92 反撃開始
茶会を終え、部屋に戻り、考えを巡らせている。
レイアに任せろと言いはしたが、状況は芳しくない。アトラス領からのお引き取りを願われている身だ。時間も多くは残されていない。さらに、分からない事だらけ。
ルドバンが呪術に拘り、あの裏山の実験場で何かをしているのは間違いない。そしてその実験を続ける為にもこのアトラス領を支配し続けるつもりだ。例え、ジェイムズを廃人同然にして、屋敷に閉じ込めたままにしてでも……。
問題は、何一つルドバンと呪術を結びつける物が無いのだ。もちろん、証拠や証人も無い。
この状況を打破しるには……。
そうか。私はあくまで部外者だ。アトラス家の者ではない。だから、ルドバンも早い所、エルカディアに返してしまいたいのだ。
ならば、嫌でもヤツに私に関わってもらおう。
「アシリカ。私が明後日には、このガイザを発つとルドバンに伝言を」
「帰るのですか?」
意外そうな顔で聞き返すアシリカである。
「ええ。でも、もう一つ付け加えて。王都に帰り次第、アトラス家の所領替えを王太后様に進言するとも伝えておいて」
そうだ。ここに聖なる力が集まるからこそ、呪術の実験に適しているのだ。ならば、それを取り上げようと私がしていると知れば、奴はどうする? だって、ルドバンは、このガイザの地が、力の集まる山が必要なのだから。
「ですが、それは……」
私の意図を察したアシリカが眉を顰める。
そりゃそうだ。ルドバンが私にどんな妨害をしてくるか分からない。いや、確実に何かしら仕掛けてくるだろう。例えば、不慮の事故に遭ってもらうとかね。
「そうでもしなきゃ、私の所にお客さんが来てくれないからさ」
にやりと笑う私は、令嬢らしくないだろうな。
「お嬢様……」
呆れ顔のアシリカがため息を吐く。
「お嬢サマ、言い出したら聞かないデス。それに、毒を飲まれるよりマシかもデス」
ソージュが慰めるようにアシリカの背中をさすっている。
「かしこまりました。仰せに従います」
覚悟を決めた顔となり、アシリカとソージュが頷く。
さあ、ルドバン。次はこちらから仕掛けるわよ。どんな手で攻めてくるか知らないけど、ちゃんと相手してあげるわ。
反撃の開始とばかりに、私は鉄扇を握りしめていた。
私からの所領替えの話はやはり効果があったようだ。
その日の夜のうちにルドバンが私への面会を求めてきた。
「お心遣いは大変ありがたいのですが、代々受け継いできたこの所領から別の地へ移るのは……」
要するに、所領替えはお断り、って事ね。
「いいえ。この荒れた地を見て思いました。まだ幼いジェイムズ様には荷が重すぎますわ。殿下の従弟であるジェイムズ様の経歴に傷を付けるわけにはまいりませんし」
将来国王となる予定のレオの従弟が所領の統治に失敗したなんて事があってはならないという建前である。
「しかし、ナタリア様……」
初めてルドバンの無表情が崩れかかってるわね。
「陛下と王太后様には私から伝えます。ルドバン殿には、新たな領地でも、ジェイムズ様を支えて頂く事を期待しておりますわ」
私は立ち上がって、この話はもう終わりだと暗に伝える。
「……はっ」
こうなっては、もう何も言えないのか、ルドバンは引き下がる。
でも、私にアトラス家の所領替えなんて力は無いけどね。いや、こんなにもルドバンが焦るという事は、本当はあるのかしら?
それはともかく、種は撒いた。後はルドバンがどう出るかしらね。私の期待に応えてくれたらいいのだけれどもね。
動きがあったのは翌朝だった。
「ナタリア様」
私の部屋を訪れたのは、ベイス。
用件は、屋敷の裏の山に登らないかとのお誘い。
これは、分かりやすい罠だと期待を膨らませる。
「でも、あそこは神聖な地では?」
一応、すぐには飛びつかず、いいの? という表情で聞き返す。
「はい。せっかく王都から来られたのです。未来の王妃となるナタリア様にあの山で聖なる力に触れられる事は、王国の発展にもなりましょう。ルドバン様には秘密ですが」
昨日とは、打って変わった対応だね。
「ただし、あそこは聖なる地でございます。案内は当家の者がさせて頂きます。出来ればナタリア様は、お一人で……」
ベイスは、ちらりとアシリカを見る。侍女は置いていけという訳か。
なるほど。私一人で、ね。本当に分かりやすい。
「分かりました。是非、お願いしますわ」
反対の声を上げようとするアシリカたちを手で制し、ベイスの申し出を了承する。
「よ、よろしいので?」
ベイスが意外そうに目を見開く。
こんな単純な罠にあっさり引っかかるとは思ってもいなかったのだろうな。
「では、早速参りましょうか」
「は、はい。では、案内する者を呼んで参ります」
立ち上がり、行く気満々の私にそう言い残し、ベイスが走っていく。
「お嬢様、本当にお一人で行かれるのですか?」
ベイスが立ち去ったのを確認して、アシリカが駆け寄ってくる。
「ええ。もちろん」
「ですが、今はデドルさんも不在です。影からお嬢様をお守りする事が出来ません。せめて私かソージュのどちらかでもお供を」
デドルには別件を任せている。あの老婆の探りだ。レイアの話からだけではなく、あの禍々しい雰囲気を持つ老婆が気になって仕方ない。絶対に何かに関わっているはずだ。
「大丈夫。二人はここで、待っていなさい」
虎穴に入らずんば虎子を得ず、よ。
渋るアシリカたちを言い聞かせている所にベイスが戻ってきた。二十代後半くらいの侍女姿の女性を連れてきている。
「この者は、サラルという当家の侍女です。彼女にナタリア様の案内を任せます」
「そう。では、サラル。よろしくお願いしますわ」
「はい。承知しました」
不安げなアシリカとソージュの見送りを受け、私は裏山へと向かう。
「こちらにございます」
サラルに案内され、またもや道なき道を進んでいく。でも、まだ明るい分、歩き易い。
一昨日の夜に見つけた中腹の呪術の実験場の前を通る事なく、頂上に辿り着く。
頂上は開けており、眼下を見下ろす事が出来る。
眺めは確かにいい。だが、見えるのは、ガイザの貧しい街並み。見ていて気持ちのいいものではない。むしろ、心が痛む光景である。
「ナタリア様」
背後からサラルの声が聞こえる。さっきまでと違い低い声である。
「……何かしら?」
鉄扇を手に取り、振り返る。
「もう少し、疑う心をお持ちになられた方がよろしいかと。もうお遅いですが」
サラルの手には、火球がある。
へえ。この人、魔術の使い手だったのか。
「ご忠告感謝しますわ。でも、あなたはもう少し相手の実力を見る目を養った方がよろしくてよ」
右足を一歩後ろに下げて、身構える。
私の言葉に一瞬、馬鹿にしたような笑みを見せ、サラルは火炎を放つ。
一直線に火炎が向かってくる。
「気合いだぁぁっ! 自信だぁぁっ!」
鉄扇を大きく振りかぶって、目の前に来た火球を一刀両断する。
火炎は二つに割れ、小さくなると霧散する。
「なっ!」
信じられないものを見る目でサラルがこちらを見ている。
一気にサラルの元へ駆け寄り、鉄扇を彼女の腕目がけて打ち込む。
「くっ!」
苦痛に顔を歪めながらも、サラルは何とか体を捻って衝撃を和らげたみたいだ。二、三歩後ずさり、唇を噛みしめている。
「信じられない。貴族の娘にこの私がいいようにあしらわれている……」
「恥ずべき事ではありませんわよ。私、確かに貴族の娘ですが、剣聖の弟子でもありますの」
「け、剣聖の弟子ですって」
信じられないを通り越して、訳が分からないといった顔にサラルはなっちゃているね。
このサラルは取り合えず、捕えておきましょうかね。
「ふん。調子に乗らないで頂きたい。まさか私一人だとお思いか?」
サラルは気を取り直したのか、近づく私を強く睨み付ける。
ああ、そうか。他にもお仲間がいるのね。私一人の為に随分と大勢いで歓迎してくれるのね。
何人くらい来るのかしらね。あまり多いとそれはそれで困るけどさ。
「出てきなさいっ!」
サラルが叫ぶ。
しかし、誰かが出てくる気配は無い。サラルは戸惑いの表情になり、周囲をきょろきょろと見回している。
「アンタが呼んでいるのは、コイツらの事か?」
木の影から姿を現わしたのは、キュービックさん。その手には見覚えのある男が引きずられるようにして首根っこを掴まれている。ベイスだ。
「キュービックさん! 心配してたけど、やっぱり無事でしたのね」
「ははっ。あっさり捕まる俺じゃない」
さすが、キュービックさん。
「姉ちゃん、また無茶してるのかよ」
苦笑するエディーもいる。彼の前には縄で縛られた男が三人。どれも、顔が腫れあがっている。
「エディー!」
おお、ニセリアたちもいるな。山登りで息を切らしているみたいだけど。
「ど、どういこと……?」
ああ、ごめん。サラルの事、ちょっと忘れてた。
「見ての通りよ。ほら、あなたも仲良くお縄に付きなさい」
一気に間合いを詰めて、サラルのお腹を鉄扇で横薙ぎに払う。
「うくっ」
短いうめき声と共に、サラルはその場に崩れ落ちる。
「お見事。さらに腕を上げたんじゃねえか」
キュービックさんが嬉しい事を言ってくれるね。
「ありがとう。それよりどうしてここに?」
「いやな、ナタリアちゃんに接触しようとアトラス家の屋敷の裏手に来たら、山に入っていくアンタを見てな。そのすぐ後に、剣を携えたコイツらが後を追う様に山に入っていくのを見つけてな。ナタリアちゃんに会うついでに片付けておいた」
なるほど。ベイスも入れて四人では、キュービックさんにあっさりやられたのだろうな。
「ジバンらは?」
「ああ。ジバンらも無事だ。今はガイザの街に潜ませている」
襲撃されたものの、戦っても利がないと判断し、それを逃れてこのガイザまで私を追ってきたそうだ。
良かった。皆が無事なら、それでいい。やっと気になっていた事の一つが消えたわね。
「さて……」
キュービックさんに捕えられているベイスに視線を向ける。
「こんな単純な罠に嵌ったと喜んでくれたのかしら。でも、残念ね。うまくいかなくてさ」
ベイスは、私に言葉に悔しそうに顔を歪める。
「私を害そうとした罪、どれほどのものか分かっているわよね?」
鉄扇を開き、白ユリの紋章を見せる。
ベイスはゴクリと喉を鳴らす。
「私は主に命じられただけでっ!」
額を地面に押し付け、体を震わせている。
こんなにもあっさり主を売るとは思わなかったな。所詮、虎の威を借りる小者ということか。
「ならば、質問に答えてくれるかしら?」
私に頭を何度も縦に振り、ベイスは縋る様な眼差しを向けてくる。
「ルドバンは何を考えているの?」
アトラス領を支配し、呪術の研究を続けたいのは分かる。だが、呪術で何をしようとしているのか。その目的を知りたい。
私の命を奪えば、大騒ぎになるはずだ。いや、大騒ぎどころでは済まない。アトラス家の一大事になるのは間違いない。何かしら言い訳を考えているとは思うが、それでも、それに釣り合うだけの何かがあるはずだ。
「ルドバン様のお考えですか? それは、分かりません」
「分からない?」
「は、はい。ルドバン様の胸の内はよく分かりません。どのようにお考えかも。それに、すべては、あの婆さん――」
突然、ベイスの言葉が途切れ、顔に苦悶の表情となる。
まさか、これは……。
「ううっ!」
ベイスだけでなく、サラルら他の者も一斉に苦しみ始める。その顔に、呪術の紋章が浮かび上がってくる。
「べ、ベイスッ!」
駆け寄るが、私に手の施しようは無い。
「あ、あの老婆が来て……、か、ら……」
最後の言葉を振り絞る様に出して、ベイスの呼吸が止まる。
「こりゃ、ひでえ……」
冒険家として多くの経験をしてきたキュービックさんでさえ、目を背けている。
まただ。まやもや、呪術で命を奪われた。ベイスがルドバンの悪事に加担していた事は許し難い事だが、あまりにもむごい最後だ。
「……山を下りましょう」
ここにいつまでいてもする事は無い。重苦しい雰囲気を振り払うように私は首を振る。
「そうだな」
力なく、キュービックさんも頷く。
山を下りしばらくした時だった。どこをどう通ったかは分からないが、一昨日の夜に見つけた呪術の実験場へと入る洞窟が見えた。
洞窟の前に、あの老婆が立っている。
私は無意識のうちにその老婆の元へ駆け寄っていた。
「おや。これはナタリア様。またお会いしましたねぇ」
こんな場所で会ったというのに、老婆は動じる様子も無い。
「そうね。偶然、かしら?」
鉄扇を手にして、老婆を注意深く見る。
「どうでしょうかねぇ」
相変わらず不気味な雰囲気を漂わせ、フードからにやりと歪める口が見えている。突然駆け出した私に追いついたキュービックさんも老婆に禍々しいものを感じているらしく、全身を緊張感で漲らせている。
「この洞窟の奥に用事があるのでしょ? でも、少し私に付き合ってもらうわ」
鉄扇を老婆の首元に当てる。
「いやいや。なかなかの肝の据わりようですねぇ。これは、耳にしていた噂と随分と違うようで……」
こんな状況でも、老婆の様子に慌てたものは感じられない。
「噂の真偽は呪術では分からないのかしら?」
「くッくっくっく」
何故か愉快そうに老婆は笑い声を立てる。
「ナタリア様もどうですか、呪術の世界に来られては?」
「いいえ。お断りよ。人の命を何とも思っていないようなものに興味は無いわ」
私は絶対にそんな事は許せない。
「それは残念。ですが、呪術を少し誤解されているかと」
「誤解ですって? 人の命を奪うばかりか、多くの人を苦しめる災害を巻き起こす呪術のどこを誤解しているのかしらね」
「どうやら意見が合わないようですねぇ。ルドバン様はすぐに理解を示されたというのに」
老婆は首を横に振る。
やはり黒幕はルドバンか。
「お話は終わりよ。さあ、大人しく付いてきなさい」
このままコイツをルドバンに突き出してやる。そして、今回の一件の首謀者だと追い詰める。
「せっかくですが、少々用事がありまして……」
老婆がそう言うと、突然周囲に白い煙が立ち込める。
「ナタリアちゃん!」
私を庇う様にキュービックさんに引き寄せられる。
「またお会いする事もありましょう。その時はゆっくりと」
白煙の中から老婆の声だけが響く。
「ま、待ちなさいっ!」
これは、デドルやトルスの使っている白煙と一緒だ。
白煙が消え去った時には、老婆の姿も消えていた。
「逃げられた……」
唇を噛みしめ、老婆のいた場所を睨む私だった。