98 意外な場所で意外な人物
冬の始まりにアトラス領へと向けて出発したのが、エルカディアに帰ってきた頃には、その冬がもう終わろうとしていた。
アニマさんと出会うきっかけになった帰りの道中に降った雪が最後の雪だったようで、日増しに寒さより暖かさを感じる日が増え始めてきた。
すぐそこまで春が近づいてきている。そして、それは私のコウド学院への入学する季節でもある。
正直、この先の事を考えると憂鬱になってくるが、そんな私の思いとは裏腹に屋敷では入学の準備が着々と進められていた。
貴族が多く集まるコウド学院である。家の威厳にも関わる事なので、持参する物にも贅を凝らす。制服はともかくとして、普段着、寮での生活で使う道具類、調度品などである。特にサンバルト家のような高位の貴族は周りからの視線もある為、中途半端な物ではいけないらしい。
やっぱり、貴族って面倒くさいなとつくづく思う。見栄の張り合いだもんな。
もっとも、準備と言っても私がする事は無い。持っていく物を選ぶのは、もっぱら買い物好きのお母様。準備をするのは、アシリカたちに加え多くの侍女が総出で事に当たっている。
入学する本人の私はというと、時間を持て余して一人部屋でゴロゴロとしていた。
「はぁ。いろいろあったけど、旅に出ている時は良かったなぁ……」
ソファーの背に頭をもたげ、部屋の天井を眺めながら溜息が出てくる。
また旅に出たいと思うが、何度も都合よくそんな機会があるとも思えない。
王太后様もエルカディアに帰ってきた私がアトラス領で起きた騒ぎに巻き込まれた事に心を痛められていたものなぁ。
帰ってきた翌日には王宮に王太后様を訪ねていた。エルカディアに帰ってきた挨拶を王太后様にする為である。
いつもの中庭で会うなり、王太后様に詫びられていた。アトラス家から公式に王都へ今回の騒動が伝えられていたようで、向こうでの事が王太后様のお耳にも入っていたようだった。
ガイザでの出来事。専横を極めアトラス領の民を苦しめていたルドバンをジェイムズが罰した――。
それが、公式に報告されたものである。その中に、呪術の事も私の事も一切出てこない。すべては、ジェイムズとハイドさんら彼の側近がした事である。
私にジェイムズの付き添いを依頼した王太后様はその話を知り、騒動に私を巻き込ませてしまったと、随分と心配と後悔をしていたようだ。
もちろん、私は部屋にいてまったく騒ぎに気付きもしなかったと必死に王太后様の自責の念を解くのに苦労した。
その騒ぎのド真ん中にいました、襲われましたが返り討ちにしました、なんて口が裂けても言えないよね。
まあ、最後には納得してくれたみたいだから、良かったけどさ。
「それにしても……」
暇だ。やる事が無い。
アシリカやソージュも忙しそうだし、久々に一緒に遊ぼうと思っていたルーベルト君もメリッサさんやエリックお兄様とお出かけしている。
私は一人やる事がない。
「そうだ!」
郊外にあるコウド学院に入学するとなる、なかなかエルカディアの街へは来れないかもしれない。ならば、今の内に会っておきたい人に会いに行こうかしら。
アシリカやソージュは忙しそうだが、デドルは別に入学の準備に関わってはいないはずだ。連れていってもらおう。
それに、皆が準備で忙しい今なら、屋敷を抜け出しても気づかれないはずだ。
「よし!」
そうと決まれば善は急げだ。
私は廊下に出ると、周囲を見回し誰もいない事を確認すると、忍び足でデドルの小屋へと向かう。
「デドル。街に出るわよ」
「入学の準備はよろしいので?」
突然小屋に入ってきて、宣言する私にデドルは首を傾げている。
「私は何もする事が無くてさ。入学したら、なかなか会えないかもしれないから、今のうちに会いたい人に会っておこうと思ってさ」
「ですが、アシリカたちは?」
私一人なのをデドルが気にしている。
「だって、アシリカもソージュも忙しそうでさ」
たまに部屋に用事はないか尋ねにくるが、それ以外は他の侍女たちと忙しそうにしている。
「勝手に屋敷を出て、怒られやせんかね……」
その可能性は十分考えられるわね。
「その時はその時よ。ほら、行くわよっ!」
今の退屈な時間の方が耐えられない。
座ったままお茶を飲んでいたデドルを無理やり立たせて、急かす。
「分かりやしたよ」
説教されても自分は知りませんよ、と諦め顔のデドルに裏門を開けてもらう。
馬車を出してもらい、街へと出かける。
「どこに行くのですかい?」
御者台からデドルが尋ねてくる。
「じゃあ、グスマンさんの所へ」
まずは、いろいろお世話になったグスマンさんからよね。それから、道場に行って、最後は孤児院にでも行こうかしらね。入学してしばらく会えないとなったら、みんな寂しがるだろうしなぁ。
そんな思いを抱いていたのだが、まったくの杞憂であった。
グスマンさんの工房、クレイブの道場と続けて行ったのだが、予め口裏を合わせていたんじゃないのかと疑いたくなるような言葉が帰ってきていた。
どうせ、学院を抜け出してまた来るのだろう――。
いや、確かに否定はしきれないけど、当たり前のように不思議そうな顔でそう言わなくてもいいんじゃないの?
「ちょっと、酷くない?」
最後の目的地である孤児院に向かう馬車の中で、デドルに愚痴を零す。
「いや、皆さん、お嬢様の事をよく分かっておられると思いましたが……」
ちょっと、デドルまで酷いよ。
少しは感傷に浸る人がいてもいいんじゃないのかしらね。納得出来ないわ。
トルスはどうかしらね。何だかんだ言っても付き合いも長いし、一緒に世直しもした事があるしね。それに、素直なローラさんなんかは、きっと寂しさのあまり涙するかもしれない。
そんな事を考えている間に孤児院に着き、トルスとローラさんに向かい合い、本日三度目の台詞を聞いていた。
「いや、お嬢。どうせ、学院を抜け出してまた来るだろ?」
何言ってんだ、という顔でトルスが私を見ている。いや、むしろ心底不思議そうな顔にも見える。
「だって考えてみろよ。お嬢は一応、公爵家の令嬢だぞ。その令嬢が屋敷を何度も抜け出している時点で、学院も抜け出さない訳ないだろ」
トルスの正論に反論出来ない私である。ぐうの音も出ないとはこの事か。それと一応の部分を強調するな。
「それとも、入学したら、真面目に規則を守って寮から勝手に出ませんとでも言うのか?」
ニヤニヤとするトルスの顔が腹が立つ。
「それは無いと思う……」
アシリカが聞いたら、血相を変えそうな返事だな。でも、絶対抜け出してしまう気がしてならない。
「で、でも、入学してすぐはナタリア様も何かとお忙しいに違いありません。その間なかなかお会い出来なくなるかもしれませんわ」
顔を引きつらせている私にローラさんが気を使いまくってくれている。
「いやいや。それこそ無いな。お嬢が興味惹かれたら何を置いてもそれに食いつく性格だぞ。下手したら入学してすぐにでも、街に繰り出しているぞ」
おい、トルス。私の事よく分かってくれているのは嬉しいが、もう少し別の言い方ないのか? 私は飢えた魚か? それに、デドルも何で頷いているの?
「院長せんせー。小麦のおじさんが来たよー」
何も反論出来ずに一人顔を顰めて黙り込んでいると、院長室の扉から子供が顔を出す。
「トルスさんこんにちわ」
子供の後ろに立つ男。この男は……。
「いやあ、パドルスさん。いつもすまないね」
トルスが立ち上がる。
「パドルス!」
私が初めて成敗した奴だ。自分の馬鹿息子の為にアシリカと彼女の両親を苦しめた奴だ。
私の声に反応して、パドルスが私の方を向く。一瞬で顔を青褪めさせ、抱えていた大きな袋を足元に落とす。
「ナ、ナ、ナタリア様!」
意外な所で意外な人物との再会だった。
「へー。あんたが孤児院に寄付をねぇ」
「はい。寄付と言っても商売で使っている小麦をですが……」
院長室で腰掛けるパドルスが私に頷く。
馬鹿息子共々私に成敗され、心を入れ替えたようだ。息子を甘やかしてきた事を反省し、遠い街に丁稚奉公に出し、さらに恵まれない子供の為に何かしたいと孤児院へ小麦の無償提供を続けているらしい。
「変わったわねぇ……」
息子の為に悪事を働いたとはいえ、ここまで変わるとはね。これはこれで喜ばしいことであると思う。
「これもナタリア様のお陰にございます」
幾分落ち着きを取り戻しているパドルスだが、緊張は完全に解けていないようである。いまだに、私と目を合わせない。
「パドルスさん、相当な目に遭ったみたいだな……」
トルスが気の毒そうにパドルスを見る。
その言い方、何か私が悪いみたいじゃないのよ。
「いや、あれは私が悪かった。それにナタリア様に感謝しています。倅には、内心では、あれじゃあ駄目だと薄々思っていましたし」
パドルスが苦笑する。
「まあ、詳しくは聞かねえけど、今のパドルスさんは、いいお人だ。お嬢もあまり怖がらせるような真似はするなよ」
トルスが楽しそうに私を見る。
「だから、何で私が悪いみたいになっているのよ? ここで、アンタとローラさんの馴れ初めをパドルスにも話すわよ」
いや、何なら絵本を作って子供たちにも読み聞かせようか?
「ほう。それは、少し興味が……」
パドルスも身を乗り出して、好奇心に満ちた目となる。
「お、お嬢! 何言ってやがる! 面白くも何ともねえ話だろ!」
トルスが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「あのー。パドルスさん。準備できましたよ」
院長室の扉が開き、ローラさんが声を掛けてくる。
「ほ、ほら。パドルスさん。今日も何か作っていってくださいよ!」
渡りに船とばかりにトルスが話題を変える。
「そうですな。ま、その話はまた改めてでも」
パドルスも普段とは違うトルスの反応に笑みを見せている。
せっかく楽しい時間の始まりだったのに。それにしても作るって、何の事かしら?
「ねえ。作るって何?」
「ええ。パドルスさんが持ってきてくださった小麦で子供たちにいつも何か作ってくださっているんです」
ローラさんが説明してくれる。子供たちもとても楽しみにしているそうだ。
パドルス、あんた本当に変わったわね。信じられないよ。
驚く私に照れくさそうに頭を撫でているパドルスが善人に見えてくる。
「そうだわ。せっかくだし、私も手伝いましょう!」
心を入れ替えた元悪人。そんな人と一緒に何かするのも悪くない。
「え? し、しかし、ナタリア様のお手を煩わせるわけには……」
「何遠慮しているのよ。構わないわよ」
それとも、子供たちからの歓声を独り占めしたいのかしらね。
「いえ、遠慮という訳では……」
「ほら! 行くわよ!」
何やらごちゃごちゃ言っているパドルスを引き連れて孤児院の厨房へと向かう。
古い造りだが、一通りの道具や食材は揃っているようだ。
「さっ。何作ろうかしらね」
厨房の中には、私とパドルスの二人だけ。またもや、パドルスの顔に緊張が走っている。
もう。そんなに緊張しなくていいのに。私はむやみやたらと攻撃する人間じゃないよ。
「ほら! 何作る?」
パドルスの背中をポンポンと叩くが、余計に体と顔を強張らせている。
ダメだな。こりゃ、私が何か考えてあげないとな。そうね。何がいいかしら? パンとかありきたりのものはきっとすでにパドルスが作っているはずだ。だったら何か変わったものがいいな。
うーん。変わったもの、珍しいもの……。
そうだっ! 確か、小麦から粘土が作れたわよね。油と塩を混ぜるんだっけ? 転生前に一度作った記憶があるのよね。小麦粉粘土って言うんだっけ。
いつもは食べ物。でも、今回は遊び道具。普段と違っていいんじゃないかしらね。
「ねえ、小麦粉から粘土を作れるって知ってる?」
隣で固まったままのパドルスに尋ねる。
「こ、小麦粉から粘土でございますか?」
首を傾げてパドルスが聞き返してくる。やはり初耳のようだ。
これは、いいかもしれない。きっと珍しさから子供たちも喜ぶに違いないわ。
待てよ。これは、これで商売になるかもしれない。普通の粘土は見た事がある。でも、小麦粉粘土は見た事無いもの。子供が口にしても安心。きっとバカ売れするわ。
前世の知識を利用して何かを作るってやつね。借金返済のチャンスじゃない?
「ええ、そうよ。それはね、小さな子供が口にしても害が無いの。親も安心して小さな子供に粘土で遊ばせられる。ねえ、何やら売れそうな気がしない?」
「ほう。それは実に興味深い話でございますな」
私の言葉に、パドルスの顔が商人のそれとなる。そんなパドルスに私はにやりとする。
「割と簡単に出来るのよ」
私は、ボールに小麦に水を入れて捏ねる。しばらくすると、一纏まりになった所へ油を少量入れる。さらに捏ねつつ塩を加える。あっという間に小麦粉粘土の出来上がりである。
「食紅なんかで色も付けれるわよ」
出来上がった小麦粉粘土をパドルスに手渡す。
「これは、なかなかのものですなぁ」
出来た小麦粉粘土で丸や四角と形を整えながら、パドルスはしきりに感心しているようだ。
「でしょ。これを大量に作って売りさばくのよ。ただし、作り方が絶対に漏れないようにね。でないと、他でも同じ様なものを作られてしまうわ」
何せ、材料はすぐに揃うし、簡単だからね。
「……で、利益の何割をナタリア様に?」
パドルスは緊張も忘れて、やり手の小麦問屋の主となっている。
そっちから切り出してくれるとは、話が早い。
「そうね。二割と言いたい所だけど一割でいいわよ」
これはきっと売れる。なら、一割でも大金になるだろう。
「……承知しました。それで行きましょう」
契約成立だ。
「それとね。原材料が小麦だとバレないようにね。作り方自体は簡単だから、小麦が原材料だと分かればすぐに真似されるわ」
「なるほど。それは確かに。しかし、気づく者もいるかと思いますから、原材料の中に、異国から取り寄せた特殊な油を使っている事にしましょう」
それはいい。そこを強調すれば、真似ようとする人間もいないはずだ。
「ふふ。いいわね、それ。あんたもなかなか悪い事考えるわねぇ」
「いえいえ。ナタリア様ほどでは……」
含み笑いでパドルスが返す。
「ほーほっほっほ」
「はっはっはっは」
厨房に私とパドルスの高笑いが響く。
いやあ、意外とパドルスと気が合うかも。元悪役と悪役令嬢。なかなかいい商売仲間になりそうね。
「何を笑っているの?」
笑い声をあげる私たちに気付いた女の子が、不思議そうに見上げている。
いつの間に厨房に入ってきたのかしらね。駄目だ。こんな顔を子供に見せる訳にはいかない。
すぐに、緩み切った顔を戻すと、出来たばかりの小麦粉粘土をその女の子に差し出す。
「ほら、見て。これで遊べるのよ。こんな風にさ」
私は女の子の目の前で小麦粉粘土をリボンの形に整える。
「あー。駄目だよう! 食べ物で遊んじゃダメなんだよ! 院長先生やローラお姉ちゃんにいつも言われているもん!」
そっか。厨房でいつものように小麦から何か作っているって分かっているものね。
その大きな私たちを注意する声に導かれて他の子供たちもやってくる。
「もったいないよ」
「食べ物を粗末にしたらダメだよ」
「それは遊ぶものじゃないよ」
口々にお叱りの言葉を頂く。
それを聞いて、私は商売が失敗している事に気付く。きっと、パドルスも同じ思いだろう。食べ物は食べ物よね。そして、粗末にしては駄目よね。
「ごめんなさい。もうしませんので許してください」
子供たちに頭を下げる私とパドルスだった。
屋敷に帰ってから、もう一度私は怒られる。黙って屋敷を出た私にアシリカとソージュのお説教を受けたのだった。