88 不気味な夕日
行程が遅れている事もあり、その日の午前中のうちに出発する事になっていた。
もう少しこの街で静養する事になったエディーを出発のお見舞いを兼ねて、挨拶に訪ねていた。
「じゃあ、エディー。大人しくしてるのよ」
「分かってるよ」
エディーがつまらなそうに返事する。旅から離脱する事になったのが不満みたいだ。
昨日に比べ、随分と体調も良くなってきたようだが、完全に回復するまでゆっくりしてもらわなければね。
「ナタリア様。私たちがしっかり監視しています」
一緒に残るニセリアたち三人は笑顔である。
「ええ、お願いね」
頼まれた三人は、私の身代わりで息の詰まる旅から解放されるのが嬉しそうだね。かなり気苦労していたみたいだからなぁ。
「エディーが回復したら、すぐに追いかける」
キュービックさんも一緒に残ってもらえる様に頼んでいた。エディーとニセリアたちだけじゃ、危なっかしくてこの街からどこにも動けないからね。
「それより、体調は大丈夫か? いくら解毒剤を飲んだからといっても……」
心配そうに私を見つめるキュービックさん。
「大丈夫ですわ。これでも、健康だけが取り柄ですから」
「その唯一の取り柄が無くなる様な真似は今後、決してなさらぬよう」
後ろからまだ言い足りないとばかりにアシリカが口を挟む。
出発まであまり時間が無かったせいで、説教が短かったもんね。まだ、いろいろと言い足りないのかな。それより、誰でもいいから他にも取り柄があるってフォローはしてくれないのかしらね。
「反省しているから、いい加減許してよお」
少し可愛く言ってみる。
「はぁ」
大きくため息を吐くアシリカとソージュ。その顔は呆れている様に見えるけど、私の可愛いは通じないのか。
「こればかりは、アシリカちゃんの言う通りだ。あまり無茶はするなよ」
キュービックさんにも釘を刺される。
「はい。気を付けます」
確かに皆に心配をかけたのは悪かったな。反省します。
「でも、姉ちゃんから無茶を取ったら何も残らないよな……」
おい、エディー。何を真顔で呟いている? 誰の為にその無茶をしたと思ってるのよ。
「何よ! 何も残らないって、どういう事よ?」
「じゃあ、何が残るんだ?」
不思議そうに私を見るな。
ちゃんとあるわよ。そーね……。
「えっと……、健康?」
私の返事に、アシリカとソージュが肩をがっくりと落として、もう一度大きなため息を吐いていた。
それまでと違い、警護の為に武装した兵が騎乗する馬で、私たちの乗る馬車の周囲を固められている。後方には、大荷物を載せた馬車や随行の使用人の乗る馬車も付いてきている。総勢五十人は超える大所帯である。
私たちの乗っている馬車も豪華で、乗り心地は悪くない。だが、この何とも言えない物々しい行列に落ち着かない。ニセリアたちが胃を痛くしていたのが、分かった気がする。
私の乗る馬車は豪華なだけでなく、大きさもあったお陰でいつものメンバーが一緒に乗れたのが、唯一の救いである。御者台にはキュービックさんに代わりデドルが座っている。
「しかし、以前のルドバン様は決して今のような方ではありませんでした」
いつものメンバーにハイドさんが加わっている。
せっかくなので、ルドバンの事を尋ねていた。
「目立ちませんが真面目な方で、あのような野心を持っている様にはとても見えませんでした」
だからこそアトラス領を任されたのです、とも付け加えるハイドさんは複雑そうな顔である。
以前のルドバンを知るからこそ、今のルドバンの所業が苦々しくもあり、失望も抱いているのだろう。
「いつ頃から今のようなルドバンに?」
そんなに急に変わったのだろうか。
「そうですね……。先代の旦那様が亡くなられてから一年ほど経った頃からでしょうか。次第に以前からの者を遠ざけ、自分に近しい者を重用し始めたのは……」
そこからは、あっという間だったらしい。気づけば、ルドバンを支持する者ばかりで周囲を固め独断ですべてを決定し、さらにはアトラス家の当主の座まで狙ってきた。
王都でジェイムズの側にいたハイドさんにはどうする事も出来なかったらしい。
だが、疑問もある。今のアトラス領に魅力があるとは思えない。侯爵の位はともかくとして、ここまで荒れ果てたアトラス領から大きな利益を得られるはずもなく、手に入れるメリットが感じられないのだ。
それとも、私たちが知らない何かがあるのだろうか。いくら考えても分からないけど。
「ガイザに着いて、ルドバンに会えば何か分かるかしらね」
でも、手段を選ばないやり方に怖さも感じる。進めば進むほど、ルドバンの作る蟻地獄に近づいていっている気分だ。
言い知れぬ不安を感じていると、突然馬車が止まった。
先頭を進んでいたうちの一騎が、私たちの馬車まで戻ってきた。
「この先の橋が今にも崩れ落ちそうでして。安全を確認致しますのでしばらくお待ちください」
報告するとすぐにまた前方へと馬を走らせていく。
窓から覗き見ると、大きな川が見える。だが、川と言っても干上がっているようで、所々に茶色く濁った水たまりと細い水の流れが二、三本あるだけである。
そこに架かっている石造りの橋は、確かに老朽化している。何ヶ所も橋を支える橋脚の石が抜け落ちている。確かにこの橋を渡るのは、ちょっと怖いな。
「大丈夫なのでしょうか?」
アシリカも心配そうに呟いている。
人が歩いて渡るのはともかく、重量のある馬車が渡るには、かなり不安よね。
「申し訳ございません。橋の保全もままならぬとはお恥ずかしい限りです」
申し訳なさそうにハイドさんが頭を下げる。
「ハイドさんが悪い訳ではありませんわ。お気になさらず」
そう答えるが、ジェイムズも複雑そうな顔で前方を眺めている。
橋がこんな有様では、近くに住む人も不安だろうな。一日も早いこのアトラス領の復興を祈る。
しばらく待っていると、橋を渡れそうだと報告を受ける。だが、万が一を考えて馬車を一両づつで渡っていくそうだ。
まずは、使用人らの乗る馬車、続いて荷物を載せた馬車の順番で橋をゆっくりと渡っていく。それを見ている限り、問題は無さそうだ。
「問題なさそうですな」
デドルもこう言っている事だし、取り越し苦労だったみたいね。
馬車の中も心配そうな雰囲気が消えていく。
最後の私たちの乗る馬車もゆっくりと橋を進んでいく。
「今にも崩れそうね……」
おそるおそる窓から橋を見る。大丈夫そうと思っていても、思わずそう口をついてしまう程橋の劣化は激しい。
「ん?」
向こう岸はまだかと前を見ると、何やら上空に強く光る明かりが見えた気がする。だが、他の者はそれに気づいた様子は無い。
「何かしら?」
首を傾げ疑問を口にした時である。どこからか、ドンとものすごい音が聞こえた気がする。皆もその大きな音に気付いたらしく、周囲を見渡している。
橋が崩れそうになっているかと思ったが、異変は見られない。
「何かしら……」
私がそう言ったのと同時だった。
川の上流から、水が勢いよく流れてきている。通常の流れではなく、まさに鉄砲水と呼ぶに相応しい勢いと水量である。
「嘘でしょ……」
勢いそのまま、橋を直撃する。その衝撃で大きく橋が揺れる。
デドルが馬に鞭を入れ、一気に馬車のスピードを上げる。
「どこかをしっかり掴まってなさいよ」
激しく揺れる馬車の中で叫ぶ。
濁流の中で、石造りの橋脚が耐えきれずに崩れていくのが見える。
このままでは、橋が崩れ落ちてしまう。そうなると、馬車ごとあの濁流にのみ込まれる事間違いなしだ。
後方で、またもや大きな音が響いた。私たちが通っていた橋が崩れ落ち始めたみたいだ。そのせいで、橋も大きく傾いてくる。
向こう岸までは、まだ少し距離がある。このままじゃ、渡り切るまで橋はとても持つとは思えない。
「アシリカッ! 凍らせなさい! ありったけの魔力で橋の周囲全体を凍らせるのよ!」
橋の周囲の濁流ごと凍らせる。そうすれば、何とか橋を渡り切るまでは持ちそうだと思う。
「は、はいっ!」
激しい揺れに倒れそうになるアシリカをソージュと二人で必死で支える。
アシリカの魔術で、橋桁がみるみるうちに凍り付いていく。その範囲は、あっという間に広がり、橋脚はもちろん押し寄せてきていた濁流も凍り始める。
橋の崩落は何とか止まる。
しかし、流石にすべてを凍らせるのは無理のようで、茶色く凍った濁流の後ろから勢いよく新手の水が押し寄せてきている。
冬だというのに、アシリカの額には汗が滲んでいた。いくら魔力量の大きいアシリカでも限界がある。いつまでもこれだけの範囲を凍らせ続ける事は出来ない。
「デドルッ! 急いで!」
悲鳴に近い叫び声を上げる。
今は何とかアシリカの凍らせた橋と周囲の濁流で堰き止められているが、川の増水は止まりそうにない。
私の声に応える余裕がデドルといえども無いようで、必死に馬に鞭を入れている。
ミシミシと嫌な音を立てて橋を凍らされている氷にヒビが入ってくる。アシリカの顔は、疲労の色が浮かび苦しそうに歪められている。
「アシリカ、もうちょっとよ。頑張って!」
何も出来ない自分が歯がゆい。
車輪がギシギシと音を立てながらも何とか馬車が橋を渡り切る。
それを確認したアシリカは、魔術を解くと同時に全身の力が抜けた様で倒れ込んでしまった。
橋も一気に次から次へと押し寄せてくる濁流の中へと崩れ落ちていく。割れた氷と橋を形成していた石が大きく飛び跳ねてから、濁流にのみ込まれていた。
まさに、間一髪だった。
「アシリカ、大丈夫?」
アシリカは、肩で息をして、冬だというのに汗がびっしょりである。その汗を拭いながら、顔を覗き込む。
「……はい、何とか……」
そう答えるが、大丈夫そうには見えない。
「魔力の枯渇状態ですわ。少し横にしてあげた方がよろしいですね」
シルビアの言に従い、アシリカを椅子へと横たえる。
「ねえ、アシリカ、大丈夫よね?」
エディーの件もあったところなので、不安で仕方ない。
「心配ありませんわ。ゆっくり休んでしっかり栄養を取れば、明日にはまた元気になりますわよ」
シルビアが私を安心させる様に、肩を抱きながら微笑みかけてくれる。
「助かったわ。アシリカのお陰よ。今はゆっくり休んでいなさい」
寝かされているアシリカの側にしゃがみ込み、彼女の髪をそっと撫でる。
「ですが、お嬢様の……」
こんな時にまで私の事は気にしなくてもいいのよ。
「命令よ。今はゆっくりしてなさい。ねっ、お願いだからさ」
「……はい」
アシリカはそう小さく返事すると、すっと目を閉じた。
「ソージュ、アシリカに付いていてあげて」
「ハイ」
心配そうな顔でアシリカを見ながらソージュが頷く。
私はひとまず馬車から降り、状況を確認する。シルビアとジェイムズも私に続いて馬車から降りてくる。
「馬車が壊れていないか、確認しております。もうしばらくお待ちください」
さっきの恐怖がまだ続いているのか、青い顔をしたままのハイドさんに頷き、周囲を見渡す。
相変わらず、荒れ果てた土地が広がり、放棄された畑の跡が見られる。
何気なく辺りを見渡していた私の目に、向こうの立ち枯れした木の影に何か動く影が一つ見えた。
あれは、動物じゃないよね。間違いなく人だ。こんな所で何をしているのだろう?
じっと見てると、その人の胸元が赤く光り始める。
あれは、魔術だ! 炎を作り出している。深く考えずとも、今からあの人間が何を目的に魔術を発動させているか分かる。
私は隣にいたジェイムズを背にして、庇う。もしかしたら、さっきの上空の光も魔術だったのかもしれない。
「デドルッ!」
すでにデドルも気配を感じ取っていたようで、私が叫ぶより早く怪しい人影に向かって短剣を投げていた。
胸元の火球を今にも放とうとしている所にその短剣が刺さり、そのまま仰向けに倒れる。発動者を失った火球はみるみるうちに消えて無くなった。
ようやく異変に気付いた護衛の兵が慌ただしく私たちを守るように取り囲む。
「ジェ、ジェイムズ様っ! お怪我はございませんかっ?」
血相を変えたハイドさんが飛んできて、ジェイムズの無事を確認する。
「あ、ああ」
ジェイムズは、気丈に答えているがその顔には怯えが見える。
「ハイドさん。ジェイムズを馬車へ」
「は、はい」
警護に囲まれ、ジェイムズは馬車へと戻っていく。
刺客が現れた場所をじっと見ていた私の側にデドルが戻ってくる。
「ありがとう。助かったわ。襲ってきた者の身元が分かる様な物はあった?」
こと切れた刺客を確認していたデドルに尋ねる。
まあ、そんな物を持っているとは思えないけどね。
「いえ、何一つありませんでした。……それより、お嬢様」
デドルが声を落とす。
「先ほどの突然押し寄せた濁流も人為的なものでしょうな」
そう考えるのが、自然よね。偶然目にしたあの上空の光が私たちの馬車が橋を渡るタイミングを知らせるものだったのだろう。その策から逃れ、辿り着いた所で馬車から降りたジェイムズの命を奪おうとしたに違いない。
「上流で水を堰き止めていたのでしょう。それを一気に切り落とし、あの濁流を起こしたようですな。証拠に堰き止めていた木片の残骸が一緒に流れてきてました」
あの状況で、よくそこまで見ていたな。
「ルドバンの指示でしょうね」
会った事ない奴だけど、本当に手段を選ばない相手だわ。ここから先は一瞬たりとも気が抜けないな。
「へい。おそらくはそうでしょうな」
落ちた橋を見返すと、夕日が射してきている。
普段は綺麗に感じる夕やけに染まったオレンジ色にどこか不気味さを感じていた。