リーナと救難艇
シンシア号は帰属地域に向けて進路を取りながら、低速で航行しておりました。
周囲に高質量天体も負物質も存在しない、低エネルギー区域に至ると、そこで慣性航行に移行し、救助を待つことにしました。
現状のままエリカを運用するのに、不安を抱いたためです。またいつエリカが非常停止するかわからない。船内環境維持が止まってもいいよう、救難艇を使えるようにしておくべきだとミハイルが主張しました。
リーナとマリアも反対することなく、またCPUの稼働が止められました。
救難艇のAIのみ取り外された後、自動で稼働するブラックボックス、環境維持のほかに、姿勢制御や生活保持のみに限定して、残った演算部で再起動されました。
救難艇の方は、メカニックであるジョナサンの代わりに、リーナが整備を行いました。救難艇はシンシア号のE5エリアの格納庫内にあり、大きさは月単位で50トンクラスです。
シンシア号と所属星との通信記録です。
…………
『つうしん、アクティブ……』
『こちらコード――、シンシア号。医師のミハイル・アドロフ。現在座標――にて、漂流中。救援求む』
『こちら――コントロール。シンシア号、了解した。到着までおよそ900時間がかかる。亜光速航行は可能か』
『不可能だ。だが、救難艇ならば最高で準光速まで出せる。移ることも視野に入れている』
『了解。通信はアクティブを保て』
…………
この時、乗組員のローテーションは二交代制で行われておりました。基本はリーナとミハイルが1人で任に就き、3回に1度、そこにマリアが加わって2人になりました。
シンシア号は操舵に2人の人員を推奨しておりますが、船が停止状態であったことと、マリアの精神状態が危ぶまれたことを考慮して、このような形がとられました。ただ、メカニックであるジョナサンの代わりに、リーナは救難艇の整備も行わなければならなかったので、超過勤務の状態にあったと記録には残っています。
船の航行停止から192時間が経過し、ブリッジにいたミハイルは異変に気づきました。交代要員であるはずのリーナがブリッジに来なかったのです。その後の対応は次の通りです。
…………
『エリカ。リーナはどこにいる』
『船内で確認できません』
『最後に反応があったのは』
『12時間前に格納庫で確認しました。その後、対象が救難艇に乗り込んだため、遮断されています』
『救難艇に繋いでくれ』
『救難艇に繋いでいます。……不可能です。救難艇のAIは現在作動しておりません』
『ならマリアの部屋に繋いでくれ』
『了解。D2に繋いでいます』
『――は、い』
『マリア、ミハイルだ。起きているか?』
『ああ、ミハイル……。どうしたんです?』
『リーナが来ないんだ。救難艇にいるはずだから見てきてくれないか』
『ああ……わかりました』
『頼む』
『ミハイル、救難艇には着きましたけど、扉が開きません。そちらで操作できますか?』
『エリカ』
『不可能です。手動操作を行ってください』
『わかりました。……、っ、は……。おかしい、ミハイル、手動でも開かないんです。正しい手順を踏んでいるはずなのに……』
『そんなはずは。ちょっと待ってくれ……』
『は、い』
『……格納庫からまわってみろ。エリカ、格納庫の扉を開けろ』
『不可能です。現在、格納庫内は強制排気中です』
『なんだと。どこからの操作だ』
『12時間前に操作盤E5からリクエストを受けました』
『ただちに空気を入れろ。……誰が操作したかわかるか』
『排気を中止、供給を確認。操作盤E5は緊急時の独立システムです。操作記録は残っておりません』
『強制排気……? リーナがテストでもしているんですか』
『どうかな……E5は中と外、両方に操作盤がある』
『……リーナからはまだ何も?』
『ああ。……マリア、こっちに来て俺と代わってくれ。急を要するかもしれない』
『了解です……』
『温度、圧力、酸素濃度、問題ありません。格納庫の扉を開きますか?』
『いや、救難艇から入る。今度は開くはずだ……』
『まさか、中も減圧されていたと?』
『それ以外考えられない。……やはりな、開いた』
『E5より救難艇への扉が開放されました。救難艇のAIを起動させますか』
『いい。ブザーがうるさいから黙らせとけ』
『ミハイル、いるとしたらおそらくブリッジです。あそこは完全に分離されていますから』
『了解。……ハッチが開いているな……』
『ミハイル、ブリッジの扉操作は右横の、ミハイル、聞こえていますか』
『聞こえている』
『ブリッジを』
『必要ない』
『……なぜ』
『――リーナを発見した。救難艇の中にはいなかった。格納庫へ降りる』
…………
…………
『ミ、ハイル……マリアは』
『……』
『そ、んな、そんなっ。ミ、ミハイル、あなた――』
『マリア、俺じゃない。おまえだよ』
『何を、』
『理由はあるだろ』
『そんな、私、あなたたちと、は……』
『マリア』
『っ、そんな――私、がどうして……リーナを殺すなんて!』
『自動排気が操作された時E5の近くにいたのはおまえだけだ。エリカの行動記録に残っている』
『それは、リーナと一緒にここを出てE5の前で別れたから! 行動記録は10分ごとの更新のはず、あなただって、不可能なわけじゃない!』
『はっ、10分でここからE5まで行って、操作して戻ってきたと? そんな馬鹿な話があるか。ブリッジの映像は記録されている。見ればわかるさ』
『っ、でも、私じゃない! そんなことしない! そう、そうよ、リーナが自分で……』
『は、っはははは! あいつが自殺したって? 遺書も何も残さず? 俺にも何も言わず?』
『じ、自殺じゃなくて、じ、事故かも……』
『事故、事故ね。救難艇に乗り込んで、空気を抜いて? それから空気がないことを忘れてハッチを開けた? 随分都合のいい事故だな』
『でも、でも……リーナ、リーナだって、ほとんど寝ていなかった! そういうことがあってもおかしくない! ね、そうでしょう!』
『――マリア、部屋に行け』
『ミハイル!』
『俺まで殺されたらたまらない、部屋に行くんだ! それとも、今ここで死ぬか?』
『ひっ、う、あ、ああ、わ、わかった、わかった……』
『注意。あなたの言葉は禁止ワードと認識されました。2回目以降の使用は評価に影響し……』
『エリカ、マリアが入ったらD2を閉鎖しろ』
『乗組員の行動の制限は認められておりません』
『医師の判断ならいけるはずだ。危険なことをしないよう、マリアを見張るんだ』
…………




