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戦うお嬢様!  作者: 和音
78/184

78 生きなさい!

 アトラス侯爵領へと向けて馬車は西へ西へと進んでいた。

 大きな街は姿を消し、草原が広がる丘陵地帯を抜けていく。木が少なくなったからなのか、シルビアのテンションが若干下がった様に感じる。

 冬のせいか、所々剥げているものの、一面に広がる草原を利用して牧場が点在していた。寒さはきつくない地方という事もあり、冬でも馬や牛があちらこちらで放牧されているのが見える。


「どう、ジェイムズ。外を見てみたら? あんなにも遠くまで草原が続いているわよ」


 エルカディアでは、絶対に見られない光景である。アシリカとソージュも興味深そうに外を眺めている。


「はい」


 私に言われたからといった態度でジェイムズも視線を車窓に向ける。


「ほら、見てよ。あれ、親子かな?」


 少し小柄な馬を引き連れた馬がいる。母馬と仔馬だろうか。


「……どうでしょうか」


 気の無い返事を返すジェイムズ。


「もう。ちょっとは楽しんだら? まだ十歳なんだから、あー、可愛いとか、すごい景色だとかないの?」


 ジェイムズはエルカディアを出てからずっと何にも興味を持たず、感情を露わにする事が少ない。

 唯一感情を激しく見せてくれたのは、イートンの街での私への驚愕した様子だけだ。難しい顔で黙り込んでいないで、もう少し楽しんだらいいのに。


「まあ、お嬢様。楽しみ方は人それぞれでございます。誰しもが、お嬢様の様にストレートに感情を出すとは限りません」


 アシリカが私を嗜めるように言った。

 まあ、それも分かるけど、ジェイムズは感情が無さすぎな気がする。


「楽しい? 姉さまたちはこの景色を見て楽しいのですか?」


 不思議そうにジェイムズは私を見ている。


「そもそも、景色を見て、馬の親子を見て綺麗とか楽しいとか感じるものなのですか? 僕には何も感じられないのですが」


「じゃあ、ジェイムズの心弾む時ってどんな時よ?」


 ジェイムズが喜びテンションが上がっている所を見てみたい。


「……分かりません。そんな事、一度もありませんでしたから」


 私から視線を外し、真っすぐに前を向いたジェイムズの目は何を見ているのだろうか。その横顔は、世の中と交わる事を拒否するかのようだった。


「ジェイムズ……」


 私は、彼に掛ける言葉が見つからない。

 ジェイムズは、生まれてきて良かったと思えた事があるのだろうか。初めて会った時は、気の弱い大人しい子だと思っていた。だが、一緒に旅をするにつれ、周囲に関心を示さず、自分の殻に閉じこもっているだけの様に思える。

 早くに両親を失い、爵位を継ぎ、今は命を狙われているのだ。人とは違う特殊な環境がそうさせているかもしれない。


「お嬢様」


 何も言えずに、ジェイムズをただただ見つめるだけの私に御者台のデドルが声を掛けてきた。


「何? どうしたの?」


 少し沈んだ感情を振り払い、努めて明るく聞き返す。


「この近くにこの馬車を引いているうちの一頭が生まれた牧場がありまして」


 デドルは馬車を引いている三頭のうち、先頭にいる馬を指差す。

 マツカゼか。ちなみにこの三頭の名前は私が名付けた。残りの二頭は、クロクモとホウショウツキゲ。名前の由来を聞かれて困ったけどね。


「マツカゼの故郷なんだ」


 マツカゼは三頭の中でも、ひと際体が大きいリーダー的存在である。


「どうです? 寄っていきますかい?」


 いいね。ちょっと、牧場がどんな所か見てみたいし、気分転換になるかもしれないよね。


「是非、寄りたいわね」


「へい。かしこまりやした」


 デドルは返事すると、馬車のスピードを上げる。


「ジェイムズはどうなの? 馬とかに興味あるの?」


 男の子は乗馬とかに興味があると思うけど。


「乗馬の稽古ならしています」


 そうか。貴族の男子なら乗馬は必須だもんね。私もやりたいなぁ。


「ちょうど、いいわ。私も馬に乗せてもらおうかしら」


「お嬢様は、止めておいた方がよろしいかと……」


 アシリカが渋い顔で首を振る。


「どうして?」


 貴族の娘でも、馬に乗る事は駄目とされていないはずだ。

 

「お嬢様は、暴走してしまいそうな気がします」 


 暴走って、アシリカ……。私を何だと思っているのかしらね。そんな無茶苦茶な事しないわよ。


「華麗に駆けてると言ってちょうだいよ」


 私が口を尖らせているのをアシリカたちが苦笑いで見ている。

 しかし、ジェイムズだけは、一人真っすぐ前を見つめていた。




 広い草原の中にポツンとある牧場。大小二つの建物が建っていた。

 少しひんやりとする風が私の髪を揺らしている。


「誰もいないの?」


 周囲は静まり返っている。


「おかしいですなぁ」


 小さい方の建物がこの牧場の主一家の家らしいが、誰もいないらしく、首を捻りながら、デドルが周囲を見回す。


「あっちが、馬小屋かしら?」


 大きい方の建物を指差す。


「そうです。あっちも見てきやす」


 デドルが馬小屋へと進めた足を止める。


「おっ」


 デドルが草原の先を目を細めて見ている。

 私も見てみるが、何もない様な気がするけど。

 そう思いながらも目を凝らしていると何やら小さな点が見えてきた。次第にその点は大きくなり、私でもその正体が分かった。

 馬だ。しかも女の子が乗っている。

 私たちの目の前で器用に馬を止めると、デドルを見てぱっと顔が明るくなる。


「デドルさんっ!」


「やっぱり、ミラか。何だ、一人か。ライトのじーさんはいないのか?」


 二人は知り合いみたいね。こんな所にも知っている人がいるのか。デドルの顔の広さには驚かされるよ。


「おじいさんは、用事で街まで行ってる」


 馬から飛び降りたその子は、ソージュと同じくらいの年齢だろう。髪を後ろで一まとめにしていた。その可愛らしい顔からは活発さが感じられる。


「こちらの方は?」


 デドルの横に立つ私を見ている。


「あっしの主だよ」


「え? という事は、サンバルト家の?」


 随分とデドルの事も詳しいみたいだ。


「ええ。ナタリアよ」


 この子も私に怯えるのだろうか。初対面恐怖症になりそうだよ。


「お会い出来て光栄です。一度、お会いしたいと思ってました!」


 満面の笑みで、私に挨拶してくれる。

 怯えてない! しかも私と会えてとても嬉しそうだ。うんうん。この子とは、仲良くなれそうな気がする。


「お嬢様、この娘はミラです」


 ミラはこの牧場の主の孫娘だそうだ。彼女の祖父は、名前の知られた馬の生産者で、多くの名馬を育ててきたらしい。デドルとは、旧知の仲でマツカゼもその縁で譲ってもらったとの事だった。


「あの子の、マツカゼって名前を付けて頂いたのですよね。デドルさんから頂いた手紙で見ました。公爵家のご令嬢が直々に名前を付けてくださるなんて、あの子は幸せ者です」


 馬車に繋がれているマツカゼを愛おしそうな目で見ながら、喜んでいる。

 いやあ、名前を付けただけで、こんなにも印象が良くなるのか。だったら、ここにいる馬全部に名前を付けてもいいわよ。


「あの、良かったら、馬の乗り方を教えて欲しいのだけど」


 ミラが颯爽と馬に跨っているのを見たら、私も同じ様に乗りたくなちゃった。


「お、お嬢様っ」


「まあ、アシリカ。いいじゃないか」


 慌てて止めようとするアシリカをデドルが制止する。


「でも……」


 心配そうにアシリカが私を見ている。


「大丈夫ですよ。本来、馬は大人しく賢い生き物です。ご心配には及びませんよ」


「いえ、その心配ではなく……」


 うん。私の暴走を心配しているのよね。


「心配はいらないわよ、アシリカ。ちゃんと大人しく教えてもらうからさ」


 難しい顔のアシリカを宥めて、ミラの方へ向き直る。


「さっ、早速始めましょうか」


 こうして、私の乗馬の訓練が始まる。


「ナタリア様。お上手ですよ」


 牧場の馬を借り、ミラと並走する。

 すぐにコツを掴んで、速足で駆けられるようになっていた。


「アシリカー! ソージュー!」


 不安げに私を見ている二人に手を振る余裕まであるんだよ。


「お嬢様ーっ! 両手で手綱をしっかり握ってくださいっ!」


 手を振る私に、血相を変えてアシリカが叫んでいる。


「ふふ。侍女の方たちからも慕われているのですね」


 隣で私に合わせて馬を駆るミラが笑う。


「心配性な二人でね。ま、彼女たちには、感謝しても仕切れない程、感謝しているけどね」


 アシリカに言われた通り、しっかりと手綱を両手に握り頷き返す。

 ミラはすっかり私を気に入ってくれているみたいである。どうやら、デドルからたまに手紙がこの牧場に届いていて、そこに私の事も書いてあったらしい。

 どんな事書いてくれたのかしら。きっと、良い様に書いてくれているのよね。このミラの反応から考えるにさ。うん、今度デドルに甘いお菓子を買ってあげよう。

 

「お姉さまー!」


 上機嫌で馬に乗っている私に今度は、シルビアだ。

 彼女は確か、ジェイムズと馬小屋の中を見学させてもらっていたはずじゃなかったかしら。


「大変ですわー」


 シルビアは、ぴょんぴょん飛び跳ねて叫んでいる。それに合わせて揺れている胸は、私への当てつけか?


「どうしたの?」

 

 すっかり馬の扱いに慣れた私は、ミラと一緒にシルビアの前まで駆けて行く。


「大変ですの。一番奥の馬が横たわって、何やら苦しそうですの!」


 普段おっとりのシルビアにしては珍しく焦りの表情である。


「苦しそう? 病気かしら?」


 それは、大変だ。


「一番奥? まさか、産気づいたのかしら? でも、まだ予定より早いわ」


 顔色を変え、ミラがうろたえている。

 産気づいた? 馬の赤ちゃんが生まれるって事?


「とにかく、様子を見にいきましょう」


 馬から降り、私たちは、馬小屋へと駆けこむ。

 シルビアの言うように、一番奥の馬房で、一頭の馬が横たわり、頭を上下させている。その横で、ジェイムズが馬の様子を顔色一つ変えず、じっと見ている。


「嘘っ。破水してるっ!」


 ミラが、その馬の周囲の床が濡れているのを見て叫ぶ。


「すぐに、出産の準備を。私たちも手伝うわ。指示をしてちょうだい」


「でも、私、出産に立ち会った事が無くて……」


 え? じゃあ、どうするの? このまま何もしなくても生まれてくるものなの?

 

「出産は今までおじいさん任せだったから」


 ミラは、おろおろとしている。


「誰か、どうしていいか分かる人は?」


 振り返り、尋ねるが、手を上げる者はいない。


「仕方ありません。こうなったら、私たちで何とか頑張りましょう」


 アシリカが、覚悟を決めた顔で頷く。


「そうね。ここには、私たちしかいないのだから。ほら、ミラもしっかりして」


 とは言ったものの、馬の出産に関する知識など無い。少し期待したデドルもどうやら、詳しくないようだ。

 分かっているのは、ミラが知っているわずかな知識。基本、野生でもいる馬は、己の力だけで出産出来る。だが、稀に生まれてくる仔馬の命が危険な時があるらしい。その時は、人間の助力が必要となってくる。


「今は見守ります」


 そう言うミラの声は震えている。やはり、初めての経験で不安なのだろう。

 母馬は横たわったままである。時折、苦しそうにいななく。


「あっ!」


 母馬が、ひと際体を大きく揺さぶると同時に、尻尾の付け根あたりから、にゅっと棒のような物が付き出してくる。仔馬の足だ。半透明な膜に包まれている。

 私たちは、固唾を飲んでその様子を見守る。


「頑張って……」


 ミラは、祈る様に両手を合わせ、母馬に声を掛ける。

 その励ましの声に答える様に母馬が首を振る。すると、足の先だけだった仔馬がその顔を覗かせる。だが、その顔は、赤く染まった膜に包まれている。

 さっきまで半透明だった足を覆っていた膜も赤く染まっていく。

 これ、普通なのかしら? 何で急に赤く染まったの? 不安が押し寄せてくる。

 

「ねえ、何かおかしくない?」


 思わず声に出すが、それに答えられる者はいない。

 私は仔馬に近づき、その顔を見る。何だか、苦しそうに見えるのは、気のせいではないと思う。

 何も出来ない自分に腹が立ってくる。馬房を仕切っている木の柵を叩く。

 ん? 木の柵か。もしかしたら……。


「シルビアッ! この柵の木に聞いて! 今まで何度も出産を見てきたはずよ!」


 はっとした顔で、シルビアが頷く。柵に手を触れて、首を傾ける。


「お姉さま。その子、危険な状態ですわ! 息が出来ていないみたいですわ!」


 息が出来ていない? この赤い膜のせいか? ならば、すべき事は一つ。

 私は、仔馬を包んでいる膜に手を掛けると、力一杯、引き裂く。しかし、なかなか、その膜は破れない。ヌルヌルしていてうまく掴めないのだ。

 アシリカとソージュ、それにデドルもすぐに、その膜を破ろうとする。


「ミラは、母親を励ましてあげて」


 私の声に弾かれる様にして、ミラが母馬の顔の前にしゃがみ込み、声を掛ける。


「尻尾が邪魔ね。ジェイムズ、母馬の尻尾を抑えていなさい」


「そこまでする必要がありますか?」


 冷めた目で、私たちをジェイムズは見下ろしている。


「何ですって?」


「そこまでして生まれてきても、良い事あるのでしょうか」


 無表情でジェイムズは淡々と続ける。

 私の眉が吊り上がるのが自分でも分かる。


「ならば、無理せずともいいのではないですか? 無駄な気がします」


「ジェイムズッ!」


 私の大きな叫びにもジェイムズは表情を変えない。


「無駄などではないわ。この子は必死で生きようとしている。この世に生まれてこようとしているの」


 私には、感じる。生きようともがくこの子の想いが。


「いいわ。この子とあなたの勝負よ。この子はきっと、立ち上がるはずよ」


 私はそう言って、血に染まる膜をぎゅっと、握る。


「だから、しっかりと見てなさいっ!」


 そう叫ぶと同時に、膜は真っ二つに裂ける。それと同時に血の混じったヌルヌルとしたものが飛び散る。

 仔馬の口は、一生懸命に息を吸い込もうとしているみたいだ。


「お姉さま、次は足を持って、引っぱり出して!」


 シルビアがまた、柵の木から何かを感じ取ったようだ。

 私は仔馬の足をしっかりと掴み、母馬から引っこ抜く様に力を籠める。


「生きなさいっ!」


 私の声と共に、スポンと仔馬は母馬から出てきた。


「やったわ!」


 仔馬は小さく声を上げている。母馬は体をゆっくりと起こし、舌で生まれたばかりの我が子を舐めている。

 しばらくすると、仔馬はふるふると震えながらも、四本の脚で立ち上がろうとしている。。

 そんな仔馬を私たちは見守る。

 何度か失敗をした後、ようやく立ち上がる事が出来た仔馬はよろめきながらも、歩みを進める。

 立ち止まったのは、ジェイムズの前。そのまま、その鼻をジェイムズにこすり付ける。


「ジェイムズ。この子の勝ちよ」


 私の声が聞こえていないのか、ジェイムズは目を大きく見開いて、仔馬を見つめ続けていた。


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