8 許せません
取り出した手紙を読むにつれ、手が震えてくる。
『お嬢様へ
この手紙をご覧になっているという事は、きっと私がお嬢様の元へと帰って
こなかったからでしょう。突然、姿を消した事、お詫び致します。
お嬢様は私の様子を気にされていましたが、ご心配をおかけした事もお詫び
致します。
理由は申し上げられませんが、恐らく私はお嬢様に仕える事が二度と叶わな
いでしょう。
受けた御恩を裏切るような真似をして、お怒りになられると思います。許し
て頂こうなど、厚かましい事は言えません。
ですが、これだけは信じてください。私はお嬢様にお仕えする事が出来て、
幸せでした。毎日が充実しておりました。お嬢様の侍女となれた事、誇りに
思っております。
お嬢様が以前仰っていた、夢。叶えられる日が来る事を心より願っておりま
す。
アシリカ』
「ど、どういう事……」
私は声も震えていた。
侍女を止めるって事? それに、二度と会えないような書き方だ。
「私にも……」
手紙はソージュ宛にもあり、中身には、突然いなくなる事への詫びと、私の事をくれぐれも、よろしく頼む内容だった。
私は呆然と立ちすくむ。
「ソージュ、手紙は間違いなくクローゼットの中にあったんだな」
横から手紙を覗き込んでいたデドルが確認する。
「うん」
「なら、アシリカは帰れる可能性も考えているわけだ」
「どういう事?」
これは、私への置手紙ではないのか。
「隠す様にクローゼットの中に置いてあったんです。本当に辞める気なら、ガイノスのじいさんにでも渡しますさ。それをせず、クローゼットにその手紙を忍ばせた。もし、帰ってこれたら何事も無かったように、処分するつもりなんでしょうな」
確かに、一理あるわね。
「今、アシリカは、何かトラブルに巻き込まれるか、抱えているのは間違いないと思いますぜ」
本当にべたなメッセージを残したものだ。
私は手に持つ手紙をぐしゃりと握り潰す。
「そんなに、私は頼りないかしらね」
自嘲気味に笑ってしまう。
「どうするんで?」
デドルが私の顔を覗き込む。
「決まってるでしょ。私が困った時は助けてもらうけど、アシリカやソージュが困っていたら、私が助けるわ。それに、アシリカに教えなきゃ」
「教える?」
「ええ。私たちは仲間だってね」
くくく、とデドルが噛み殺して笑う。
「やっぱ、血は争えねえもんだな」
「どういう事?」
「それは、また今度って事で。それより今はアシリカです。さあ、お嬢様」
デドルは小屋の奥に行くと、壁の一部を外す。出てきたのは、取っ手である。その取っ手を引くと、壁の一部が、音も無く、上へと上がる。その先には、屋敷の裏手にある小さな林が見えた。
「外だ……」
私は呟く。初めて、自分の意思で表に出るのだ。
「お嬢様、くれぐれも、約束は守ってくださいよ」
念押しするデドルに私は頷く。
「分かってるわ。じゃ、行ってくるから」
「お気をつけて。帰ってきたら、そこの鈴を鳴らしてください」
デドルが示した先には、古びた鈴があった。
「行くわよ」
私はデドルに小さく頷くと、ソージュの声を掛け、門を潜り抜ける。
林を抜け、貴族街の通りへと出る。
「案内頼むわよ」
「ハイ」
普段はアシリカの影に隠れ、無口なせいで、目立たないソージュが頼もしく思える。
貴族街を抜け、平民街へと至り、道行く人が増え始める。ソージュは器用に人の流れを避けて、進んでいく。商店街を抜け、こじんまりとした家が立ち並ぶ一画へと辿り着いた所で、ソージュは足を止めた。
「もう少し行ったとこが、アシリカの実家、デス」
私はソージュの目線の先を眺める。
ここから、どうするか。いきなり家に押しかけても、解決しない気がする。きっとアシリカは屋敷を抜け出した私たちに怒り、すぐに追い返されそうだ。まずは、そっと状況を偵察しよう。アシリカが家にいるかも分からないし、トラブルの原因は別の場所かもしれない。
「ソージュ。まずは、こっそりアシリカの実家に行きましょう。それで家の裏手からでも、覗けないかしら?」
「ハイ」
ソージュは、頷くと、再び歩み始めた。
連れていかれたのは、道路に面した家の窓の前。
ここ? といった感じで、その家を指差す。ソージュはこくりと頷く。
ちょっと、窓の位置が高いな。これじゃ、中の様子が分からない。どうしたものかと思案する私の耳に、聞きたかった声が聞こえてきた。
「でも、母さん。このままじゃ、どうにもならないでしょ」
アシリカだ。どうやら、彼女の母親と会話しているみたい。壁にへばりつく様にして、聞き耳を立てる。
「父さんも昨日から帰ってきてないんでしょ」
「ええ。パドルスさんと話し合うって行ったきり……」
物憂げな声が母親だろう。
「私が、パドルスさんの所に行けば、すべて解決するじゃないの」
「駄目よ。あなたが行ったら、それこそ、向こうの思う壺じゃないの。あなたは、自分で働いてまで、魔術の勉強をしたいのでしょ。それなのに、パドルスさんの所に行ったら、無理やりでも、息子さんの嫁にさせられてしまうわ」
嫁ですと。え、何? アシリカ、結婚するの? しかも、無理やりってどういう事よ?
「しょうがないじゃない。でないと、父さんのお店、潰れちゃうじゃない……。そんな事になったら、父さんも母さんも生きていけないでしょ。私だって、小さい頃から見てたお店が無くなるのは嫌だし」
弱々しいアシリカの声だ。
なるほど。何となくだが、状況が読めたわね。要するに、アシリカに惚れた、パドルスとやらの息子のせいで、彼女の父親の店が窮地に陥っていると。それを何とかする為には、アシリカが嫁に行かなきゃいけないというわけか。
いや、あくどいね。おそらく、パドルスって奴は、アシリカの父親より立場が上なんだろう。それを笠に着て、息子の欲を満たさせるとは、許せないわね。アシリカが喜んでいるなら、私も納得出来るし、祝福するけど、絶対そうじゃない。
「アシリカ。気持ちは嬉しいけど、娘を犠牲になんて、親として出来ないわ」
母親の声は悲痛にも聞こえてきた。
アシリカの母親にまで、こんな思いをさせるなんて、ますます許し難い。
「心配しないで。それに、パドルスさんに、よく話せば、きっと分かってくれるはずよ。ね。だから、一度でも、直接私が話すわ。明日にでも、パドルスさんの所に行ってくるから」
「でも……」
「大丈夫よ。さ、昨日からあまり寝てないんでしょ。母さんは少し休んで」
そう言ったアシリカが窓の方に来る足音が聞こえてくる。私とソージュは息を潜めて、壁にじっとへばりついていた。
窓を閉める音が聞こえた後、私とソージュは顔を見合わせた。
「これは、何とかしないといけないわね」
「ハイ。私も、そう思い、マス。アシリカ、助けたい、デス」
表情の変化に乏しいソージュの目に、珍しく怒りの色が浮かんでいた。
私たちはとりあえず、表通りまで戻る。
さて、どうしたものか。まずは、パドルスって誰だろう。アシリカの父親の店を潰せるというくらいだから、そこそこの大店なのは間違いない。
「ねえ、ソージュ。パドルスって名前に聞き覚えは?」
ソージュは首を横に振る。
知らないか。まぁ、仕方ないか。こうなりゃ、商店街で、大きそうな店を虱潰しに調べるしかないわね。
「商店街に行くわ。そこで、調べましょう」
人が溢れる商店街は活気づいていた。多くの商品が並び、盛んに客を呼び込む声があちこちから聞こえてくる。
そんな中を商品には目もくれず、一軒、一軒店の屋号を確認していく。もしかしたら、パドルスという自分の名を屋号に付けているかもしれないからだ。
だが、なかなか見つける事は出来ない。時間だけが過ぎていく。それもそのはずである。このエルフロント王国の都なのだ。商店は無数にある。しかも、商店が立ち並ぶのは、この一画だけではない。
だが、絶望的とも言える店探しを止めようとは思わない。なんとしても、見つけ出さなければならないのだ。
「お、お前さんたち……」
必死で店を探す私に、声が掛けられた。
やばい。まさか、私の事を知っている人か。恐る恐る声の出所に振り返る。
そこにいたのは、グスマンさんだ。
「やっぱり、アンタか。一体、こんな所で何してる?」
驚きの顔で、私を見ている。
だが、私はそんな事は、今はどうでも良かった。これは、チャンスだ。顔の広いグスマンさんなら、パドルスの事を知っているかもしれない。
「グスマンさん、お願い。パドルスって人知りませんか?」
必死の形相の私に、グスマンさんは思わず体をのけぞらせた。
「お、おい、何だ、いきなり。パドルス? パドルスって、小麦の卸しをしているパドルスの事か?」
「知っているのですか。ちなみに、その人、息子とかっています?」
おお、さすがグスマンさん。顔が広い。
「ああ。確か一人いたな。だけど、息子は確か、あまり評判はよくなかったような気がするな」
私の勢いに押されたのか、聞かれるがままに教えてくれる。
「そのパドルスの家はどこですか?」
そこまできて、ようやく冷静さを取り戻したらしい、グスマンさんの目付きが鋭くなった。
「なあ、嬢ちゃん。こんな所で、ソージュだけ連れて何してる? ワシがこんな事を言うのも変だが、アンタ、自分の立場分かってるのか?」
声を落として、グスマンさんは言った。
「お願い。教えて。パドルスの家はどこ?」
私は目に力を籠め、グスマンさんの目を見る。お互いに睨み合う形になる。
先に根を上げたのは、グスマンさんだった。
「負けたよ。分かった、分かった。教えてやる」
首を振り、ため息を吐く。
「ありがとうございます」
グスマンさんに、ソージュへ場所を説明してもらう。
「嬢ちゃんよう。何か手伝うか?」
乗りかかった船とばかりに、グスマンさんが聞いてきた。
「いいえ。お気持ちだけで十分です。お気遣い、ありがとうございます」
私は丁重に頭を下げた。
そう、これは、私たちで、解決しなければならない。それにあまり、騒ぎを広めたくはない。私が屋敷の外でちょろちょろとしているのを知られたくない。
「そうか。でも、あまり羽目を外すんじゃねえぞ」
しばらく悩まし気な顔をしてから、ようやく頷いた。
「お嬢サマ、今日は一旦、帰らないと」
いつの間にか、夕刻が近づいてきている。随分と長い間、探し回ったようだ。
「そうね。帰って明日に備えましょう」
心配するグスマンさんと分かれ、帰路に付く。
屋敷には、約束の夕食にはぎりぎり間に合った。
「お嬢サマ、明日、何時に出マスカ?」
食事を終え、部屋で明日の事を考えている私にソージュが聞いてきた。
「そうね、アシリカの性格から考えて、明日の午前中のうちには、パドルスの所に行くと思うわ。だから、私たちは、朝一番には、屋敷を出ましょう」
帰ってきた時に明日も出かける旨は、デドルに伝えてある。
「明日もアシリカの服、借りる、デスカ?」
「そうねぇ……」
私は悩む。確かに平民街で目立たない為には、アシリカの服を借りるのがいい。だが、服のサイズが違い過ぎて動きにくい。万が一の事を考えると動きやすい方が便利だ。
私はクローゼットへと行き、並んでいる服を眺める。どれも、私に合わせて仕立てられたものばかりである。そして、どれも平民街にはそぐわないものばかりでもあった。
「ん?」
一着の服が目に留まった。
「ソージュ、明日はこれで行くわ」
私が選んだものは、この間、商人が来た時に選んだものだ。
ノースリーブで、胸元は大胆なVカット。裾は前面は膝丈までだが、背面は足首までの長さがある。横から見たら、ウエスト辺りから斜めにカットされているようで、可愛らしいシルエットである。一目見て気に入った。転生前の私では、とても着こなせない様なドレスである。
商人によると、今このタイプのドレスは貴族の令嬢から、平民の娘まで、大人気との事だった。だったら、ちょっとお金のある家の娘くらいに見られるだけですむかもしれない。色は紺色。色だけはお母様の趣味だ。
これが勝負服だ。選んだドレスをじっと見ながら、アシリカの弱々しい声を思い返していた。
翌日の朝は、自然と早くに目が覚めた。
朝食を手早く済ませ、昨夜に選んだドレスを身に纏う。鉄扇を腰に巻いてあるベルトへと差し込む。
いよいよ勝負だ。
しかし、この状況、豪商に言い寄られる町娘を助けるご隠居様と奇しくも同じである。憧れの状況であるにも関わらず、私の胸中には、わくわくも楽しむ余裕も無い。むしろ、不安だらけである。策は何も無いし、あまりにも、情報不足である。パドルスがどんな奴か知らないし、どんな危険があるかも予測つかない。
「そうね……」
突撃するか。きっと、あれこれ考えても仕方ない。正面突破あるのみだ。
「では、行くわよ」
傍で、私をじっと見つめているソージュに告げた。
「ハイ」
開けられた扉から部屋を出る。
次にここに戻ってくる時は、アシリカも絶対に一緒に戻ってくる。
「お嬢様」
決意を漲らせる私を呼ぶ声が聞こえた。
「どちらに行かれるので?」
怪訝な表情を浮かべるガイノスが立っていた。
「えーと、ちょっと、庭に朝の散歩にでも行こうかなっと」
まずい。一番見られては駄目な人に見つかってしまった。
「ほう。ですが、間もなく魔術の講義の時間ですぞ」
知ってます。だから、あなたに会うとまずかったのよ。だって、ブッチする気だからね。
「アシリカがいないから、気になって見に来て正解でしたな。さぁ、準備をなさってくださいませ」
ガイノスの説教が始まる。
だから、そのアシリカの為にも、魔術の講義は受けられないっての。
「よろしいですか。貴族の令嬢として、例え苦手であっても、最低限の知識は必要にございます。ですから、辛くとも――」
長い、長いよ。しばらくは大人しく聞いていたが、今は時間が無い。これ以上、時間を無駄には出来ないな。よし、こうなったら仕方ないわね。
「ソージュ……」
「ハイ」
「お嬢様、聞いておられるのですか?」
「ガイノス……、ごめんなさーい!」
そう叫ぶと同時に一目散に走り出す。ソージュも私に合わせて付いてくる。
「お、お嬢様ー!」
ガイノスの叫び声に心の中でもう一度謝る。今度、ゆっくり説教受けるから、今は許して。
私とソージュは屋敷の中を駆け抜け、やっとの事でデドルの小屋へと飛び入る。
「どうしたんですかい? そんなに息を切らして」
デドルが愉快そうに尋ねてきた。
「いえ、ちょっとね」
「そうですかい。何やら、ガイノスのじいさんの大きな声が聞こえたような気がしたんですがね」
その顔、絶対何があったか知ってるでしょ。
「それより、昨日言っていたように、今日も出かけるわ。開けてちょうだい」
「へい。今日は、その恰好で行かれるんで?」
デドルは私の姿を目を細めて見ている。そして、鉄扇にその目が留まる。
「ほう、そうですかい」
何かに納得した様に頷いたデドルは、昨日と同じ様に、裏門を開けた。
「じゃ、行ってくるわ」
「お嬢様」
裏門から出ようとする私をデドルが呼び止めた。
「何?」
「ご武運を」
真剣な眼差しのデドルに私は無言で頷く。
私は裏門から出ると、ソージュに先導させて、パドルスの屋敷へと向かった。