83 楽しい時間は……
いよいよ明日には、アトラス領へと足を踏み入れる所まで来た私たちである。距離と比例して、時間も経過しており、いつの間にか今年も今日が最後である。
新年をお父様やお母様と迎えられないのは、残念だが、旅先で年を越すのも新鮮で悪くはないと思う。
「いよいよ、明日ね。どう、初めて自分の所領に行く気分は?」
隣に座るジェイムズに尋ねる。
「少し、怖い気もします」
まあ、命を狙われる可能性もあるから、そう思うのも無理はない。
「心配ないわ。私たちが守ってあげるわよ」
ジェイムズの肩のい手を置き、安心させるように笑顔を見せる。
「いえ。狙われている事だけではありません。アトラスの地を見るのが、怖いのです。災害が続いて貧しく荒れてしまっていると聞きます。それを見るのが怖い」
俯いたジェイムズは、膝の上で拳を握りしめている。
そうか。自らを呪われた子であると、アトラス家に関わる不幸を自分のせいだと考えているジェイムズは、その目で荒れ果てた所領を見る事を恐れているのか。
「そうね。確かに苦しむ領民を見るのは辛い事かもね。私だって、サンバルト領の人が苦しんでいたら、きっと辛いわ」
「それもありますが、それを見た僕が何も思わなかったら……、と思うと怖いのです」
そっちか。感情を押し殺してしまっている子だものな。
「どうかしらね。実際見てみるまで私にも分からないわ。でもね、怖いと思うようになっただけでも、随分変わったんじゃないかしら?」
初めて出会った時、旅に出始めた頃ならば、怖いという事すら頭に浮かばなかったはずだ。
「怖いというのも、立派な感情の一つよ。この旅でいろんな事があって、多くの人に出会ったでしょ。無駄ではなかったわね。だって、何も感じなかった心が、何かを感じるようになったんだからさ」
俯くジェイムズの頭をポンポンと軽く叩く。
いまいち自分では、変化が分かっていないのか、不思議そうな顔で私をジェイムズは見上げる。
「ほら、明日からは新しい年が始まるわ。ジェイムズも新たな気持ちで新年を迎えなさい」
頷いたジェイムズだったが、不安そうな面持ちは消える事が無かった。
「今日は、ここで宿泊しやす」
デドルがそう告げて、馬車が止まったのは、一軒の古びた屋敷。
ここは、アトラス領までは目と鼻の先の小さな街である。
「実は、この街には、宿がありませんで。この屋敷もかつてこの街の富豪が持っていたもので、今は空き家です」
そっか。なら、仕方ないね。少し古びた屋敷だが、贅沢は言えないものね。
「ニセリアたちはどうするの?」
また近くに温泉でもあるのかしら。
「あちらも、今晩はここに泊まりやす」
へー。初めて一緒ね。一緒に泊まっていいのなら、スパも一緒に泊まりたかったよ。結局、温泉に、一度も入れなかったしさ。
だが、同時に心配も出てくる。アトラス領がすぐそこなのに、本物の私たちと、入れ替わりのニセリアたちが同じ場所で泊まっても大丈夫なのだろうか?
その疑問を口にすると、デドルは笑って答える。
「心配いりやせん。あっしの見たところ、怪しいモンは付近にいなさそうです」
なるほど。その辺は抜かりがないみたいね。
それを聞いたアシリカとソージュもほっとした様な顔になる。
「とにかく、中に入りやすか」
デドルの言葉に従い、泊まる事になる屋敷へと入る。
長い間、人が住んでいなかったようで、全体的に埃っぽい。
「これは、掃除しなくてはいけませんね……」
アシリカが舞い上がる埃に顔を顰めている。
「私も手伝おうか?」
アシリカとソージュだけでは、大変だろう。
「いえ。お嬢様に掃除をさす訳には……」
慌てた様子で、アシリカが止める。
「別に構わないわよ」
「いえ。そういう訳にはまいりません」
全力で拒否してるね、アシリカ。
「余計、やる事が増えそうデス」
ソージュの鋭い一言。
それは、否定しきれない。
「お嬢様。屋敷から出ない範囲で自由にくつろいでいてくださいませ」
仕方ない。言われた通りにしよう。邪魔するのも悪いしね。でも、しっかりと屋敷から出ない様に釘を差されたな。それも、仕方ない。掃除を待っている間、暇だし、屋敷を探検でもしようか。
「シルビア、ジェイムズ。ちょっと屋敷の中に何かないかぶらぶらしてみない?」
私と同じく暇を持て余している二人を誘う。
「いいですわね。素敵な木があればいいですわね」
どこでもいつでもブレないね、シルビアは。
「いいですけど、特に目新しい物もないとは思いますよ」
ジェイムズ、あなたはもう少し子供らしく探検とかに興味持ちなさい。
「すごいお宝があるかもしれないじゃないの。さっ、行くわよ!」
そんな馬鹿な、という目のジェイムズと早速庭にある木を物色しているシルビアを引き連れ、屋敷の中を探索していく。
そこそこの富豪であったようで、貴族の屋敷には及ばないもののなかなか広い。しかし、いくら広いといっても、何もない部屋ばかりのせいか、すぐに屋敷を一通り見て廻ってしまった。
「やはり何もありませんでしたね」
体に付いた埃をはたきながら、ジェイムズは私を見る。
一方、木どころか花もなかった荒れ放題の庭に明らかに気落ちしているシルビアである。
何か、悔しいな。お宝があるとは思っていなかったが、何一つ面白そうな物が無かったのは、残念だ。
「お姉さま、あれ……」
落胆していたはずの、シルビアが庭の片隅を指差している。その先には、小さな小屋がある。
「何かあるかしら」
「部屋と同じに違いありません。何もないと思いますよ」
だから、もう少し冒険心を持ちなさいよ、ジェイムズは。
「見に行くわよ」
物置としてでも使われていたのかその小屋は、屋敷より朽ち果てている。
何とか付いているという感じの扉を開け、中を覗き込む。屋敷の中と違い、何やら物で溢れかえっている。
何か面白そうな物でもないかと探してみるが、何一つとして目を引く物は見当たらない。いくつかあった大きい箱の中も調べてみるが、空かガラクタが入っているだけだった。
「姉様、もういいではありませんか」
埃っぽい空気に嫌気が差したのか、元々興味の無いジェイムズが、うんざりとした顔をしている。
うーん。確かに興味が引かれそうなものは無いわね。ま、当然か。人が住まなくなって歳月が経っているみたいだしね。
仕方ない。アシリカたちの所に戻ろうか。
諦めて表へ出ようとした私の足が、転がっていた小箱に当たる。
「ん? これは……?」
足が当たった拍子で蓋がズレた小箱の中に何かが入っている。
長方形の形をした板に柄の様な持ち手が付いている。それが二つ。そして、綿を丸めた柔らかいボール状の物が一つ。
羽子板みたい。羽根では無く、丸いボールだが、これは、まさしく羽子板だ。
「お姉さま。何ですの、それ」
シルビアが横から箱の中を覗き込む。
「いいもの、見つけた」
丁度、今日で一年が終わる。つまりは、明日は新年だ。これで、遊ぶにぴったりなタイミングじゃないか。
「いいもの?」
「ええ。そうよ。明日が楽しみだわ」
年末年始のイベントが無いこのエルフロント王国。雪合戦に続いて、新たなイベントが出来るかもしれない。
私は、一人ニヤニヤとしていた。
小屋から出てきた直後にニセリアたちも到着し、屋敷は一気に賑やかになった。夜には伝統に則り、皆で静かに月夜に祈りを捧げた。毎年思うけど、地味な年越しだよね。カウントダウンとかすればいいのに。
そして、向かえた翌日。今日の出発は昼前である。それまでは、私は自由時間。もっとも、アシリカやソージュらは、出発の準備で忙しそうである。
デドルに聞いたところ、昨日私が見つけた羽子板のような物は、スノウザという遊びに使う道具だった。遊び方は、私の知っている羽子板とほぼ同じ。何でもエルフロント王国南部の伝統的な子供の遊びらしい。
それを持って、庭にいる。私とシルビア、ジェイムズにエディー、それにニセリアたち三人である。まあ、一言で言うと、やる事の無い暇なメンバーね。
「では、第一回ハゴイタ大会を始めます!」
「ハゴイタ? 何だ、そりゃ?」
「ええ。そう、ハゴイタ」
首を傾げるエディーに頷く。まあ、知らなくて当然よね。
「でも、デドルさんは、スノウザって言ってましたが」
ジェイムズも不思議そうに尋ねてくる。
「そうだけど、今回はルールを少し変えるから、ハゴイタよ」
そう言って、私が取り出したのは、化粧道具。ニセリアたちを貴族らしく見せる為に使っているものだ。
「負けたら、この化粧道具を使って顔に落書きされます!」
「あの、ナタリア様。化粧道具をそのような事に使っては……」
ニセリアが顔を引きつらせている。後ろでダメリカとウソージュも激しく首を縦に振って同意を示している。
「大丈夫よ。少しくらいなら、バレないわよ」
まだ準備には時間が掛かりそうだし、最後に水で洗えば、綺麗に取れるだろうからね。
「まあ。それは、斬新ですわね」
「へえ。そいつは、面白いかもな」
シルビアとエディーは、乗り気みたいだ。
「あの……、それは僕も参加するのですか?」
化粧道具と私の顔を交互に見てジェイムズが尋ねてくる。
「もちろんよ」
満面の笑みで頷く私に大きくため息を吐いて首を振るジェイムズだった。
さあ、ハゴイタ大会の始まりだ!
「ぎゃはっはっは!」
お腹を抱えてエディーが笑っている。
「姉ちゃんの顔、ひでえな!」
くそっ。いきなり、エディーに負けるとは。あんなにも素早い動きをするとは、誤算だったわ。落書き第一号がこの私になるとはね。どんな顔になっているのかしら? 鏡も用意しておけば良かったわね。
ジェイムズももっと、笑ってくれていいのよ。そんな風に気を使って必死に耐えなくてもいいのよ。
「さあ、続いてはシルビア対ダメリカよ!」
これが、意外と接戦。だが、最後は、体力の無いダメリカがバテてしまい、シルビアの勝利。
「では……」
シルビアは、眉墨でダメリカの眉を繋げる。さらに、口紅を使い、頬に木の絵を掛かれる。落書きも木なんだな。
でも、これはこれで面白い。ニセリアも堪らず笑い声を上げている。
「さあ、どんどん続けるわよ!」
全員の顔が酷い事になるのに、さほど時間は掛からなかった。知らない人が見たら、もう元の顔が分からないまでに落書きが施されている。
眉が太くなり繋がっているのは当たり前。丸印やバツ印はもちろん、皆が口裂け女になっている。
相手の顔を見ながら、勝負すると思わず笑ってしまう状況である。
「お姉さま。そろそろ片付けないと……」
シルビアがくすくすと笑いながら、時間を気にしている。
「そうね。さすがにこれを見たら、アシリカもハイドさんも卒倒するかもね」
楽しい時間だったが、そろそろお開きかな。
それぞれが落書きされた顔を見合わせ、笑い声をあげる。
「どう?」
私も隣にいるジェイムズを見る。
「姉様、すごい顔になってます」
ジェイムズも私の顔を見て笑顔を見せる。十歳の年相応の笑顔である。初めて見たと思う。何だか嬉しくなってくる。
「良かった」
髭が描かれ、目の周りを真っ黒に塗りつぶされたジェイムズの頭を撫でる。
皆楽しそうだし、やって良かった。
「じゃあ、そろそろ片付けようかしらね」
見つかる前に顔の落書きを綺麗に落とさないとね。
片付けようとした私は、庭の隅に立っている男と目が合う。男は、唖然とした顔で私たちを見ている。いや、唖然というより、ドン引きしている様にも見える。
誰だ? 見かけない顔だ。そもそも、この場所は誰でも簡単に立ち入る事を許されていないはずだ。
「下がってなさい」
私は一気に警戒モードに入り、鉄扇を手にする。横にいたジェイムズを体の後ろにやり、男を睨みるける。
「何なんだよ。こんな奇妙なヤツらって聞いてないぞ」
何やら独り言を呟く男の手には、ナイフが握り締められている。
「ちっ。それに、どっちだ? 男の子は一人じゃねえのかよ」
狙いはジェイムズか。
「姉ちゃん」
いつの間にか木の棒を手にして、エディーが私の側に来ている。シルビアも険しい目つきに変わっていた。ニセリアたちは、その場でしゃがみ込み、身を寄せ合って震えている。
「まあ、いい。両方やればいいか」
男は答えが出たようだ。手に持つナイフを握り直してこちらにゆっくりと歩いてくる。この場にいるのは、女性と子供ばかり。彼の中では反撃など夢にも思っていないのだろう。
私はその男の進路を塞ぐように立ち塞がる。
「どけ。そんな変な顔をしたヤツに用はねえよ」
口元でちょっと笑っているのが、妙に腹立つ。
「どかないのなら、お前もただじゃすまねえぞ」
「ごちゃごちゃうるさいわね」
せっかく、楽しんでいたのに、邪魔するなんて、許せないわ。
私は腰を落とすと、一気に間合いを詰めて、男の腹に鉄扇を浴びせる。
「うぐっ」
一瞬の出来事に何が起こったかも分からなかっただろうな。男はうめき声と同時に、倒れ込む。
「侵入者ですうぅぅ!」
ニセリアが大声で叫ぶ。
「ちょ、ちょっと」
今、人を呼ぶのはまずい。だって、まだ顔の落書き消してないじゃないか。
男が倒れ、恐怖が消えたが、緊張の糸も途切れたらしいニセリアたちは、私が止めるのも耳に入らず、大声で助けを求める声を上げ続ける。
当然、この場の異変はすぐに、準備をしていたアシリカたちに気付かれる。
「お嬢様っ!」
「ジェイムズ様っ!」
血相を変えたアシリカとソージュ、それにハイドさんが飛び込んできた。
それぞれの主を呼ぶアシリカとハイドさんだが、私たちの顔を見て、その素早かった動きが止まる。
「お、お嬢様……」
「ジェイムズ様……」
どうやら、彼女たちには、意識を絶たれて倒れ込んでいる不審者よりも、私たちの方が異質なものに見えるようだ。
「えっと……。そ、そうだ。ほら。侵入者よ。でも、大丈夫。私が捕えたからさ」
アシリカたちから視線を外し、寝ころんで動かない男を指差す。
それでも、アシリカたちは言葉を失い、ただ私たちを呆然と見つめていた。