82 ありがとう
夜が来るのを洞窟で待ち、月明りに照らされる中、馬車でスパへと向かっていた。
私たちに加え、クレアも馬車に同乗してもらっていた。他のメンバーには、洞窟で待ってもらっている。
「ジェイムズ。どうだった?」
疲れた顔のジェイムズに話しかける。
「いえ。大変でした……」
自分より小さい子供の相手をするのに慣れていないせいもあり、大変だったのだろう。
「他に感じた事は?」
「感じたというか、クレアさんは悪くないと何度も言われました」
ちらりと、クレアの方を見てジェイムズが答える。
「そうなんだ。それで、あなたはどう思った?」
「……分かりません。確かにクレアさんのした事は罪です。でも、あの子供たちを守る為だったのかなと考えたら……」
ほう。ジェイムズも随分と成長したわね。こんなにも早くそこに考えが行き着くとは思っていなかった。
「あのさ、私もジェイムズも悪い事をした事無いって言えないわよね。この前もイートンで大嘘ついたじゃない。嘘をつくのも悪い事でしょ」
イートンで、ローデスや執政官を騙した事を例に挙げる。
「あの時の嘘と、盗賊する事と比べるのは……」
ジェイムズは納得のいかない顔を横に振る。
「まあね。でもさ、人の為にしたって意味では、クレアと私は一緒かもよ?」
「人の為に……」
ジェイムズが私の言葉を繰り返す。
「ええ。今までも見てきたけどさ、人間って、自分の守りたい人や愛する人の為に嘘をついたり、悪い事をしてしまう時があるの。それだけは、忘れないでいて」
クレアのしてきた事は確かに簡単に許される事ではない。でも、そうせざるを得なかった事も理解はしてあげたいと思う。
ジェイムズには、弱い者が何故、そうしなければならなかったのか、そうさせたのは誰のせいなのか――それを分かって欲しい。いずれ、人に上に立つ者として。
「さて、もうそろそろ着くわよ。皆、準備はいい?」
もうすぐしたら、スパが見えてくる頃だ。
「だが、どうするつもりだ?」
一人クレアは、心配そうに私を見る。
私の計画は、正面から堂々と乗り込む。ただそれだけだ。まあ、いつも通りと言えばいつも通りなのだが、そんな事を知らない彼女が不安に感じるのも無理はない。でも、他に何も思いつかないしね。正面突破あるのみだ。
「それに、ここまで来て言うのも何だが、アンタたちも巻き込んでいいのか?」
「大丈夫。クレア、安心していい。うちのお嬢サマ、こう見えてやる時はやる方ダカラ」
うーん。よく思う事だけど、それ、褒めてるのよね、ソージュ?
「だが、まったく勝算が見えんが……」
なおも不安な様子を見せるクレアである。
「私に任せなさい。最後にクレアとソージュの笑顔を見せてよ」
でないと、世直しが終わらないのだからさ。
「……アンタは、一体何者だ?」
私を見る、不思議そうな顔となったクレアがそう呟いた時、スパの建物が目に入る。
「着いたようね」
私は、クレアににっこりと微笑み返した。
予告状をしっかりと受け取ってくれたらしく、スパの前には、十を超える警備の兵が待ち構えている。
「止まれっ!」
両手を大きく振り、一人の警備兵が私たちの馬車を止める。
一列に並ぶ警備兵の向こうに身なりのいい小男がいる。
「ジバンッ!」
クレアが目付きを鋭くして小さく叫ぶ。
あれが、ジバンか。確かに、ちょび髭を生やして、金にがめつそうな顔しているわね。
「お前たち、何用だ?」
止まった馬車に一人の警備兵が近づいてきた。
「あら? 予約していたはずだけど」
馬車から降りて、私は警備兵の前に立つ。
「予約? 今日は予約は無かったはずだが……」
私たちを客かと勘違いしたのか、ジバンの方を振り返る。
「どうした?」
様子を見に来たジバンが怪訝そうに警備兵の元にやってくる。
「このスパを予約した者だけど」
「今日は予約は受け付けていないはずですが……。あの、お名前は?」
やって来たジバンは、私の身なりと馬車を見て、私たちを本当に予約客と思っているようだ。
「ああ、そう言えば、名前は書いてなかったわね。でも、受け取ったはずよ。このスパを返してもらうって予約をさ」
にやりと私は笑う。
「何っ?」
一歩、後ずさり、ジバンは表情を変える。
「あれって、予約じゃなくて、予告だったかしら。ま、どっちでもいっか」
両隣に来たアシリカとソージュに笑いかける。
「ジバン様! こいつ、刑場を襲ったヤツです!」
警備兵の一人が私を見て、叫ぶ。
おお。この顔、覚えていてくれたみたいね。
「何だと? ふん。ちょうどいい。今度こそ、逃がすなっ!」
さらに一歩下がって、ジバンが私を睨みつける。
「どうしたのだっ!?」
そこへ、キュービックさんがスパの入り口に姿を現わす。その後ろには、顔を青くしているハイドさん。ニセリアたちも来ているね。
「こ、これは、皆さま。いえ、賊がまた現れたのです! しかし、ご安心ください。このジバンが不届き者たちを成敗しますゆえ」
スパの入り口まで、飛んでいくジバン。調子のいい事、言ってるね。
何かどんどん私たちから逃げていくようにも見えるけどな。でも、実際は前後を挟まれている事にいつ気づくのかしらね。
「不届き者はどっちだ! お前こそが、この街の害悪ではないかっ!」
クレアさんがこれ以上黙っていられないとばかりに、馬車から飛び出してくる。
「お、お前は、クレア! こいつらは盗賊だ! こいつらまとめて捕えろ!」
ジバンが叫ぶ。
「まあ、盗人猛々しいとは、この事ですわね。あなた、どちらが、盗みを働いたのか、分かってるのかしら?」
私は鉄扇を取り出し、口元に添える。
「己の利益のみを追い求め、弱き者のわずかな希望をも取り上げる。そんな者がこの街を国から預かっているなど、見過ごせませんわ」
鉄扇をジバンに向ける。
「悪役より悪いなんて許せませんわ。お覚悟、よろしくて?」
凍てつく視線をジバンに送る。
「この悪党どもを早く捕まえろっ!」
ジバンが警備兵に向かって叫ぶ。
「悪党はどちらかしら。アシリカ、ソージュ、デドル。お仕置きしてあげなさい!」
「はいっ!」
「ハイ!」
「へい」
こちらに向かってくる警備兵にアシリカの氷塊。一撃で、その三分の一が薙ぎ倒される。
そこにソージュとデドルが飛び込む。瞬く間に残っていた警備兵も次々と倒されていく。
「す、すごい……」
その様子を唖然とした様子でクレアが眺めている。
「あらまあ、今回は、気合いが入ってますわね」
すっかりこの状況にも慣れた様子のジェイムズと一緒に馬車から降りてきたシルビアが感嘆している。
「そうね。でも、これじゃあ私の分まで回ってこなさそうね……」
その予感は正しかったようで、その言葉が言い終わると同時に、最後まで立っていた警備兵が、ソージュの掌底で、悶絶しながら倒れ込んだ。
「な、な……」
ジバンは、腰が抜けたらしく、その場に尻もちを付き、言葉にならない声を出している。
何が言いたいのかしらね。
「さて……」
鉄扇を手の平にポンと打ち付け、私はジバンの前へと立つ。
「ナ、ナタリア様っ!」
青褪めた顔のジバンは、振り返り、ニセリアたちに助けを求める。
「呼んだ?」
「は?」
何故、お前が答えるとばかりに、ジバンは顔をこちらに戻す。
「だから、私を呼んだでしょ」
手にしていた鉄扇をすっと開く。現れたのは、扇面に描かれた白ユリの紋章。
「なっ、なっ!」
ほんと、このジバンってヤツ、話し方を忘れたのかしらね。
「いつまで呆けている! 白ユリの紋章を前にして、控えぬとは無礼ですっ! この方は、サンバルト公爵家令嬢ナタリア・サンバルト様にございます!」
アシリカが私の横からジバンに一喝する。その反対側に立つソージュは、怖い目でジバンを睨み付けている。
私に向かってキュービックさんらも跪いているのをジバンが見て、ガタガタと体を震わせ始める。
「ひ、ひぃっ!」
ジバンは、抜けた腰を必死に浮かして、土下座の体制になる。
「ジバン。本来守るべき民を苦しめるばかりか、盗賊の真似事をさすまで追い詰めるとは、言語道断ですわ」
私の厳しい視線に何も言えず、ジバンはただ、土下座のまま下を向いて体を震わせている。
「まずは、免除されていたのに徴収した税を住民に返しなさい。あ、利息も付けて余分に返しなさいね。もちろん、あなたの私財からよ」
ジバンは顔を伏せたまま、ぶんぶんと首を振り頷く。
ハイドさんに頼んで、アトラス家の信頼出来る者に監視させようかしらね。たぶん、全財産無くなりそうだけど、自業自得よね。
「それと、無理やり奪い取ったこのスパは私が没収します。よろしいですわね」
またもや、ジバンは言葉を発しないまま何度も頷く。
「お嬢様がですか?」
隣からアシリカが素っ頓狂な声を上げる。
「ええ。そうよ」
これで、私はこのスパのオーナーよ。ジバンも納得しているのだから、合法よね。源泉を掘り当てたのは、クレアたちだが、建物を建てて整備したのは、ジバンだからね。
「あと、王都に事の次第は報告します。あなたは国から委託されたこの街の統治の役目は解かれるわよ」
もちろん、報告はハイドさんから。手柄は、ジェイムズに譲るわよ。
これにも、ジバンは異論を挟む事なく、頷いている。ショックのあまり、本当にしゃべれなくなっちゃたのかしら。ちょっと、心配になってきたな。
「以上よ。キュービックさん、ハイドさん。後をよろしくお願いしますね」
力強く頷くキュービックさんとまたもや青い顔で頷くハイドさんに事後処理を任せる。
キュービックさんに無理やり立たされたジバンは生気を失った顔で、連れていかれる。
「さて……」
次は、クレアだ。
振り向いた私に、クレアは覚悟を決めた顔をしている。
「私も罪を犯した。裁いてもらえるか?」
真っすぐに私を見ている。
「ただ、他の者たちだけは、許してやってくれないか? この通りだ。頼む」
頭を下げるクレア。
「いいえ。そう言う訳にはいかないわ。罰は皆に等しく与えないとね」
私はにやりと笑う。
「クレア。あなたとその仲間はこのスパで働きなさい。三食のご飯におやつ、それにお給金も特別に付けてあげる」
頭を上げて、クレアは目を丸くして私を見ている。
「不満なの? だったら、しょうがないわね。夜食も付けるわよ。ねっ」
ソージュにウインクをする。そんな私に、ソージュは口元を綻ばせている。
「感謝する。この恩は決して忘れない……」
もう一度、深々とクレアは頭を下げる。
そんなクレアに近づき、そっと肩を抱く。
「私もクレアには感謝してるのよ。ソージュを守ってくれて、ありがとう」
彼女が居なかったら、ソージュは今ここに居なかったかもしれないのだ。それは感謝しなければならない。
「う、ううっ」
今まで重責を背負い続けていたのだろう。クレアは、堰を切ったように、泣き続けていた。
その日の夜のうちに森の中の洞窟へクレアの仲間を迎えにいき、スパへと戻ってくる。
私は一息つく間もなく、事後処理の報告を受ける。どうやら、すべての住民への税金の返還と国からの復旧支援金に充てると、ごっそりと溜め込んでいたらしいジバンの全財産もキレイに無くなる計算のようだ。ま、それは仕方ないよね。
近隣の執政官にも連絡を入れて、すぐに人が派遣される運びとなっている。
そして、今回の一件を解決したのは、もちろんジェイムズ。その辺の口裏合わせもすでに終えていた。
ハイドさんが、旅が始まった頃に比べ、疲労の色が濃くなっているのが気になるな。ゆっくり休めているのかな?
一晩の内にすべてを終わらし、ほとんど寝る間も無かった私もお疲れだな。
ニセリア一行より前を進む予定の私たちは、朝早くに出発する事になり、クレアたちの見送りを受けている。
「じゃあ、スパの方、頼むわね」
「ああ」
クレアは短く答える。その顔からは、強い決意が伺えた。
これなら、心配はなさそうだ。きっと彼女なら、うまくやってくれるはずだ。
「ソージュ。本当にありがとう」
クレアがソージュに頭を下げる。
「なんか、変な感じ」
照れくさそうにソージュが目を泳がせている。
「あの日から心配をしていたが、杞憂だった。ソージュは自分の力で自分の居場所を見つけられたのだな。それが分かって嬉しい」
そう言ったクレアの目はとても優しい。
「お嬢サマのお陰」
ソージュが頷き、私を見上げる。
やめてよ。私まで照れるじゃないの。
「そうか。いい出会いがあったのだな。ま、変わった人だが……」
クレアが、私をちらりと見る。
「それは、誉め言葉かしら?」
「ああ。もちろん、誉め言葉だよ。……ナタリア様」
クレアの見せる笑顔。ようやく見れたね。私も嬉しくなるよ。
「名残惜しいですが、そろそろ……」
私たちを微笑んで見ていたアシリカが告げる。
そうね。そろそろ出発しないといけない時間ね。
「じゃあ、頑張ってね!」
私たちは、馬車に乗り込む。
「クレア!」
馬車が走り出すと同時に窓から身を乗り出して、ソージュが叫ぶ。
「ありがとう!」
ソージュの感謝の言葉。
「ああ」
クレアは頷き返す。
馬車が速度を上がるに従い、クレアの姿が小さくなっていく。その小さくなっていくクレアの姿をソージュは目を凝らしてずっと見ていた。