97 雪の日の出会い
暖かい王国南部に居たから忘れがちであったが、季節は冬である。
バイドの街を出て、エルカディアに向かうにつれ、体に寒さが沁みてくる。
少し先に春が見え始め、僅かに寒さが和らぐ時期ではあるが、たまに多くの雪を降らす日もある。
どうやら今日が、その日のようである。
宿泊した街を出てすぐに降り始めた雪は時間と共に激しさを増していき、今では先が見通せないほどの猛吹雪となっている。
次の街まではまだ距離があり、森の中にある街道を進んでいた。当然、そんな場所に村など見当たらない。
「すごい吹雪ね」
不安になるような雪と風が音を立てて打ち付けてくる。
すっかりと白くなった馬車とそれを曳く三頭の馬が真っ白な雪道に足跡を残している。
マツカゼたちは大丈夫かしら? それに、囲いの無い御者台のデドルも心配である。
「デドル、大丈夫?」
御者台への扉に付いている小窓を開けてデドルに話しかける。
外から入ってくる雪と冷気に、身震いする。そんな私の肩にアシリカが毛布を掛けてくれる。
「へい。あっしは何とか……。ですが、マツカゼらが心配ですな。いくら馬が寒さに強いとは言っても、ここまでの吹雪では……」
今はまだ力強く歩みを進めている三頭だが、このまま吹雪が続けばどうなるか分からないよね。
しかし、だからと言って、引き返す事もどこかで風雪を凌ぐ場所を見つける事も出来そうに無い。幸い、一本道なので遭難の心配は無いが、このまま進むのも無理があると思う。
「どうしようか……」
そう呟くものの、皆、妙案が浮かぶ事も無い。
立ち止まる訳にも行かず、どうしていいか迷う私の目に、森の奥に小さな明かりが灯っているのが、わずかに見えた。吹雪の中で見づらいが、あれは確かに明かりが灯っている。
「ねえ、あそこ家かな?」
私は明かりが灯っている場所を指差す。
「確かに明かりが見えますな」
目を細めるデドルも明かりを見つけたようだ。
「ねえ、あそこで少し休ませてもらいましょう。マツカゼたちも休めるような小屋があればいいのだけど」
「へい。行ってみやしょう」
デドルが森の木々を抜け、明かりを目指して馬車を進める。
しばらくすると、こじんまりとした一軒の家が見えた。窓から明かりが漏れており、煙突からは白い煙も上がっている。しかも、小さいが小屋もある。あれなら、マツカゼたちも雪を凌げるだろう。
「誰かいるようですな。あっしが頼んできやしょう」
全身の雪を払いながら、デドルが御者台から降りる。
「私も一緒に行くわ」
「お嬢様。お待ちを」
馬車を飛び出す私をアシリカとソージュが慌てて付いてくる。
「おやぁ? こんな雪の中、どなたですかのう」
私たちが家の扉をノックする前に扉が開けられる。
「ア、アンタはっ!」
私は鉄扇を取り出し身構える。アシリカやソージュ、もちろんデドルも一斉に臨戦態勢となっている。
扉を開けて出てきたのは、老婆だった。ガイザのアトラス家の屋敷であったあの怪しげな老婆の姿だった。
「いやあ、本当にごめんなさいね」
暖炉の前で、暖かいスープを手にしながら謝っている。
「いやいや。謝る事はない。仕方のない事じゃて」
顔の皺をさらに深くして、笑い声を上げる老婆の名は、アニマさん。
「むしろ妹のサウランが随分としでかしたのだからの。謝るのはこっちの方だ」
そして、ガイザの街であったあの怪しげな老婆の姉でもあった。そりゃ、似ているはずだ。
顔は確かに似ているが、醸し出している雰囲気はまるで違ったものだった。妹の方は禍々しい空気を纏っていたが、アニマさんの方は暖かく優し気なものだった。
勘違いに気付いた私たちをあっさりと許してくれた上に、暖を取らせてくれ、マツカゼたちにも小屋と藁を与えてくれていた。
「随分と久しく会っておらんが、そんな馬鹿な事をしていたのか……」
首を横に振り、アニマさんは大きくため息を吐く。
「もしかして、アニマさんも呪術師、なの?」
招き入れられてから、ずっと気になっていた事である。家の中は小奇麗にされているが、どう見ても普通でないものがちらほらと置いてあるのが見える。棚に置かれている何かの尻尾が漬けられている小瓶や乾燥した羽のある生き物。
どれも一般の家には置いてありそうにないものばかりだ。
「ああ。呪術師だよ」
やっぱり。じゃあ、怪しげな研究でもしているのかしら?
「ほっほっほっほ。心配せんでええ。あんたが考えているような怪しい事など一つもしておらんよ。まあ、妹に散々な目に遭わされたから無理もないがの」
私の顔つきを見て、アニマさんが笑い飛ばす。
「い、いえ。その……」
ちょっと気まずい。ここまで良くしてもらっているのに疑うなんて申し訳ない。
「呪術、というものをどんなものだと思っている?」
口ごもる私にアニマさんが尋ねてくる。
呪術。ソレック教授の件以降、何度が耳にしているが、詳しくは分からない。私は、首を横に振る。
「魔術というモンは理解されておるな?」
それは分かる。アシリカの魔術を何度も見てきたし、私自身も使いこなす……は嘘だが、多少使える。
「魔術の力の源は体内で作られる魔力。呪術の力の源は大地などからの自然の力を利用する。まずは、力の出所に違いがあるのう」
そう言えば、ガイザの実験場も力が集まるというあの聖なる山に作られていたものな。
「魔術はその術者が魔力を利用し、自分の体の中で調整した上で発動する。それをうまく出来る者と出来ない者がおるがの」
そうね。アシリカは得意だげど、私は不得手である。
「呪術はというと、術式を描いて自然の力を集め発動さすのだよ。術式の中に効果やいつどのような時に発動するかも含めてすべて書き込まねばならん」
死の直前に現れた文様の事だろうか?
「でも、それって不便よね?」
率直な感想である。わざわざ術式を描く呪術より、魔術の方が圧倒的に便利そうに思える。
「その通り。だから、廃れた」
なるほど。言われてみれば、もっともである。呪術は、過去の遺物的に魔術の授業で少し話題に出る程度のものみたいだからね。
「じゃが、魔術では出来ない事も出来るとしたら?」
魔術では出来ない事?
「魔術は一人の人間の魔力頼み。しかも、その魔力も大きい者、小さい者、そして……」
アニマさんは大きい者としてアシリカを、小さい者としてデドルをそれぞれ指差す。
「魔力をまったく持たない者もおる」
そう言って、シルビアを指差す。
「え?」
シルビア、魔力無いの? 魔力は誰でもあるものだって聞いてたけど。それにあれだけの不思議能力を持っているシルビアが魔力を持っていないとは信じられない。
「あんた、フッガーの家の血を引いておるじゃろ?」
「何で、それを……」
シルビアの代わりに私が驚きを見せる。
私たちはここに来て、身分を打ち明けていない。いつものように、王都の商家の娘という事で自己紹介をしている。もちろんシルビアの素性も明かしていない。
「この娘からは魔力を一切感じない。そんな人間はこの世にフッガーのモンくらいしかおらんからの」
「確かに私はシルビア・フッガーですわ。それに魔力が無いのも大当たりですわ」
シルビアは、妖艶な笑みを浮かべたまま、アニマさんに頷き返す。
「フッガー家には昔から不思議な力を持つ者が多く生まれました。そして、例外無く、その者たちに魔力はありませんでしたわ」
不思議そうな顔をしている私に説明してくれる。
「あんなにすごい力があるのに?」
木などの自然のものと会話できるなんて、すっかり慣れてしまったが、よく考えるとすごいことよね。
「詳しくは知りません。ただ、フッガー家の血がそうさせるのだとしか……」
シルビアは小首を傾げる。とんでもない力の割に、随分とあっさりとした理由付けなのね。
「まあ、フッガーの不思議な力は置いておいて、あたしが言いたのは、魔力はその持っている容量が人それぞれだということじゃ」
アニマが纏めるように言った。
シルビアの件も冷静に考えれば不思議な事だけど、今は呪術に話を戻そう。
「でも、それなら魔力の大きい者なら、呪術に頼らなくてもいいって事?」
そうなるよね。わざわざアシリカが呪術を使って火球や氷塊を出す必要無いものね。
「なら、尋ねるかの。その魔力の大きい娘っ子は、天候を操れるかの? 人の生命をも自由に操れるかの?」
アニマがアシリカに尋ねる。
「無理に決まっています。魔術には、そこまでの力はありません」
アシリカの言う通りである。ソレック教授の研究も結局は成功していない。
「じゃが、呪術では可能といえば可能じゃ」
可能といえば可能とアニマさんの言葉は、曖昧なものだが、否定できない。実際に災害を引き起こした呪術の爪痕を見たし、呪術によって死んだ者もこの目で見たのだ。
黙り込む私たちに、アニマさんはそれを誰もが出来る事では無いとも付け加える。
「盛んだった過去の呪術はほとんど失われておる。その中には確かに天候を操り、死者すら蘇らす呪術があったという記述だけが残るばかり。それも今となっては事実かどうかも定かではない。じゃが、それを信じ、その術に再び日の目を当てようとする者もいる。……妹のようにの」
サウランが過去の秘術とも呼べる術を復活させようとしているのは恐らく正しいだろう。そして、レイアが主と言っていた黒幕がそれを支援している。
「魔力には限界があります。ですが、自然の力を集める呪術には、それが無いからとてつもない大きな威力を出せるという訳ですね」
アシリカの質問にアニマさんが大きく頷く。
「呪術、悪用されマス」
実際、アトラス領では、呪術によって多くの人が苦しんだ。
「本来なら人の役に立つ為にあったものじゃがのう」
ソージュの言葉に、辛そうにアニマさんが呟く。
「結局は使う者次第なのね」
呪術だけじゃない。魔術だって、ソレック教授のように悪しき使い方をしようと企んだ者もいた。いや、呪術や魔術だけじゃない。どんな力であれ、悪いように使える。持っている権力や財力で、弱い者を苦しめる奴らを多く見てきた。だからこそ、余計にそう思う。
「そうかもしれませんな」
デドルが私に同意する。
「確かにお嬢様の言う通りですね」
アシリカたちも今までにあった事を思い返しているようだ。
「そう言ってくれると、少しは気が楽になる。呪術は決して人を傷つけたり、苦しめたりするもんじゃないのは、分かっておくれ」
哀しい目で、アニマさんは頭を軽く下げた。
「そうじゃ。妹が迷惑を掛けた詫びと、慰めてくれた礼じゃ。アンタらに役に立つかもしれん物をやろうかの」
そう言って、立ち上がったアニマさんは、棚から一冊の本を取り出してきた。
「これは、呪術の事を纏めたものじゃ。内容は呪術の歴史から考え方など基本的な事ばかりじゃが、役に立つはずだ」
私に本を手渡してくれた。
そして、じっと私の目を見つめる。
「優れた呪術師はの、人の運命やその力、さらに一国の時勢など感じる事が出来るもんじゃ。そして、あたしの本能が告げておる。アンタらは、呪術に深く関わってきそうだと。その時に呪術の事を分かっていた方が良いはずじゃ」
何か大きな話になってきたな。出来れば、あんな奴と関わりたく無いというのが本音だが、間違いなくあの老婆、サウランは黒幕と共に碌でもない事を考えているはずだ。それが悪事ならば、放っておく訳にはいかない。
「ありがたく頂くわ」
私は古びたその呪術の本を受け取る。
「礼などいらん。それより、雪も止んだようじゃの」
あれだけ降っていた雪が止んでいるのが窓から見える。
「この時間なら夜までには街に着きそうですな」
デドルが立ち上がる。
「何のお構いも出来んかったの」
アニマも立ち上がると、私たちを見送る為か玄関に向かう。
もう少し呪術について聞きたいところだが、仕方ないかな。
皆、雪を凌がせてもらったお礼を述べつつ、外へと向かう。礼を言って出ようとする私をアニマさんが引き留めた。
「アンタは不思議なお人じゃ。理由は分からんがの。でも、同時に人と違う何かを感じる」
やはり、アニマさんにも私の真っ白な運命が見えているのだろうか。でも、違う何か、何だろう?
「アンタ、魔力は並みのようじゃが、魔術は得意かえ?」
「いいえ。それがまったく苦手で……」
魔術が使えれば、魔法剣士になりたかった私としては、痛恨の極みである。
「そうかい。あんたの身から魔術や呪術の力を跳ね返す力を感じる。だから魔術が苦手なのだろう。珍しい力じゃ。あたしも過去に一人しかそんな気配を纏っている者にあったことがない」
魔術を跳ね返す力……。まさか、気合と自信で魔術を打ち破ったけど、それが理由だったのかしら? でも、待てよ。それが原因で人に優しい魔術しか使えないのは複雑だな。それに、過去の一人ってまさか……。
「ねえ、その一人って、まさかクレイブって名前じゃ……」
彼も魔術は苦手だったはず。
「ほう。お前さん、剣聖とも知り合いかい!」
これには、驚きの表情をアニマさんは見せる。
「まあね。一応、弟子かな」
剣以外は、残念な師匠だけどもね。
「これは面白い娘っ子じゃ。あの男の弟子とはの」
そう言うと、アニマは私の腕を引っ張って自分の方へ引き寄せる。
「ここに来た時から、持っている鉄扇でアンタがただ者ではない事は分かっていたが、想像を超えたさね」
そう私に語りかけるアニマの目は優しい。
「この数年、どこかでおぞましい力が動き出している気がしてならん。しかも日毎その力は増してきておる。どうも何やらこの国に不穏な流れが漂ってきている気がしてならんのだ。これは、呪術師としての勘じゃ」
私の腕を掴んでいたアニマの手の力が強くなる。
「じゃが、お前さんに出会って期待してしまったわい。定まった運命を持たず、奇異な力を持つアンタじゃ。不穏な邪気を打ち払ってくれるかもとな。これも呪術師の勘じゃ」
私には分からない。自分自身にが特別だとは思わない。確かに転生者は普通とは違うと思う。けれど、言い換えれば転生してきた以外は何もない。もちろん、公爵家の娘という立場はあるが、何か強い能力を持っている訳でも無ければ、世の中を変えられるような知識がある訳でも無い。それに、魔術や呪術を打ち破る能力と言われても自分ではピンとこない。
王太子の婚約者という地位も、この先どうなるか分からない。そればかりか、断罪の未来が待ち受けている身なのだ。もちろん、全力で抗うつもりだけどさ。
そんな私に国に迫る危険を察し、それを打ち払う程の力があるとは思えない。いくら世直しをしたいと言っても規模が違い過ぎる。
「そう難しく考えんでもええ。お前さんはお前さんらしくしてたらええ。自分を信じてな。アンタならそれが出来る」
険しい顔となり、思わず考え込む私にアニマさんが笑いかける。
「……そうね、私は私の信じる道を進むわ。これからもね」
私が自分の手で運命を切り開く。そう決意した日を懐かしく思い返す。
「このナタリア・サンバルトの名に懸けてね」
私はアニマさんにウインクする。
「ほう。アンタが、あの……」
特に驚いた様子も無く、アニマさんは何度も頷く。
「じゃあ、ありがとう。本当に助かったわ」
もう一度アニマさんに礼を言って外に出る。
すでにデドルが馬車を扉の前に付けてくれている。
空を見上げると、あれだけ黒く厚い雲に覆われていたのが、嘘の様に晴れ渡っている。積もった雪が出てきた太陽の光でじわじわと溶かされていっている。
そんな空を見て、あの激しかった雪は、アニマさんが私たちを呼ぶ為に降らせたのかな――ふと、そんな考えが頭によぎった。