93 歪んだ口元
山を下り、屋敷の裏手まで帰ってくると、アシリカとソージュが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「お嬢様!」
帰ってきた私の顔を見て、安堵の表情を浮かべている。私が気になり、部屋でじっと待っていられなかったのかな。
「ただいまー」
相変わらず心配性な所がある二人よね。
「のんきにただいまではありません。私たちの所にも刺客が来ました。間違いなくお嬢様の身にも危険が迫っていると、追ってきたのですよ」
「何ですって!」
私だけでなく、アシリカとソージュの命まで奪おうとしたのか。
「おう、アシリカちゃん。相変わらず大変そうだな」
「キュービックさん! ご無事でしたか! エディーも元気になったのですね」
私の後ろに続く、キュービックさんらの姿を見て、顔を綻ばせている。
「案内役の方は? やはり何かございましたか?」
サラルがいない事に気付いたアシリカが再び眉間に皺を寄せる。
「ああ、それはね……」
私は山の頂上であった事、キュービックさんらとの再会、そして、あの老婆に再び出会った事をアシリカに話す。
「やはり、あの老婆は呪術の使い手でしたか」
「ええ。逃げられちゃったけどね」
そこは悔しい。
「しかし、許せません。お嬢様のお命を狙うとは……」
「お仕置き、必要デス」
うわぁ。アシリカとソージュがキレているね。完全に目が据わっているよ。ある程度何かしら仕掛けてくると予想していたとはいえ、実際に襲われたとなると、彼女らは許せないらしい。
まあ、私もかなり頭にきているのは間違いないけどね。
「なぁ、どうする?」
エディーが期待に満ちた目を私に向けている。
「決まってるじゃないの。成敗よ!」
明確な証拠は無い。証人となるベイスは死んでしまって、老婆には逃げられた。でも、私や私の侍女を襲った事実がある。仕留められなかったのはルドバンの誤算だろう。今までは手のひらの上でいいようにあしらわれていたが、その誤算に付け込んでやる。
「その前に、ご当主様に出て頂きますか」
目の前の屋敷を見上げ、鉄扇を握りしめていた。
屋敷の中へと入り、ジェイムズの部屋へと向かう。
キュービックさんらも引き連れてである。今更、こそこそする必要は無い。しかし、人の気配も感じられずに意外にも誰とも出会う事無く、ジェイムズの部屋の前に辿り着いた。
「お姉さま!」
部屋の前にいたシルビアが私を見て、駆け寄ってくる。
「いきなり、あの方たちが襲ってきましたの」
そう言いながらシルビアが指差す方には、三人の男が床に白目を剥いて倒れていた。
「怖かったですわ」
いや、この三人をこんな目に遭わせたのは、シルビアでしょ。怖かったというか驚いたのはこの三人の方だったろうな。
「お嬢様、戻りやした」
間違いなくシルビアにノされたであろう三人を眺めているとデドルが現れた。
「部屋に行きましたが、すっかり様子が変わってましたな。見知らぬ男が十人以上仲良く寝ておりましたしな」
デドル、あなたも何があったか絶対分かっているでしょ。
「そう言えば、少し前に爆音のような大きな音がしましたの。何かありましたの?」
シルビアが顎に手を置いて首を傾げている。
たぶんそれは、アシリカとソージュだろうな。彼女たちも相当派手に暴れたのでしょうね。
「お、お嬢様に同じ様に危険が迫っていると考えていましたら、つい……」
ちらりと二人を見ると少し気まずそうに顔を背ける。
何だか、屋敷の中に人気が無い理由が分かった気がする。
「で、報告ですがね」
デドルも気まずそうな顔になる。
「申し訳ございません。老婆の方はまったく……。突然屋敷に現れ、いつの間にかルドバンの下にいた、くらいしか」
「いいわ。あの老婆ならさっき会ったから」
逃げられたけどね。でも、いくら時間が無かったとはいえ、デドルでも見つけられず、その正体も分からないなんて、ただ者じゃないわね。
「ま、皆揃ったことだし、そろそろ決着をつけましょうか。いや、もう一人、まだ呼んでなかったわね」
私は閉ざされたジェイムズの部屋の扉を見つめる。
「ジェイムズ! 出てきなさい!」
大声で呼びかけるが、反応が無い。
「仕方ないわね。アシリカ。魔術で扉を壊しなさい」
「え? よろしいのですか?」
部屋で大暴れしたのに、今更いいじゃない。
「いいの。ほら、早く!」
渋るアシリカを急かして、扉に向かって、特大の氷を放たさせる。
大きな音を立てて、扉が崩れ落ちた。
「ジェイムズ。何で返事しないのよ」
部屋の中へと入っていく。
ベッドの上で、ちょこんと座っているジェイムズがいる。その目は彼と初めて出会った時と同じ目をしていた。周囲との関わりを拒否する目だ。
「……姉様。僕に近づかない方がいい。きっと、不幸になってしまいます」
抑揚の無い声でジェイムズがぼそりと呟く。
「やはり僕は呪われた子ですから」
寂しげな微笑みを浮かべて、私を見上げる。
「違う。それは、違うわ。あなたは、決して呪われた子なんかじゃないわ。実は、すべて――」
それは、すべて呪術の実験とルドバンの仕組んだことだ。
「いいのです。僕の周りの人は皆不幸になる。この街の、いや、領内の人たちも苦しみ、僕を恨んでいるのですから」
説明しようとする私をジェイムズは遮る。
「姉様。僕は何のために生まれてきたのでしょうか……」
駄目だ。今のジェイムズには何を言っても届かない。また、自分の殻に閉じこもってしまっている。
「……何故生まれてきたか。それはあなた自身で考えなさい。でもね、初めに言ったわよね。私と一緒に見て聞いて考えなさいと」
私はベッドに座るジェイムズの側まで行くと、その腕を掴む。
「まだ、終わってないわよ。私のやる事を最後まで見て、教えてちょうだい。あなたが導き出した答えをね」
じっと、ジェイムズの目を見つめる。
「さっ、行くわよ」
私に引っ張られてジェイムズも立ち上がる。
「どこに?」
ジェイムズが私を見上げる。
「すべてを解決する場所によ」
私は真っすぐと前を向き、力強く答えた。
重い扉を勢いよく開ける。
その扉の向こうは、ルドバンの執務室。相変わらず、感情が読み取れない顔でルドバンが入ってきた私たちをじっと見ている。その場を動かないルドバンの代わりに、側に控えていた彼の側近が私たちの前に立ちはだかる。
「随分と変わったもてなしを受けましたお礼に伺いましたわ。しかも私の侍女にまで手厚いもてなしをして頂けたようで……」
鉄扇を取り出し、口元に添える。
「……なるほど」
ルドバンは表情を変えずに静かに呟く。
「随分と甘く見られたものですわ。あれしきのもてなしで私が満足するとでも?」
ルドバンの中では、簡単に私たちも始末出来ると踏んでいたのだろう。それも無理もない。公爵家の令嬢とその侍女にあれだけの人数をさし向けて、返り討ちにされるとは思わないだろうしね。
「もう何も言わずともよろしいでしょう? ルドバン。あなたは人の道を踏み外した外道です」
鉄扇をルドバンに向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線をルドバンに送る。
「お仕置きなさいっ!」
私の声にアシリカたちが飛び出す。相手は八人。そのうち二人が剣を持っていないところを見ると、魔術の使い手かもしれない。
アシリカが氷の礫を降らせ、ソージュがその間隙を縫って抵抗する間も与えず三人を戦闘不能の状態に追い込んでいる。
これに負けじと、デドルとキュービックさんも飛び出している。相手の魔術師が放った火の魔術を巧みに躱し、一撃でその魔術師の動きを封じる。
残りは三人。ルドバンを守るようにその前に立ち塞がっている。守られているルドバンは眉一つ動かさず、微動だにしない。
そこにアシリカから光の矢が放たれる。残っていた魔術師が障壁を作り出すが、光の矢はそれを突き破る。真っすぐと光の矢が胸に直撃した魔術師は、目を見開いたまま仰向けに倒れる。
間髪入れずにソージュとデドルが切り込み、残っていた二人をなぎ倒す。
部屋には、私たちとルドバン。倒されたルドバンの部下が転がっている。
「後はあなた一人ね」
私はルドバンを睨み付ける。
「……そのようですな」
相も変わらずルドバンは表情を変えない。
「何もかもが……嫌だ……」
部屋を見渡したジェイムズが私とルドバンの会話を遮り、呻く様な声を出す。
「もう、たくさんだ……。僕は呪われた子だ。また、多くの人が傷ついていく」
ふらふらと部屋の中央に歩いていく。
「ジェイムズ、端でじっとして――」
私がそう言った時には、すでに遅かった。
ルドバンがデドル顔負けの素早さで、ジェイムズの首根っこを押さえ、自分の側に引き寄せる。そして、ジェイムズの首元に短剣を添える。
「ジェ、ジェイムズ!」
私が叫ぶが、その声にジェイムズが反応する様子は無く、虚ろな目でルドバンに首元を掴まれている。
「ナタリア様。お静かに願えますか。あまり大きな声を出されてしますと、驚いてジェイムズ様を傷つけてしまいます」
静かにだが、冷たい声色のルドバンだ。
「ジェイムズを離しなさい」
デドルもキュービックさんも隙を伺っているようだが、首元に短剣を当てられているので、うかつには動けないようだ。
「それは出来かねます。もうすべて終わりです。ならば、いっその事……」
冷たい目をしてジェイムズを見る。ジェイムズの命を奪って、私たちに一矢報いるとでもいうつもりか。
「構わない。殺したければ殺せ。僕は生きている価値が無い」
ジェイムズが自嘲の笑みを浮かべている。
「何、ですと?」
初めてルドバンの表情が動く。このジェイムズの反応は予想外だったようだ。
「もう……、楽になりたいんだ」
苦痛に歪むジェイムズの顔。
「ジェイムズ。本当にそれでいの?」
一歩、前に進み出る。
「姉様。僕は呪われた子です。周りに不幸をまき散らしたくなにのです」
「そう。どうしてもと言うなら、止めはしないわ。ルドバン、ジェイムズとの最後のお別れをさせてもらうわよ」
「は?」
ルドバンは、私の言葉が意外だったようで、困惑に包まれている。
「それがあなたの出した答えなのね」
そう言った後、大きくため息を吐く。
「呪われた子? 甘えてるんじゃないわよ。逃げてるだけでしょ? 立ち向かう勇気が無いだけよ。自分で運命を切り開く自信が無いだけよ」
まっすぐにジェイムズの瞳を見つめる。
「私とここまで旅してきた事を思い出しなさい。あなたが出会った人、見た事、感じた事、すべてを思い返しなさい」
さらに一歩前に進み出る。
ジェイムズは唇をぎゅっと噛みしめる。
「それでも、死んでもいいと言えるの?」
私が見つめるジェイムズの瞳から一筋涙が零れ落ちる。
「それ以上は近づくな」
さらに歩みを進める私にルドバンがジェイムズを引きづり、一歩下がる。
「答えなさい!」
ルドバンに構わず、ジェイムズを一喝する。
「姉様……、僕は……」
涙声の、ジェイムズの小さな声。
「僕は……。僕は、生きたい」
小さいが、はっきりと言い切るジェイムズ。
「そう。その言葉、忘る事の無いようにしなさい」
私は優しい笑みをジェイムズに向ける。
「さっきから、何をごちゃごちゃと。こいつがここで死ぬのは決まっているのだ」
ルドバンが苛立ちを見せている。今までは見せる事の無かった感情をむき出しにして、私を睨んでいる。
「もし……」
笑みを消し、ルドバンに視線を向ける。
「生きたいと願う者の命を奪うのなら……」
私はゆっくりとルドバンに近づいていく。
「あなたには、死より辛い目を味わさせてあげる」
渾身の殺意を込めて、鉄扇をルドバンの顔に向ける。
ルドバンは口元だけはわなわなと震わせているが、体は硬直したように固まっている。
「さあ、こちらへ」
ルドバンの腕の中からジェイムズを引き寄せる。驚くほど、ルドバンの腕には、力が入っていない。
ジェイムズが完全に腕の中から抜け出ると、ルドバンは全身の力が抜けたようにその場にへたり込む。
「呪われているのは……、私の方だ……」
力を失ったのは体だけではなく、ルドバンの目もどこかぼんやりとしたものになっていた。
「いや、厳密に言うと私じゃないな。我が家に生まれてくる娘、と言った方が正しい」
誰に聞かせるでもなく、視線を宙に彷徨わせ、ルドバンが話し出す。
「私の三代前の事だ。その時のルドバン家当主が一人の呪術師の女を些細な罪で殺した。もしかしたら、罪など無く濡れ衣だったのかもしれない。とにかく殺した。その女は呪詛の言葉を吐きながら死んでいったそうだ」
静まり返った部屋の中でルドバンの声だけが響く。
「それからだ。我がルドバンの家に生まれた女は二十歳まで生きられない。皆、原因不明の高熱にうなされ、苦しみ死んでいくようになったのだ」
偶然か呪いか。その真実は分からない。
「私はレイアを失いたくなかった。死んだ妻が遺してくれた一人娘だ。だから、何としても呪いを解きたかった。娘を助けたかった。だからこそ……」
ルドバンは、言葉が止めて、私を見上げる。
「呪術を憎みながらも、呪術の力を頼ったのだ」
悲しみ、後悔、憤り。ルドバンの目の中にいろんな感情が籠っているように見える。
そうか。レイアを助ける為に呪術の研究を進めたのか。すべての感情を抑え、殺して、ただただ娘の為に。
「立て続いた災害もその呪術が原因よね。どうして止めなかったの?」
例えレイアを助ける為とは言え。この領地の惨状を見て何も思わなかったのか。
「愕然とした。怖くもあった。だが、止める事が出来なかった」
娘を想う親心か。だが、被害を考えると、とても許される事ではない。
あれだけ非道を繰り返した一連の黒幕の動機が娘の為とはね。複雑この上ないな。
ん? でも、待って。それっておかしくないかしら。
「ねえ、あなたなの? ソレック教授に資金援助していたのは?」
疑問が浮かんだのだ。ソレック教授が研究していた事と、呪いを解く事が結び付かない。
「ソレック教授? 誰だ、それは?」
ルドバンは聞き返してくる。
嘘をついているようには見えない。じゃあ、黒幕はルドバンじゃないって事?
じゃあ、誰が黒幕だ? 裏で操っている? あの老婆か? でも、あの老婆に資金を自由に動かせるとも思えない。だったら、あの老婆をルドバンに引き合わせた奴か。
「ねえ、あの老婆は一体、誰に――」
「父様……」
私の背後から小さな声が聞こえる。レイアだ。
「レイア。すまない。もうすべてが終わったのだよ」
ルドバンが部屋に現れた娘に力なく告げる。
「……終わった?」
レイアが首を傾げる。
「ああ。終わったのだ。ナタリア様。ジェイムズ様。すべては私の責だ。私に罰を」
再び私に向き直り、ルドバンが頭を下げる。
「いいえ。終わってなどいないですよ」
薄っすらと笑みを浮かべながら、そう言うレイアの口元は、醜く歪んでいた。
その口元は私に老婆の事を思い出させるものだった。