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戦うお嬢様!  作者: 和音
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79 命名

 仔馬が生まれてしばらくして、ミラのおじいさんであるライトさんが帰ってきた。

 予想より早い出産に驚くと同時に、出産時の状況をミラから聞いて私たちに感謝の言葉を述べた。

 やはり、仔馬は危険な状態だったらしく、あの時の処置は正解だったようだ。

 ともあれ、血や羊水でべたべたになった私たちは、風呂を借り、汚れを落とさせてもらった。

 体も綺麗になり、緊張からも解放され、ほっと一息つけたがジェイムズの姿が見当たらない。


「ジェイムズは?」


「ジェイムズ様は、ずっと生まれた仔馬を見ておられるみたいです」


 慣れない事をしたせいか、疲れ切った顔となっているアシリカが教えてくれる。

 じゃあ、馬小屋か。少し、様子を見に行こうかしらね。


「ちょっと、見てくるわ」


 着いてくると言うアシリカにもう少し休んでおくように言い聞かせ、一人で馬小屋へと向かう。

 アシリカの言う通り、一番奥の馬房にいる仔馬をじっと見つめているジェイムズの姿が見えた。


「ジェイムズ」


「姉様」


 声を掛けられて初めて私が来た事に気付いたのか、少し驚いた顔を見せる。


「ずっと見てたの?」


 仔馬は、一心不乱に母馬の乳を飲んでいる。


「はい」


「そう」


 沈黙の中、仔馬が母馬の乳を吸う音だけが響いている。

 その沈黙を破って、先に口を開いたのは、ジェイムズの方だった。


「僕は、この仔馬にすら負けたのですね……」


 ぽつりと呟く。


「そうね」


 私たちの会話に誘われるかの様に仔馬がこちらに近づいてきた。盛んにジェイムズに鼻を擦り付けている。

 ジェイムズは、どう反応していいのいか分からず困り顔になっている。


「ふふ。この子に気に入られたみたいね」


「僕なんかを気に入っても……」


 ジェイムズは、困り顔から暗い表情へと変わる。


「僕は呪われた子です。そんな僕には、近づかない方がいい」


 仔馬から逃げる様にジェイムズは後ずさる。


「呪われた子?」


 眉間に皺を寄せ、ジェイムズの顔を見る。いつの間にか彼は、いつもの無表情に戻っていた。


「そうです。呪われた子です」


「誰がそんな事を……」


 まだ子供のジェイムズにそんな酷い事を言うなんて許せないわ。


「僕が生まれてから、アトラス家は不幸続きです。父上と母上も相次いで亡くなりました。そればかりか、王家に嫁いだ叔母様もです。そして、領地では、天災が続いて、多くの人が苦しみ命を落としたと聞きます」


 偶然だと思うが、確かにそれらはすべて事実だ。


「六歳くらいの時に屋敷で、使用人たちが話しているのを聞きました。僕は呪われた子だと。僕が生まれてからアトラス家は、次々と不幸に見舞われていると」


 苦痛、というより、恐怖を感じているかのような表情をジェイムズは見せる。


「どこにでも悪く言う者もいるわ。知っているでしょ。私だって、酷い言われようよ」


 我儘ナタリアの噂は、全国区で広がっているみたいだしね。 


「ですが、自分でもそう思うのです。僕さえ、生まれなかったら、アトラス家も領民もこんな苦しみを味わなかったかもしれないって。僕は、生きる価値のない人間なのかもしれません」


 なるほど。両親を失い、寂しい思いをしている時に、その様な話を耳にしてしまったのか。彼の幼心が傷ついたのは、間違いない。それが、今の感情を押し殺すジェイムズを形作っているのかもしれない。

 その上、今はその命まで狙われている。十歳にして、その心は疲れ切っているのだろう。


「私はね、この子が無事に生まれてきて良かった。例え、この子が将来駄馬と馬鹿にされる馬に育ったとしても、その思いは変わる事はないわ」


 ジェイムズは、私を見上げる。


「あのね、ジェイムズ。人も馬も命あるものにとって、生きるって事は素晴らしい事よ」


 一度死んだ私には、分かる。生きていてこそ、なのだ。生きているからこそ、やりたい事が出来る。そして、運命にも抗ってみせると思えるのだ。


「もちろん辛い事や悲しい事もあるわ。未来にとんでもない障害が待ち受けているかもしれない」


 断罪されるかもしれない運命のようにね。


「それでも、私は生きていたい。生きていて欲しい。ジェイムズにもそう思っていて欲しいわ」


「これ以上、人を苦しめたくはありません」


 絞り出す様にジェイムズは顔を歪める。

 ああ、そうか。本当は、この子は繊細で優し過ぎるのかもしれない。そして、悲しいまでに自分を責めている。だからこそ、世間から背を向けようとしているのか。


「だったら、苦しむ人を助けなさい。何もせずに、憂いているだけよりも、よっぽどいいわよ」


「苦しむ人を助ける?」


 ジェイムズは、首を傾げて聞き返す。


「そうよ。どんな事でもいいの。何かに苦しんでいる人に手を差し伸べてあげて」


「……僕にそんな事が出来るのでしょうか?」


「それは、あなた次第よ」


 ジェイムズは俯き、黙り込む。

 再び沈黙に包まれる。

 そんな中、仔馬は柵から首を伸ばして、ジェイムズを見つめている。


「ほら、この子もジェイムズを応援するってさ」


 私は、仔馬の頭を撫でる。


「そうだわ。この子の名前はあなたが付けてあげなさい」


 私も考えていたけど、譲ってあげよう。ちなみに、ヒャクダンかミクニグロで迷っていたのだけど。


「僕が?」


「ええ。この子もジェイムズを気に入っているみたいだしさ」


 じっと、ジェイムズは仔馬の目を見ている。


「カサル」


 やや間を置き、ジェイムズがぼそりと口を開いた。


「カサル?」


「はい。幼い頃、まだ母上がおられた頃、読んでもらった本の主人公です」


 ジェイムズにしたら、数少ない母親との思い出なのかもしれないな。


「いいわね。この子も気に入ったみたいよ」


 仔馬、カサルは顔を上下させている。

 ジェイムズはそんなカサルに近づくと、手を伸ばす。一度、躊躇したものの、すぐにその手でカサルの頭を撫でる。

 何度も何度もジェイムズはカサルの頭を撫でている。


「お嬢様、そろそろここを発つ時間にございます」


 カサルの頭を撫でているジェイムズを眺めていると、アシリカが馬小屋の入り口から顔を覗かせている。


「ええ、分かったわ。行きましょうか、ジェイムズ」


 アシリカに手を振り返し、ジェイムズに声を掛ける。


「はい」


 名残惜しそうに手を引っ込めて、ジェイムズは頷いた。

 馬小屋を出ると、すでに馬車が用意されている。その横にミラとライトさんが見送りに来ていた。


「本当に今回はありがとうございました」


 ライトさんが私に頭を下げる。その横でミラも頭を下げている。


「無事に生まれてきてくれて良かったわ。それより、あの仔馬、カサルとジェイムズが名付けました。大きくなったら、ジェイムズの馬にしても?」


「もちろんですとも。ジェイムズ様に乗って頂けるよう、訓練しておきましょう」


 ライトさんがジェイムズに向かって、大きく頷く。


「いいのですか?」


「いいのよ、ジェイムズ。私からのプレゼントよ。おいくらかしら?」


 イザベルの実家で働いた銀貨一枚が増えた私の財布。お姉さんが払ってあげましょう。


「そうですな。あの子の父馬は今度行われる品評レースにも連覇を賭けて望むほど優秀です。本来でしたら、金貨四十枚と言いたいところですが、出産を手伝って頂きました。特別に半値でかまいません」


 え? 馬って、そんなにするの? 半値でも金貨二十枚だよ。そんなに持ってないよ。

 冬だというのに、じわりと嫌な汗が出てくる。


「じいさん。それでかまわんよ。サンバルト家に付けておいてくれ」


 固まる私に代わり、デドルが答える。


「お嬢様。ジェイムズ様への贈り物なら、旦那様も奥様も何も言いやせんよ」


 そっと、私の耳元でデドルが苦笑いで囁く。


「そ、そうね。ほ、ほほほほほ」


 ぎこちない笑いでデドルに頷き返す。


「お嬢サマ、その出しかけの財布、どうするつもりデスカ?」


 ソージュ、余計な事を言わない。笑いながら、そっと仕舞うつもりなんだから。


「ありがとうございます」


 ジェイムズは、私の財布に気付かないふりしてくれてるね。


「いいのよ」


 私は、あなたの気遣いの方にありがとうだね。それに比べて、うちの連中は、また呆れ顔で私を見ているよ。


「では、そろそろ行きやすか」


 デドルが告げる。


「あの、ナタリア様っ!」


 馬車に乗り込もうとする私をミラが呼び止める。


「デドルさんからの手紙に書いてある通りの方でした。本当に肝っ玉が据わっておられますね!」


 肝っ玉……。褒められているに違いないだろうが、デドルは私の事をどう評価しているのかしら。

 顔を引きつらせた笑いを浮かべながら、横目でデドルを睨んでしまう。


「ありがとう」


 ま、褒められているのだ。お礼は言っておこう。

 馬車が走り出す。ミラに手を振ると、振り返してくれる。

 遠ざかる牧場の馬小屋をじっと、ジェイムズが見つめている。

 何を考えているのだろうか。ただ、その目は、今までの感情の無い目ではなく、ほんの少しだが、力が籠っているような気がしていた。




 夕暮れに染まった空の下、馬車が走っていた。普段よりも早い速度である。

 牧場ですっかり長居してしまったせいで、おそらく後ろを進んでいたニセリアたち正規の一行に抜かされているはずだ。次の街に私たちが着いていないとハイドさんたちに余計な心配を掛けてしまう。その為にも、今日中に予定の街まで辿り着く為に、馬車を飛ばしているのだ。

 いつの間にか、辺りはすっかりと暗くなっていた。寂れた街道を進む馬車の中で、出産に立ち会った疲れが一気に押し寄せてきた私はうとうととしていた。


「お嬢様、お嬢様」


 そんな私の肩をアシリカが揺すっている。


「何? 着いた?」


 半分眠っていた私は目を擦りながら、大きなあくびをする。


「いえ。街まではまだもう少しです」


 じゃあ、何で起こすのよ。

 不満げな視線をアシリカに向けるが、彼女の顔は緊張が張り詰めている。ようやく頭がはっきりしてきた私は、何か問題でも起こったのかと、周囲を見渡す。

 暗くてよく分からないが、馬車は変わらず進んでいるみたいだけど。


「周囲を囲まれている様です。デドルさんが気づきました」


「何ですって!」


 完全に目が覚めた。

 周囲を囲まれているって、どういう事?


「相手は誰か分かりませんが、馬に乗った数名の者が周囲を取り囲んでいるそうです」


 まさか、替え玉に気付いたルドバンの手の者だろうか。ま、誰にしろ、穏便に済むとは、思えないな。


「アシリカは、御者台へ。危険を感じたら、すぐに魔術で攻撃しなさい。シルビアは、ジェイムズの側に。ソージュは、いつでも飛び出せるように中で待機よ」


 私は矢継ぎ早に指示を出す。

 それぞれが私に従い、緊張の面持ちで周囲を伺っている。

 その時、突然、街道の脇の茂みから二頭の馬が私たちの馬車の前に飛び出してきた。進路を防ぐように馬車の前に出る。その直後には、さらに五頭の馬も加わり、ぐるりと馬車が囲まれる。布地の覆面をした者たちが器用にそれぞれの馬を操っている。

 進路を防ぐ二頭は徐々にスピードを落としている。このまま、私たちの馬車を止めるつもりの様だ。


「どうしやす? マツカゼらなら、この二頭を蹴散らす事が出来ると思いやすが」


 デドルが、御者台から聞いてきた。


「ふん。相手が誰か分からないけど、相手してあげるわ。馬車を止めなさい」


 もし、ルドバンの手の者なら、生け捕りにして奴を問い詰めてやるし、そうでなかったら、盗賊の類だろう。懲らしめてやればいい。


「皆、警戒しなさい」


 デドルは手綱を引いて、馬車の速度を落としていく。それに合わせて、私たちを取り囲む馬も速度を緩める。

 完全に馬車が止まると、周囲の覆面をした者たちが松明を手にして近寄ってくるが、構わず私は馬車から、飛び降りる。

 予想外の行動だったらしく、近寄ってきていた歩みを止める。

 

「一つ聞くけど、あなた達は盗賊? それとも……」


 ソージュが馬車の中から、いつでも飛び出し攻撃出来るように身構える。御者台でも、デドルとアシリカが臨戦態勢だ。


「……義賊、とでも言っておこう」


 馬車の進路を塞いだ馬に乗っている覆面が答える。

 この声、女性よね? 


「それより、お前たちはどこかの商家の者か?」


 続けて覆面の女性が尋ねてくる。


「ええ。そうだけど。何かご用かしら?」


 鉄扇を腰から抜いてしっかりと握りしめる。

 さっきから空に上がり始めた月が私たちを照らしている。


「なら、ここで引き返してもらおうか」


 引き返せ? そうか、先を進みたければ、金目の物を……ってやつね。つまりは、盗賊か。ならば、遠慮無く、叩き潰してあげるわ。

 覆面の女性が乗馬したまま、私に近づく。その手には、剣が握られている。

 さっと、馬車からソージュが飛び出し、私の前に立ち、身構える。


「ソ、ソージュ?」


 覆面の女性が声を上げた。覆面から覗いている目が大きく見開かれている。


「どうして、ソージュの名前を?」


 ソージュに盗賊の知り合いがいるの?


「私だ!」


 覆面の女性は、その顔を覆っている布を取り払う。


「ク、クレア?」


 その顔を見て、愕然と馬上の女性を見上げるソージュだった。


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