81 笑顔を見るまで
徐々にマツカゼの歩みを速めていく私の真横を熱気の籠った大きな火球が追い越していく。
アシリカの魔術だ。
その火球は、柵に直撃する。爆音と共に柵は吹っ飛ぶ。
「さあ、一気に行くわよ!」
それと同時に私は、マツカゼのスピードを一気に上げ、破壊された柵を超え、刑場の中へと突き進んでいく。それと同時にアシリカが小さな火の玉を次々と降らせる。
突然の出来事に、刑の執行人たちが慌てふためいている。
「ぞ、賊だっ!」
私に気付いた執行人の一人が叫ぶ。その声に反応した他の者が私を捕えようとするが、アシリカの降らせている火球に邪魔をされて思う様に動けずにいる。
「これは、どういう事だ!」
叫んでいるのは、キュービックさん。次から次へと周囲の者に掴みかかり、問い詰める様に詰め寄っているが、そのせいで待機していた警備の者が私に近づけないでいた。
キュービックさん、うまいなぁ。迫真の演技だね。
後ろ手に縄で縛られ、執行人に引きずられる様にして連れてこられているクレアの側まで邪魔に入られる事無く辿り着く。
マツカゼを止めると、ソージュが飛び降り、そのまま執行人に掌底を見舞う。相手が倒れ込むと、すぐにクレアを縛っていた縄を持っていたナイフで切る。
「ソ、ソージュ?」
クレアがソージュを見て叫ぶ。それに、ソージュは、小さく頷き返す。
「挨拶は後になさい。ほら、早く乗って!」
私の言葉に一瞬戸惑いを浮かべるクレアだったが、すぐに頷くと私の後ろに飛び乗る。
「さあ、帰るわよ!」
続いてソージュにも手を差し出す。
「このまま帰れると思っているのかっ!」
アシリカの魔術とキュービックさんのさり気ない妨害を突破してきたのか、五人ばかりの警備兵が周囲を取り囲む。
「思っているに決まってるじゃない。それに、用事は済んだしね」
私はソージュの手を取り、馬上に引っ張り上げる。
「黙れっ! 何者か知らんが、大人しくしろっ!」
この状況で、黙って大人しくする人、いないと思うよ。
槍を携え、周囲からじりじりと迫ってくる警備兵の言葉のチョイスに笑みが零れてくるね。
「お見送りご苦労様。そんなあなたたちには、これをご褒美であげるわ」
私は腰に括り付けていた小袋の中身を周囲にぶちまける。
ボンという音と共に、瞬く間に周囲は白煙に包まれる。
それと同時にマツカゼを走らせ始める。
「ぐわっ!」
「ゲホッ、ゲホッ。ま、待てー!」
白煙の中からむせかえる声と私を止めようとする声をが聞こえるけど、待つわけないでしょ。
私たちを乗せて、マツカゼは一目散に刑場から飛び出していった。
森の奥深くにある大きな洞窟。入り口は巧妙に草木に隠され、一目では、そこに洞窟がある事に気づかない。その洞窟は奥行もあり、中でさらにいくつかの小部屋に別れていた。
「助けてもらった事、感謝する」
その洞窟の中にある一室で、クレアが私たちに頭を下げている。
ここは、クレアたちの隠れ家だ。
アシリカやデドルたちと合流した私は、クレアに言われるまま、ここまで案内されてきたのだ。
帰ってきたクレアに、彼女の仲間たちは泣いて喜び、助け出した私たちに感謝していた。クレアはこの一団のリーダーで、残された仲間で彼女の奪還に出る直前だったようだ。
「感謝は、ソージュにする事よ」
私の言葉にクレアはソージュを見つめる。
「クレアは盗賊になった?」
見つめられているソージュがおずおずと尋ねる。
「ずっと、ソージュの事が、気がかりだった」
しかし、クレアはソージュの質問には答えず、懐かしそうに目を細めている。
「あの日、帰れなかった日、私は不覚にも人攫いに攫われた。足を挫いていたせいもあったかもしれない。大した抵抗も出来なかった」
クレアは、僅かに顔を顰めている。
「そこから、いろいろあったが、今はここにいる仲間と一緒に頑張っている。アンタも商家で頑張っているのだろ。見たところ、よくして貰っているみたいだし、安心した」
クレアはそっと、ソージュの頭に手を乗せる。
「だから……、だから、すぐにこの街から立ち去りなさい」
安堵と嬉しさが混じったような表情を引っ込めて、無表情となったクレアが告げる。
「え?」
ソージュは目を丸くする。
「何で? クレア、きっと何か事情あるハズ。力になりたい」
「ソージュ。アンタは今、平穏に暮らせているんだ。ここにいたままでは、追われる立場だよ。早く、この街から出る方がいい」
最後は私の方を向いて、クレアは、街から出る事を勧めてくる。
「あの、ソージュはあなたの事を本当に心配していたのです。なのに、すぐにこの街を立ち去れとは、あまりにも……」
堪らずといった感じで、アシリカが口を挟む。
「すまない」
ただそう一言、クレアは呟くと、目を閉じる。
「まあまあ。アシリカも落ち着きなさい」
「ですが、お嬢様」
アシリカは不満顔である。気持ちは分かるよ。取り乱すソージュを見ているのだから、そう言いたくもなるよね。
「本当にすまない。助けておいてもらって身勝手な事を言っている自覚はある。だが、これもソージュやアンタたちの事を考えての事。分かって欲しい」
目を開けて、クレアはもう一度頭を下げる。
「あなたの言っている事もわかるわ」
私はソージュに視線を向ける。
「けどね、私、頼まれちゃったからさ。ソージュに、あなたを助ける様にね」
「……助けてもらったが?」
眉間に皺を寄せ、クレアが首を傾げる。
「いいえ。まだね。だって、まだ私はあなたもソージュも笑っている所を見てないもの」
そう、この状況で助けたとは、とても胸を張って言えない。苦しみを抱えた人の笑顔を見るまでが世直しだよね。
「アンタ、商家の、金持ちの娘なのだろう? それが、こんな事に口を挟んでも、何一ついい事なんかないぞ」
「確かにそうかもね。でもね、このまま何もせずに、この街から出て行くって事は私の信念に合わないからさ」
じっと、クレアは私を見ている。
「……アンタ、変わった人だな」
そう言うクレアの目はまるで、珍種を見ているかの様な目ね。
「うん。たまに言われる」
私とクレアの視線が交錯する。
「ふふ。お姉さまを変わり者って……。そう思っていたのは、私だけじゃ無かったのですわね」
シルビアが妖艶な笑みを浮かべている。
いや、あんたにだけは、変わり者って言われたくないよ。
「クレア。お嬢サマ、きっと悩みを解決してくれる。だから、頼ってイイ」
「……ここにいる者は皆、奴隷だったり、親を早くに亡くした者ばかりだ。私もこのノーベツの街の商家の奴隷だった」
もう一度目を閉じ、悩まし気に考えていたクレアが話し始める。
エルカディアで攫われた彼女は、商家に売られ奴隷として働かされたらしい。だが、ある日このノーベツの街が大火に見舞われた。
その商家も炎に包まれ、その混乱に紛れて逃げ出した。主一家がその大火で亡くなった事もあり、再び自由を手にしたそうだ。
だが、本当に悲惨だったのは、その後からだったそうだ。数年来続いていた農作物の不作に加え、その大火。クレアの様に主を失った奴隷や親を失った子供たち。そんな弱い者たちが、飢えて誰からも見捨てられるのは、想像に難くない。
そんな街を彷徨う子供たちを纏めたのが、クレアだったらしい。
「私たちは、街の外れに居を構える事にした。それぞれの知恵を出し合い、出来る事をやり、小さな小屋や畑を作った。それでも生活は苦しかった。そんなある日、井戸を掘った時、水ではなく、お湯が出てきたんだ。仲間の一人が、それがスパの元となるものだと知っていた。私は、喜んだ。うまくすれば、仲間を養うだけの商売が出来るかもと思ったのだ」
スパ? まさか、ニセリアたちの泊まっているスパの事かしら?
「だが、スパが出たという話を聞きつけたらしい、ノーベツの豪商の一人、ジバンが、やって来て無理やり私たちを追い出し、そこを奪われた」
悔しそうに唇を噛みしめるクレア。
「執政官や街の官吏に、助けを求めなかったのですか?」
アシリカが尋ねる。
「国から街を預かっているのが、そのジバンだ」
声に苛立ちが混じっている。
「それが一年前の事。もちろん最初は、執政官のいる街まで行って、訴え出た。でも、身なりも汚い何の後ろ盾もない私たちでは、門前払い。住処を追い出された上に、邪魔者と思われた私たちはジバンに命を奪われかけた」
逃げ延びた彼女たちは、この洞窟へと辿り着いたらしい。その時に命を落とした仲間もいたようで、辛そうな表情を浮かべている。
「昨夜もかなり高位の貴族が泊まると聞いて騒ぎを起こした。少しは、我々の存在を知ってもらえるかもと思ったのだが……」
それで、昨日の夜、あのスパを襲撃したのか。
「そうだったの……」
立場の弱い者が理不尽な思いをする。何度聞いても、腹立たしい思いが込み上がってくる。
思わず私も顔を顰めてしまう。せっかく絶望の中で見つけた唯一の希望を奪われたのだ。それを取り返そうとする彼女たちの気持ちはよく分かる。
「でも、よく一年もこんな所で頑張ってきたわね」
じめじめとした人里離れた洞窟。周囲は深い森に囲まれているのだ。並大抵の苦労ではなかったはずだ。
そんな私の言葉にクレアは、顔を曇らせる。
「……ソージュに最初に聞かれたな。私が盗賊か、と。それの答えだ。確かに、生き延びる為に盗賊と呼ばれても仕方ない事をした」
見たところ、ここには、年長で十代後半。まだ十歳に満たない幼い子もいるようだ。二十人を超えるここにいる者たちが、食べていくにはこの森の周辺だけで採れるものだけでは、何ともならなかったのだろう。
「食べる物や着る物、馬なんかも奪ってきた」
苦痛に顔を歪めるクレアやおそらく盗賊行為に手を染めた年長の者たち。きっと不本意ながらも、生き抜く為にしてきたのだろう。
「もちろん、人の命は奪わなかった。それに、襲ったのは、ジバンに関係する奴らだけだ」
どうやら、あのスパへの納められる食料や宿泊しそうな客らしき一行ばかりを狙っていたらしい。私たちもどうやら、あの日スパを目指していた金持ちの一行だと思われたようだった。
「姉様は、この人たちを本当に助けるのですか?」
洞窟に入ってから一言も口を聞いていなかったジェイムズが突然尋ねてきた。随分と険しい顔をして、クレアを見ている。
彼の言いたい事は分かる。
クレアたちがした事。いくら生きる為、奪われたスパを取り戻す為とはいえ、人を襲い、物品を奪った事は犯罪だ。中でも、何の落ち度もないスパに来た人たちを襲ったのは、許される事ではない。
「姉様は、苦しむ人たちを助けなさいとおっしゃいました。でも、この人たちに苦しめられた人もいるのではないのですか?」
ジェイムズの顔からは悪意はない。ただ、疑問に思っているだけなのだろう。
だが、その問いはとても鋭く難しい。そして、正しくもある。
「その子の言っている事はもっともだ。私は罪を犯している」
返答に窮している私に代わり、クレアが答える。
「すべての責任は私が取る。奪われたものを取り返したら、犯した罪は私が償う」
クレアは、真剣な眼差しである。
「クレアお姉ちゃん……」
部屋の片隅で固まっていた幼い子供たちが、涙声となり、心配そうにクレアを見ている。
「いや、責任なら、俺たちにもある」
一方の年長組は、クレア一人に罪を背負わす訳にはいかないとばかりに、彼女に駆け寄る。
「ま、まあ、その事はまた後で考えましょう。ねっ」
重苦しい空気は、苦手だよ。
「そうですな。それがいい」
デドルだ。彼には、ニセリア一行に、もう一晩このノーベツに泊まる様に伝える事と情報収集をお願いしていた。どうやらすべてが終わり、戻ってきたみたいだ。
「お嬢様、帰って参りやした」
私の側にやってきたデドルが頭を下げる。ちらりと、不安げな顔をしている幼い子供たちの方を見る。中には、涙を目の端に浮かべている子もいる。クレアが捕まりいなくなるとでも思っているのだろう。
「ジェイムズ。お願いなのだけど、その子たちの相手をしてあげて」
「ぼ、僕がですか?」
今までにないくらい目を大きく見開いたジェイムズである。
「そうよ。ほかの部屋でこの子たちと遊んであげて」
デドルから何か報告があるのだろう。あまり小さい子に聞かせるもんじゃないよね。せっかくの機会だから、ジェイムズにお兄さん気分を味わってもらおう。
「ほら、早く」
私に急かされるまま、顔を引きつらせたジェイムズは小さな子供たちを引き連れ、部屋を後にする。
「それで?」
子供たちが行ったのを確認して、デドルの方を向く。
「へい。あちらはもう一泊する手筈は問題ありやせん。で、あのスパでやすがね……」
一度ちらりと、デドルは、視線をクレアに向ける。
「ありゃあ、真っ黒ですな。どうやら、不作続きと大火の復興の為に国から支給された金で随分と豪華なスパを作ったようで」
復旧支援金の横領ですか。そりゃ、真っ黒だな。スパで稼いだ金は、全部自分のモノなんだろうな。
「本来なら免除されているはずの住民の税金もむしり取っているみたいですな」
うーん、国から街を預かっているジバンというヤツ、かなり金にがめついわね。
「クレア、あなたの犯した罪はひとまず置いといて、ジバンってヤツ、かなりの悪党みたいね」
「今も必死にお嬢様の行方を追っているらしいですよ」
あー、刑場からクレアを奪い去ったから、私も仲間と思われているのか。
「なら、私も盗賊になっちゃおうかしらね」
くすくすと笑い声を立てる。
そうね、どうせなら、予告状でも出そうかしらね。
「アシリカ。紙とペンを」
「かしこまりました」
アシリカが用意してくれた紙にさっとペンを走らせる。
「デドル、これをスパに投げ込んで来て」
そう言って、紙をデドルに渡す。
「これをですかい?」
聞き返してくるが、そのデドルは、にやける顔を抑えきれないようだ。
「ええ。予告状よ」
その紙には、『今夜、取られたモノ、取り返しに参ります』、大きくそう書いていた。