87 覚醒
苛立ちを顔に滲ませ、ロウテッドが私を睨んでいる。
「貴様、言っていい事と悪い事があるぞ」
ロウテッドの両隣に立つ二人も同じ様な様子で私を忌々し気な顔で睨んでいる。おそらく彼らが副執政官と警備隊長だろう。
「証人もいるのよ。ここの使用人のアイリー。そこまで言えば、もう分かるではずよね?」
まだ一人で立つのは辛く、アシリカに肩を借りたままの私だが、睨み返す目には力を籠める。
アイリーの名前を聞いたロウテッドは明らかに焦りの表情を浮かべる。しかし、すぐに気を取り直したのか、再び鋭く私を睨みつける。
「さては、貴様もジバンの仲間だな。我々を貶めようとする輩に違いない。いくらナタリア様のお知り合いとはいえ、これ以上は黙っておれん。この街を預かる執政官にそこまで言う事はアトラス家を侮辱するに等しい!」
なるほど、そう来ますか。
「ナタリア様も騙されていたに違いありません」
「このような者を放っておくわけにはいかんな」
両隣の二人も同じく騒ぎ立てている。そんな騒ぎに反応したのか、十人ばかりの警備兵が部屋に駆け込んでくる。
「こいつらは、ジェイムズ様の毒殺を企み、ナタリア様を誑かした罪人だ」
ロウテッドが叫んで、私を指差す。
自分たちに都合の悪い人間はすべて罪人という訳ね。
「お黙りなさいっ!」
私は、一喝する。
「アトラス家を侮辱しているのは、どちらかしら?」
私は鉄扇を取り出し、口元に添える。
「本来するべき民への心配りを別の所に向け、その上忠を尽くすべき主を守るどころか、害を為そうとするとするなど言語道断」
鉄扇をロウテッドに向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線をロウテッドに送る。
「捕えよ! この不届き者たちを捕えろっ!」
ロウテッドの命令に、警備兵たちが、私目がけて走ってくる。
だが、私に辿り着く前に一人がバタリと倒れる。
「今回は、俺に任せてもらう」
怒りのキュービックさんが私の前に立つ。
「もちろん構いませんわ。でも……」
キュービックさんに頷いて、ロウテッドを見る。
「気の毒ね。自業自得とはいえ、あなたたちは、とんでもない人を怒らせたわよ」
ミズールでのデドルと見せた無双状態のキュービックさんが脳裏に浮かぶ。
怒気に溢れて、長剣を構えているキュービックさんより、アシリカたちにやられた方がずっとマシだったかもね。
「安心しろ。殺しはせん。だが、一生残る傷を与えてやろう。その心にな!」
キュービックさんの宣言。思わず私もぞっとしちゃうくらいの迫力だよ。
その言葉に嘘偽りは無かったようで、鬼気迫るキュービックさんの剣技は冴えわたっていた。もう、誰も手出しする必要が無いのが明白だった。
恐怖に染まった顔で警備兵がなぎ倒されていく。
ロウテッドら三人だけになるまで、たいして時間が掛からなかった。
「こ、これは、どういう事だ?」
そう言いながら、ロウテッドらは後ずさりしている。
「そ、そうか! これはハイドの謀反だな! こうしてはおれん。すぐにルドバン様にお知らせしなくてはっ!」
部屋から逃げ出そうとするロウテッドの前にデドルが現れる。その後ろには、ジバン、そして、他にも若い者たちが並んでいる。
デドルへ出したもう一つの指示。それは、ジバンと同じく志を持っている反ルドバン派を集められるだけ集めてくる事。
「ジバン!」
ロウテッドは目を見開き、叫んだ。一歩下がって背後を向くが、その顔にキュービックさんの長剣が向けられている。
逃げ場を失った三人はうろたえて、周囲を見回す。
「ここにいる者は皆、アトラス家の将来を憂いている者ばかりです!」
ジバンがロウテッドに向かって大声を出す。
「何を馬鹿な事をしている! 貴様ら、ルドバン様に逆らうつもりか!」
ふーん。ジェイムズに、じゃないのね。
「一つ尋ねたい」
突然、黙っていたジェイムズが口を開く。
「毒を盛ったのは、あなたか?」
「何だ、このガキは?」
ロウテッドは忌々し気にジェイムズを睨み付ける。
「ロウテッド、誰に向かって――」
顔を真っ赤にするハイドさんをジェイムズが手で制す。
「ジェイムズ・アトラスだ。僕の質問に答えろ」
そのジェイムズの顔は今までに見た事がないほど、怒りに満ちていた。
「な、何? どういう事だ? ジェイムズ様は、そこに……」
戸惑いの表情に変わったロウテッドは、ベッドに横たわっているエディーと目の前のジェイムズを見比べている。
「詳しい事情を説明するつもりはないけど、こっちがジェイムズ・アトラスで間違いないわよ。この私が保証しますわ」
そう言って、手にしていた鉄扇をすっと開き、白ユリの紋章を見せつける。
ロウテッドが、あんぐりと口を開け、食い入る様に白ユリの紋章に見入っている。
「ロウテッド! アトラス卿自らの下問よ。答えなさい!」
まだ息苦しさは残るが、声を張り上げる。
アイリーという証人を抑えられているのだ。申し開きが出来るはずない。案の定ロウテッドは、何も言い返せず、両手を床に着き、がっくりと項垂れる。
「ジェイムズ様。何も答えないとは、己の罪を認めたという事でよろしいかと」
ジェイムズは、私の言葉に頷き返す。
「まずは、それぞれの職を解く。処分は後ほど伝える。ひとまず牢へ!」
ジェイムズはジバンに指示を出す。
それに、感慨深そうに頷いき返すジバンとその仲間たちによって、引っ立てられる。
「立派だったわよ。ジェイムズ」
連れていかれたロウテッドたちの後ろ姿を見ながら、ジェイムズに話しかける。
「夢中でした。エディー君をあんな目に遭わせたのが許せませんでした」
怒りの表情を引っ込め、少し照れくさそうに私を見る。
「ジェイムズ様! このハイド、感動いたしました! ご立派なお姿、涙が止まりません!」
ハイドさんがジェイムズに駆け寄り、跪いている。眼鏡がずれるのも気にせず、涙を拭っている。
分かるわ。さっきのエディーは、まさに当主らしい毅然とした態度だったもの。ハイドさんが泣いて喜ぶのも当然よね。
「ナタリア様! エディー君が目を覚ましました!」
ジェイムズの前で泣き続けるハイドさんを微笑ましく眺めている私をニセリアが呼んでいる。
「エディー!」
私はふらつく足で、エディーの寝かされているベッドの脇に駆け寄る。
うっすらと目を開けて私を見ている。
「どう? 具合が悪い所ある?」
「大丈夫。体、楽になってきた」
そう言うエディーの顔色はほんの少しだが、良くなってきている気がする。
「でもさ。さっきからドタバタうるさいよ。また、姉ちゃんが暴れていたのか? 相変わらず、令嬢らしくないよなぁ」
悪戯っぽい笑みを浮かべるエディー。
「あんたは、もう!」
直った途端に、また憎まれ口をたたくのね。でも、それが何だか嬉しい。
「もうちょっと寝てなさい!」
私もハイドさんの影響を受けたのだろうか。そう言いながらも、目に端に涙が浮かんでいた。
翌日の朝。
私たちにショッキングな報告がもたらされた。
ロウテッドら三人が牢で亡くなっていたのだ。しかも、その顔には、象形文字のような呪術の紋章が浮かび上がっていた。魔術学園のソレック教授の時と同じものだ。
「一体何が……」
ハイドさんが呆然と呟く。
デドルも厳しい顔つきになっている。
「牢には誰も近づいていないはずなのですが……」
報告するジバンも予想外の出来事に憔悴した顔を見せている。
ロウテッドらも呪術に関わっていたのか? いや、ロウテッドというより、アトラス家を牛耳るルドバンが、と言った方が正しいな。ならば、ソレック教授に資金援助していた黒幕はルドバンなのだろうか。
いくらエディーを苦しめた悪人とはいえ、気分のいいものではない。それに、敵の総本山に今から向かうのに、少しでもルドバンの情報を得ておきたかった。
「なかなか厳しそうね……」
この先何が起こるか分からない。気が抜け無さそうね。もちろん、どんな事が起こっても叩き潰すつもりだけどさ。
「それより、エディーの具合はどう?」
アシリカに尋ねる。
「はい。食欲も出てきたみたいで、少しずつですが回復してきているようです」
それは良かった。
「でも、まだ旅を続けられるだけの体力は戻ってはおりません」
そりゃそうよね。あれだけ、苦しみ続けたのですものね。
「今無理するの駄目だと思いマス」
ソージュの言う通りよね。
どうしようか。エディーの体力の回復を待つ時間的な余裕も無い。それでなくても、予定より遅れている。いや、世直しの為に進行を遅らせた私のせいだけどさ。
ニセリアたちだけで、ジェイムズの身代わりがいない正規の一行も変だしな。
「お姉さま」
悩む私たちの部屋と扉をノックして、シルビアが顔を覗かせる。
「どうしたの?」
シルビアはジェイムズと一緒にエディーの側にいたのに。まだ子供のジェイムズにロウテッドの無残な最期は聞かせたくないしね。
「あの、ジェイムズ君が、どうしても皆さんに話したい事があると……」
シルビアの後ろで、ジェイムズが立っている。
「入ってらっしゃい」
どうしたのかしらね。随分と深刻そうな顔をして。
「姉様。話があります」
「ええ。何?」
ジェイムズに椅子を勧めて、尋ねる。
「エディー君との入れ替わりをやめようと思います」
決意を込めた目でジェイムズが私を見ている。
「ですが、ジェイムズ様。この先はさらに危険があると思われます。万が一の事を考えますと……」
ハイドが難色を示す。彼としたら、当然の反応だろう。
「ハイドの心配は分かっている。でも、僕は決めたんだ」
ジェイムズは首を縦に振る。
「姉様を見て思いました。我が身を顧みずに、自分を慕う者の為に行動を起こす。そんな姉様を見て、上に立つ者の覚悟を知りました」
解毒剤の効果を私自身の身で確かめた事か。でも、あんな危険な事はさせたくないな。
「ジェイムズ様。あのお嬢様の行動はとても褒められるものではありません。後から私も諫言申し上げるつもりですし」
私を一瞥して、アシリカはジェイムズを諫める。そんなアシリカにソージュも大きく頷いている。
この後にアシリカのお説教があるんだ。気が重くなってくるな。ま、彼女らを心配させたから仕方ないか。覚悟しておこう。
「アシリカさんの言われる事も分かります。ですが、姉様の持つ覚悟は見習うべきだと思いました」
真っすぐに見返すジェイムズにアシリカは言葉が詰まる。
「僕には今のアトラス領を立て直す自信がまだありません。ですが、僕の事を信じてくれている人の為に何か少しでも役に立ちたい。そんな彼らに応える覚悟をしたいのです」
そう語るジェイムズの目は初めて王宮で出会った時とはまったく別ものだった。
「覚悟、決めたのね?」
「はい。ジェイムズ・アトラスは僕です。僕は僕としてカイザの街に行きます」
一点の曇りも無いジェイムズの瞳。
「何も言わないわ。自分の思うようにしなさい」
ここまで覚悟を決めたジェイムズに言う事は無い。私は、それを全力で助けるだけ。そして、最後まで見届ける。
「ううっ」
そんなジェイムズを見て、ハイドさんが泣き声を立てる。
「ご立派になられました。父君様や母君様がこれをご覧になられたら、どんなにお喜びになったか。このハイドもこれ以上に嬉しい事はございません」
「ハイドにも今まで心配をさせてしまった。ごめんなさい」
一段と声を上げハイドさんは涙を流しながら、ジェイムズの側まで駆けていき、抱きしめる。
きっと、ハイドさんも必死でジェイムズを守ろうと頑張ってきたのだろうな。それを知りながらもジェイムズはどうしても、心を開けなかったのだろう。呪われた子としての呪縛のせいで心を閉ざしていたから。
「ねえ、ハイド。泣きやんでよ」
あまりに泣きじゃくるハイドさんに困り顔になるジェイムズである。
「これが泣かずにおられますか」
眼鏡を外し、涙をいくら拭っても次から次へと溢れ出てきている。
思わず私も目頭が熱くなってくるよ。
「良い主従ですね」
アシリカも感動しているようだ。
「そうね。私たちに負けないくらいの絆で結ばれているのね」
「そうですね。……では、今からその絆を再確認いたしましょうか?」
絆の再確認?
「お嬢様。いくら何でもご自身で解毒剤の効果を試すなど、見過ごせません」
後からの説教が始まるのでしょうか? もっと後でもいいのに。
「私たちに何の相談もなく、あの様な真似をされるのは、心外です。効果を試す方法なら他に方法も考えましたのに」
感動していたアシリカがいつの間にかいなくなってませんか?
「毒を飲んでない私たちの方が倒れるかと思いマシタ」
あれ、今日はソージュも説教に加わるの?
「ジェイムズ様とハイドさんの邪魔になりますね。別室で絆を深めましょう」
立ち上がるアシリカとソージュ。
「さあ、お嬢様。行きますよ」
アシリカとソージュに引きずられる様に部屋から連れ出されていく私をジェイムズとハイドさんが気の毒そうに見ていた。