塩味ベーコンエッグ
異世界転移、という出来事は文字通り私の世界を変えた。強制的に海外ツアーに参加されられたようなものだろうか、たまに怖い事もあるけれど毎日驚きと発見に満ちている。私の世界を変えて、ついでに私の身体も変えた。元々何事にも興味が薄く、無表情無感動だったはずの私は、体が変わったせいかずいぶん感情豊かになったように思う。ほぼ毎日何かしらの理由で泣いてる。時々本当にこれは私なのだろうかと鏡を見て訝しむが、鏡の中の少女は私と全く同じ動作を取るので、とりあえずの所は渋々納得した。
一番変わったのは人付き合いだろう。パニカさんに懐かれて以降、一人で過ごす時間が時々落ち着かない。賑々しさの権化たるパニカさんがいなくなると、フッと私の周囲から一切の音が消える。独りだった時間が長すぎたせいか、随分と依存してしまっているように思う。よくないな、と思うと同時に、じゃあどうしたら、という考えが足りない頭を駆け巡る。結局の所、私はまだまだ人付き合いという点で経験が足りないのだろう。だからだろうか、今私の目の前で繰り広げられている光景がいまいち納得できない。
「え!?じゃあ何、あたしは間違ってたって言うの!?【魔導】って【魔力操作】の上位互換じゃないの!?」
「スキ研の発表だから間違いは無ぇだろ。その辺にあるんじゃねぇのか?お前の自爆魔法の原因」
「完全に盲点だったわ。脳筋剣士のくせして新情報には目ざとわねチンピラ。お礼にアサリの殻をあげるわ。綺麗な奴よ」
「おう。ありがとよちんちくりん。お返しにテメェには枝豆の殻をプレゼントしてやる。それでネックレスでも作るといい」
パニカさんとレンジさんが庭のガーデンテーブルで仲良くお酒飲んでる。夜の帳が落ちて星が瞬いているけれど、オレンジ色の街灯がすぐ近くにあるので明かりには困らない。レンジさんは褒められる事に弱いのか、パニカさんがおべっかを言うたびに何だかんだ言いながら石版通販でお酒を買ってあげている。ぺらぺらとパニカさんの口車は今日も絶好調に回る。私はこの状況に首を傾げながらも、キッチンで用意した料理をテーブルに並べた。
事の発端は1時間ほど前の事。自宅で1人夕飯を作っているタイミングでパニカさんが訪ねてきた。いつも行動を共にするのは夕方までなので、疑問に思いながら玄関を開けるとパニカさんがギャン泣きしていた。私に泣きついてきたパニカさんの頭には小さなこぶが出来ている。何だ何だと目を白黒させていると、パニカさんの後を追うようにレンジさんが現れた。
提灯通りでパニカさんの罠にかかったレンジさんは、迫りくる男共を全員素手で殴り倒してその場を脱し、見事元凶たるパニカさんを捕まえた。そして、げんこつである。これぞ復讐の連鎖。悪い子にはげんこつというのがお約束。撃たれ弱いパニカさんはその時点でマジ泣きして、私の元に泣きついて来たのだ。説教から逃げ出したパニカさんを追ってきたレンジさんも私の家に辿り着き、暫しの間玄関でぎゃあぎゃあと罵り合いを始めた。めんどくさくなった私は居間でポトフを食べていたが、いつの間にか入り込んでいたパニカさんも食べていて、何故かパニカさんに誘われたレンジさんも食べていた。仲良しか。
女の家にいるのは気まずい、と言うレンジさんの発言の元、我が家の庭のガーデンテーブルに場を移して酒宴と相成った。何故だ。昼間あれほど険悪だったのに今は二人ともケロッとしている。人付き合いとは複雑怪奇なものなのだな、と小さく嘆息する。考えるのもめんどくさくなって、私はお気に入りのカップにゆず酒を注いだ。
「酒なんてやめとけ。それはまだお前には早い。お前用にほら、みかんのジュースを出したからコレ飲んどけ」
日本酒に似た何かを嗜んでいる魔王陛下に言われた。
「シア、だめよお酒なんて。まだ子供なんだから」
エールをラッパ飲みしている女児に言われた。解せない。どうなってるんだ。そもそも見た目七歳児のパニカさんがお酒を飲んで大丈夫なのか。見慣れた光景なのかレンジさんはまったく頓着していない。何故私だけ注意される。不服な表情を隠せないまま、私は大人しくみかんジュースを啜った。
「つかシア、チビガキにたかられてねぇか?あんまホイホイ餌やりすると骨の髄までしゃぶられるぞ」
「失礼ね!確かにご飯もらってるけど、あたしだってちゃんとシアの役に立ってるわよ!ウィンウィンよ!えっと、たとえばその、あれよ!」
特に思い浮かばなったらしいパニカさんは、玉子焼きをフォークに刺したまま右往左往している。踊りのように見えてかわいい。そんな女児の様子を胡乱な目で見ていたレンジさんが私に目を移す。
「……ちゃんとポイント稼げてんのか?正直戦えるようには見えねぇし。生産系ってわけでもねぇんだろ?」
「た、戦えますよ。ぜんぜん平気です。まだ10万ポイントくらいは残ってますし。ええ」
「カツカツじゃねぇか。チビガキ飼育してる場合じゃねぇだろ。まぁ戦えんなら稼げばいいだけの話か」
「何言ってんのシア。このあいだスライムに負けたじゃない」
「違います!あれは転んだ先にスライムがいただけです!」
まじか、とぽつりと漏らしたレンジさんが憐憫の籠った目で見てくる。
「私は!私は既に固有スキルが使えるんですよ!ほら!」
立ち上がった私は夜空に手を広げ、青白く光る水晶短剣を呼び出した。その場で数回ほど宙を切り光の粒子をまき散らす。正直今の私はカッコいい。
「短剣を出す固有スキルって……。買えばよくね?」
「空気読んでよチンピラ。貴重なドヤ顔シアなのよ?思ってても言わないのが大人だわ」
私は短剣をことりとテーブルにおいて、顔を覆った。散々な言い草である。そんな私の背中をパニカさんが撫で擦ってくるがパニカさんの言葉も深く刺さった。やいやいフォローの言葉が聞こえるがもう遅い。
「……パニカさんだって、固有スキル【ちんちくりん】じゃないですか」
ふて腐れた私はぽつりと呟き、それを聞いたレンジさんが酒を噴いた。パニカさんは口をわなわなさせた後ほっぺをつねってきた。
「いふぁい!?いふぁふぁふぁ!!」
「言うようになったじゃないのシア!悪い子はこうよ!大体それ言ったらそこのチンピラなんて【混沌の顔】じゃないの!人外の顔になるよりま……みーー!!」
「ンだとコラちんちく虫が!!!そんなに言うなら俺の顔が見えねぇようにしたろうかアァ!?」
私のほっぺを引っ張るパニカさんはレンジさんのアイアンクローをくらっている。なんだこれ。変な状況になってしまった。私もパニカさんも痛い思いをしてるのに、レンジさんだけ攻撃を受けていないのがなんだかバランスが悪い。
「痛ぇ!は、はぁー!?何でお前が脇腹つねってくんだよド天然!!!」
「ばふぁんふがわうぅぃのふぇ!」
「みーーーーーーーー!!!!!」
暫しの間、奇妙な三竦みを作ってやいのやいの騒いだ。その後、みんな冷静になったのか誰ともなく手を放し、静かにそれぞれの席に戻った。パニカさんがジト目で見てくる。私もジト目で応戦した。レンジさんも世界を滅ぼし終えて荒涼感に苛まれた魔王みたいな半目で私達を見る。和やかだった空気が霞の如く消え去った。もう、あの日は決して戻らない。
私はカップにゆず酒をとくとくと注いで、一気飲みをかました。なんせ私はふて腐れているのだ。ふたりはあっと目を見開いたが何も言わなかった。おもむろにパニカさんもコップに注いだエールを一気飲みして、私をドヤ顔で見る。自分の方が大人だと、お姉さんだという無言の主張。私も負けじと2杯目を呷った。
淡々と飲み比べの勝負を続ける私達を、困惑した表情のレンジさんが見守る。数杯飲み比べをした後に、パニカさんがおもむろに空のお皿を私の方へ押し出してきた。
「手札から空のお皿を二枚、攻撃表示で召喚よ」
おかわりの催促である。
「トラップカード発動です。『セルフサービス』この罠を受けた者は自らの足でキッチンに行き、料理を作ってこなければなりません」
ぐぬぬ、とパニカさんが唸る。今度は何を思ったのか、アサリのバター蒸しの残骸であるアサリの殻を数個渡してきた。
「ここに7アサリーあるわ!これは破格の依頼料よ!」
「……せめて10アサリーは無いと話になりません。冒険者だって、命が賭かっているんです」
「そんな!毎日働いてやっと貯まったアサリーなのに!!」
「いきなり何が始まったんだコレ!?早くも酔ってんか!?」
女児の要求を素気無く断る。なんせ今の私はふて腐れているのだ。
「このままじゃパニカ村が!パニカ村がぺこぺこモンスターに壊滅させられてしまうの!!!」
「ですが……」
パニカさんは小さな体を微振動させて涙ながらに語る。
「私達冒険者ギルドも心苦しいですが、たった7アサリーじゃ安いワインくらいしか買えません。しかもぺこぺこモンスターは強敵です」
「でも!あたしは知ってるもん!このギルドには最強のSランク冒険者がいるって聞いたもん!!」
何故かパニカさんがチラッとレンジさんを見た。
「困ってる人は見過ごせない英雄みたいな!そんな最高にカッコいいSランク冒険者がいるって聞いたもん!クールなイケメンって聞いたもん!!」
「確かに、どこかには居るかもしれませんね……。普段はぼんやりとお酒を飲んでいるけれど、いざとなったら誰よりも活躍する。そんなヒーローみたいな人が」
私達がしみじみと天を仰いでいると、レンジさんがフッと薄く笑いながら立ち上がった。
「え!?レンジさん、まさか!!」
「クールなイケメン!!もしかしてこの人が!?」
「……ん?何を言ってんだ?俺はしがないDランク冒険者だぜ?」
さり気無く空のお皿を持ったレンジさんが私の家の方向に数歩歩き、立ち止まった。
「ついでに聞くが、そのパニカ村ってのはこの先か?」
「う、うん!その、ありがとう!!!」
「……勘違いしちゃいけねぇぜチビ助。俺はただ、散歩に行くだけだ」
そう言いながらも彼はきっとパニカ村を救うつもりだろう。飄々とした態度だが、大地を踏むその足に一切の余裕は無い。激戦を予感しているのだ。ぺこぺこモンスターは決して楽な相手ではない。それでも私は思う。きっと彼なら村を救ってくれる。そして、何事も無かったかのように飄々と帰ってくるのだ。
「ありがとう……。Sランク冒険者、チン・ピラー……」
やがて私の家に入っていったレンジさんを、パニカさんはずっと見送っていた。小さな背中を震わせながら、いつまでも、いつまでも。
「……つか何で俺が料理する羽目になってんだ!!!!!!!!!」
家から怒号が響いた。ノリツッコミのキレが良い。
ぴーちょんぴーちょんぴぴぴぴぴ、という間の抜けた丸鳥の鳴き声で目が覚めた。まん丸で緑色の姿をしているその鳥は、よく庭の木に止まっている。窓からは柔らかい朝の陽射し。大きな欠伸をひとつ。
ベッドから起き上がろうとして、妙な感触に気付く。小さなお姫様が私に抱き着いて眠っていた。パニカさんである。何故かピンク色でひらひらのドレスを纏っている。ふと見れば、枕元には銀色のティアラが鎮座していた。パニカさんが何故そんな恰好で一緒に寝ているのかさっぱり記憶にない。ついでに言えば昨晩の記憶が無い。首を傾げながらパニカさんを揺さぶる。
「……ん。おはようなのだ」
「なんですかその語尾は。おはようございます、パニカさん」
起き上がった姫様は目をこすりながらトコトコ部屋を出ていった。顔を洗いに行ったのだろう。色々聞きたい事はあったが、とりあえず私も顔を洗いに行く。
キッチンは散々たる有様だった。酒瓶や食材の欠片などが散乱していて、空き巣被害にあったような惨状である。置きっぱなしにしていたマジックバッグの中はほぼ空っぽ。パニカさんがちょこちょこ掃除をしてくれている所を見ると、昨晩の宴会の名残であると察した。一通り片づけた後、かろうじて残っていた食材で朝食を作る。パンとベーコンエッグ。姫様は掃除をしてくれるけど料理は手伝ってくれない。なぜだ。
「シア、あれも呼ぶ?」
パニカさんが窓の外を指しながら言う。あれとは何か分からず、私も庭先を窺った。割と広めの我がお庭には何故かブランコが設置されていて、そこに顔を覆ったレンジさんが座っていた。どうやら泣いているようで小さく震えている。ふたつあるブランコのもう片方には、巨大なうさぎのぬいぐるみが鎮座している。意味が分からない。シュールすぎる。
「あの、何ですか?あれ」
「ん?チンピラとウサ丸じゃない。どうしたのよシア」
どうしたのはこっちの台詞である。姫様は窓からレンジさんを呼び、それに気付いたレンジさんはぬいぐるみを持ってとぼとぼと歩いてきた。悲愴、としか言いようのない様子。食事時に聞こう、と決心し、慌てて追加のベーコンエッグを作った。
「……どうしてくれんだチビガキ……。俺もう、2千円しか残ってねぇぞ……」
「知らないわよ。あんたの自業自得と言う他無いわね。それにあたしなんか100円しか持ってないわ。十分じゃない」
レンジさんはさめざめ泣きながらパンを齧った。ダイニングテーブルの4席が埋まった和やかな食事。ウサ丸という名前のぬいぐるみもきちんと席に収まっている。
「あの、昨日何があったんですか?全然覚えてないんです。何故かパニカさんは姫ですし、ブランコも」
私の質問に姫様はニヤリと笑う。おもむろにスカートの中をごそごそして、銀色の小さな拳銃を出した。リボルバーのおもちゃみたいだが、姫様はその銃をいたくお気に入りの様子で頬擦りを始めた。それを見たレンジさんは顔を覆って震える。私は増々困惑を深めた。
「まさか、まさか返せって言わないわよねチンピラ!これはシアへの正当な報酬で、そんであたしが貰った物よ!男に二言があったとなっちゃあ切腹ものだわ!そうよね!?」
「ちくしょう……!!ちくしょうめ……!!!!」
「あははははは!!最高ね!この魔法銃80万もしたのに大丈夫なの?服も高価よね!昨日いくら使ったの?ねぇ、シスコン。今どんな気持ち?今どんな気持ち?」
パニカさんが姫ドレスと小銃を見せつけながらくるくる回る。何故か言い返さないレンジさんを不思議に思いながら、私はサラダをもしゃもしゃ食べた。
「何で泣くのよ。チンピラも良い思いしたじゃない。シアが『兄さん』って呼ぶたびに」
「テメェの入れ知恵じゃねぇかクソガキ!!!違ぇよ!!昨日のは全部冗談だ!!装ってただけだ!!!!」
「自分でリクエストしといて何が冗談よ。かわいい妹のためにほぼ全財産使い切ったんでしょ?漢ね!お兄ちゃんの鏡よ!!!」
「結局テメェのもんになってるじゃねぇか!!!またハメやがったなクソがぁぁぁぁ!!!」
レンジさんが顔を覆ったまま吼えた。今とんでもない情報を聞いてしまった。酔った私は妹になったらしい。そして色々ねだったらしい。つらい。多分パニカさんの策略なのだろうけど、記憶にはないが昨晩の自分の醜態がつらい。レンジさんも散々な目にあい、私も散々な思いだ。
ぎゃあぎゃあ言い合いを始めたふたりを無視してソファに座り、両手で顔を覆った。奇しくも先ほどまでのレンジさんと同じポーズである。言い合いをしながらパニカさんが寄ってきて、ふわふわのウサ丸を渡してきた。状況的にこれは私の物なのだろうと思う。私はウサ丸に顔をうずめて鼻を啜った。