出会い
「目が覚めた?」
「ここは、何処だ?」
掠れる声で男は呟いた。穴が開き煤けた低い天井。薄暗い室内。篭った空気、どれをとっても記憶にはないものだった
「ここは私のお家です。怪我をして倒れながらも、ここに飛び込んできたのは貴方」
「君は誰だ?」
声の主を探して視線を巡らせ、硬直する。ようやく絞り出した声は、警戒心も露なものだった。
「わたし? わたしは家事妖精。どこにでもいるお手伝い妖精」
無表情のまま、声だけは真面目くさったその回答に、男は頭を抱えたくなる。まさか、襲われようやく逃げこんだ先がこんな狂った娘の住み家だったとは。
「私は……ウィリ…………、いや、ウィルと言う。助けてくれてありがとう」
「そう、ならウィルさん、貴方は3日寝ていた。食べられるならこれをどうぞ?」
牛乳を水で薄めたと思われる薄く嫌な匂いのするスープを、鼻先に出されて噎せかえる。反動で少しスープを溢してしまった。慌てて謝るウィルに、家事妖精と名乗った娘は首を振った。
「気にしない。それよりも、ここは私のお家。歩けるようになったら出ていって欲しい」
身軽に立ち上がると、ドアを開ける。ようやく室内が明るくなりウィルと名乗った男も、娘の姿をはっきりと見た。
「……ッぅ!!」
驚いてベッドから飛び起きようとし、身体を襲った痛みで丸くなる。それでも娘に話しかけた。
「君は、何故そんなに痩せている。食事はどうしているんだ?」
入り口から差し込む光に照らされた娘は、煤けたねずみ色のエプロンドレスに頑丈なだけが取り柄の染みの浮いたブーツ、お下げに編んだ髪は栄養が行き届いていないことが明白でパサパサの茶色だった。
服から見える手足は、棒切れの様。だが瞳だけが好奇心に輝き、夜間どころか日中見ても、幽霊か悪霊かと見違える姿だった。
「ん? 私はダメな家事妖精。お腹が空くから、2日に一度ミルクを貰う。パンは3日に一度。小麦も少し。マダムやお嬢様方が教会に行く日は特別にトーストを。でも、そんなに食べる妖精はいないと家主様に叱られる。
貴方はヒトでしょ? ならご飯は毎日食べなくてはいけない。家主様が預かる娘たちも毎日食べている」
鼻先にさっき溢した残りの牛乳を突きつけられて、ウィルは困惑している。
「いや、君も人間だろう? ……人間だよな?
ここは何処なんだ?」
「さっきも答えた。ここは私のお家です。家事妖精の住み家。今はわたし一人しかいないから、私のお家」
聞きたい事を聞けずに、ウィルは苛立ち始めたが、この娘以外に話を聞ける相手もいないと気を取り直した。
「そうか、なら妖精さん。君は誰に仕えているんだ?」
「私が仕えるのは、マダム・シェリーです。マダムは可哀想な娘さん達を集めて、養育されています。親元から送られた彼女達は、慈善家の皆様の志で豊かに暮らしておられます。
私は親も知らぬ家事妖精。この学園をより良きものにするために、日々働いています」
「学園……マダム……。ロッキーチェンクの慈善学校か?」
「はい、マダムの名前はシェリー・ロッキーチェンクです」
「そうか……。なら俺がここに居ることを知っているのは?」
「私だけ。他には知らない。ここには何もないから、早く出ていくべき。包帯もないから、シーツを破いた。バレたらまた家主様に叱られる。だから、私は花の妖精にも歌の乙女にもなれないのだと」
「花? 歌??」
「そう、花や歌。ここで頑張れば、家事妖精を卒業して、花や歌の妖精になれる。そうすれば蜜を食べられる。みんなそうなって、旅立った。だから私は一人、家事妖精として働いている」
無表情で言い切ると、娘は扉に向かって歩き始めた。
「仕事の時間。貴方は寝るなり、出ていくなりご自由に」
振り返る事なく出ていく娘を見送って、ウィルは途方に暮れた様にため息をついた。
「何なのだ。あの娘は。本当に人なのか。はたまた夢か。妖精とやらに化かされているのか。……まぁ、まだ起き上がる事も出来ない。ならば、今は身体を休めるしかないな」
背後から刺された傷には、シーツで作ったらしい包帯が巻かれ最低限の手当てがされている。硬いベッドの上で少しでも休めるように体勢を整えると、ウィルは瞳を閉じた。