91 邂逅
予定を切り上げ屋敷に戻るも、ジェイムズは部屋に閉じこもったままである。部屋の中に誰も入れようとせず、いくら声を掛けても「そっとしていて欲しい」という返事が返ってくるだけだった。
ただでさえ、ハイドさんが罪に問われて弱っている所に、領民にあの仕打ちを受けたのだ。ジェイムズの受けた衝撃は大きいだろう。
悔しいが、ここは一度エルカディアに帰るべきかもしれない。ようやく周囲と関わろうとしていたジェイムズが、このままだと再び心を閉ざしてしまいかねない。
こんな事になるなら、生返事でも、災害の事実を教えておけば良かったと後悔するがすでに遅い。
「いくら災害が続いているとはいえ、あの行いと罵声はあまりにも……」
アシリカが沈痛な面持ちで、首を振る。
「ジェイムズ様、悪くない」
ソージュもじっと閉じられたジェイムズの部屋の扉を見つめている。
「お姉さま。ジェイムズ君は私が見てますわ。一度お戻りなられなくては……」
シルビアの言う通りだ。いつまでも賓客という立場の私がジェイムズの部屋の前で突っ立ている訳にもいかない。この後も予定が立て込んでいる。
「……ジェイムズ。また来るわ」
聞いているか分からないが、もう一度扉越しに声を掛け、その場を立ち去る。
「……午後一番で、ガイザの商人の挨拶を受ける事になっております。その後は、ルドバン殿らとの茶会です」
アシリカが努めて事務的な口調で午後からの予定を告げる。
「そう」
廊下の先を真っすぐ見たまま、小さく頷く。
歩きながら、後悔と怒りがこみ上げてくる。
このガイザに着いてから、すべてがうまくいかない。後手に回っているなんてもんじゃない。まるで、ルドバンの手の平の上で躍らせられている気分だ。
鬱々とした気持ちを抱え、次の予定の場所へと向かっている私の前に貴族の屋敷に不似合いな老婆が見えた。
屋敷の中だというのに、頭からすっぽりとフードを被っている。そして、着ている服は全身黒ずくめである。フードで顔はよく見えないが、僅かに覗く口元は深く皺が刻まれている。
魔女――。昨晩見つけたあの呪術の実験場が頭に浮かぶ。
その老婆は、廊下の端に寄り、私に頭を下げている。
「……初めて見る顔ね」
思わず立ち止まり、その老婆に話しかける。
「この屋敷で働かさせて頂いている、しがない下女にございます」
見た目のイメージ通りの皺がれた声で老婆が答える。
魔女ではなく、下女か。
「ここで何を?」
自らを下女と言う割には、何か仕事をしているようには見えない。
「いえいえ。実は先も短い身ですれば、一度、未来の王妃様のお顔を見たいと思いまして」
そう言って、老婆は手でフードを少し上げ、視線を私に向ける。
思わずぞっとする目だ。爬虫類の様な何の感情も籠っていない目である。
「……真っ白ですなぁ。不思議な事もあるもんで」
フードを戻し、老婆は頭を垂れる。
真っ白? どういう意味? 肌が白いと言っているとはとても思えない。
「無礼者! 我が主の許し無く、顔を上げるとは何事か!」
アシリカが私の前に立ちはだかる。彼女も得体の知れない危険を察知しているのかもしれない。何故なら普段アシリカはこれくらいの事に目くじらを立てて、このような態度はとらない。
それほどまでに、この老婆からは、禍々しい物を感じるのだ。
「これは、申し訳ございません。作法も知らぬ哀れな老人にございます。どうか、ご容赦を……」
老婆は腰を曲げ、頭を深く下げる。
「真っ白とはどういう……、いえ、いいわ。もうお行きなさい」
真っ白という言葉に思い当たる事がある。以前の占いの結果だ。王弟のデール様の従者に占ってもらった結果だ。
あの時も私の未来が見えない、真っ白だと言われた。占った本人は調子が悪いと言っていたが、その真実は私のみが理解出来る結果だった。
「へー。ありがとうございます」
頭を下げたまま、その場を立ち去る老婆を見送る。
あの老婆は、私を見て定まらない運命を持っているのが分かったというのか。何者だ? ただの使用人とは思えない。
老婆がいなくなったというのに、その場にまだ何か恐ろしい雰囲気が漂ったままなのを全身で感じていた。
商人からの挨拶を受けている間も、どこか上の空だった。
ジェイムズの事はもちろん、エディーらの事も気になる。その上、さっきの老婆が頭から離れなかったのだ。
それでも、何とか商人からの挨拶をこなし、次の予定である茶会の為に屋敷の庭へと向かう。
「お嬢様。デドルさんからの伝言です」
アシリカが横に並び、小声で告げる。
「デドルから?」
「はい。視察中の騒動ですが、どうやら裏で仕組まれていたようです」
「何ですって」
あのジェイムズへの罵言は計画されたものだったというの?
「誰の仕業かは、特定出来なかったそうですが、扇動した者がいたそうです」
誰の仕業かは、調べるまでも無い。ルドバンに決まっている。そこまでジェイムズを苦しめるなんて、許せない。
だが、同時に分からない。何故、そのような事をする必要があるのか。命を奪うのではなく、そんな回りくどいやり方なのかしら? それは、ガイザに着いてからずっと感じている疑問でもある。
「許せないわね」
どちらにしても、ルドバンは許される者ではない。
両手でペチンと顔を叩き、気合を入れ直す。
八方塞がりで、分からない事だらけだが、ここで諦める私じゃない。茶会には、ルドバンも出る。ここが勝負所だ。
気合いを入れ直して、茶会の会場へと着く。昨日、レイアに誘われてやってきた庭である。
すでに、待ち構えていたルドバンが頭を下げて、私を出迎える。ルドバン以外には、ベイスと名乗った彼の側近の一人のみ。レイアさんと一緒にいた時に彼女を迎えに来た人だ。
参加する予定だったジェイムズの姿は無い。
「ジェイムズ様は?」
型どおりの挨拶を済ませた後、ルドバンに尋ねる。
「申し訳ありません。ジェイムズ様は体調が優れないという事でして……」
ルドバンが頭を下げる。
「そうですか」
部屋に閉じ籠ったままか。まずい兆候だな。
「きっと、旅のお疲れが出ているのでしょう」
ベイスが口添えする。
「ナタリア様。視察中に不届き者が出ました事、重ねてお詫び申し上げます」
申し訳ないと言う割には、ルドバンの顔からは申し訳なさをまったく感じない。
「いえ。お気になさらずに……」
元をただせばアンタが悪いのでしょ、という思いを何とか抑え、笑顔で返す。
不届き者を見つけ出し、処罰すると約束したルドバンであるが、誰を処罰すると言うのかしらね。
「ですが、ゆっくりとガイザの街を見られませんでしたので、変わりと言っては何ですが……」
私は一口お茶を飲んでカップを机に置くと、ゆっくりとルドバンに視線を向ける。
「私、よく王太子殿下と王宮の城壁からエルカディアの街を見下ろしていましたの。この屋敷の裏にある小高い山は見晴らしが良さそうですわ。そこから、ガイザの街を見てみたいですわ」
まずは、こちらから仕掛けてみるか。
あの呪術の実験場のある山に私を素直に入れるだろうか。
「それはいくらナタリア様のお頼みであっても、お断りさせて頂きたく」
顔色一つ変えずにルドバンは即答する。
「あの山はこのガイザに留まらず、アトラス領周辺に住む者にとって、神聖な場所にございます」
「神聖な場所?」
「はい。あの山には古来より大地の聖なる力が集まる場所と言われております。ゆえに、何人たりとも立ち入りを禁じております。そして、この屋敷もあの山を守る為にこの地に築かれたのです」
大地の聖なる力が集まる場所か。だからこそ、あの山の中腹の洞口に呪術の実験場を作ったのか。もっとも、この話自体が私を山に近づけさせない為の嘘である可能性もあるけどね。
「だめですの?」
「どうか、ご容赦を」
ダメ元でもう一度、聞いてみるが返答は変わらない。
うーん。真実か否かは別にして、どうしてもあの山に近づけたくないようだ。あんな施設があるのを見られる訳にはいかないから想定内だけどもね。
「わかりましたわ。そこまで無理を言うつもりはありませんし。代わりと言ってはなんですが、この前お見かけしたルドバン殿のご息女をここに呼んでいただけませんか?」
もう少し、彼女にはあの書付を渡した真意を聞いてみたい。
「レイアをでございますか?」
ルドバンは隣のベイスをちらりと一瞥する。
「ええ。そうです。昨日、お話して楽しかったので、もう少し話したいですの」
まさか、これも断るつもりかとばかりに言葉を重ねる。
「……かしこまりました」
頷いたルドバンは目でベイスに呼んでくるように申し付ける。
「ところでナタリア様……」
レイアを待つ間、ルドバンが私に話しかける。
「ジェイムズ様には、このままガイザの地に留まっていただこうと思っております。見てお分かりかと思いますが、この地は今災害に苦しみ、領民も疲弊しております。そこにご当主であるジェイムズ様がおられると我ら家臣も領民も心強く感じるのです」
ルドバンの提案。言っている事は至極もっともな事だ。おかしくはない。
「王都で学べる事も多いとは思います。ですが、今のこのアトラス領には、ジェイムズ様の存在が必要なのです。それにこの地だからこそ、学べる事もあるかと」
素直に話だけ聞いていると、ルドバンは領民を想い、当主であるジェイムズの事を考えているように聞こえる。
だが、言い換えれば、ジェイムズを自分の目の届くこのガイザで閉じ込めておくとも聞こえる。これは決して疑い深い考えではないだろう。
「ジェイムズ様ご本人は何と?」
「きっと、分かって頂けると信じております」
私の問いに、ルドバンが答える。
無理矢理にでも、と聞こえるのは気のせいじゃないはずだ。
そうか、分かった。
ハイドさんらジェイムズの信頼している者を遠ざけ、さらに追い詰める様な目に遭わせる。すべては、ジェイムズの心を壊し、その殻に閉じ込めようと仕向けたのじゃないかしら。
当主の命を奪う事を諦めて、この屋敷に閉じ込めたまま、今まで通り、ルドバンが実権を握り続ける。心を閉ざしたジェイムズなら何も政治に関わろうとしないだろう。
「お待たせ致しました」
レイアを連れてきたベイスである。
お互いの腹の内を探る様に見つめ合う私とルドバンに声を掛ける。
「レイア。ナタリア様に失礼がないように」
立ち上がり、娘を見てから、ルドバンは私に一礼する。
「では、私はこれにて失礼させて頂きます」
言いたい事を言って、もう用事は済んだという事か。
「そうだ。ナタリア様。いくら暖かいこの辺りでも、間もなくすると雪が降る事があります。雪に遭われる前に王都にお戻りになられた方がよろしいかと」
そう言い残すと、もう一度頭をさげたルドバンは、ベイスを引き連れ去っていった。
なるほど。私には、さっさと帰れ、という訳か。
「あ、あのナタリア様……」
じっとルドバンが立ち去るのを見ていた私におずおずとレイアが話しかける。
「また少し、歩きましょうか」
私の提案にレイアは黙って頷き返す。
二人で庭を歩く。どちらからも話を始める事はなく、周囲は静まり返っている。
「あの……」
沈黙を先に破ったのいはレイアだった。
しかし、その先が続かず、再び口を閉ざす。
「言いたい事があれば聞きます。続けてよろしくてよ」
私がそう言うとレイアは立ち止まる。しばらく、俯き逡巡した後、顔を上げた。
「父は、優しい人でした。私がまだ幼い時に母を失いましたが、寂しさを感じさせないくらい、側にいてくれて愛情を注いでくれました」
話し始めたのは、彼女の父であるルドバンの話。
しかし、愛情か。あのルドバンからは想像出来ないわね。
「そんな父が、このアトラス領の家令になって一年ほど経った頃です。突然、父は変わってしまいました。初めは、慣れない仕事に疲れているのだと思ってましたがそれは間違いでした。人を人とも思わない所業を重ね、異を唱える人はどこかに消えてしましました」
レイアは、辛そうに目を伏せる。
「何か、切っ掛けになるような事は?」
「いいえ。特に変わった出来事はありません」
ゆっくりとレイアは、首を横に振る。
「ですが、あの老婆、何やら不気味な老婆です。あの人が屋敷に出入りするようになってからです。あそこまで父が変わったのは」
老婆? さっき廊下で出会ったの老婆か? やっぱり、只の老人じゃないみたいね。
「その直後から災害が立て続けに起こりました。ですが、父は困窮する民を助けようともせずに、何やらその老婆としきりに裏の山に通うようになったのです」
「あの山はこの辺りでは神聖視されているのよね?」
念のため、ルドバンの言葉の真偽を確認する。
「はい。聖なる力が集まる場所だそうです」
そこは本当だったのか。
「父が何をしようとしているのかは分かりません。何を聞いても答えてくれませんから。ですが、今の父は、間違っています。私自身も今は母を失った直後より寂しさを感じます」
「それで、あの書付を私に……」
藁にも縋る思いで、私にあれを渡しのだろうな。
「はい。それで、父の身に破滅が訪れるかもしれない事は承知しております。ですが、今のこの地を見ていると……」
なるほどね。レイアにとっては、故郷でもあるこの地の人々が苦しむのを見ていられないのかもしれない。そして、彼女なりに父親が何か罪を犯しているかもしれないのを感じ取っているのだろうな。
「申し訳ございません。ナタリア様にとっては、何の関係もない事だと……」
慌てた様子でレイアが、謝る。
「いいえ。このような状況を放っておくようなナタリア・サンバルトではありませんわ」
私の言葉にレイアは目を丸くする。
「任せなさい」
私は満面の笑みで自分の胸をポンと叩いて、レイアを見つめていた。