89 想定外
三日後。ついにガイザの街へと辿り着いた。
襲撃を恐れ、進行速度を上げ、夜も進み続けたお陰か、遅れを取り戻してガイザの街へと着いていた。
しかし、警戒していた私たちの予想をある意味裏切り、川で濁流にのみ込みかけられ、魔術で襲撃されそうになって以降は、不思議と何も起こらなかった。逆にそれが不気味にも感じるけどね。
ガイザはアトラス領の中心地であり、当主の屋敷もある街である。本来ならば、経済や文化が集中するはずであるガイザだが、今ではそれらは見る影もない。アトラス領に入ってから何度も見てきた荒れた街並みしか目にしない。
路傍に佇み無気力な目をした人、ボロを纏っている人、ガリガリに痩せ細った人ばかりである。
「かつては、それなりに栄えていたのですが……」
そんな光景にハイドさんは唇を噛みしめている。
ジェイムズも辛そうに顔を歪めて、車窓に映る景色をじっと見ていた。
この街だけではないが、アトラス領を復興させるのは並大抵のことではないだろう。一目見て、それは辛く長い道のりとなるのが想像できる。
「間もなくアトラス家の屋敷に着きやす」
御者台からデドルの声が聞こえる。
街の北端にあるアトラス家の屋敷。小高い山を背にしたその屋敷が見えてきた。廃墟と呼んでも差支えが無い住民の家とは違い、三階建ての綺麗な建物だ。
あそこに、今のその屋敷の実質的な主と言えるルドバンが待ちかまえている。
次第に近づいてくる屋敷を見ながら誰も口を開こうとしない。
皆がそれぞれの想いを抱いて、屋敷の門を潜る。
門から屋敷までの道では、点々と両脇に使用人と思われる人たちが馬車に向かって並んで頭を下げている。
玄関の前で馬車が停車する。
緊張の面持ちで、ジェイムズは私を見る。
「大丈夫。側にいるから」
微笑みながら頷く私に、ほっとした顔になり、ジェイムズも頷き返す。
止まった馬車の扉がゆっくりと開けられた。玄関前で一列に並んで恭しく頭を垂れている人たち見える。どれが、ルドバンかは分からない。
ジェイムズを先頭に馬車から降りていく。続けて私も馬車から降りる。
「ジェイムズ様。お久しぶりにございます。所領へのお戻り、心より嬉しく思います」
列をなした中から一歩前に出てきた男がジェイムズに挨拶を述べる。
この男がルドバンか? 思っていたより悪人面してないな。どこにでもいる普通の中年男といった感じだ。
「ナタリア様。イザル・ルドバンと申します。この度、遠路この地まで来て頂きありがとうございます。サンバルト家のご令嬢にして王太子殿下のご婚約者様であるナタリア様のお越しは、当家にとってこの上ない栄誉でございます」
やはり、こいつがルドバンか。ジェイムズに続き、私に向かって頭を下げる。
「お出迎え、痛み入ります。感謝ですが、王太后様になさってくださいませ。王太后様からのお頼みですもの」
さりげなく王太后様の存在をアピールする。手段を選ばないルドバンには効くかどうか微妙だが、ジェイムズの背後に王太后様がいる事を匂わせる。
「それはありがたい事で。王太后様にジェイムズ様が気に入られているとは、アトラス家は益々安泰にございます」
そう答えるルドバンは満面の笑みを私に向ける。
何かイメージと違って調子狂うな。いや、何となく贅沢でぶよぶよに太っていてもっと偉そうなヤツだと想像してたからさ。似合わないちょび髭なんか生やしたりしててさ。
でも、目の前のルドバンは、痩せた長身。髭はもちろん無い。目付きも鋭さを感じないな。
すぐにでも不遜な態度をしたら、噛みつこうとしていた私にとっては拍子抜けである。
「長旅お疲れでしょう。まずは、ゆっくりと旅の疲れを癒してくださいませ」
そう言って、屋敷への中へと促すルドバン。
一見どこから見ても悪人に見えないそんなルドバンに私は逆に得体の知れない怖さを感じていた。
挨拶を終えて、私たちは屋敷内の一室へと案内された。
屋敷の外が嘘のような豪華な部屋の造りである。
当然だが、ジェイムズらとは別室である。シルビアに頼んで、ジェイムズの側に付いていてもらっている。侍女として……。
喜々としてアシリカから侍女の服を借りていたけど、胸元がきつそうだったな。アシリカ、複雑だろうな。でも、アシリカは標準サイズだから、シルビアが規格外なのよね。だから、悔しくなんかないはずよ。それにしても、フッガー家の令嬢なのに、侍女になりたいなんて、変わってるよね。私だったら、侍女より、騎士になるけどな。それをアシリカに言ったら、ため息つかれたけどさ。
ま、何だかんだ言って、シルビアが側にいれば取り合えずは心配ないだろう。
「もっと悪そうな人を想像していました」
アシリカのルドバンへの感想である。ソージュもそれに同意らしく頷いている。
受けた印象は私と変わらないみたいだ。
「だからと言って油断はだめよ」
確かに見た目からは悪だくみを巡らし、悪事に手を染めるようには見えないが、何かイヤなものを感じる。それが何か、と聞かれてもうまく説明出来ないけど。今までの経験からくる勘だ。
証拠も何も無い今の状況ではどうする事も出来ないけどさ。
「歓迎の晩餐会で何か仕掛けてくるかもよ」
間もなく、私たちを歓迎する意も込めて晩餐会が催される。その為、私も夜会に準じた正装をしている。
その晩餐会でルドバンが何か仕掛けてくる可能性は否定できない。さすがに毒殺は無いだろうが、警戒するに越したことは無いはずだ。
「かしこまりました」
アシリカとソージュも気を引き締め直し、頷く。
それにしても、道中でどさくさに紛れてジェイムズの命を奪う事が出来なかったルドバンは、次はどんな手を使ってくるだろうか。ガイザまで辿り着いたからといって諦めるとは思えない。
一人考えていると、扉をノックする音が聞こえる。
晩餐会まではまだ時間がある。一体、誰だろうか?
「ルドバン……殿のご息女がお嬢様を茶会にお誘いしたいとの事ですが……」
アシリカが困惑の色を浮かべて私に告げる。
ルドバンの娘が私を茶会に? 何か目的があるのかしら? うーん。これは、娘を使って私に仕掛けてきたのかしらね。ていうか、ルドバンに娘がいたんだ。それは知らなかった。
目的は分からないけど、これは受けるべきね。少しでも何か分かるかもしれないしね。
「お誘い、受けるわ。すぐに向かいます」
私は椅子から立ち上がる。
部屋まで伺いを立てにきた者に屋敷の中庭へと案内される。中庭も屋敷の外とはまるで別世界で、綺麗に整備されている。王都の中堅の貴族の屋敷に匹敵するほどの造りである。
その中庭に、頭を下げて私を待つ女性が見えた。
「レイア・ルドバンにございます。突然のお誘いを受けてくださり恐悦にございます」
私が前まで来ると頭を下げたまま名乗る。身分差や立場から、私が許しを出すまで頭を上げる事が出来ないのか。
「ナタリア・サンバルトにございます。お顔を上げてくださいな」
「はい」
そう言って顔を上げるレイア。一言で言うと素朴。このアトラス領を牛耳っているルドバンの娘とは思えない純朴さがある。親子そろって、ことごとくイメージを壊してくれるなぁ。
「ナタリア様にお会いできた事、大変嬉しく思っております」
嬉しいと言うわりには、ちょっと震えてない? もしかして、我儘ナタリアの噂を知っているのかしら? ここまで来てまたこれですか……。
「私もちょうど退屈しておりましたの。お茶に誘って頂けて嬉しいですわ」
様子を伺いつつ、笑みを見せる。そう、相手はルドバンの娘。親が悪いなら、その子も悪いとは思わないが、ここは警戒は怠らない方が賢明だろう。
社交の場で培った令嬢らしい振る舞いと笑顔である。疲れるけどね。
「は、はい……」
そう言って、レイアは目を白黒させている。
おや? 本来ならば、ホステス側である彼女が席を勧めるのが作法にかなった次の行動だが、どうしていいか分からず、まごついているように見える。
もしかして、慣れていない? 顔からも緊張しているのが丸わかりだし。
「素敵な庭ですわね。せっかくですので、お茶の前に少し歩きませんこと?」
助け舟を出してあげるか。このままじゃ、ずっと黙って立ちっぱなしになりそうだしな。
「は、はい」
レイアは、私の一歩後ろに付いて歩いていく。無言のままただただ庭を歩く。
「話しをしませんか? 横に並んでくださるかしら?」
先に無言に耐えきれなくなった私は、立ち止まり後ろを振り返る。
「は、はい」
さっきから、はい、しか言ってないよね。何で私を誘ったのかしらね。
「レイアさんは、おいくつですの?」
何を話していいか分からない私だ。まずは彼女の年齢でも聞いておこうかな。
「十五、になります」
俯きつつ、レイアが答える。
「でしたら、私と同じ年ですわね」
「はい。……あの、一つ尋ねてもよろしいでしょうか?」
頷いた後、遠慮がちに私をに視線向ける。
「ええ、構いませんわ」
やっと、会話らしくなってきたかな。
「あの、ナタリア様は何故、ジェイムズ様とご一緒にこのアトラス領へ?」
あー、それか。ま、普通は所領に帰るのに、他家の者が同行するなんて無いもんな。
「王太后様のお頼みですわ。当主と言ってもまだ子供のジェイムズ様の道中の話し相手として、それと、王太子殿下の妃になる者として他家の所領も見ておくようにとの思し召しからですわ」
私は公式なジェイムズに同行している理由を話す。
「そう……ですか」
そう言ったレイアは難しい顔となり俯く。
まさか、これをルドバンから聞くようにでも言われたのかしらね。でも、こんな事、わざわざ質問する事じゃないよね。公式な理由は誰もが知っているはずだし、そもそも、レイアから父親のルドバンに何か目的を持って誘う様にでも言われた感じがしない。
「レイア様、こちらにおられましたか」
庭を歩く私たちの前に一人の男が声を掛けてきた。格好からして、ルドバンの部下だろう。
「ナタリア様? 何故こちらに?」
レイアと一緒にいる私を見て驚きの表情を見せる。私の顔を知っているという事は、それなりの地位にいるのだろう。
「ごめんなさい。私がお誘いしたのです。王都がどんな所か一度聞いてみたくて」
レイアが男に謝っている。
王都の話? そんな事、まったく聞かれなかったけど。
「……左様にございますか。ナタリア様は長旅でお疲れのはずです。あまり、ご迷惑をおかけしませんよう」
「ごめんなさい……」
か細い声でレイアは小さくなっている。
「いえ。よろしくてよ。私もちょうど退屈していましたの。いい気分転換になりました」
気の毒に思ってしますレイアの態度に庇う言葉を口にする。
「ナタリア様。お気遣い、感謝致します。それと、間もなく晩餐会のお時間になります。案内の者を呼びましょう」
そう頭を下げる男は、顔を上げるとレイアに部屋に戻るように促す。
「あの、ナタリア様。ありがとうございました」
そう言って、レイアは両手で私の手を握る。
ん? 何か私の手の中に入れられたな。微笑み返しながらちらりと見ると紙切れのようである。
「では、失礼いたします」
頭を下げて、レイアは男に伴われ、その場を離れた。
二人が去ったのを確認して、そっと渡された紙切れを見る。
屋敷の裏山――。
紙にはそう書かれていた。
晩餐会の会場では、机を挟んで私とジェイムズが向かい合っている。
ジェイムズの後ろには、ハイドさんとルドバンが立っている。
「ナタリア様。改めまして、ガイザへのご来訪、お礼申し上げます」
ルドバンが私に仰々しく頭を下げている。
「また、ジェイムズ様が所領へ帰ってこられた事、家臣一同大変喜んでおります。ささやかではございますが、このような席を設けさせて頂きました」
「この様な手厚い歓迎、痛み入りますわ」
私は社交の場で鍛えた笑顔を顔に張り付けている。
ポケットに入れたままのレイアからのメッセージが気になるが、晩餐会が終わってから考えよう。
ささやか、という言葉の意味が分からなくなるほどの料理が次から次へと出てくる。屋敷の外で暮らしている人の事を思い出すと、食べづらくなるな。まあ、いくら貧しくても、侯爵家としてのプライドもあるから無理してでも下手なものを出せないのは分かるけどさ。
「お疲れとは思いますが、明日はガイザの街を視察をお願い致します」
メインディッシュの直前に、ルドバンがジェイムズに告げる。
まあ、当主が所領に帰ってきて視察するのは当然の行動だ。おかしな事を言ってないが、何故、このタイミングなのだろうか。
「その前に。やれねばならん事がございますが……」
にこやかな表情のままのルドバンのその言葉が終わると同時に、壁沿いに控えていた、護衛がハイドさんの背後に来たかと思うと、両腕を掴む。
「な、何をする!」
ハイドさんが叫ぶ。
「何をする? それはあなたが一番よく分かっているはずです」
ルドバンは表情をまったく変えない。
「ハイドが何をしたというのだ!?」
ジェイムズが立ち上がり、ルドバンに詰め寄る。
「ジェイムズ様。ハイドに謀反の疑いがございます。その証拠に、彼の甥であるジバンが執政官らを殺害し、街の実権を握ったとの報告を受けております」
詰め寄るジェイムズに笑顔で答える。
「そ、それは違う!」
「いいえ。事実にございます。ジェイムズ様を欺き、己の権力を強めようとする奸臣を取り除くのは、忠臣の務め」
怒りで声を張り上げるジェイムズに動じる事もなく、ルドバンは、ハイドさんを捕えている者に顎で連れていくように指示を出す。
「ジェイムズ様。逆臣は取り除きました。何も心配する必要はございません。すでにジバンの奪取した街にも兵を送り込んでおりますゆえ。もう着いている頃でしょうな」
嘘でしょ……。あの街にはまだエディーやニセリアたちががいるはずだ。それにジバンも無事だろうか。キュービックさんが付いているから、大丈夫だとは思うけど……。
ルドバンは、呆然とするジェイムズの肩に手を掛けて椅子に座らせると、私の方を見る。
「ナタリア様。お見苦しい所をお見せして申し訳ございませんでした」
「……彼の裁きは誰が?」
落ち着け、と自分に言い聞かせながら尋ねる。
「もちろん規則に則り裁きます」
笑顔を消し、無表情となったルドバンが答える。その顔からは何の感情も読み取れない。
「では、事後処理もありますので、私は失礼させて頂きます。この後もごゆっくりとお楽しみくださいませ」
そう言ってルドバンは一礼する。
「そうだ。ジェイムズ様。明日の視察、よろしくお願い致します」
部屋を出ようとするルドバンが立ち止まりジェイムズへ振り返り、一言告げた。
「失礼致します」
ハイドさんが連れていかれ、呆然としたままで返事が出来ないジェイムズに軽く頭を下げたルドバンはそのまま部屋を後にする。
「ジェイムズ……」
まさかの事態にどうしていいか分からない私だった。