きで私を背もたれにしているため表情が分からないが、鼻で笑ったのは聞こえた。
「いくらなんでも騙されないわよ。そんなへんてこな嘘。さっきからあたしを撫でてくる手と同じ感触よ?つめが甘いわね」
いえ、ホットケーキです。なんだか甘い匂いが漂ってきた。
「唐突に出てきたんですよ!ホットケーキ!パニカさんの頭に!」
「はいはい。分かったわシアちゃん。おいしくおあがり?まぁシアちゃんの手だろうけどね」
「え!?食べろって事ですか?このホットケーキ……」
全然信じてくれなくてかなしい。言われた通り齧ってみると、ほの甘くてとても美味しい。レストランのホットケーキといった感じ。その間も、私の手が乗っていると勘違いしたままのパニカさんがなんだか憎らしくて、ホットケーキの両端をつまんでパニカさんの眼前に移動させた。すると打って変わってパニカさんは黙って固まった。
「何でよ!!!!!!!!!!!」
パニカさんがキレた。
「何でホットケーキが乗ってんのよ!!何よコレ何よコレ!!」
「私に聞かれても分かりませんよ!!それ美味しいです!!」
「……ほ、本当だ!!美味しいのが逆に腹立つ!!何コレ!!」
私達は理解の限度を超えて、ぎゃあぎゃあ言い合いをした。ホットケーキに舌鼓を打ちながらもぎゃあぎゃあ言う。私がバッグからホットケーキを出して乗っけたんじゃないかとパニカさんが疑い、ムッときた私は『頭からホットケーキが生える固有スキル』じゃないかとパニカさんに言った。パニカさんは無言でぽかぽか殴ってきて、私もほっぺたをこねくり回して応戦した。双方涙目。ホットケーキ1枚で私達の友好関係に亀裂が入った。異世界に来て、今一番のピンチである。